第六十二話 ドラゴンの来訪
「ユディ。そんな……嘘だろう……」
俺は這うようにして彼女の下に近寄ったが、仰向けに倒れた彼女は目を閉じ、俺の問い掛けにもピクリとも反応しない。
「ユディ……アグナユディテ。お願いだ……返事をしてくれ。頼むから……」
目を瞑ったままの彼女の横顔に俺はそう懇願するが、その願いは叶えられないものなのかもしれない。相変わらず彼女は身動きひとつしない。
俺は彼女の上半身を抱き起すが、両腕と、そして頭がガクンと落ちそうになり、慌てて首の後ろに腕を回して、それを受け止める。
ドゥプルナムの時と同じだ。
あの時も俺の判断ミスが彼女に怪我を負わせ、今回も俺の甘い考えが彼女をこんな目に遭わせたのだ。
ふたりで一緒にグリューネヴァルトを出てからずっと、いつも俺の側にいて、当たり前のように俺を守り、俺のことを考えていてくれるかけがえのない存在。
そんな彼女を俺はひどい目に遭わせてばかりだ。
俺は賢者の塔への道すがら、彼女が言ってくれたことを思い返していた。
「ユディは嘘つきだ。ずっと……俺を追いかけて来てくれると言ったじゃないか!」
最後はそう叫ぶように言った俺とアグナユディテの周りに、皆が集まって来ていた。
そして俺の前のアグナユディテを暖かい色をした光が包む。
「賢者アマン。大丈夫です。ユディはまだ生きています」
アリアが俺にそう告げる。
「本当か?」
「ええ。見てください」
アグナユディテを見ると、ドラゴンの尾の打撃を受けボロボロだった彼女の身体は輝くような美しさを取り戻していた。
「大回復の魔法……」
「そうです。神の癒しの力がユディにはまだ届いています。ですから彼女はまだ、この世界にとどまっているはずです」
(そうか。あの藁人形)
俺がアグナユディテに押し付けた女王様からいただいた王家に伝わるマジックアイテム。
その力は持ち主の不慮の死を一度、身代わりに受けるものだったはずだ。
慌てて彼女の持ち物を探ると、あの市松模様の巾着袋が見付かった。
中には藁人形が入っていたが、それは薄っすらと光を帯びているようだった。
やはりこの『呪いの藁人形』の効果でアグナユディテは一命を取りとめたようだ。
だが、俺の呼びかけにも彼女は一向に目を覚ます様子はない。
いったいどうすれば……。
俺は藁人形を振ってみたり、アグナユディテの身体に乗せて祈ってみたりしたが何の変化も起きなかった。
女王様からいただいた時も特に使用法の説明などなかったように思うし、確かに効果は発揮したようだが、アグナユディテの意識は相変わらず戻らない。
これでは不完全な代物だと言わざるを得ない。
俺がそうして試行錯誤を繰り返していると、ベルティラの顔が急に険しくなった。
「おい。あれは。奴が戻って来たのではないか?」
彼女が指さした方に顔を向けると、遠く東の方に再び小さな黒い影が見えた。
それは急速に大きくなって俺たちに向かって近づいてくる。
魔法防御の呪文を唱えるが、さすがにあのブレスは防ぎきれないかもしれない。
だが、先ほどのドラゴンの飛翔スピードを考えれば、レビテーションの魔法でアグナユディテを安全な場所まで移動させる時間はありそうにない。
そして彼女を置いて自分だけが隠れることも、俺にはできなかった。彼女はまだ生きているのに。
俺は倒れたアグナユディテを背に、東の空から急速に近づいてくる者に対峙した。
だが、その俺の目に赤く長い髪が飛び込んで来る。
「アマン。お互い様だよ。私が前に立つ方が魔法使いが立つよりマシだろうからね」
その隣には、しらぎぬに映える濃いブラウンの髪があった。
「わが奥義。再び使うときが来たようだな」
そう言って彼女が構える剣からは、闘気の様なものが立ち昇り始める。
俺の左ではアリアが胸の前で手を組んで一心に祈りを捧げ、俺たちに加護を授けてくれている。
トゥルタークも俺の魔法防御に同じ魔法を重ね掛けしてくれるようだ。俺のすぐ右後ろから呪文を唱える声が聞こえる。
そして右側には、銀色の長い髪のダークエルフが俺に並んで立っていた。
「魔力切れで逃げることもできぬからな。お前たちの近くにいる方が、まだ安全だろう」
こんな状況なのに、ベルティラはそう言って不敵な笑みを見せた。
黒い影は見る間に俺たちに近づき、もうドラゴンの姿がはっきりと確認できる。
いよいよブレスが来るのかと、俺たちが身構えたそのとき、
「あれぇ。やっぱりそこにいるのは賢者アマンじゃないか」
何やらのんびりとした声が、そのドラゴンから聞こえてきた。
やって来たドラゴンには、どうやら俺たちを攻撃する意図はなさそうだ。
まだ警戒を緩めるわけにはいかないが、それでもほっとした空気が俺たちの間に流れる。
よく見れば、そのドラゴンの鱗は翡翠色と言うのだろうか綺麗な緑色で、先ほど俺たちを襲ったエンシェント・ドラゴンとは違うドラゴンようだ。
