第七十五話 女神の降臨
パリーン!
以前にも聞いた乾いた音が辺りに響く。
そして、粉々に砕けた石板は溶けるように消えていく。
驚愕の表情を浮かべたドラゴン・ロードの全身が、その姿のまま灰色に変わる。
だが、彼は崩れ落ちはしなかった。
灰色に変わった彼の身体の中から眩いばかりの白い光が溢れだし、辺りを真っ白に染めていく。
光の奔流に俺は目を開けていることができず、思わず右腕で顔を覆う。
それでも、迸る光はその圧力すら身体に感じるような気がするほどだった。
「もう、目を開いていただいても大丈夫ですよ」
しばらくすると、誰だかは分からないが、どことなく聞いたことのある気のする柔らかく響く女性の声が聞こえ、俺はゆっくりと目を開けた。
辺りはまだキラキラと輝く光に満ちていたが、網膜を焼き尽くすかのような激しい光は消えていた。
そして俺の前、ドラゴン・ロードがいた場所には、輝く姿の美しい女性が立っていた。
白く輝くゆったりとした服をまとったその姿に、俺は一瞬、
(これは『鉄の斧です』って答えなきゃいけないやつだな)
と考えた。
そう、その女性はラノベや童話に出てくる女神のように見えた。
当然だが、そんな質問はしてこなかったが。
いや、そんなことより、もし彼女が真のラスボスならこれで完全に詰みだろう。やっぱりエレブレス山で『生命の石板』を一枚無駄にしてしまったのが、痛かったのかもしれないなと思ったが、それは今さらどうしようもないことだ。
だが、目の前の女性はその顔に微笑を浮かべ、
「楽しんでいただけましたか? 明日本亜門さん」
もう長い間、呼ばれたことのなかった名前で俺にそう呼びかけた。
「いったいあなたは何者なんだ? ゲームマスターか? それともゲームの制作者なのか?」
この世界で俺は前の世界の名前を名乗ったことはない。
アグナユディテは「真の名」を俺に教えてくれたが、俺の本名を知る者はこの世界にはいないはずだ。
それなのにそれを知っていると言うことは、ただのNPCのはずがない。
「そうですね。私は強いて言えば、ロールプレイングゲーム『ドラゴン・クレスタ』そのものです」
彼女はそう言って、また笑顔を見せる。
だが、その笑顔はエレブレス山でアグナユディテが俺に見せた、貼りつけたような笑みにそっくりだった。
「どうせ、俺をこの世界に呼んだのはあなたなのだろう?」
俺がそう聞くと、彼女は笑みを浮かべたまま、
「さすがは賢者様。理解が早くて助かります。そうです。あなたをこの世界に呼んだのは私です」
そう答えた。
「それなら最初に俺に会って、状況説明や、できればもっとチートな能力を授けたりしてほしかったな。おかげで結構、苦労したよ」
そう苦情を申し立てながら、俺はリュー婆さんの店での出来事を思い出していた。
「老獪で」悪意のある、この上なく有力な霊。
この世界のそれに近い存在である彼女が、俺を欺くことに全力を傾け、俺はそれにまんまと乗せられていたというわけだ。
「それがあなたに必要ですか? 私もこの世界のバランスを保つために結構苦労したのですよ」
だが、女神は相変わらずその顔に微笑を湛えたまま、そう言った。
彼女がそう名乗った訳ではないが、その存在からして、そう呼んでいいだろう。
「それで、どうして俺はこの世界に呼ばれたんだ? 目的を教えてもらっていなかったから、好きにやらせてもらったが」
俺がそう聞くと女神の顔から笑みが消え、彼女は真面目な表情を見せた。
「この世界は消滅の危機に瀕していました。もう二十年以上もプレイされないゲームなど、存在しないも同じです。
何の目的も持たずに生まれてくる人間とは違い、ゲームという存在は、ある目的のために作られるものなのです。プレイする人を楽しませるという目的のために。
ですから目的を果たす機会が失われ、この世界が消え去ってしまう前に、最後に、『ドラゴン・クレスタ』を一番楽しんでくださったあなたをお呼びしたのです」
確かに俺は『ドラゴン・クレスタ』をやり込んだ。ある意味、青春を捧げたといっても過言ではないだろう。
完全に黒歴史だったそのことが、図らずもこんな形で認められることになろうとは思いもしなかったが。
「あなたはアスマット・アマンに随分と入れ込んでおられましたから、アンヴェルには途中退場してもらったのですが、その後、あなたがあまりにお辛そうだったので、そのままでは終われなくなってしまいました。ですから、特別に続編までプレイしていただいたのです」
どうやらアンヴェルが命を落としたことも、彼女のコントロールによるようだ。
どうりで大トンネルへ向かうと彼が頑なだったわけだ。
俺とアグナユディテを置いて不用意に出口へ向かったのだって、考えてみれば不自然だった。
