神殿への帰還
私は倒れた近衛騎士をじっと見ていた。
さっきまで寒いと震えるほどに感じていた穢れの気配は今は消え、倒れている人は元の近衛騎士のままに見える。
皆が「無理だ」と言っていた。穢れに取り込まれた人を浄化し、助ける方法はないと。巫女や神官であったら穢れ自体を祓う方法はあるらしいけれど、私はそんな方法をゲームを何度もやっていたけれど知らないし、今だってリナリアの象徴の力のどれを使って祓えばいいのかはわからないけれど。でも。
この人にとどめを刺したのはアルだったけれど、死んでしまった遠因は、私だ。
皆を助けたいって言っていたのはリナリアなのに。どうして……。
……ううん、原因はリナリアかもしれないけれど、この人を見殺しにしてしまったのは私だ。
この人の傍で、私は膝を突く。
「……ごめんなさい」
喉の奥からぽろりと出た。
この人に謝罪をしたところで、生き返ることはないし、私がしたことが覆るわけでもないし、私の気持ちが軽くなるわけでもないけれど……それでも、謝罪以外が出てこなかった。
涙だって、出てこないのに。
そんな私をしばらく静観していたけれど、やがてアルが肩を叩いてきた。
「……お前のいた国は平和だったんだと思う。殺した相手に謝ることができる程度には。割り切れとは言わない。ただ、忘れる術は身に着けたほうがいい」
「どうして……」
「お前が潰れるからだ。神殿騎士でも、戦う相手に情が沸きすぎて、結果として潰された者たちを何人も見てきた……お前はもうしばらくしたら、リナの代わりに世界浄化の旅に出る。そのとき、いったいどれだけ死ぬのかわからない。敵だけじゃない。味方だって、どれだけ死ぬかわからないんだ」
アルの言葉は劇薬だ。厳しいし、容赦がない……でも。心配してくれているんだと思う。
私はリナリアではないのに、この人はどこまでも気遣ってくれている。
私はようやく、そろっと立ち上がった。
「……ありがとう、アル。でも、私は、今日のことを覚えていたい。ううん、ウィンターベリーのことも、忘れたくない」
「潰されるぞ?」
「うん。相変わらずアルの言うとおり、『甘い』のかもしれない。でも……この人たちを全部抱えて進まないと、この人たちがなんのために死んでしまったのかわからないから……そんなのって、あんまりだと思うんだ」
どうして、リナリアがこんなことを仕掛けたのかは、やっぱり何度考えてもわからない。
私にこんなチュートリアルを仕掛けて、なにを私に伝えようとしているのか。ただ。
私は、『円環のリナリア』で夢を見た。
誰かのために必死で泣いて、あがいて、世界浄化の旅を続行するリナリアに、憧れちゃったんだ。好きな人たちが誰も死なないルートが、この目で見たかった。それがどうしてこんなことになっちゃったのかは、やっぱりわからないけれど……。
誰かを犠牲にするのをいとわなくなったら、きっと私は、自分の夢すら忘れてしまう。
甘いのかもしれないし、子供すぎるのかもしれないけれど、やっぱり……。
割り切ってしまいたくない。
アルは相変わらずの不愛想な顔で、しばらくこちらを見下ろしていたけれど、やがて少しだけふっと笑った。
「そうか」
そのひと言で、こんなに安心できる。
****
合流したクレマチスとアスターと一緒に、王や近衛騎士の人たちに事情を説明した上で、近衛騎士の遺体を見せると、なんとも言えない顔をされてしまった。
アルの服が激しい戦闘を物語っていたし、彼の戦闘状況を説明したら、誰もが「彼はこんな戦い方はしない」と言っていた。
穢れの残滓を見せることで、どうにか彼が穢れに取り込まれていたことが証明され、晴れてシオンの無実が証明された。
メイアンの閉鎖は解かれ、アスターは無事にカリステプス邸にまで送還。
私たちはこれで用事は終わり、アスターとはここでお別れになったんだけれど……。
「はあ、それで。リナリアちゃんは俺のこと、迎えに来てくれるんだよねえ?」
カリステプス邸にまで送り届けたアスターは、相変わらずな態度で、私の手を取って言ってくるのに、私は相変わらず仰け反った態度で、リナリアがしない表情をしないように必死で顔を強張らせていた。
「せ、世界浄化の旅、でしょうか? 神託はまだ、なんですけれど……」
「そう。それ。訳のわからん穢れも出たし、これを浄化する旅になんか出たら、リナリアちゃん危ないなあって、そう思うんだけど、どう?」
「そ、そのときは……」
私が顔を強張らせつつ、必死で背を仰け反らせていたら、クレマチスはおずおずと「あと半年ほどですから、そのときにはカリステプス公爵にも連絡が入るかと思いますよ」と口添えしてくれた。
アルは渋い顔で、アスターを睨む。
「リナリア様をあまり困らせるな」
「はいはい、怖い保護者様が見ていますから、この辺でっと。でもま、世界浄化の旅に出てもいいよって言うのは本当よ?」
「で、ですけれど、家は大丈夫なんでしょうか? カリステプス公爵の許可もありますでしょうし」
私は申し訳程度にそろっと聞いてみた。
アスターの跡継ぎ問題さえクリアしてくれたら、彼の闇落ちフラグも折れるし、安心して世界浄化の旅に出られるんだけれど、どうなんだろう……?
