乙女の夢は終わらない
闇の祭壇を出て、時の祭壇から光の祭壇へと抜けたとき、私たちは久々に拝む日の光で目を細める。そして空の色を仰いだときに「空が……」と皆が驚いて見上げていた。
そこには雲ひとつない、すっきりとした青空が広がっていた。今まで世界はラベンダー色だったというのに、空の色がすっかりと私の知っている色に変わってしまっていた。
これは神殿に戻ったときに大騒ぎになっているのかもしれない。ううん、神殿は今それどころじゃなくなっているだろう。なんといっても、今まで神に人柱を立てることを率先としてやっていたのだから、それが神がいなくなってしまったのだから、今までみたいな権威はなくなってしまう。
「皆さんは、これからどうなさるんですか?」
私は皆に聞く。
スターチスはおっとりと答える。
「僕は帰ってからもやることは変わりませんね。蓄えている穢れも三年しか持たない以上は、それまでに代替燃料をつくらなければいけませんから。象徴の力もいつまで使えるのかはわかりませんが、学者がすることなんてそうそう変わりませんよ……長いこと空けていましたから、妻も待っていますしね」
「そうですね。アルメリアにどうぞよろしくお伝えください」
あの朗らかな女性を思い、私は頷いた。
多分穢れについてずっと研究を続けていたウィンターベリーは、今頃町ひとつが総力を上げて、空に打ち上げられた円陣の研究をしているだろうし、今まで通り象徴の力や燃料のことについて研究を続けていることだろう。
どっちみち、神殿の権威が落ちたのなら、神殿に止められる範囲も狭まるから、前よりも研究は進むはずだ。
クレマチスはしみじみと続ける。
「僕は一度メイアンに戻ります。アスター様と一緒に帰ることになるかと思います」
「まあ……国王様にどうぞよろしくお伝えくださいませ」
鳥をメイアンに飛ばしていた以上、還俗の許可やこれから起こるだろうことは国王に伝えたのだろう。なによりもこれから代替燃料の開発をすることになるウィンターベリーの保護やジェムズ帝国との交渉には、象徴の力にも穢れの研究にも神殿の事情にも詳しく、ジェムズ帝国ともパイプを持っている人間でなければ難しい。そう考えたら、クレマチス以上の適任者がいないのだ。むしろ国王様も事情を知ったら彼を還俗させて手元に戻したいと思っても仕方ないはずだ。
アスターはげんなりとした顔をする。
「えー……ここはリナリアちゃんが還俗とか、そういうところでしょ」
彼がそう言うので、あからさまに隣でアルが嫌そうに顔をしかめるので、私は慌てて「アル!」と声を上げる。
アスターは実家に戻って爵位を継ぐのだろう。彼がクレマチスの味方になってくれれば、国はきっと悪い方向には傾かない。
一方カルミアはしかめっ面のまま空を仰いでいた。
「……あの空の色は、巫女の瞳と同じ色をしているな」
そうぽつんと言った。
それに私はなんとも言えなくなる。彼はリナリアとなにがあったのか、私にはわからない。でも彼は彼なりにリナリアのことを悼んでいるんだと思う。
彼女の死体は、そのまま旧世界に行ってしまったために、彼女のお墓をつくることすらできなかった。神を旧世界に閉め出したので、彼女はあのまま神とふたりっきりの世界に行ってしまったのかと思うとやり切れないけれど。
カルミアはカルミアで、ジェムズ帝国に帰らなければいけない。国交を無視してフルール王国に来てしまった以上は皇太子とはいえども、それ相応の罰を受けなければいけないけど、クレマチスとアスターが口利きする以上は、罰は軽くて済むと思う。
私は空を見上げながら言う。
「そうですね」
「そういえば、リナリア様はアル様と一緒に神殿に戻られるのでしょう? あちらはその、危険ではありませんか?」
クレマチスは気遣わし気に言う。
そりゃそうだ。神殿の権威を失墜するような、神を旧世界に閉め出したのは私たちなのだから。国王には既に連絡を入れているとはいえど、神殿からしてみればなんてことしてくれたんだと怒るだろうし。最悪罪をでっち上げられて捕まるかもしれないけれど。
私はアルと顔を見合わせる。……戻らなきゃ駄目だよねと。
「あそこには、私以外の巫女や上層部のことを全く知らない神官もいらっしゃいますから。彼らの安全が確保できなければいけません」
「ああ……どの道、神殿騎士団も味方に引き入れなければ、各地の混乱を鎮めることもできない」
ふたりで話し合って決めたのだ。
……本当、乙女ゲームのトゥルーエンドだっていうのに、やっていることは戦後処理ばっかりだ。でも、仕方がないよね。
もう穢れが出ないってことは、少なくとも安全に暮らせるということだ。人災が出ないように努めれば、きっと前よりも世界はよくなるから。
私たちはこのまま、ネモフィラまで向かってから、各地へと散らばったのだ。
****
むかしむかし、あくまがせかいをしはいしていました。
あくまはせかいにつかいまをばらまき、おうさまをおどしました。
「およめさんをさしだせ。でなかったらもっとくにをめちゃくちゃにしてやるぞ」
