第五百五十話 背水
俺たちはその後も後退を続けた。
もうミルイーズの町もとっくに過ぎていた。
いや、既にアルジヤンが広げた暗黒と混沌の領域さえ抜け、まだ人が住んでいた町や村にも被害が広がり始めていた。
「このままではここは傀儡とポーンだけの大陸になるぞ」
アンヴェルに言われるまでもない。
ポーンにやられた人は傀儡になってしまうのだ。
そうして俺やトゥルタークが石にしたより多くの傀儡を補充しつつ、奴らは俺たちを追ってきた。
「きりがないよ」
普段は明るいエディルナも、さすがに嘆くような声を出す。
逃走を続ける皆も疲労の色が濃くなってきていた。
(せめてこちらにも軍勢があれば……)
最大の問題は数なのだ。
傀儡は俺の魔法で石にするにしても、ポーンどもには現状ではミセラーナとララティーの『ライトネス・コヒーレンス』の魔法で対処するしかない。
だが、魔法はそうそう連続して放てるものではないのだ。
(せめてもう一人いれば鉄砲三段撃ちみたいにできるのに……)
そんなことも考えたが、実際にはそうでもないのだろう。
俺の考えもかなり煮詰まってきているようだった。
「これでは奥義を使う暇もないな」
リューリットは唇を噛んで悔しそうだったが、たとえ彼女が奥義を使ったとて、敵の進撃を食い止められるのはほんの一瞬に過ぎないだろう。
そのくらい奴らの数は凄まじかった。
「ベルティラ。ヴァンジーグやスルナクの町の住民に避難を呼び掛けて来てくれ」
俺は彼女に瞬間移動で各地の町を訪れ、ヘルメネやテミーメらに住民を北へ移動させるよう伝えることを依頼した。
「分かった。事は急を要するな。急ぎ回ってヴァンジーグでお待ちしよう」
いつもなら俺から離れたくないと渋る彼女も、さすがに状況の厳しさを認識しているようだった。
「ペルティリャよ。我が主を頼むぞ」
「はい。私の生命に代えてもご主人様をお守りします」
それでも同族であるペルティリャと、そんな会話を交わしてはいたが。
「まあよい。これ以上、奴らに傀儡を与えるわけにはいかんからの」
トゥルタークも同意見のようで、少しでも戦況の悪化を防ぐためにも、住民たちには避難してもらう必要があった。
唯一の救いは奴らの速度が遅いことだろう。
ポーンは相変わらず奴らだけで先に進んで来ることをせず、ゆっくりとした傀儡の歩みに速度を合わせていた。
「どちらかだけなら、まだ対処のしようもあるのだがな」
だが、厳しい顔でアンヴェルが言ったとおりなのかもしれなかった。
「さすがにアスマット一人では難しいの」
トゥルタークの言い方は他人事って感じがするが、その可愛らしい声と姿からあまり怒りも湧いてこない。
「ええ。だいぶコツは掴んだ気がするのですが」
俺の返事にララティーが不安そうな顔で、
「向こうもそれが分かってきているみたいだけど」
そんな指摘をしてきた。
「確かにの。まあよい。わしらは奴らの標的になっているようだからの」
多少の犠牲はものともせずに攻め寄せる奴らの戦法に、俺たちは対応が難しくなってきていた。
こちらも数がいれば堅固な防衛線でも構築して敵に消耗を強いられるのかもしれない。
でも、俺たちは十人しかいないのだ。
アルジヤンも入れれば十一人だけどな。
「戦える兵はいないのか?」
態勢を立て直すべく思い切ってヴァンジーグまで後退した俺たちは厳しい現実に直面していた。
「我が主よ。申し訳ありません。住民には皆、退去を指示するよう伝えましたので」
「いや。済まなかった。ベルティラは悪くないな」
俺も焦っていたのと、あわよくばこの町を拠点に反撃に転じられればとの思惑が外れて冷静さを失っていたのだ。
「そうよ。騎士や魔法使いは真っ先に傀儡にされたって聞いたし、武器だって厳しく管理されていたから兵士なんていない。北の町でもそうだったもの」
ララティーに指摘されてしまったが、彼女はだからこそ町の解放は順調に進んだのだとも教えてくれた。
ポーンと傀儡を彼女の魔法で撃退すれば、もう町に彼女たちと戦える者はいない。
だからすぐに降伏してくれたのだと。
「そうか。でも、そうするとこの先も厳しいな」
「ええ。金属も厳しく管理されていて、鋤や鍬なんかの農具や生活用の金物を作るくらいしか与えられていなかった。その分、奴らの装備が充実してるとも思わないけどね」
ポーンと傀儡で蹂躙できるよう、人への対策は万全だったということのようだ。
ララティーたちが解放した町ではリズが兵の訓練をしてくれているようだが、まだ役に立つ段階ではないだろう。
俺がバフを掛けて、戦えるかどうかってところだ。
「仕方ない。俺たちも北へ向かおう」
「北へ向かってどうなるのだ?」
珍しくリューリットが怒気を含んだ声で俺に尋ねた。
