風の巡礼地アネモネ
夢を見た……ような気がする。
確証が持てなかったのは、支離滅裂過ぎて、なにを見たのかがいまいちわからなかったからだ。
いや、夢って本来はそんなものだったのかもしれない。リナリアに会うときは、いつだってリナリアの花の咲く空間を夢越しで見ることしかできなかったし、彼女がなにかを伝えようとするときも、言葉で説明せずに、何故か彼女は夢を見せて、私になにかを訴えていた。
夢ってもっと支離滅裂なものだったはず、なんだ。
今見ているのは、光が散らばっている中で、リナリアが顔を覆って泣いている姿が映っている。
ここがどこなのかがわからない。リナリアの花も咲いていないから、セーブポイントみたいな場所でもないし、ゲームでこんな場所は見たことがない。スチルにもこんな場所は映ってなかったはずだ。
でもいい加減、私もゲームのプレイ記録や設定資料集だけで見聞きした知識だけでは、資料集では一行しか書いてないことなんて全然わからないということを知っている。
『泣かないで、私の子』
「……どうしたら、いいんですか。いつも取りこぼすんです。諦めるんですか? できない……命に貴賤はないはずなんです。でも……どうしたらいいんですか……」
ふいに、真っ白な光が現れたと思ったら、パステルピンクで白い巫女装束が光の中で見えなくなってしまっているリナリアを抱きしめるのを見た。
白い光から現れた姿は、今まで見たこともない人物だった。
金色の髪に、銀色の瞳。服は真っ白で、気のせいか神殿の神官長の服にも似ているような気がする。身長はすらりと高く、そして顔の造形は恐ろしく整っていた。
……ちょっと待って、こんなキャラ知らない。
一瞬リナリアに神託を下した神かとも思ったけれど、ここまで人間離れした美貌ではなかったはずだ。
いくらブラックサレナが攻略に関しては鬼畜を極めているとはいっても、もし攻略対象に隠しキャラがいるんだとしたらきっちりと告知するはずなんだ。ほとんどの隠し攻略対象は隠れ過ぎて見つからないのはよく知れ渡っているけれど、少なくとも隠すようなことはしない。
だとしたら、攻略対象の線は消えるけれど……誰?
私はしばらく彼を凝視していると、リナリアが嗚咽に混じったまま、声を続ける。
「時間が……ないのに」
『手放すものは、本当にもうないと言いたいのかい?』
「どういう意味ですか?」
リナリアは、この不審人物の正体を知っているんだろうか?
今まで攻略対象たちと恋愛関係になったら、たしかにこんなに近い距離感でしゃべることもあるけれど、この謎の美形との距離感がおかしいことに、私は首を捻った。
『──────……』
謎の美形の言葉は聞き取れない。ただリナリアは水色の目を大きく見開いたあと、さっきまで泣き崩れていたのが嘘のように、しっかりとした意思を瞳に宿した。
ん? どういうこと?
だんだん光が砕ける。……いや、待って。そもそも光なんて砕けない。なんでガラス玉を床に叩き付けたように光が飛び散るの。
光が飛び散ったと思ったら、あったはずのこの空間もバラバラになってしまったのだ。
……ねえ、待って。意味がわからない。なんで空間がバラバラになるの。リナリアは? あの美形は?
夢にツッコミを入れてもしょうがないのに、ツッコミどころが多過ぎて、私がいちいちツッコミどころを上げている内に、意識がだんだんと浮上してきた……。
****
「ん……」
瞼をぴくんと動かすと、まず最初に体が変な浮遊感があることに気付く。体が軽い。……何故かはすぐにわかった。ベッドのマットレスの感触だ。
でも待って。たしか、私は大地の祭壇の試練のあと、神から象徴の力を強くしてもらってから、すぐに倒れてしまったはずなのに……。そもそも、次は風の祭壇に向かうはずなのに、どうしてベッドで眠ってるの。
私がうっすらと目を開くと、目の前に木の天井が飛び込んできたのに、思わず目を見開き、ベッドから降りる。ベッドがぎちりと軋んだせいか、その音でばっと誰かが振り返った。
「理奈!?」
それはアルだった。
よくよく見てみれば、この部屋は小さな椅子にテーブル、ベッドがふたつ並んでいて、薄い黄ばんだカーテンがかかっているのが見える。宿にしては質素だけれど、誰かの家にしては生活感が乏しい。
「アル? 私、いったいどれだけ眠ってたの?」
「……丸三日眠っていた。いくらなんでも、力の使い過ぎだ。象徴の力は連続で大きく使えば疲労で立ち上がることもできなくなるのに」
「ま、丸三日も!? ごめん……自分だったら全然わからなかった」
いくらなんでも寝過ごしたなんてレベルじゃないでしょ、これは。
ゲームだったら、象徴の力を使って大技を使ったらパラメーターで警告してくれるけれど、残念ながらそんな便利なものはここには存在しない。……旅に出て結構経ってるはずなのに、未だに象徴の力を使いこなせないどころか、MP切れすら気付かないとは、うっかりしていた。
私は起き上がると、服が巫女装束じゃなく、簡易的なワンピースに替わっていることに気付いて、ぎょっと目を見開いてから、アルに恐る恐る聞く。
「あのう……私の着替えって誰がしたの? まさか、アルが……」
「してないからな! お前の服なんか、脱がせてないからな!?」
「そ、そこまで嫌がらなくってもいいけれど! で、でも誰が……そもそもここってどこ!?」
