第六十三話 カーブガーズへ
「じゃあ、早速」
そう言うと、アンヴェルの姿をした彼がまた銀色の光に包まれ、今度は急速に大きくなったかと思うと、光が消えた後には緑色の鱗を持つ巨大なドラゴンがそこにいた。
「えっ。どうしてドラゴンに戻ったんだ?」
俺がそう聞くとドラゴンは、
「いや。その人のいる場所は遠いし、人間の足でたどり着くのは無理だから。みんな僕の背中に乗ってくれないか」
さも当然といったように、そう俺たちに向かって言った。
俺はゲーム雑誌に掲載された開発中の『ドラゴン・クレスタⅡ』の情報を思い出した。
「今作の世界では竜に乗れるぞ!」
そんな記述があったと思う。
俺の想像していたのは精々、小型の飛竜に騎乗する姿だったのだが、巨大な彼の背中はちょっとした船の甲板くらいの広さがありそうだ。
だが、これって覆いもなにもない状態で、先ほど見たエンシェント・ドラゴンが飛んでいた高度を行くってことだよね……。
(いや、ムリ、ムリ、ムリ、ムリ! 絶対無理!!)
そもそも高い所を何とも思わない人って、絶対的に想像力が欠如していると思う。
完全に偏見だと思うし、自分でも言い掛かりだと分かってはいる。でも、ここから落ちたらって思うよね? 普通。
「とりあえずベルティラが先に行ってみてくれないか。それで目的地に着いたらすぐに戻って来て、瞬間移動で俺をそこまで連れて行ってくれ」
自分でも声が震えている自覚がある。すでにのどがカラカラだし。
「突然、何を訳の分からないことを言い出すのだ。今日はもう魔力切れだと言ったばかりではないか」
ベルティラはそう言って驚いたように俺を見るが、すぐにニヤリとして、
「まさかお前。いや、たとえ魔力が残っていたとしても、今回はブレスレットの力は使わないぞ。皆で高~い空を飛んで行くのだ」
そう言ってきた。
闇魔法を教えてくれたり結構いい奴だと思ったけれど、前言撤回。やっぱりダークエルフは邪悪な魔族だ。
「アスマットよ。なにをぐずぐずしておるのじゃ。まあよい。早くユディお姉ちゃんを元に戻すのじゃ」
そう言ってトゥルタークはレビテーションの魔法で俺たちを彼の背中へと上げてしまう。
動揺していた俺は魔法に抵抗することもできなかった。
「しっかり掴まっていてね」
ドラゴンはそう言って羽ばたくと、すぐに高い空へと舞い上がった。
(くわばら、くわばら)
俺はぎゅっと目を閉じて必死にドラゴンの背中にしがみつきながら、そう唱える。いや、これはおばあちゃんから聞いた雷避けのおまじないだったか。
では、手のひらに「人」と三回書いて飲むのは。それも違う気がする。
「おお。これは絶景だな」
俺のすぐ右手からリューリットの声がする。
「我らがいた土地のすぐ側にこのような大地が広がっていようとは。想像もしていなかった」
左手からはそう言って驚くベルティラの声がした。
俺は薄目を開けて少しだけ外の様子を覗いてみた。
かつての魔王の統べる大地、カルスケイオスを囲む黒い山塊の東の地。
あれ程高く聳えているように見えた『黒い壁』を越え少し下がった場所に、カルスケイオスよりも数段高く台地が広がっていた。
蛇行する大きな川が大地を潤し、どこまでも続くように見える広大な草原地帯には鹿だろうか、動物の群がいるようだ。
川の側には湿原だろうか、ところどころ水面がきらきらと日の光を反射する場所が見られ、そのさらに奥には鬱蒼とした針葉樹の森が広がっている。
そして遠くにはぼんやりと雪を頂く峰々の姿を望むことができた。
「カーブガーズ……」
俺がそう呟くとドラゴンは楽し気に口を開いた。
「へー。びっくりだな。アマンは知っているんだ。さすがは『半神』だね」
カーブガーズ。古竜が住むとも神の御座があるとも言われる伝説の地だ。
『ドラゴン・クレスタⅡ』の開発情報にそう書いてあった。
「カーブガーズか。イラピセタル山脈の高い峰からは年に数日、晴れて空気が澄みきった日に、かすかにその一部を見ることができると言われておるの。そしてあの霞んで見えるのが神の御座があるとも言われるエレブレス山かの」
トゥルタークも楽しそうにそう話していたが、急に俺の方を振り返り、
「じゃが、アスマット。何故そなたが知っておるのじゃ。まさか勝手にわしの書斎に入り蔵書を漁ったのではあるまいな」
厳しい顔でそう言った。
そんなに書斎の中を見られたくないのだろうか?
