第六十九話 古竜王の脅威
エルジャジアンの町は無事だった。
だが、町の西の方角には、彼方に黒い煙が立ち昇っているのが見える。
「あの方角だと、もしかするとディヤルミアが被害を受けたんじゃないか?」
エディルナがそう言ったので、俺はレビテーションの魔法を使って少し高さを稼ぎ、煙が見える方向を遠望してみた。
まず、俺の目に飛び込んできたのはディヤル山の美しい山稜に刻まれた巨大な傷跡だった。
おそらくドラゴンが付けたのだろう。エルジャジアンの東の『黒い壁』の切通しといい、ディヤル山の山すその崩落といい、ドラゴンの力は人知を超越している。
元日本人の俺には、ディヤル山につけられたその傷が大沢崩れのように見え、ますます富士山に似てきたなと思ってしまったのだが。
そしてその麓に目を移すと、かなり距離があるのだが、盆地になっているからか、なんとか煙の立ち昇っている町らしき場所を望むことができた。
どうやらエディルナが言ったとおりディヤルミアの町が被害を受けたことに間違いはないようだ。
盆地の中央を流れる川の先にある町には炎までは見えないが、真っ黒な煙がそこかしこから立ち昇り、城壁や高い建物は破壊されたのか、その姿を捉えることはできなかった。
俺はまた他のメンバーには町の外でしばらく待っていてもらい、アリアと二人でエルジャジアンの町の領主であるダルヴァール卿の屋敷を訪ねた。
彼は相変わらず忙しそうだったが、それでもすぐに俺と会って話をしてくれた。
ダルヴァール卿によれば、巨大なドラゴンの姿はエルジャジアンの町でも多くの人に目撃され、領民の間には不安が広がっているようだった。
街の城壁に建つ防衛用の塔からも、ディヤルミアの町の方角から黒煙が立ち昇っているのが確認されているし、早速、何人かの兵士を騎馬で向かわせ、情報収集に当たらせているとのことだ。
「このところ魔族の襲撃がなくなって少し落ち着きを取り戻しつつあったのですが、まさか巨大なドラゴンが姿を現わすとは。ディヤルミアの町の被害が少ないと良いのですが」
だがその後、次々に帰って来た兵士によってもたらされた情報は、そんな俺たちの希望を無残に打ち砕くものだった。
ダルヴァール卿は戻って来た兵士の報告を、彼の隣で俺とアリアも直接聞くことを許してくれた。
最初に報告に訪れた兵士はディヤルミアへ続く街道の途中で、エルジャジアンの町を目指す多くの避難民に遭遇し、彼らのうちの何人かからの証言を聞いて、まずは第一報をと戻って来たとのことだった。
避難民たちは口々に巨大なドラゴンの恐怖と瞬く間に起こった町の壊滅を、その兵士に語ったようだ。
また、俺が想像していたとおり、そのドラゴンは行き掛けの駄賃とばかりに、ディヤル山にも強烈なブレスを喰らわせ、その美しい山稜に大きな傷を付けて、東の方へ去って行ったとのことだった。
ダルヴァール卿が救護活動の準備を配下に命じ、領主館の動きが慌ただしくなってくる。
彼の配下が入れ代わり立ち代わり現れては、指示を受けて去って行く。
そうした様子を見ているうちに、ディヤルミア方面に派遣されていた兵士がもう一人戻って来た。
彼は実際にディヤルミアの町まで行って状況を確認してきたと言って、ダルヴァール卿に報告を行った。
「ディヤルミアの町は城壁は跡形もなくなっており、領主屋敷や政庁、教会などの建物も見る影もなく破壊され、それらがあった場所にはかろうじて残った煉瓦などの残骸が見られるのみでありました。
それら以外も尽く破壊され、人的損害も莫大です。生き残ることのできた民衆の多くも雨露をしのぐ場所とてなく、東にあるわが町や西のガレッタ、さらにはその対岸のサマーニの町などを目指し、避難している模様であります」
兵士はそうディヤルミアの町の状況を報告した後、さらに恐ろしい事実を告げた。
「巨大なドラゴンはその口から人語を発し、次はこの世界で最も人間が多く住む場所を焼き払うと言っていたと、何人かの生存者が証言しております」
その報告を聞いてアリアは驚きに目を見開き、顔色も真っ青になっていた。
「この世界で最も人間が多く住む場所」と言えば、彼女の家族が暮らす王都以外にはないだろう。
俺もそれを聞いて王都のことを思い出す。西の離宮の城壁から見た、夕日に染まり黄金色に輝く美しい王宮の姿が目に浮かぶ。
それに続いて、俺は王都にいる知り合いの顔を思い浮かべた。
魔術師ギルドのペラトルカさんや『銀狼亭』の亭主。リュー婆さんにアンヴェルの同僚だった近衛騎士たち、名前はたしかルジェーナとラディアンとか言っただろうか? もう記憶もおぼろげだ。
(あれ? 俺って王都にいる知り合いって、思っていた以上に少ないかも)
特に最近はアグナユディテやベルティラと一緒にいることが多かったから、外出自体を避ける傾向にあったし、外へ出てもなるべく人に会わないように過ごしていたからか、王都で新たに人と知り合う機会が減っていたような気がする。
そのくせ王宮、特に謁見の間では散々、王国の重臣や大貴族たちから責め立てられたから、そのことを思い返すと、俺は腸が煮えくり返る思いがする。
彼らのことを考えると「王都。別に焼き払われてもいいんじゃね?」とか思ってしまいそうになる。
そんな俺って、やっぱり人としてどこか欠落しているよね。
