第五百三話 終末の暗黒
俺たちはまた王都の『銀狼亭』の部屋のひとつに降り立った。
今回はアグナユディテも同じ部屋の中にいた。
(えっ。まさか相部屋なのか?)
一瞬、そんな考えが頭をかすめる。
「アマン! 見て!」
だが、アグナユディテはそんな俺の不埒な考えに気がつかなかったのか、そう言って俺の背後の窓に駆け寄った。
「あれは……」
振り返った俺の目に見覚えのある光景が入ってきた。
おそらく彼女も同じことを考えているはずだ。
「暗黒の空。あの時と同じね」
それは俺がメーオの名前を思い出すことができず、世界が蒸発し始めた時に見た真っ暗な空と同じものだった。
「もうここまで蒸発が進んでいるのか……」
王都の東の空は真っ暗で、その先は見通せない。
いや、もうその先には何も存在しないのだろう。
「急いだ方が良さそうね。ララティーは王宮かしら?」
俺は一瞬、呆然としていたが、アグナユディテの言葉に我に返った。
「そうだ! 早く行かないと!」
アグナユディテはこの世界では魔王を倒した英雄の一人だし、俺も王都をドラゴンの襲撃から守ったララティーの仲間だ。
王宮でも、さすがに門前払いは受けないだろう。
「ええ。行きましょ」
アグナユディテが扉を開き、俺たちはそのまま『銀狼亭』から通りへと飛び出した。
一瞬、宿代は大丈夫かなって思ってしまったが、ここも先払いされているのだろう。たぶん。
通りは王宮へ向かう俺たちとは反対方向へ、町の外へと向かう人や荷車でごった返していた。
「アマン。ちょっと待って! あれは……」
アグナユディテが立ち止まり、俺は彼女にぶつかりそうになって横に避けた。
「ちょっと! 邪魔だよ。あんたたち」
「あ、すみません」
慌てたものだから、今度は向こうから来た女性にぶつかりそうになって、俺は頭を下げることになった。
「ヨラン!」
アグナユディテはそんな俺に構わず、少し先に見掛けた青い髪の女性に向かっていく。
確かにあの髪色は異世界でも珍しいから、ヨランで間違いないだろう。
「ユディ! それにアマンまで」
彼女の方も驚いて、俺たちの声に応えてくれる。
彼女の周囲にいた人たちの視線が一斉にこちらを向いた。
「いったいどうしたのです? あの異変と関係があるのですか?」
注目されて、俺は尻込みする思いがしたが、アグナユディテに続いてヨランに駆け寄った。
「ええ。そのことで……」
「あの黒い空の下では何者も存在できないんだ! 早く逃げないと!」
アグナユディテは言葉を濁していたが、俺はもう時間がないのだからと思って、ヨランに真実を告げた。
「アマン! ダメよ!」
アグナユディテが慌てて制止したが、既に遅かった。
いや、それ以前にもう全てが遅過ぎるのだ。
俺たちの周りにいた群衆から不安の声が上がる。
「黒い空の下では何者も存在できない?」
誰かが俺の言葉を繰り返すと、すぐにパニックが起こった。
「早く逃げないと!」「逃げるってどこへ?」「とにかく町から出るぞ!」
皆が慌てて走り出し、中には親切心からだろう、側にいる人にも事情を説明しだす者もいて、瞬く間に騒ぎが広がっていく。
それでなくても既に町から逃げ出す人が続出していたのだ。
俺の言葉はそれを後押ししたようだった。
「アマン。それは本当なのですか?」
俺たちの周りにいた人たちがすべて逃げ去ると、ヨランはそう尋ねてきた。
「私は人々に落ち着くように説いていたのです。あの黒い空は誰かの言うように『終末の暗黒』などではないと。それは間違いだったのですね」
誰が名付けたか知らないが『終末の暗黒』って、言い得て妙だと思う。
感心してる場合じゃあないのだが。
「ああ。あの黒い空の下では全てが消滅してしまう。本当にゲームエンドだな」
思わずゲームエンドって言葉を使ってしまったが、そのとおりなのだ。
「では、こうしてはいられませんね。あれを何とかしないと」
ヨランは東の空を睨んでそんなことを言ったが、それは無理なことだ。
主宰者である俺の力を以ってしても不可能だろう。
そんなことが可能であるのならば、セヤヌスが教えてくれただろうし。
「いや。それは無理なんだ。だから俺は皆を救いに来たんだ」
俺の言葉にヨランが振り向いた。
「アマン。あなたは今、なんと?」
俺が答えるより早く、今度は俺たちの周りにいた人から声が上がる。
「見ろ! ドラゴンだ!」
指さす先には確かに真っ赤な身体の巨大なドラゴンの姿があった。
「もうダメだ」「逃げろ!」
