大地の祭壇の試練・3
白迅が、私たちに襲い狂う。
障壁もない、回復要員も今は動けない。こんなもの浴びたら、起き上がれない。
これ、どうやって回避すればいいの……!
焦る自分の中で、ふと頭に閃いたのは、リナリアがいつか私の夢の中で見せた光景だった。リナリアは、私の記憶を元に、私の住んでいる家を再現してみせた。でも、空の色までは再現できなかった。私の知っている空の色は青、この世界の空の色はラベンダー色だ。
象徴の力【幻想の具現化】は、自分の幻想を現実に浸食させる能力だ。でも空の色まで変えられなかったのはなんでだろう? 私の記憶を全部具現化させることができなかったから? でもリナリアだったら私よりもずっと力を使いこなしている。できるはずなのにあえてしなかった……それは、シンポリズムに私の記憶を再現したというのを見せるためじゃないのか?
雷雲が落ちる前に、私の幻想を周りに浸食させれば、助かる……?
そう気付いたけれど、目の前が真っ白だ。間に合うのかどうかだってわからないけれど……。やるしかない。
未だに映像をそのまま具現化することはできないけれど、動かないものを具現化することだったら、できるはずだ。
私は手を広げて、瞼の裏にリナリアの花を思い浮かべながら、喉からせり上がってくる呪文を唱える。
それは巨人族に聞かせた声の呪文と詠唱が違う。言葉の並びが違う。具現化したいものが違う……ただ私は、それを必死で唱えていた。
……もう毛穴が広がってきているのがわかる。静電気で産毛が浮き上がっているのがわかる。
待って。待って。まだ落ちないで、そんなもの浴びられない。
──詠唱が喉から全て吐き出た。
「紡げ幻想、叶えよ創造、全ては瞳の浮かべる世界……幻想創造」
最後の一節だけは同じそれが、辺りを塗り替えた。
石畳のこけむし、ひび割れた黄ばんだ景色が、一気に切り替わる。
頭に浮かべたのは、神殿の白い柱。白い廊下。そして結界に囲まれた平和な場所……有事の際に皆の避難場所になりうる場所。
一番高い柱に白迅は落ち、そのまま熱を廊下に流して、光は消えた。そのあと、ゴーレムは解析するようにレンズで辺りを見回しはじめる。
「巫女、ここは……?」
カルミアは怪訝な顔で、辺りをうかがいながら私を見る。私はどうにか辺りの光景を維持するように、シューシューと体力が抜け落ちていくのに耐えながら、口を開く……昨日よりつらいと思うのは、きっと声だけじゃなくって物質をそのまま具現化したせいだ。
「神殿……です。先程の詠唱を直接浴びていたら、全滅してしまうと思ったので、辺りに私の記憶の中の神殿の光景を浸食させました……」
「たっしかに、これでさっきの詠唱はどうにかなったけど。でもこれまでゴーレムに解析されたら不利、だよなあ」
「はい……次に呪文を詠唱されてしまったらおしまいです」
ゴーレムの雷雲をコピーできたらいいけれど、いくら人の詠唱をコピーできるからといっても、あの威力をそっくりそのままコピーなんて、私もできない。むしろあの詠唱をまた使われたら困るから、神殿の光景を維持することで今の私も動けない。
それに、防ぐことはどうにかできたけれど、攻撃に転じないことには、試練を終えることはできない。
攻撃したら、反撃で詠唱時間ゼロで強い力を叩き込んでくる。こんなものいったいどうすればいいのよ……。
私の焦りとは裏腹に、アスターはそれを見ながらにやりと笑う。
「リナリアちゃん、この場所を具現化させる呪文、場所を変えることはできる?」
「できるとは、思いますが……ただ、体力が……」
今は止まってくれているゴーレムだけれど、レンズでかちかちと私が具現化している神殿を解析している。この浸食させた神殿を壊されてしまったらお手上げだ。
そもそも、私もここの維持が精一杯で、また新しい場所にするっていうのは、できるだけの体力が残ってるのかなと思う。
と、こちらのほうになにかが投げ込まれてきた。投げてきたのは、今回戦闘に一切参加していないスターチスからで、布袋だ。
「あの、スターチス……?」
「……アルメリアから、調合薬をいただいています。少しですが、体力は回復するかと思います」
ああ。ウィンターベリーで薬草を調合していた彼女のことを思い出し、私は「ありがとうございます」と言いながらそれを受け取る。あまりおいしいとは思えないけれど、今は体力を少しでも戻すことが大事と、粉末の乾燥薬が入っている紙をほどいて、鼻をつまんで飲み干した。
まだ体力が戻っているとは言い難いけれど、それでもさっきまで力が抜けっぱなしという状態よりはマシになったような気がする。
「それで、どこを具現化させればいいんですか?」
「うん。ゴーレムが詠唱なしで呪文を使ってこられたら困る、さっさとあの魔科学装置を破壊したいっていうので考えていたけど……いっそ動けなくしてからとどめを刺せばいいんじゃって思ったんだけど」
「動けなくって……詠唱で動きを止めるということですか?」
「湖。そこにゴーレムを突き落せないかなと思って」
「あ……」
水の祭壇攻略の際に、水蛇の動きを止めるために、水面を凍らせて身動きを封じ、カルミアに炎で焼いてもらったんだった。でも、あのときはアスターが呪文を唱えてもらったけれど、水面を凍らせるのに時間がかかったんじゃ……。