あくまのつかいまは、はたけをむちゃくちゃにし、まちのひとたちをがぶがぶとかみ、それはそれはおそろしいものでした。
おうさまは「ごめんねごめんね」といいながら、あくまにいわれるがまま、おんなのこをおよめさんとしてさしだしたのです。
なんにんめかのおよめさんとしておくりだされたおんなのこは、なかまたちといっしょにあくまをやっつけました。
かくして、せかいからあくまはいなくなり、つかいまにおびえるせいかつはなくなったのです。
おんなのこがどうやってあくまをやっつけたのかはわかりません。
ただ、おんなのこがあくまをやっつけたしょうこがひとつだけあります。
そらのいろはかなしげなラベンダーいろをしていたのに、あくまをやっつけてからは、そらのいろはすっきりとしたあおぞらになったのです。
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私は子供向けに書かれた聖書のいちページを読んで、思わず額に手を当ててしまった。
いったい誰だろう、この間違ってるような間違ってないような話を書いたのは。
戦後処理もひと段落。ウィンターベリーがジェムズ帝国からの技術提供により、目覚ましいスピードで穢れや象徴の力に替わる代替エネルギーの開発に成功し、実用化がはじまったとのこと。
ウィンターベリーから届いた手紙には、スターチスからのまるで報告書みたいな内容のものと一緒に、アルメリアから報告が届いていた。
スターチスとアルメリアの間に、無事子供が生まれたらしい。そこに私は「ほぉー……」と息を吐いてしまった。スターチスは生まれたばかりの子供に振り回されているというのは、彼女が死なずにいてくれたから出現した未来だと思うと、本当に未来ってどう転ぶのかはわからないんだなと考えてしまう。
アスターは無事にカプリプス家の家督を継いだらしいけれど、案外メイアンに滞在することはできず、国内をあちこち飛び回っているらしい。これは内乱が増えた訳ではなく、他国や他種族との交渉が増えたために、護衛任務が増え続けている結果らしい。
意外なことに、アスターは家督を継いでからは女遊びはぱったりとなくなってしまい、彼に取り入って玉の輿を狙っている子たちが取り入る隙がなくなってしまったとのこと。「今は仕事のほうが楽しい」という内容の手紙は届いたものの、腹の読めない人だから、どこまで本音なのかはわからない。
還俗したクレマチスもまた、国内だけでなく国外まで飛び回って外交官として働いている。まだ象徴の力は使えるものの、もう使えなくなることがわかっている以上は、それに頼らないで済む技術開発をしなければいけない。他国や他種族との和平交渉をして回っているのも、それらの技術をウィンターベリーに流すためだろう。クレマチスはあまりに忙しいときだけ、私たちのところにやってきて、愚痴も言わずににこにこ笑ってお茶だけ飲んで外交に戻っていく。あんまり忙しくして倒れないでねとだけは伝えたけれど、どこまで聞いてくれたのか。
カルミアだけは、今はどうしているのかがわからない。まだ皇位を継いだ話は流れてこないけれど、彼と顔を合わせているクレマチスとアスターからは「相変わらず」という風に聞いている。彼はわざわざ親し気に手紙を送ってくる人でもないから、ただちゃんと生きてくれているといいなと思わざるを得ない。
さて。私とアルはというと。
「巫女様、再誕祭の準備はこれで終わりですよ!」
「はい!」
着せてもらったワンピースを見て、私は下働きの人に「ありがとうございます」とお礼を言う。
私たちは、アルの故郷に当たるペルスィを訪れていた。
神殿の上層部解体とか、私たちに言われない罪を被せられそうになったとか、いろいろあったけれど、私もアルも五体満足でなんとかやっている。
あの旧世界と新世界が別れた日は、今は再誕祭と呼ばれてごちそうを食べて踊る日へと変わっていった。
神殿の問題は相変わらず全部は片付いていないものの、本当にたまにここまで足を伸ばして、ここでガス抜きをしてから戻っている。
相変わらず牧歌的なペルスィは、いつかの火祭りと同じく、笑顔で踊っているのが見える。
私がワンピース姿で神殿支部を出て行くと、祭りの準備を終えたアルが出てきた。
「理奈、終わったか?」
「うん」
アルはアルで、神殿騎士団が割れているのをどうにか取りまとめている。神殿は神官長派閥と巫女姫派閥で割れてしまっているものの、今までの世界浄化の旅で出会った神官さんや神殿支部の人たちみたいに、味方になってくれている人たちをまとめて、少しずつ状況を変えようとしている。
政治劇なんて全然似合わないけれど、一般の人たちを巻き込む訳にもいかないし、バックアップしてくれているクレマチスやアスターもいるから、なんとかやっていけている。
私たちは本当に久々の休日を満喫するために、互いの手を取って広場へと向かっていった。
帰ってからまた大変だけれど、今日一日は羽根を伸ばそう。
エンディングが終わっても、人生はまだまだ続く。
生きている限り、終わりはないのだ。
<了>