第八十六話 チヤナカラ海峡の海竜
「じゃあ、さっさと行って、そのシードラゴンを片付けるか」
俺がそう言うと、いつの間にそこにいたのか、秘書のカトリエーナが、
「お待ちください。閣下自らお出ましになるような案件でしょうか?」
突然、そう口を挟んで来たので、俺は驚いた。
彼女はとてもおっとりとした女性で、俺がこの宰相府で追い立てられるような気になることもなく、楽な気持ちでいられるように気を遣ってくれる有り難い存在なのだ。
普段は俺に対しても、なるべく意に沿うようにしてくれるし、敢えて余計な口を差し挟むようなことはない。
例外はアグナユディテやリューリットに部屋からの退出を求めるときくらいだろうか。
あの時だけは、何だか妥協の余地のないような感じを彼女から受ける。
今回もその悪い顔が覗いてしまったのかなと、俺が思う間もなく、ティファーナが、
「たかが秘書の分際で、宰相府の議論に口を挟むだけでも僭越ですのに、その決定に異を唱えるとは。身分を弁えなさい」
両手を腰に当てて、大きな声でそう叱責した。
(どうでもいいけど、ティファーナって、時々、悪役令嬢になるよな。今度、髪型も縦ロールにするように勧めてみようかな)
彼女の豊かな髪なら十分にその髪型もいけそうだ。後は、話すときに片手の甲か、いっそ扇で口を覆うようにして、「オーホッホッ」とか高笑いを付け加えれば完璧だろう。
残念なのは、彼女は身長があまり高くないことだろうか。もう少し高ければ上から見下ろす感じが出て、もっと悪役令嬢っぽいのだろうが。
そんなどうでもいいことを考えている俺とは違い、イベリアノは、
「まあまあ。ティファーナ様。彼女も女王様の手前、閣下を少しでも危険から遠ざけるため、そう言わざるを得ないのでしょう」
そうにこやかにティファーナに取りなしていた。
「そのくらいのこと、私も分かっておりますわ。ですから、これは警告です。
閣下の安全への配慮など、私たちも十分に考えています。閣下に何かあれば、私たちだってただでは済みませんし、何より私の大切な旦那様もご一緒させていただくのですから。何かあるなど、万に一つもあり得ませんわ」
ティファーナがそう言うと、ハルトカール公子も、
「女王様には後ほど、私たちからきちんと説明しておきますから、安心して大丈夫ですよ。わが家も『半神』たる閣下とは、ずっと一連托生の気でおりますから、ここにいるものは皆、同志と言ってもよいですから」
そう爽やかな笑みとともに付け加える。
どうやら気づいていなかったのは、また、俺だけのようで、皆に言わせれば、カトリエーナも女王様の『息の掛かった者』であるようだ。
女王様は俺の主君なのだし、俺は別に隠すようなことは何もない底の浅い人間だから報告されて困るようなことはないが、やはりショックを受けたことは否めない。
ティファーナとハルトカール公子は、
「同志だなんて、わが家は王家に逆意を抱いたことなど金輪際ありませんわ」
「これは手厳しいお戯れだ。イベリアノはただ主君に忠実だったまででは」
「白々しい。イベリアノのことではないことくらい、お分かりでしょうに」
などと、結構危ない会話を続けていた。
だが、イベリアノは俺の様子に気づいたようで、
「閣下。女王様はただただ閣下のことをご心配されておられるのです。
閣下は王国の至宝です。決して閣下を信頼されていないとか、まして陥れようと考えておられる訳ではありません。ですから安心していただいて大丈夫です」
そう、涼し気に響く声で言ってくれた。
彼の声を聞いていると、俺もなんだか安心できる気がしてくる。
それに俺は彼の言うことは完全に信頼しているから、彼がそう言うのなら大丈夫なのだろう。
ここはゲームではないのだから、彼だって間違うこともあるのかも知れないが、その時はその時だ。
やっぱり彼に宰相府に来てもらって良かったなと、俺は改めてそう思ったのだった。
「では、改めて行って来ようと思う。後のことはよろしく頼むぞ」
俺はちょっと偉そうかなとびくびくしながらそう言ったのだが、