私がそれを指摘しようとしたら、先にカルミアが「ふん」と鼻息を立てた。
「今度は俺にそこを凍らせろということか」
ああ……。カルミアは詠唱なしで凍らせることができるようになった。その応用で、今度は水面を凍らせろってことね。凍らせたら、ゴーレムが先に脱出しようとするから、その隙にアスターが魔科学装置を壊すんだったら、できるかもしれない。
ちらっとゴーレムを見る。まだゴーレムは私が具現化した神殿を壊そうとしていない……今だったら、まだ具現化した光景を塗り替えても、解析されずに済むかもしれない。
私はもう一度瞼の裏にリナリアの花を浮かべながら、同時に水の祭壇を思い起こす。
祭壇のひび割れた階段の音、祭壇を最上階まで満ちた湖、水場の匂い。五感にこびりついたものを記憶から引っ張り出してきて、呪文を紡ぐ。リナリアのつくった花畑の光景の中に浮かんでいる光景のように、鮮明に思い浮かべられるようになったとき、ようやく結びの一節が喉からせり上がる。
「紡げ幻想、叶えよ創造、全ては瞳の浮かべる世界……幻想創造」
幻想に幻想を浸食させる。それは私が思っている以上に体力を奪い、頭をがんがんとかき回し、私は膝をついてしまったけれど、気を失うまいと必死で唇を噛んで堪えた。
ゴーレムを中心に湖は展開され、狙い通りにゴーレムは湖に沈む形になる。それにゴーレムはピピピ、ガガッと音を立てる。
──カンキョウニモンダイアリ、カンキョウニモンダイアリ、サイテキカショリ、カイシ
どうにかそんな機械音が聞こえる。
このまま湖の水を蒸発されてしまったら、今度こそ手に負えない。でも私はこの湖を維持するのが精一杯で、他のことにまで手が回らない。
膝をついたまま、どうにかこの光景を維持するよう体力が抜け落ちるままになっていると、カルミアが無造作に大剣を湖に突っ込んだ。
「ずいぶんと、力が強くなったものだな、巫女も」
そうひと言添えると、水面がすごい勢いで凍り付きはじめた。前は湖を炎で蒸発できると豪語していたけれど、それは嘘偽りではなかったらしい。今は私の幻想の湖だから、自然環境に配慮する必要もない。
ピシピシと音を立てて凍り付く湖の水面下で、ゴーレムが脱出しようともがきはじめる。それにピシピシと氷が割れるけれど、それを無視してカルミアが力を込め、割れた氷の表面に霜を送って閉じ込めようとする。
この根競べがいつになったら終わるんだろうと思っていたら、カルミアが凍らせた氷の上に、ひょいとアスターが飛び乗る。アスターの体重が乗っても、氷はパリンと割れることもなく持ちこたえている。
「それじゃ、リナリアちゃんもアスターもありがとっと」
そう言いながら、ペンダントを弄る。
……ちょっと待って、アスターの覚える呪文の中に、氷漬けになっているゴーレムをどうこうできるものなんてあったっけ?
そう思っているうちに、アスターはペンダントを弄って詠唱を解放した。
「地震波!!」
その呪文と一緒に、カルミアが凍らせた湖ごと、湖が大きく揺れ、ひび割れる。
ああ……そういうことか。
カルミアの氷結で閉じ込めて、身動き取れないゴーレムごと叩き割ろうってそういうことなんだ……!
アスターの詠唱が決まり、ゴーレムの機械音がどんどんと大きくなる。まるでこれじゃ、警報だ。
──カイヒ、カイヒコウド……ニ……カ……ピッ……ピピィ……ビギッ……──
もう機械音とはいえど、言葉は支離滅裂になってきた。魔科学装置が氷結と地震波のせいで、異常が起こったらしい。
私は座り込んだまま、どうにか具現化させた湖を消す。
元のこけむした祭壇になったのを確認してから、残されたゴーレムのほうに向かう。もう力が全然出ないせいで、手を動かしても短剣すら具現化させることができない。
その中、石畳を滑って私のほうに短剣が来た。ちらっと振り返ると、短剣を滑らせてきたのはアルだった。
「リナリア様、とどめを」
「……ありがとうございます」
私はふらふらとしながら、短剣を取って、ゴーレムのほうに向かう。
ゴーレムはレンズをちかちかと光らせながら、変な機械音を出している。見てみたら、レンズが詠唱重ね掛けのせいでひび割れている。お腹に仕込まれている魔科学装置は、既に変な光を点滅させているから、ここにとどめを刺したらもう動けないだろう。
「……ごめんなさい」
力を込めて短剣を振り下ろしたら、思いの外あっさりと装置は砕けてしまった。
ゴーレムのレンズは動きを止め、沈黙してしまった。
多分、これで試練は合格、みたいだ。
私はそのまま疲れ果てて、再び膝をついて全身で息をしていた。
『巫女と旅の者たち……よくここまで来た』
頭上で厳かな神の声が響いてくる。多分神だ。私たちのほうにポワポワと光の玉が飛び込んでくる。
まただ、また象徴の力が入っていったんだ。
『大地の祭壇の獣の審判は下された。道は開かれた……次は風の祭壇へと進むがいい。皆にはそれぞれ力を受け渡そう』
力が流れ込んでくるのがわかるけれど、それだけで私の体力は回復しそうもない。神が現れたのと同時に現れた光が消えたのと同時に、私は今度こそ床に倒れ込んでしまった。
「リナリア様!」
アルの声を耳にしながら、意識を飛ばしてしまった。




