第ニ十八話 ディヤルミアの焚火
チヤナカラ海峡を無事に渡った俺たちは対岸のガレッタの町は素通りし、そのまま街道を東へ向かった。
ゲームでは平気でガレッタの町の宿に泊まったりしていたので気にしすぎなのかも知れないが、サマーニとの往来が禁止されている中、どこから来たのかと疑われればトラブルになりかねないと考え、もう少し先に進むことにしたのだ。
「海峡のこちら側は風景が違って見えるね。ちょっと埃っぽいのかな?」
エディルナの言うとおりシューアギアン地方に渡ると、土地は起伏が多いし、空気が乾燥している感じがする。植物の植生もこれまでより広葉樹の割合が多く、日の光も強く感じる。
(どこかで馬車を調達したいところだけれど、次の町までは難しいか……)
さすがに馬車は船に乗せられなかったので、俺たちは徒歩でゆっくりと進んでいた。
上り坂が続く曲がりくねった街道を喘ぎ喘ぎ登りきると急に視界が開け、大きな盆地が一望できる。
「絶景だな。上って来たかいがあるというものだ」
アンヴェルの言葉に皆が歩みを止め、しばしその景色を眺める。
緑豊かとは言い難いが、点々と耕作地が広がる盆地の中央には川が流れ、その先に城壁に囲まれた町が見える。
そしてその町の北には、頂上付近に雪を戴いた高い山が聳えていた。
「ディヤル山。噂には聞いていましたが美しい山ですね」
普段はあまり俗世間のことには興味がなさそうに見えるアリアでさえ、そう感嘆するほど、その山は美しかった。
もとは火山なのだろうかコニーデ式にも見える山稜は四方に大きく広がり、そのさらに北に並ぶ山々とは少し離れた独立峰になっている。
日本にあれば必ず「〇〇富士」と呼ばれる山だ。
俺たちはその美しい山の麓の町、ディヤルミアを目指して、今度は下り坂になった街道を進んで行った。
「おい。そいつ、エルフじゃないのか?」
ディヤルミアの西門で俺が門衛の質問に答えていると、アグナユディテを目ざとく見つけた町の男が、そう声を上げた。
魔王の統べる地が近づいているからか門の警備がこれまで以上に厳しく、俺が警備兵とやりとりしている間に彼女の長い耳に気づいた者がいたようだ。
アグナユディテはサッとフードを深く被り直したが、遅かったようだ。
「やっぱりそうだ! エルフは魔族の仲間だと言うじゃないか。その長い耳。魔族にそっくりだ!」
声を上げた男の隣にいた、その男の仲間と思われるもう一人の男が大きな声でそう主張する。
(いや。長い耳がそっくりって。お前、魔族を見たことあるのか?)
まともに魔族の姿を見て、生きて帰れる人間はそんなにはいないだろうと俺は思ったが、もう理屈が通用する状況ではなさそうだ。
門の向こうに集まった人の数がどんどんと増えているような気がする。このままだと囲まれて、ひどい目に遭わされそうだ。
ひとりの男がアグナユディテに詰め寄ろうとしたので、俺が咄嗟に間に入ると、挙げていた彼の右腕が俺の顔に当たった。
「イチッ」
俺が痛みをこらえ睨みつけると、その男は少し怯んで後ずさりする。
その隙に俺はアグナユディテの腕を掴んで、町の外に逃げ出した。
しばらく走ると、さすがに町の結界の外まで追ってくる勇気のある者はいないようで、俺とアグナユディテは街道の側に生えた木の下で少し休憩することにした。
「アマン。あなたまで逃げる必要はなかったのに」
俺が乱れた息を整えていると、もう平気な様子でアグナユディテがそう言った。
俺はまだ少し喘ぎながら、
「いや。町の人たちと騒ぎを起こすわけにもいかないし、アグナユディテに殴り掛かって来た奴がいたから慌ててしまったんだ」
そう言いつつ、よくよく考えてみれば彼女があの程度の攻撃を避けられないはずはないし、逃げるにしても俺がいなかった方が容易だっただろう。
王命を受けたシュタウリンゲン卿の仲間だと言えば、門衛などの役人とは揉めることもないだろうから、逆に町の一般の人の方が今回のように問題になるのかもしれない。
それにしてもと俺は思った。
この町で俺とアグナユディテがパーティーから離脱するようなエピソードはなかったと思うのだ。そもそもゲームでは、人間とエルフが反目しあうというようなことはなかったし。