「はっ。閣下。お任せを」
ハルトカール公子はそう言ってくれたし、
「ご無事のお戻りをお待ちしております」
イベリアノもにこやかにそう言ってくれた。だが、もう一人は、
「言われるまでもありませんわ。旦那様のこと、よろしくお願いいたします」
そうつっけんどんに返してきた。
でも、愛する旦那様を俺に託してくれるのだから、それなりに信頼されているのだろうと思うことにした。
俺が別室にいたリューリットにお願いし、アンヴェルを呼んできてもらうと、彼は嬉しそうだった。
「皆と一緒に魔物退治か。久しぶりに腕が鳴るな。戦いの勘を取り戻すのにも良さそうだ」
万が一、アンヴェルに何かあったら、俺は今度こそティファーナに許してもらえなさそうだから、その点は十分に気をつける必要がありそうだが、彼もやる気に満ちているようだ。
一度、命を落としているのに、怖気づいたり、戦いを忌避したりする様子は微塵も感じられない。
やっぱり彼は『ドラゴン・クレスタ』の英雄騎士だよなと、ゲームでの彼を良く知っている俺は何だか嬉しかった。
俺たちは一度、カーブガーズの俺の屋敷へ跳び、そこでエディルナとアリア、トゥルタークと合流した。
トゥルタークはもしかしたら、また、探索に出ているかもと思っていたのだが、探索した結果をまとめる作業も必要なようで、最近は多少、新しい『賢者の塔』にいる時間が増えているようだ。
俺がチヤナカラ海峡にシードラゴンが出没し、退治の依頼が来ていることを話すと、彼は二つ返事で一緒に行くことを承知してくれた。
ドゥプルナムの時もそうだったが、それ程多くある訳ではない大魔法を使う機会は逃したくないようだ。
エディルナは俺が大宰相に就任した後、あまり王都へ同行しなくなった。
彼女の家族は皆、王都で暮らしているのだから、一緒に行って、顔を見せてくればいいと思うのだが、そう毎回はいいらしい。
「アマンの秘書のカトリエーナさんは優秀そうだからな。多少の心配はあるが、王都でのことは任せても大丈夫だろう」
エディルナは確かに読み書きや計算はできるようだが、別に俺の秘書を務めている訳でも何でもないのに、そう言っていた。
アリアも教会の運営に相変わらず忙しそうだったが、俺の依頼を快く受けてくれた。
彼女の聖堂の運営は順調なようで、いつ俺からの依頼があっても対処できるように体勢を整えてくれているようだ。
俺だったら目を回してしまいそうなのだが、これもやはり、神のご加護のおかげなのだろうか。
そうして翌朝、パーティーメンバーが揃ったところで、俺はベルティラにお願いして、一気にチヤナカラ海峡のあるサマーニの町へと跳んだ。
総勢八名のメンバーを東の方カーブガーズから、サマルニア地方のサマーニの町まで一度に運んで、まだ余裕があると言っていたのだから、彼女の魔力も増えたものだ。
サマーニの町で、俺たちは政庁のある北の丘を目指して進む。
アンヴェルにとっては良い思い出のある道ではないと思うのだが、彼は別段、そんなことを思ってはいないようで、淡々と歩いて行く。
そう言えば、今回はパントロキジアを連れて行かなくていいのかと思ったのだが、アンヴェルは、
「パントロキジアを瞬間移動させるのは大変だろう。騎士としての精神さえ保てているのならば構わないから、僕は別に拘らないよ」
そう言ってくれた。
依り代になっているパーヴィーは、泣いているかも知れないが。
政庁へ向かう途中、東の港の方で悲鳴のような声が上がったのが聞こえ、俺はそちらを振り向いた。
見ると、対岸のガレッタの町との連絡船だろうか、比較的大きな船から煙が上がり、それは見る見るうちに海の中へと引きずり込まれていった。
船のマストが最後に海中に没すると、それを追いかけるかのように、銀色に輝く鱗に覆われた巨大な竜の尾のようなものが現れて海面を叩き、そのまま水面の下へと消えていった。
「シードラゴンだ。また奴が出たぞ!」
そうした声と悲鳴とが交錯する中、俺たちはカルロビス公に会うべく、政庁への道を急いだのだった。




