第ニ十六話 サマーニの停滞
俺たちは海峡の町、サマーニに到着した。
魔王の支配する地「カルスケイオス」に向かうには、ここでチヤナカラ海峡を渡る必要があった。
海峡は狭いところでは対岸との距離が二~三キロほどしかない。
だが、海峡の東岸のシューアギアン地方やピルト地方などから、王都クレスタンブルグなど西方の町へ、また、その逆に俺たちが通って来たパルタニア地方などから東方の町へ人や物を運ぶには、この海峡を経由するしかなく、必然的にサマーニは往来では人の肩が触れ合うと言われるほどの賑わいのある町のはずだった。
「これがサマーニのバザールかい? 噂ほどではないね」
エディルナの口から出た言葉のとおり、俺たちが到着した町は中心にあるバザールの人通りもそれ程ではなく、何となく静かな寂れた感じさえする町だった。
その理由は、対岸に運んでくれる船に乗ろうと港へ向かったときに明らかになった。
魔族の侵入を防ぐためという理由で、領主のカルロビス公の命令で往来が禁止され、連絡船が運航していなかったのだ。
ここはゲームどおりだなと俺は思った。
ゲームでは船による往来が禁止された対岸に渡るため、浮遊する力のあるマジックアイテム、「天使の羽衣」を身に着け、サマーニの海岸に建つ高い塔の上から対岸を目指して飛び出すのだ。
ゲーム画面ではふわふわと気持ちよさそうに海の上を飛び越えて対岸に着地していたが、正直、俺は高いところがあまり得意ではない。
遊園地でもジェットコースターはおろか観覧車でさえ遠慮したい方だ。まあ、そういったリア充御用達の場所は俺には縁がなかったが。
それに「天使の羽衣」を入手するのにかなり手間ひまがかかるのだ。
(たしか、この町でただひとり「天使の羽衣」織ることができる老婆を訪ねて、その材料となる「白羽草の実」を町の北の危険な魔物が生息するコランヤの谷に採りに行き、織機に据え付ける「天使の雫石」を町の南の天魔の洞窟で入手して、老婆の孫娘を隣り町まで送り届けて、最後にようやく手に入れた「天使の羽衣」を持って十二層もあるうえに魔物の巣窟になっている海岸の塔をてっぺんまで登るんだったな……)
『ドラゴン・クレスタ』をやり込んだ俺だから、こんなにスラスラ出てくるが、手順を踏むのも一苦労だ。
しかもこの間、得られるアイテムも回復ポーションくらいで強制エンカウントもやたら多く、対岸に渡るためだけにクリアすべきクエストとしてはバランスを欠いたものになっていると思う。
俺はいやだ。断固、拒否する。しかも、これほど苦労して手に入れるこのマジックアイテムは、たった一度しか使えないのだ。
予備を作ってもらえるほど材料も手に入らないし、当然、練習やお試しも不可能だ。
何かの罰ゲームでもあるまいし、いくらなんでもぶっつけ本番で空を飛ぶなんて危険すぎる!
