エピローグ
軽すぎてまるで宙に浮いてるみたいな体です。指先を動かすのも、瞬きをするのもまだ違和感があります。視線を上げれば、玉座の上でちょこんと座った魔王様がいます。膝を抱え、素足のまま丸まってあまり動きません。
深い、深い、眠りについているそうです。ベッドの上に運ぼうとファントム様が提案しましたが玉座に張り付いたように動かせなかったそうです。今は四天王の方々が交代で魔王様の傍で静かに見守っています。
私の知らない間に魔王様は多くの辛い出来事を経験したそうです。喪失と罪悪感、失望と無力感で疲れ切っている、とライト様が少し困ったように仰っていました。その内容を聞いて、瞳が熱くなるのを堪えきれませんでした。
「……魔力波長は安定していますが、完全に意識を沈めておられます。このままでは、本当に二度とお目覚めにならないかもしれません」
「ええいっ! ならば我が輩が耳元で大泣きすれば、魔王様も鬱陶しがって起きてくださるのではないか!?」
「逆効果だ、アブ。魔王様はご自身を責めておいでだ。今はただ、静かに寄り添って差し上げるしかない」
「にゅる……」
玉座の下で、ライト様、アブ様、ファントム様、そしてスロウ様が顔を突き合わせて深刻そうに話し合っています。私はその輪には入れず、遠巻きに様子を窺っています。皆、魔王様を心から心配しています。
もちろん私だってそうです。皆どうにかして救い出そうと思案してくれています。ただ、無理に起こしてしまっていいものかと、決めあぐねているようです。
そうして何日も何日も経ちました。
静かに寄り添う? 二度と目覚めない?
冗談じゃありません。
誰がそんな、救いのない鬱エンドなんて認めるものですか。
たしかに魔王様は傷つきました。
いっぱい騙されて、いっぱい間違えて、そのたびに心を痛めてきました。
だからといって、すべてを終わらせたのも魔王様なのです。
悲劇の主人公のように冷たい孤独の中で眠り続けてそのまま終わりなんて、認められません。許されません。
魔王様こそ幸せになるべきなんです。
だって、こんな私にも親身になって抜け殻になってもお傍に置いてくださっていたんですから。そんな優しい魔王様は、絶対に幸せにならなくちゃいけないんです。
もし、魔王様が自分のことを失敗作だと思っているなら、私たちが何度でも肯定してあげればいいのです。傷が痛むなら、私たちが全部塞いで楽しいことで上書きしてあげればいいのです。背けたくなる現実があるのなら、見たくてたまらない現実を私たちが作ればいいのです。
「――そのための私たちじゃありませんか!!」
私はいまだに魔王様について議論を繰り返している四天王の方々に向かって精一杯声を出すと、皆さんは私を睨むように見ます。
けれど相変わらず困った顔もしているのはバレバレです。
この際だから、はっきり言ってあげることにします。
「私は、私たちは。魔王様があってこその私たちです。魔王様の命に従うのも務めです。しかし、魔王様がこんなにも、こんなにも悲しい顔をして眠り続けているのを黙って見ているのは違うと思います!」
私は、ぎこちない足取りでペタペタと音を立てて玉座の階段を駆け上がりました。
黒々とした巨大な玉座。私は知りませんが、前の魔王様はよっぽど大きな体だったのでしょう。小さな魔王様がより小さく見えてしまうほどです。
座るというよりもよじ登らなければならず、両腕の力を目いっぱい使って登り、私は丸まっている魔王様の細い体に、自分の小さな腕を回して同じような力で魔王様を抱きしめました。
「なっ……こら、お前! 魔王様に気安く触れるでない!」
それまで静観していたアブ様は声を荒げます。が、引きずり降ろそうとする気配はありません。なんだかんだ、私と同じ気持ちなのは伝わってきます。
「よいのですアブ、止めないでください」
「小生たちが見たいのは、このような魔王様の姿ではない」
「ええ。たとえ、魔王様がこの世界に絶望し、辟易し、価値を見出さなくなってしまったとしても。魔王様は、私たちの魔王様なのです」
「……我が輩が見たいのは、魔王様の笑顔だ」
「守るべきは、世界の平和などではなく――」
下から聞こえる四天王たちの声は、どれもが魔王様を想い大事にしている愛情に満ちている会話でした。私は魔王様の耳元に顔を寄せた。
「いつまでいじけているのですか。魔王様」
どのくらいこうしていたのかわかりません。
「魔王様」
なんども優しく、びっくりして起きないように気を付けながら声を掛け続けていました。
すると、どうでしょう。
私の強引な声と体温に反応したのでしょうか。魔王様のまつ毛が微かに震えたような気がしました。ぴくっと長く尖った耳も動いたような。
「……」
固く閉ざされていた赤い瞳が、ゆっくりと開かれます。
「魔王様!」
いち早く反応したのは私ではなく四天王の皆さまでした。
私はそれを見て可笑しくなって、声を出して笑ってしまいます。
目の前にいる「自分と同じ顔」をした私を見て、彼女はほんの少しだけ、呆れたように目を細めた。
「……お前は……」
ひどく掠れた、ちいさな一言でした。
私はにっこりと笑って、彼女の体をさらに強く抱きしめ返した。
「おはようございます、魔王様」
後ろから慌ただしく駆け寄ってくる足音が聞こえます。
絶望はまだそこにあるかもしれません。
魔王様が抱えた喪失感も、目覚めたとしても消えているわけではないでしょう。
けれど、せめてこの暗くて暖かい、魔王城という箱の中だけは。
今度は私が絶対に、最高のハッピーエンドにしてあげます。
私を願いを叶えてくれた魔王様は、私にとってかけがえのない恩人なのですから。
(了)