エディルナの父親の件と言い、この辺りのエピソードは省かれているのだろうか。
やはり異世界の現実の解像度の問題なのかもしれない。
「あの町に入れないと困ることはないの?」
アグナユディテがそう心配そうに聞いてくるが、ディヤルミアの町のゲームでの役割は、魔王の支配する地へ至る道を知るために必要なアイテム『月光の石』を手に入れる手がかりを得ることだ。
この町の人から『ルナの祠』と『月影の洞窟』の噂を聞き、町の西にある洞窟で祠の位置を記した石板を手に入れ、最後に祠に赴いて、そこを守る隠者から『月光の石』を託されるのだ。
だが、俺はルナの祠の位置も覚えているし、さらに言えば魔王の支配する地へ至る「大トンネル」の位置もはっきりと思い出せる。
経験値を獲得するため月影の洞窟くらいはクリアしてもいい気もするが、位置的にけっこう西へ戻らなければならないので、そのままスルーしてもいいかと思っていたくらいだ。
「いや。特段困ることはないな。町には入れそうにないし今夜はここで野営するとして、他の四人とどうやって合流するかだな」
スマホの無い世界は本当に不便だ。
「あー。いたいた。良かった。だんだんと暗くなってきているし、見つからなかったらどうしようと思っていたんだ」
そんな声がして、町の方からやって来たのはエディルナだった。
「悪かったな二人とも。私はアンヴェルとランシムと一緒に、先に宿を取ってしまおうと思ってだいぶ先に行っていたし、リューリットとアリアが気付いたときには人垣が大きくなっていて、近付けなかったみたいだ」
彼女は俺とアグナユディテが野営用に点けた焚火を見つけて、ここへたどり着いたようだ。
「とりあえずこれを晩御飯にしよう。二人には悪いけれど、わたし以外の四人は宿に泊まってもらったよ。たまにはベッドで寝ることも大切だからな」
そう言いながら、彼女は持ってきた肉や野菜を挟んだパンを俺たちに差し出した。
サンドイッチだなと俺は思ったが、この世界ではその名前が通用するか分からないので、お礼を言って受け取った。
パンと肉にはまだ少し温かさが残っていて、今夜も携帯食かと思っていた身にはとてもありがたい。
「エディルナはどうして宿に泊まらなかったんだ?」
火の側に三人で座り、早速、パンを口にしながら俺が聞くと、彼女は、
「わたしはもともと冒険者だから野営はそれほど苦にならないし、さすがにユディを一晩、アマンと二人だけにしておけないだろ」
俺とアグナユディテを交互に見て、笑いながらそう言った。
アグナユディテが何か言うかと思ったのに彼女が何も言い返さないので、俺が少し不貞腐れたように返す。
「俺って信用がないんだな」
グリューネヴァルトから王都までの道中はアグナユディテと二人きりだったんだ。まあ、あの時よりはましな関係を築けているとは思うけれど。
それにアグナユディテと俺が戦ったら、弓も剣も扱える彼女の方に分があると思う。
俺が強力な魔法を命中させられれば一撃で戦闘不能にすることもできるかもしれないが、どうも上手く避けられて矢で射られるか、剣を突き付けられる未来しか思い浮かばない。
初めて森で出会ったときの出来事が少しトラウマのようになっているような気がする。
「いや。アマンのことは信用しているさ。正直に言うと無口なリューリットと真面目なアンヴェルに彼と一心同体のランシム、アンヴェルよりもっと真面目なアリアと五人だけだと、ちょっとつらいかな」
どこまで本気か分からないが、エディルナは少しおどけた感じでそう返してくる。
「俺は不真面目だからな」
「いや。そんなことはないし、わたしはこのメンバーの中で一番恐ろしいのはアマンだと思っているぞ」
俺の返答にエディルナは真顔になって、思いもよらないことを言ってきた。
俺はPCではあるが大賢者の弟子というだけで、どこの馬の骨とも分からない男だし、ゲームの主人公はアンヴェルだから、そんなことを言われるとは思ってもみなかったのだ。
アンヴェルは俺とは違って、れっきとした貴族だし伝説の英雄の子孫だ。
人間は皆平等とは言うものの貴種が好きな人は多いし、ましてゲームであれば何のバックボーンもないキャラクターを主人公に選ぶ意味がない。