ということで、塔から対岸を目指す案は却下して、普通に船を使うことにする。
何も言わなければ俺の中でこのような葛藤があったことを知られることもなく、皆、何とか船を雇おうとするはずだ。
サマーニは交通の要衝にあるだけに、貿易で栄える豊かな町で、王都クレスタンブルグに匹敵する人口と規模を誇っている。
そのため住民の中にさえ王都への対抗心が強く存在しているようで、領主であるカルロビス公は王命を奉じて王都から来たアンヴェルの依頼であっても、そう簡単には特例として対岸との往来を認める気はないようだ。
(ふっ。例え領主の命令があっても、上に政策あれば、下に対策ありだ。船は公式の定期連絡船だけではあるまいし……)
サマーニに到着した翌日も、アンヴェルはカルロビス公と話し合うと王宮並みの規模を誇る領主の政庁へ向かってしまったので、残された俺たちは、俺の提案でサマーニの町から少し南にある漁村に足を延ばしてみた。
漁村の小さな桟橋では、朝の漁から帰ってきたのだろう、漁師たちが船の清掃や漁具の手入れをしたりして思い思いに過ごしていた。
俺はそのうちの一人、比較的大きな船を桟橋の杭に繋いでいた漁師に声を掛けた。
「やあ。こんにちは。俺たちは王都から来た冒険者なんだが、向こう岸まで船で渡してもらえないかな?」
漁師はジロジロと俺たちを見て、
「魔法使いの旦那。サマーニの領主様から往来禁止の命令が出てるのはご存じないんですかね?」
ぶっきらぼうに言った。
「いや。その往来禁止の命令はサマーニの連絡船のことじゃないのか。実際に漁師の皆さんは、今日も漁に出ていたんでしょう?」
俺はとぼけてそう聞いてみるが、漁師は今度は俺の顔も見ずに、
「確かにあっしらは漁に出なければ食っていけないんで、そのくらいは許されてますが、向こう岸まで渡ろうなんて動きをすれば、すぐに警備の船が飛んできますぜ」
そう言っている間に船を舫い終わったのか、彼は俺たちの横をすり抜けて村へ帰って行こうとする。
「いや。なら夜の間ならどうなんだ? 夜も警備船が見回っているのか?」
俺が問いかけると、漁師はくるりと俺の方を振り返り、
「魔法使いの旦那。このチヤナカラ海峡は、北のマーラ海と南のアギアン海からの流れが激しくぶつかる場所だぜ。潮目になってて最高の漁場だが、海の難所でもあるんだ。いくら腕のいい漁師だって岸に近い場所ならいざしらず、夜中に向こう岸まで渡ろうとは思わねえよ」
面倒そうに答えた。それを聞いたエディルナが、
「でも、いくら難所だと言ったって、たまには海が静かになることはないのかい?」
と助け船を出してくれる。
「おっ。お嬢さん。勘がいいね。確かに月に二回、満月と新月の日の真夜中のほんの短い時間だけ、このチヤナカラ海峡が湖みたいに静かになっちまうんだ。
だが、ご愁傷様。不思議と風もなくなっちまうんで帆走はできねえし、あの程度の時間じゃあガレー船の全速だって、向こう岸にはたどり着けませんぜ」
漁師がそう言うのを聞いて、俺はその時間を利用するしかないなと思った。
「次の満月か新月って、いつなんだ?」
俺が漁師に詰め寄ると、その勢いに驚いたのか、彼が慌てて空を指差した。
俺が空を見上げると、そこには半月よりも少し欠けた月が白っぽく光っていた。
「まあ、あと五日後というところだな」
月を見てリューリットがそうつぶやく。どうやら月の満ち欠けは俺の前世と変わらないようだ。
俺は漁師に五日後の夜に、俺たちを乗せて船を出してほしいとお願いした。
「いえ。海峡はすぐに元の荒れた姿に戻っちまいますし、無駄ですからやりたくありませんな」
彼はそう言って、ずっと難色を示していた。
「いや。たとえ無駄になっても金貨を三枚出すぞ。それでも出してくれないのか」
だか、俺がさらにお願いすると、内心はどうか分からないが渋々といった様子で「そこまでおっしゃるなら、出すだけ出してみましょうかね」と言ってくれた。
俺たちが漁村から宿に戻ると、程なくアンヴェルも政庁から帰って来た。
「首尾はどうだった?」
エディルナが聞くとアンヴェルは苦虫を嚙み潰したような顔で、椅子にどっかりと腰を下ろし、