「さあ。ですがもうおしまいです。この鏡をどうぞ。鏡を覗けば、どうなるかはお分かりですね?」
彼女の右手には、銀色に輝く鏡が浮かんでいた。
あの鏡は「この世界で一番美しい人」を教えてくれるような、そんな甘い代物ではないだろう。
(まさかの夢オチってやつか)
おそらく鏡を覗けば、俺は自分の部屋のパソコンの前に戻ることになる。女神はそう思っていた俺の予想どおりの言葉を続けた。
「時間もこの世界へ来た時のまま、ええ、もちろんここへ来る前にプレイしていたゲームの経験値もそのままですよ。
人に話してみても夢でも見たんだろうと言われるのでしょうね。そして、あなた自身も月日が経てばそう思うようになるのかも知れません」
そう言う女神の姿は少し寂しそうに見えた。
元いた世界に戻る。
初めてトゥルタークに会って彼と賢者の塔で会話していたとき、何度もそう願ったことだ。
だが、俺はそう考えたところで改めて辺りを見回した。
女神と話しているうちに、徐々に周りの明るさに慣れた目に色を失った周囲の風景が入って来ていた。
そして俺の左後ろを振り向くと、そこには俺を心配そうに見ているアグナユディテの彫像のような姿があった。
「ユディは、アグナユディテはどうなるんだ?」
俺は女神を振り返り、そう問い質した。
だが、彼女は俺の問い掛けに、まるで意味がないというかのように表情を動かすこともなく答える。
「エルフのアグナユディテ。そんな人は現実には存在しないことも、賢者様はすべてご存じですよね」
本当にそうなのか。この世界で彼女とともに過ごした時間。その中には一片の真実もなかったのだろうか。
すべてはただの作り話、そうだったのだろうか。
いや、たとえそうだったとしても……。
ギリシア神話のピュグマリオンと、彼の作った象牙の像のガラテアのように、強い想いが現実になることはないのだろうか。
「テーマパークにも閉園時間があって、ずっとそこで暮らすわけにはいきません。残念ながらゲームの世界も同じです。当たり前ですが、エンディングを迎えればもう、そこにとどまることはできないのです」
女神は相変わらずそう続けているが、俺は彼女の言葉を聞いているうちに段々と腹が立ってきた。
人が熱くゲームについて語っている横から「それって結局、しょせんはゲームの中の話でしょ」と、見下すように言ってくる奴のことを思い起こさせたからだ。
「もともと起こりえないことを起こしておいて、今さら常識で考えろか。それはないんじゃないか」
俺は自分がピュグマリオンになれないか、一度だけ試してみようと思った。
これでだめなら諦めて、おとなしく元の世界に戻るしかないなと思いながら、もう一度、左後ろを振り返って、この世界で常に俺とともにいてくれた、かけがえのない存在に呼びかける。
「アグナユディテアラミアン。我が声に応えよ!」
俺はアグナユディテの「真の名」を呼んだ。
アルプナンディアは、エルフは真の名を告げた相手の呼びかけには必ず応えると言っていた。俺は最後にそれに賭けてみようと思ったのだ。
(ユディ。頼む。応えてくれ)
俺が祈るような想いで彼女を見詰めていると、灰色の彫像のようだった彼女の姿に色彩が戻ってきた。
金色の髪は周りの光に輝き、相変わらず象牙のように白い肌は、だが、生気に溢れている。
そして、エメラルドグリーンの瞳が俺を見詰めていた。
「アマン。これはいったい?」
そう声を上げるアグナユディテに、俺は迷うことなく指示を出す。
「ユディ。あの鏡、あの鏡に矢を放ってくれ!」
「わかったわ」
彼女はそう言って素早く弓に矢を番える。俺はその矢にあらん限りのエンチャントを掛けた。
鏡相手に必要ないのかもしれなかったが、俺はそうしたかったのだ。
その直後、矢が放たれた。
その矢は真っ直ぐに鏡に向かうと、その真ん中へ命中し、鏡は粉々に砕け散った。
そして鏡のあった場所に光の渦ができ、俺たちの周りの輝く光がそこへ吸い込まれていく。
それと同時に、灰色だった周りの景色に以前のように色彩が戻って来た。
「そこにいるのは誰だ!」
ベルティラも元に戻ったようで、女神にそう問い掛ける。
だが、彼女はそれに答えることをせず、俺に話し掛けた。
「アスマット・アマン。これがあなたの答えなのですね? では、あなたがこの世界にすっかり飽きて、もうこの世界には存在してほしくないと思うようになるまで、私はエレブレス山で待ちましょう。そう思ったら、いつでも私をお呼びなさい」
女神はそう言うと、光となって渦に吸い込まれて行った。
だが、消えていく直前の彼女の笑顔は、俺にはこの結果に満足しているもののように思われた。