「いや。でも、ここで支えられるとは思えないし」
確かにリューリットの言うとおりではある。
俺はテミーメにこの大陸の町すべてを廃墟にした上で、俺たちは引き上げるって言ったのだが、このままだとそれが本当になりそうだ。
「そうだな。済まぬ」
リューリットまでもが冷静さを欠いているようだった。
「できそうな手は粗方、試してみたものね」
アグナユディテも不安そうだ。
「ああ。傀儡を正気に戻してみたりな。でも意味がなかったな」
俺たちは途中でミセラーナに『ライトネス・リヒトゥヴァンデゾン』の魔法を使ってもらい、傀儡の一部を正気に戻してみたのだ。
もちろん俺がブーストを掛けたことは言うまでもない。
「そうね。一瞬は敵が混乱に陥ったみたいに見えたけれど、魔法が切れた隙を突かれたし、傀儡たちはすぐに元どおりだったしね」
ララティーは『ライトネス・コヒーレンス』の呪文でポーンどもの突進を防ごうとしたのだが、やはりミセラーナが抜けた穴は大きく、危うく奴らに殺到されそうになったのだ。
そして正気に戻ったはずの人たちも、すぐにポーンに襲われまた奴らの僕にされたのだ。
やはりこちらの戦力が圧倒的に不足していた。
せめてもう一人いれば三段撃ちが……だめだよな。
「とにかく町の人たちが逃げる時間を稼ぐしかない。ここやほかの町の人まで傀儡になったら目も当てられないぞ」
ララティーたちの光の魔法や、俺とトゥルタークの石化の魔法で敵の戦力をかなり削ってきたはずだ。
それでも奴らは何事もなかったかのように進んでくる。
こちらの感覚がおかしくなりそうだ。
「それで大陸の北辺にたどりついたらどうするのだ? 尻尾を巻いて逃げ帰るのか?」
リューリットがまた気が昂ってきたとでも言うように、俺を難詰するように迫ってきた。
「いや。それができないから困っているんじゃないか」
俺の情けない返事はとてもRPGの主人公のものとは言えないだろう。
元々、主人公じゃないしな。
俺にだってリューリットの言いたいことは分かる。
俺たちだけなら逃げ帰ることも可能だろう。
「サンタ・アリア号は大丈夫かしら?」
ララティーの言葉に、俺は彼女は自分たちだけ船で逃げる気なのかなと思ってぎょっとした。
「大丈夫でしょう。ランファートがいますから」
アリアが答えたのはどうやら、この大陸から逃げ出したい人たちが大挙して押し寄せ、船が壊されたり奪われたりしないかってことに対してらしい。
確かに彼なら船を沖に停泊しておくとか、臨機応変に対応してくれそうだ。
「アマン。瞬間移動があるから大丈夫とか考えなかった?」
アグナユディテに指摘され、俺は慌てて、
「い、いやだなあ。そんなこと考えもしないよ。自分たちだけで逃げ出すだなんて」
そう答えたのだが、俺の考えなんて彼女にすっかり見透かされている気がする。
「たとえ全滅するとしても、僕たちができるかぎりのことをするしかないな。だが、大陸の北の端に追い詰められたらお終いだ。援軍も期待できないのに籠城するなど愚の骨頂だからな」
アンヴェルが悲壮な覚悟を見せる。
だが、彼の騎士としての知識がそう続けさせたのだろう、これからの戦いは敗北必至だと考えざるを得ないようだった。
そして彼の懸念はそれからすぐに現実のものとなる。
「まさかこんなに早くクルーブの町に戻って来ることになるなんてな」
俺は再びこの町に来ることがあるとすれば、聖域で冥王を封印し、この大陸に平和が戻ってからだと漠然と考えていた。
ゲームがスタートした町に戻って来るのって、大概がそうだからな。
「アマン。何を感慨に耽っているの?」
アグナユディテにはこの感覚は分からないらしい。
と言うよりも、この世界に俺以外でこんなことを考える奴なんていないだろう。
「ここで枕を並べて討ち死にか?」
リューリットがぽつりと漏らした感想にペルティリャが、
「枕を並べるのですか?」
なんて真顔で尋ねてリューリットを慌てさせていた。
「い、いや。別に変な意味ではないぞ。これは慣用句というものでな」
リューリットのこういった姿は珍しいかもしれない。
だが、このままでは彼女の言葉は現実になりそうだった。
無論、討ち死にの方だ。
「背後は海か。これまでどおり最善を尽くすしかないな」
アンヴェルの決意は立派だが、これまでどおりの対応なら敗北は必至だろう。
「神は私たちをお見捨てになられたりしません。正しき者には必ずや恩寵と祝福をお与えくださいます」
こんなに追い詰められた状況でもアリアの信仰は揺らぐことはないようだった。
(アリアにならきっと神様も恩寵だろうと祝福だろうとお与えくださるだろうけど、俺がいるからな)
なんて思った俺はこの世界の神が誰なのか忘れていた。