俺は彼女の言葉に対して、アグナユディテがまた俺のことを「ただの嘘つき」とか言ってくるかと思ったが、今夜の彼女は焚火の炎を見て、少しボーっとしているようだ。
さすがにディヤルミアの町の門で「魔族の仲間」と言われたことが少し堪えているのかもしれないなと思って、そっとしておくことにした。
俺もアグナユディテも口を開かないので、エディルナは続けて、
「つい半年前までお互いをまったく知らなかったわたしとリューリット、アリア、アンヴェル、そしてエルフのユディまで引き合わせてくれたのは全部アマンだ。
王女様の救出からここまで、リーダーはアンヴェルだけれど、さすがにアマンが果たした役割を知らない者はいないよ。
おまけにエルフ族の長は不思議な力を持っていると言っていたようだし。実はバール湖畔のフォータリフェン公爵のお屋敷で、アマンが席を外している間に公爵がアマンを評して言っていたんだ」
何だかとんでもないことになっているような気もするが、少しはここまでの俺の苦労をこの世界の人々も認識してくれているということなのだろうか。
「公爵は何と言っていたんだ?」
フォータリフェン公爵にはかなり厚かましいお願いをしてしまったから、嫌な予感もするが、話の流れではそうでもないのかなと思って俺が聞くと、
「彼は『半神』とも言うべき人ですね、とおっしゃっていたよ」
何だか凄い評価をされている気がするが、半分神様だなんて、アリアが怒らなかっただろうかとそちらの方が気になってしまう。
彼女に「あなたのHPは人間分である半分までしか回復をしません」とか言われたら、もともと魔法使いのHPは少ないのだから文字通り死活問題になってしまう。
俺がそんなことを思いながら黙っていると、エディルナは尚も話し続けた。
「それから、これはわたしが思っていることなんだけれど。アマンといると何となく、わたしの亡くなった父親を思い出すんだ。父は私と同じ冒険者だったから、姿形はアマンとは似ても似つかないんだがな。何だか同じように安心できる気がするんだ」
彼女は少し照れたようにそう言ったが、俺は、
(それって、やっぱり俺がおっさんだからか?)
そう思って少し残念な気分だった。だが、気を取り直して、
「そう言ってもらえると嬉しいな。この生活にもだいぶ慣れたけれど、冒険者としては俺はまだまだ未熟だからエディルナには教えられることも多いし。それに戦闘のときは、エディルナがいてくれるおかげで俺やアリアはとても安心できているよ」
俺がそう言うと彼女は嬉しそうに笑った。
俺は先ほどからずっと黙っているアグナユディテが気になったので、
「アグナユディテ。さすがに疲れたのかい? 先に寝てもらっていいよ」
と声を掛けると、彼女は急にそう言われて驚いたのか身体をビクッとさせて、
「いえ。いいわ。アマンが先に休んで」
そう答えて来た。俺はもともと宵っ張りで、まだそれほど眠くないので、
「いや。俺はまだいいよ。それならエディルナが先に休むか?」
彼女に向かって言うと、彼女が「じゃあ、私は先に休ませてもらおうかな」と言うより早く、
「やっぱり私が寝るわ。おやすみなさい」
アグナユディテはそう言って、何だか慌てて寝る準備をし始めた。
俺は少し驚いたが、まあ、見張りは一人いればいいし、三人になったから魔物に襲われても十分に対処できそうだ。
「それなら最初は俺が火の番をするから、次は……」
俺が言ってもアグナユディテはすでに横になって、こちらを振り向きもしない。
まだ眠っているはずはないのだがと思ったが、エディルナと目が合ったので「じゃあ。エディルナに頼むかな」と言うと、彼女もそんなアグナユディテを見て少し呆れたように、
「ああ。分かった。時間は任せるから起こしてくれ」
そう言って、寝る準備を始めた。
俺が時折パチパチと音を立てる焚火を眺め、夜空に目をやると、北の空の下に淡い月の光に照らされてぼんやりと青黒くディヤル山のシルエットが見える。
暗闇に目が慣れてくると満天の星空の下のディヤル山は、その影だけでもとても美しく感じられた。
そうしてディヤルミア郊外の夜は更けていくのだった。