「ああ。そうか。この姿では分からないね」
巨大なドラゴンはそう言ったかと思うと、その身体から鈍い銀色の輝きを放ち、見る間に小さくなっていく。
そしてその輝きが一か所に集まって、キラキラとした光が徐々に薄れ、地上に降り立つと、そこには人間の男性の姿があった。
「僕はアンヴェル・シュタウリンゲン。見ての通り近衛騎士だ」
エンシェント・ドラゴンだった男性は、そう言って胸を張る。
「アンヴェル! そんな、そんなはずは」
アリアが驚きの声を上げる。
「やあ。アリアも。それにエディルナにリューリットもいるのか。みんなお揃いだね。ユディは僕の姿を見て気絶しちゃったのかな? そちらのお二人は新しいパーティーメンバーかな。はじめまして。あれ? そこにいるのは、もしかして魔王?」
アンヴェルの姿をした男性がそう言うのを聞いて、俺は正直、助かったと思った。
トゥルタークはまた「わしは魔王ではない!」と怒っていたが。
「正確に言えば、僕はアンヴェルではないよ。依り代にしていた彼の姿を模ってみただけさ。もちろんバルトリヒの姿でも良かったのだけれど、ここにはこの姿を知っている人が多いみたいだからね」
ドラゴンはそう言って楽しそうだ。
「ところでユディはそろそろ起こさなくていいのかな? 彼女はリューお婆さんの占いもだいぶ怖がっていたから、死んでしまったはずの僕の姿を見たら、また気絶してしまう?」
ドラゴンがそう言ってアグナユディテを見るが、彼女の意識が戻る兆しは見られない。
「いや。彼女は別のドラゴンに攻撃されて……。マジックアイテムのおかげで一命は取りとめたものの、どうしても目を覚まさないんだ」
俺が彼女の前に跪いて、彼女の胸に置かれた藁人形に手を伸ばすと、
「えー。何でユディがそれを持っているんだい? それって王家のものだったはずだけど」
ドラゴンがそう大きな声を上げた。
「このマジックアイテムが王家のものだって、どうしてそんなことを知っているんだ」
俺が問い質すとドラゴンは、
「だって、それを王家に献上したのは僕だもの。あの時は、その『生命の人形』のほかに『英雄の剣』もバール湖畔の別邸も差し出した上に爵位まで貶とされて散々だったんだ。僕は人間のために良かれと思って善意でやったのに」
「一体、そなた何をした?」
リューリットがそう聞くと、
「王都の西にある岩山が邪魔で開発が進まないと言っている人がいたから、魔法で吹き飛ばしたんだよ。
僕の依り代のバルトリヒが大賢者と共に魔王を封印してから百年くらい経っていたから、そろそろもう一度、彼の子孫も貴族としてのうのうと暮らすだけじゃなくて、王国や民衆に貢献した方がいいかなと思ってね。
本当に親切心からだったんだ。そうしたら何だか大事になってしまってね」
ドラゴンは不満そうに、どこかで聞いたような話をした。
「岩山が無くなった跡はそれから二百年くらい経つ間に、いつの間にか森になって、王家がちゃっかり狩り場に使っていたみたいだし。ひどいよね」
どうやら俺が吹き飛ばした岩山は、ドラゴンが吹き飛ばした後に残ったものだったらしい。
それで俺がやらかしたことがチャラになる訳ではないが。
「それで、この人形をどうしたら彼女は元に戻るんだ」
自分で脱線させたのだが、俺は話を元のレールに戻した。
「えーと。忘れちゃった。何か別の道具を使ったような気がするけれど」
アグナユディテの意識が戻るかどうかの瀬戸際に俺はかなり焦っているのに、相変わらずドラゴンはのんきそうだ。
「そんな。なんとか思い出してくれないか」
ドラゴンは少しだけ考える仕草をするが、すぐに、
「でも、僕がそれを手に入れたのは、もうずっと前だし。ちょっと思い出せそうにないな」
そう言って、あまり真剣に思い出す気はなさそうだ。
「どこで手に入れたんだい?」
エディルナが優しく聞くと、ドラゴンは気がついたというように、
「ああ。そうか。それを作った人なら使い方を知っているかもしれないね」
そう他人事のように言う。
「じゃあ。その人に使い方を聞きたいんだが」
ここで彼を逃したら、アグナユディテの意識はもう戻らないかもと思って、俺は必死の思いでそう聞くが、ドラゴンは、
「その人は今いる場所から滅多に動かないから、僕たちが聞きに行くしかないね。でも、人間を連れて行っていいのかな? ロードに怒られないかな?」
そう言って、迷っているようだ。
「人間を連れて行ってはダメだって、言われているのか?」
俺がもう、なりふり構わず、ドラゴンにそう詰め寄ると、
「そうだよね。ダメって言われていないから大丈夫だよね」
ドラゴンはそう言ってくれた。
何だか純真無垢な子どもを騙す、悪い大人になっているような気がする。