トゥルタークの抱える闇も深そうだ。
俺は高い所が苦手だと知っていた学生時代の数少ない友人からのアドバイス、「下を見ると怖くなるから遠くを見るように」を思い出して、下は見ないようにしていた。
それでも俺は両手をついてがっちりとドラゴンの鱗を握っていたが、俺以外の皆にはリラックスしたムードが漂っているようだ。
確かに飛んでいる高ささえ気にしなければ、ドラゴンの乗り心地は悪くはない。
ほとんど揺れないし、馬車などとは比べるべくもない。
かなりの速さで飛んでいるはずだが、風で吹き飛ばされないのはドラゴンが魔法で守りを掛けてくれているのだろう。
それでも風切り音がそのスピードを物語っていて、俺は生きた心地がしないのだが。
そんな俺を気にすることもなく、皆はドラゴンと話しながら楽しそうだ。
「わたしたちは、あなたの仲間にカルスケイオスから立ち退いてほしいんだよ」
エディルナが軽い感じでオーラエンティアの未来を掛けた要望をドラゴンにするが、ドラゴンもやっぱり軽い感じで返してくる。
「いやぁ。それは無理だと思うよ。彼は僕たちのロードから、この地とさらには人の住まう地を手中に収めることを命ぜられているはずだから。だって、そういう盟約だったからね」
いや、盟約を破った時の代償が大きすぎないか?
トゥルタークもひどい条件を呑んだものだ。
しかも思い切り当事者以外の、と言うよりもこの世界のすべての人、いやエルフや魔族さえ巻き込んでいるし。
そんな盟約、結んではダメだろう。
ドラゴンが以前はアンヴェルを依り代にしていたということで親近感もあるのだろうか。アリアもドラゴンに話し掛けていた。
「あなたはドラゴン・ロードから同じ命令を受けているわけではないのですか?」
確かにそれは重要かもしれない。あんなのが大挙して押し寄せてきたら、世界はすぐに破滅してしまうだろう。
「僕は今はロードから何の命令も受けていないからフリーだよ。まあ三百年の間、人間の世界で暮らしていたから、少しだけ休暇をもらえたってところかなあ」
そんなことを話しているうちに、どうやら目的地が近づいてきたらしい。
ドラゴンは一度、大きく羽ばたくと、急速に高度を下げだした。
俺はその揺れに驚いて再びきつく目を瞑り、ドラゴンの鱗にしがみついた。
だが、ドラゴンはやはりアンヴェル同様、女性に優しいのか、大層ふんわりと着地してくれたようで、彼に「さあ、着いたよ」と言われるまで俺はそれに気がつかなかったほどだった。
トゥルタークのレビテーションで俺たちが降りると、ドラゴンはまた輝いてアンヴェルの姿になった。
そして「こっちだよ」と言って俺たちを案内してくれる。
足が地面に着いてしまえばこっちのものだ。俺はアグナユディテをレビテーションの魔法で浮かせ、一緒に進んでいく。
ベルティラの時は慌てて抱き上げてしまい、後でアグナユディテから顰蹙を買ったが、今回はちゃんとその教訓を生かしたから大丈夫だ。
ドラゴンが案内してくれた先は岩山の岩壁をくりぬいて作られた神殿のような場所だった。
ギリシアの神殿のような荘厳な列柱が切り立った岩壁に彫り込まれ、その上の屋根のような部分には複雑な模様とともに古代文字だろうか、神聖文字だろうか、なにやらぎっしりと彫刻がなされている。
前の世界の中近東の遺跡に似たようなものがあった気もするが、行ったことがあるわけではないし本当のところはどうか分からない。
その中央にぽっかりと開いた入り口にドラゴンは向かって行く。
「この場所はカーブガーズでもかなり奥になるようじゃな。見てみよ。あれはエレブレス山じゃろう」
トゥルタークがそう言って指さす方向を見ると、雪に覆われた真っ白な岩山が聳えていた。
日の光に輝くようなその姿は、神々の御座と呼ばれるに相応しい神聖なものを感じさせ、人を厳粛な気持ちにさせさえするような気がする。
ドラゴンは俺たちの方を振り向いて、
「そうだよ。だからロードに気づかれないようになるべく静かにね。彼に気づかれたらまずいことになるかもしれないからね」
そう注意してきたので、俺たちはその後は無言でドラゴンについて行った。
入り口から入ると中はひんやりとしていた。
「ここは?」
アリアが問うとドラゴンは、
「生命の祠だよ」
と答える。
中は明かりもなく、基本、真っ暗なのだが、ぼんやりとところどころに光る物があるようだ。
最初は照明かなと思っていたのだが、暗さに目が慣れてくると夥しい数の、かすかな光を発する透明なガラス板のようなものが浮かんでいることに気がついた。
祠の中はあり得ないほど広いようで、ぼんやりとした明かりが遥か彼方まで続いている。
「ここって、人が足を踏み入れていい場所なのか?」
今さらなのだが俺がそう聞くと、ドラゴンは、
「分かんない。だってカーブガーズに人間が来ることさえ君たちが初めてだからね」
そう言って両腕を広げ、肩をすくめる仕草をする。
いや、これは絶対まずい場所だ。俺の中でそう言ってアラームが鳴り響いている。
祠から出てみたら何千年も経っていて、いきなり白骨化するとか、あり得るような気がする。
エンシェント・ドラゴンには何の問題もないのかも知れないが。
俺がそんなことを考えていると、突然背後から、
「どなたかな?」
そう問い掛ける声が聞こえ、俺は飛び上がらんばかりに驚いた。