王都の空に突然、現れたドラゴンは真っ直ぐに王宮へ向かう。
それに伴って周辺の混乱にはさらに拍車が掛かっていた。
「あれって……」
アグナユディテは確信が持てないようだが、ジャーヴィーで間違いないだろう。
サイズから言ってエンシェント・ドラゴンだし、それならそんなに数がいるとは思えないからな。
「王宮へ行くぞ!」
もともとそのつもりだったのだ。
三人になった俺たちは、そのまま王宮へと駆けた。
「アマン! 早く!」
アグナユディテに急き立てられ、俺はメーオに苦情を言いたい気がした。
『銀狼亭』は場末と言ってよい場所に建っているから王宮までかなり距離があるのだ。
(こんなことならあのエクサレなんちゃらとか言う宿にしておいてくれればいいのに……)
どうせ泊まるわけじゃないんだから、料金なんて大したことにはならないはずだ。
あの宿なら王宮のすぐ隣りって場所にあるから、こんな苦労は不要なのだ。
そんな思いを抱きながら必死で走る俺たちに、街中から声が掛かった。
「ヨランにユディじゃないか! それにアマンまで」
王宮へと続く広い通りに面した店の軒先から声を掛けてきたのはアデーレだった。
「どうしたんだい?」
随分とのんびりしてるなと思ったが、彼女はドラゴンの襲来に気づいていないらしかった。
「アデーレこそ、どうしてこんなところに?」
俺が尋ねると彼女は不服そうに、
「こんなところって、ここは私の店じゃないか。このところ商売上がったりだけどね」
なんて答えてきた。
言われてみれば彼女はドラゴン退治の褒美に王様から繁華街の一等地にある店をもらったのだった。
王宮へのメインストリートの中程に位置するここは、商売するには最適の場所だろう。
「俺たちは王宮へ行くんだ。アデーレは異変に気づいていないのか?」
東の空は真っ暗になっているし、今度はドラゴンの出現だ。
通りは町から逃げ出す人で溢れているし、気づかないはずはないのだが。
「異変って『終末の暗黒』のことかい? だってあれは問題ないって……」
彼女はそう言って俺の横にいるヨランに顔を向けた。
どうやら既にヨランに相談して、そんな答えをもらっていたらしい。
「アデーレ。私が間違っていました。やはりあれは危険なもの。あの黒い空の下では何者も存在できないようなのです」
ヨランがそう言って俺を見る。
俺は慌てて頷くと、
「そうなんだ。世界があの黒い空に覆われてしまう前に、俺は皆を助けに来たんだ」
アデーレにそう告げた。
「なんだって! 大変じゃないか。それでアマンたちはどうやって……」
彼女も急に慌て出し、そんな質問をしてきたが、今はそれに答える時間も惜しいのだ。
「いや。今はとにかく王宮へ行ってララティーと……」
ここでアデーレに会えたのは、考えてみれば幸運だったのだろう。
彼女が王都から逃げ出したりしていたら、諦めるしかなかったかもしれないし。
「そうなのかい? それなら私もご一緒させてもらおうかね」
彼女は今さらそんなことを言ってきたが、この先、元の世界までご一緒してもらうのだ。
ここへ置いていくなんてあり得ない。
「ああ。すぐに行こう!」
そう答えて慌てて駆け出そうとした俺にアデーレから疑問の声が掛かる。
「アマンはどうして魔法を使わないんだい?」
アデーレそう訊かれ、俺は改めて魔法を使えば良いってことに気がついた。
半分は現実世界で生活しているから、どうしても魔法を使えない感覚が抜けないのだ。
「レビテーション!」
俺は慌てて皆に魔法を掛けた。
現実世界の街中で、こんな言葉をまともに唱えたら、危ない人だからな。
「ちょっと! アマン!」
急に浮かび上がらせたアグナユディテから苦情の声が上がる。
彼女は慌ててスカートの裾を押さえていた。
確かに通りには人が多いけど、上を見ている人なんて……結構いるな。
「闇の精霊よ。盟約に従いて我らの姿を隠せ!」
「トーネード・ミネトゥリス!」
慌てたアグナユディテがインビジブルの魔法を使ったのと、俺の竜巻の魔法が推進力を生み出したのは、ほぼ同時だった。
「きゃっ!」
またアグナユディテが小さな悲鳴を上げていたが、姿は見えなくなっているし、多少の風が吹きつけたくらい問題ないはずだ。
「アマン。後で覚えてなさい」
彼女は続けてそんなことを口にしていたが、急ぐ必要があるのだから、こうするのが一番なのだ。
やはり俺の魔法の力は素晴らしく、俺たちはすぐに王宮の前に到着する。
そしてそこでは意外な人物が待っていた。