今回の騒動で跡継ぎ問題がどうのこうのなんて、ちっとも口を挟めなかったから、こちらも読めないんだ。
私の問いに、アスターは「そうねー」と間延びした返事をする。
「まっ、なんとかなるでしょう」
そ、その回答は家の問題クリアしたの。してないの。どっち。
まさか聞くわけにもいかず、「そうなんですね……」と言ってお茶を濁すことにした。
最後にアスターは私の手の甲に、唇を落としてきた。私は「ひゃっ!」とか叫ばないように必死で奥歯を噛みしめる。
「それじゃ、また近いうちにお会いしましょう……そのときは、君の仮面の向こうの素顔が見られることを願って」
そのひと言で、私は固まる。
……まさかと思うけれど、この人。私がリナリアじゃないって、薄々気が付いていた? それとも私が巫女の演技をしていると思っている? どっち!?
そうは思ったものの、私は必死で「わかりました……」のひと言だけ絞り出すのが精一杯だった。
メイアンには人波が戻りつつある。
まるでゴーストタウンみたいに人が消えていたっていうのに、今では人通りが増え、あれこれしゃべっている豪奢な服の人たちとすれ違った。
クレマチスはその人波を眺めながらそっと言う。
「これで、ぼくたちも神殿に帰還になりますね。リナリア様、外に出て、どうでしたか?」
「そうですね……」
私は街を眺める。
閑散としていたときは、ただ不安であまり眺めている余裕がなかったメイアンも、人通りがあると本当に綺麗な街なんだというのがよくわかる。
象徴の力は使えるようになったし、戦闘もできるようになった。でも、世界浄化の旅でも同じように動けるのかは、今だって自信がない。
リナリアがいったい、私になにをさせようとしているんだろう?
皆を助けたいって言っていたのは、あの人だったはずなのに。あの人はいつだって肝心なことははぐらかしてばかりで、教えてくれない。
でも。
アルが私の正体を知ってもなお、助けてくれて。クレマチスにだってさんざんお世話になった。
出会ったひとたち皆がいい人で、時には怖い思いもしたけれど、やっぱりこの世界は楽しかった。
はっきりと変えられたルートはひとつだけで、残りは本編時空にまで進まないとわからない。これでいいのかってこともわからない。
でも……。
誰かひとりが死ねばいい、なんて。やっぱり私には割り切れないよ。
「この世界を、守りたいって気持ちが、強くなりました」
私のたどたどしい言葉に、クレマチスはそっと微笑んだ。
「そうですか」
そのひと言を噛みしめるように言うクレマチスに、ただ黙って見守っているアル。
私たちは商人ギルドの人たちにお礼を言って、服は買い取らせてもらった。アルがボロボロなのに悲鳴を上げていたけれど、親切に手当てまでしてくれて、カサブランカに向かうギルドを紹介してくれた。
馬車に揺られて、私は窓の外を眺める。
まだ出てきてすらいないキャラだっている。リナリアの真意はわかっていない。私の行動で、いったいどれだけルートが変わったのかすらわかっていない。でも。
精一杯をやりたいって、そう思うんだ。
****
馬車に揺られてうたた寝してしまっていたら、目の前にリナリアの花が咲き誇っていることに気付いて、私は思わず顔を上げた。
そこには、相変わらずまっ白な巫女装束にふわふわとしたパステルピンクの髪をなびかせたリナリアがいることに、私ははっとして立ち上がる。
「リナリア……!」
「よくできました」
彼女はにこやかに言う。
この人は、はじめて『円環のリナリア』をやったときから憧れだった。
皆のために泣いて、皆のために祈って、皆のために戦う彼女は、普通の高校生で、誰を守る力だって持っていない私にとっては、本当に格好よく思っていたんだ。
でも……。
今は彼女の真意がわからない。
どうして、こんなことをしたのは。
「メイアンで、近衛騎士を穢れに取り込ませて王城に招き入れたのは、あなたですか……?」
震える声でそう尋ねる。
リナリアはにっこりと笑う。
相変わらず彼女は綺麗な顔で笑うのに、今はなにかが貼りついて見えるのは、私がこの人を信用できないって思ってしまったせいなのか。
彼女は私の質問に返事はせず、代わりにこう言った。
「あなたはこのままでかまいません。どうか、その気持ちを忘れないで」
「どうして……! どうして、誰かを殺さないといけないんですか!? チュートリアル戦闘のため、それだけのために……!!」
「……あなたの気持ちは、このままでいいんです。でもあなたには、足りないものがあります」
「私は、あなたほど象徴の力が使えないから? これだと皆の足手まといになるから?」
これにはリナリアは首を振った。
「あなたには、ただひとつ覚悟が足りないんです」
「覚悟って……私は、もうリナリアとして、世界浄化の旅に出るって、決めているのに……」
「いいえ」
リナリアはゆっくりと笑った。
「あなたに足りないのは──……」
その言葉をはっきりと聞き終える前に、私の意識はすこんと飛んでしまった。
待って。待ってリナリア。
あなたは、本当に私になにをさせたいの……?