アルに顔を真っ赤にされて首を振られたら、こっちだって悪かったような気がするじゃないか。でも私、誰に服を着替えさせてもらったのよ。アルは顔の赤味をそのままに、ふいっと窓の外を見る。
「……ここは巡礼地アネモネ。ここの町長の家に泊めてもらっていた。町長の家のメイドが理奈の面倒を見てくれていたんだ」
「え、ええ? これから風の祭壇に行くんだよね……?」
私は思わず喉を詰まらせて聞くと、アルも頷く。
「風の祭壇、光の祭壇、時の祭壇までは、神殿の信者に巡礼地として開放されているんだ。……今は世界浄化の旅が進んでるから、巡礼自体は自己責任となっているが。他は妖精や巨人族の縄張りだったり、人魚の対処が必要だったりで禁止されている。祭壇への巡礼がはじまったら、巡礼のために道も敷かれるし、町もつくられる。アネモネもそのひとつだ」
「なるほど……」
闇の祭壇はどっちみち、火の祭壇から解放していかなかったらそこへの道は開かれないし、いくら従順な信者だって、闇の祭壇には穢れが大量に溜まっているから命の危険があるから行かないとしても、安全な祭壇だったら普通に信者に巡礼地として開放されている訳ね。
私はようやくベッドから抜け出すと、「あ」と今日見た夢で気になったことを口にしてみる。
「そういえば、アルは金髪の知り合いっている?」
「金髪? クレマチス以外にか?」
「ううん。あの子以外で」
クレマチスも金髪だったけれど、あの美形とイコールではないと思う。クレマチスの瞳は琥珀色だけれど、あの美形は銀色だった。
アルは少し考えたものの、首を振った。
「いや。少なくとも神殿関係者でクレマチス以外に金髪は知らない。他のやつらも金髪はいないだろう?」
「ああ、そっか。ありがとう」
「……またなにかあったのか?」
私はあのよくわからない夢のことを思い返す。いくらなんでも、あの金髪の美形にリナリアがすがりついていたなんていうのを、アルに教えるのはまずい気がする。
私は首を振る。
「ううん、なんでもない」
本当、あの人いったいなんなんだろうな。攻略対象じゃないにしても、ただのNPCにしては存在感があり過ぎる。たしかに『円環のリナリア』はモブも含めて美形しかいないけれど、それでも色合いは主要人物とNPCだと変えているはずなんだもの。
****
私が部屋から出ると、町長さんに挨拶に行こうとすると、「リナリア様ー!!」と声をかけられた。
目にぐしゃぐしゃに涙を溜めて、クレマチスが抱き着いてきたのだ。それを慌てて抱きとめると、クレマチスはぐしゃぐしゃと泣いたまま、こちらを見てきた。
「よかったです! 三日も起きなくって! もしリナリア様になにかあったらどうしようと……、ぼくの力が足りなかったばかりに……!!」
「ま、待ってください! あれは私が無茶したせいです。クレマチスは充分頑張ってくれたじゃないですか」
「それでも! リナリア様が起きてくれて、本当によかったです!」
「泣かないでください」
うわぁん、泣かないでー。クレマチスが泣いてたら罪悪感がひどいよ。そもそも私たちのために頑張って象徴の力使い続けていたんだから、全然悪くないでしょ。
私がおろおろとクレマチスの背中に腕を回してポンポンと背中を叩いてたら、「こらガキンチョ。起きたばっかりのレディーに抱き着くとか止めねえか」と声がかけられる。
振り返ると、アスターとカルミア、スターチスも寄ってきていた。
「ああ、リナリアちゃん。おはよう。起きたばかりでも可愛くって」
「おはようございます……皆さんには、心配をかけました。本当に申し訳ありません」
私はようやく嗚咽の止まったクレマチスの背中をぽんぽんと撫でながら会釈をすると、カルミアが「当然だ」と口を開く。
「いくらなんでも、巫女だからと驕りがあったのではないか?」
「カルミアー、いくらなんでも言い方ってもんがあるでしょ」
「ないだろ。巫女だから神殿だからと万能感で突っ走った挙句に倒れて各方面に迷惑をかけていては意味がない」
相変わらずカルミアは厳しいなあ。私は思わず苦笑を浮かべそうになる中、ただ穏やかな雰囲気を保っていたスターチスは「まあまあ」となだめる。
「カルミアくんが口ではこう言っていますが、心配していましたから。その辺で。リナリアさんが倒れている間も、我々は風の祭壇の攻略を考えていましたから。ですが、三日間も眠っていらっしゃったリナリアさんも、今は心のほうは回復していますが、体力のほうはまだでしょう。あと三日経ってから、出発。その間に我々は攻略方法を詰める。それで問題はありませんか?」
スターチスの言葉に、私は詰まる。
三日も寝ていたんだから、たしかに気力のほうはすっかりと回復したと思う。でも筋肉がたるんでしまっていて、長時間の旅は無理だ。たしかにこれじゃすぐに穢れや試練の獣と戦えるとは思えない。
私はそれに頷いた。
「お願いします」
町長さんのほうに挨拶に行こうとしたとき、大きな窓から外が見晴らせることに気付き、私は「わあ……」と声を上げていた。
風の祭壇の近くのせいだろうか。あちこちに風車が回っているのが見えて、町のいたるところに町の名前になっているアネモネの花が揺れているのが見える。
町を歩き回っている人たちも、素朴な服を着て歩いている。ペルスィも平和な村だったけれど、ここも世界浄化の旅が行われているとは思えないほどに、平和な空気が漂っていた。
そのことにほっとする。この空気を壊さないために、私たちがこうして旅をしているんだから。