けれども王都には女王様がいらっしゃる。
彼女のことを考えれば、たとえ相手が古竜王でもそんなことをさせるわけにはいかない。
ついこの間、女王様のためにはできる限りのことはして差し上げるべきだと思ったばかりだ。
ディヤルミアの町のさらに詳細な被害状況等は、派遣された小部隊が隊長を含めて現地に残り確認中とのことだったが、あらましは把握することができたし、何より事は急を要するので、俺とアリアはダルヴァール卿にお礼を言ってパーティーの皆の下に戻ることにした。
「この世界で最も人間が多く住む場所を焼き払うだって!」
俺とアリアからの報告を聞いて、エディルナも悲鳴のような声を上げた。
彼女は王都生まれの王都育ちだし、何より家族が王都に住んでいるのだ。先ほどのアリアと同じように顔色も蒼白になっていた。
ディヤルミアの町で聞いた兵士の報告を伝えて、俺は皆の意見が聞きたいと言ったのだが、
「アマン。頼むよ。王都を救っておくれよ。お願いだよ」
「賢者アマン。私からもお願いします。どうか王都をお救いください」
エディルナは拝み倒さんばかりにそう言うし、アリアは実際に胸の前で両手を組んで祈りの姿勢だ。確かに彼女たちに落ち着けと言うのは酷かもしれない。
だが、二人以外のパーティーメンバーも、リューリットは腰の剣に手を置いて俺の次の言葉を待っているようだし、アグナユディテも不安そうな顔で俺を見詰めている。
ベルティラでさえ腕を組んで俺を見ている。
「アスマットよ。どうする気じゃ」
トゥルタークまでがそう言うのを聞いて、(えっ。俺なの。俺が王都の運命を決めるわけ?)そう思って俺は愕然としてしまう。
以前、アグナユディテが、舞台の真ん中に立とうとするのは俺らしくないと言ったように、俺はそんなリーダーとしてグイグイと引っ張っていくタイプではないと思っているのだが。
俺だって王都を救いたいのはやまやまだが、今の俺は以前とは違い、ゲームの知識があるわけではない。
ただの高レベルの魔法使いに過ぎないのだ。この世界のパーティーメンバー以外の人とは、文字通り「レベチ」であることは確かだが。
だが、俺たちがその行動を止めなければならない相手は古竜王だ。
ただのエンシェント・ドラゴンでさえ、あれほど苦労して戦い、結局は『生命の石板』の力を借りてようやく葬ったのだ。
王都とそこに暮らす人々の未来が俺の判断で決まる。
俺が判断を誤れば、あの大都市は焼き払われ、数多の命が永遠に失われるのだ。
そう思うと空恐ろしくて、とても決められない気がする。
「少し考える時間をもらえないか。できれば皆にもいい案がないか、考えて欲しいんだが」
俺がそう言うと、皆が落胆したのがよく分かった。
エディルナなどは目を瞑って項垂れ、崩れ落ちてしまいそうにさえ見える。
確かにバセリスを倒す前の俺には、考える時間なんて必要なかった。むしろ必要だったのはレベルを上げるための、経験値を稼ぐ時間で、それ以外は全部「知っていた」のだから。
俺は皆から少し離れ、木々の疎らな林の中を歩きながら、何とか考えを巡らせようともがいていた。
(とにかく情報が欲しい)
そう思った。
よく考えてみれば、これまで俺がこの世界でなんとかやって来られたのは、ゲーム知識という情報があったからだ。
フォータリフェン公爵ではないが、人が知らないことを知っていることで上手くやってこられたのだ。
俺は東に見える『黒い壁』を見ながら、さらにその遥か先にあるカーブガーズにいるはずのドラゴンのことを思い出していた。
「パーヴィー。どこにいるんだ。頼むから、話を聞かせてくれ」
誰もいない林の中で、俺の口から思わず、そう言葉が漏れていた。
小一時間もそうして林の中にいただろうか。下手の考えなんとやら、そう自嘲気味に考える俺に妙案が浮かぶはずもなく、住民たちに王都から避難してもらうくらいしかないかなどと思っていると、アグナユディテが慌てて俺を呼びに来た。
「アマン。東の空から風を切る音がするの。また、奴が来たのかも」
その音はカルスケイオスの方から聞こえているらしいが、黒い壁に阻まれて、まだその姿を見ることはできない。
俺がぐずぐずしているうちにドラゴン・ロードは容赦なく行動を開始し、王都を殲滅するために西に向かい始めたのかもしれない。
ベルティラの瞬間移動を使えば、王都まで奴より先にたどり着けるかもしれない。
だが、ダークエルフの彼女だけが行っても意味がない。少なくとも俺は一緒に行って、大至急女王様に謁見して、王都の住民を避難させてもらうようお願いするしかないだろう。
カルスケイオスまで来るときは三回に分けて来たけれど、一度で王都まで行けるのは、彼女を除いて何人だろう。
こうなるとエルジャジアンの町まで全員で来てしまったのは痛かったな。俺はそんなことを考えていた。
そうしているうちに、黒い壁の上にポツンと黒い影が現れ、それは急速に大きくなって真っ直ぐに俺たちに近づいて来る。
それはやはりドラゴンだった。
だが、そのドラゴンの鱗の色はきれいな翡翠色で、それは俺にとって希望をもたらしてくれる色だった。
巨大なドラゴンは上空でクルリと回ると一気に降りてきて、俺たちのいる林の木々のすぐ上に浮かんだまま止まった。
「アマン。僕を呼んだ? 何か面白いことがあった?」