「いや。あれほど話の分からない人だとは思いもしなかった。僕は王命を受けて魔王討伐に向かっていると言っているのに、例外は認められないと言うばかりで呆れたよ。彼は今日はこの後、公務があると言うから、明日、また来ると言って引き上げてきたんだ」
そう言って少し疲れた表情を見せた。
「私たちは近くの漁村に当りを付けてみました。漁師の一人が五日後の新月の夜、船を出してくれる手筈になっています」
俺の報告に、だがアンヴェルはまた不愉快そうな顔になって、
「いや。僕たちはいやしくも王命を奉じてこの地に来ているのだ。カルロビス公が折れるべきで、夜中にこそこそと対岸へ渡るなどもっての外だ。僕が明日もう一度行って公を説得するから余計なことはしなくていい」
そう言って、あくまでカルロビス公を説得すると息巻いている。
せめて近隣でレベル上げをするとでも言うのなら、この町に滞在し続けてもいいのだが、毎日、領主のカルロビス公の説得をしたところで、相手は所詮NPCなのだから同じ言葉を繰り返すだけで態度を変える事はないのだ。
アンヴェルは「少し休む」と言って自分の部屋へ行ってしまい、残された俺たちの間にも重苦しい空気が流れている。
「困ったな。ああなるとアンヴェルは頑固だし。五日後を逃すと次のチャンスはさらに半月先になってしまう」
本当は別の方法があることはおくびにも出さず、俺がそう皆に聞かせるとはなしに言うと、
「では、私がアンヴェルを説得してみましょう」
そう言ってくれたのはアリアだった。
(今日は本当に疲れたな。カルロビスの奴、僕のことを一介の近衛騎士風情がと馬鹿にしているんだろうな。失礼な男だ)
僕が礼装から普段着に着替え、部屋で休んでいると、コンコンと扉が叩かれた。
「私、アリアです。アンヴェル。起きていますか?」
てっきり、またアマンが僕を説得しに来たのかと思ったが、どうやら違ったようだ。
扉を開けて彼女を部屋に迎え入れると、僕は彼女に椅子に座るよう勧めた。
だが、彼女はやんわりとそれを断ると、静かな、しかししっかりとした声で僕に言った。
「アンヴェル……対岸へ早く渡りましょう。神もそうお望みのはずです」
僕は何を分かり切ったことをと思ったが、彼女は軽々しく神の名を口にするような人ではない。
「僕もそうありたいと思っている。だから明日、もう一度カルロビス公を説得しに政庁へ行くつもりだ」
そう僕が答えると、彼女は少し悲しそうな顔でゆっくりと首を振って言った。
「いえ。カルロビス公を説き伏せることは難しいでしょう。明日からはお会いいただけるかどうかさえ危ういと思います」
僕は驚いて彼女の顔を見た。
「彼に。アマンにそう言えと言われたのか?」
すると彼女は目を閉じ、また頭を振って、
「いいえ。いやしくも神の御名を出す以上、誰かから命ぜられたからとか、そのようなことはありません。私自身が神がそうお望みだと思って申し上げているのです」
そして薄っすらと目を開け、少し顔を上げて、
「ですが彼はこの町に着いてから、まるで待っていても連絡船が出ることはないと言うかのように、すぐに漁船の手配を始めています。
エルフの長は彼には不思議な力があると言ったようですが、私もそれが何かは分かりませんが人ならぬものを彼から感じています。アンヴェル。あなたもそう思いませんか」
確かに彼はミセラーナ王女の捜索のときも、はじまりの迷宮でも、エルクサンブルクでも不自然なほど落ち着いていた。
魔法使いはそういうものなのかとも思ったが、そもそも僕と初めて会った時もそうだ。初対面のはずなのに真っ直ぐに僕を目掛けてやって来た。
僕がそう考えていると彼女は、
「アマンのことは別にしても、今、あなたはカルロビス公を王命だからと自分に従わせようとし、公はあなたを自分の出した禁令に従わせようとしています。
ですが魔王討伐には、すべての神の枝に繋がる人々の生命と幸福が掛かっているのです。これは神がお命じになられたこと。私はそう信じています」
僕の心の迷いを見透かしたかのように、彼女は話を続ける。
「昔、暴王ニェーラが信徒たちを迫害したとき、聖スタフィリウスは王命ではなく神の言葉に従い、信徒たちを導きました。
ですから私は、神のお望みになることを為そうと賢者アマンが用意をしてくれた船に乗って対岸へ参りたいのです。本当に大切な物はなにかを考えれば、答えは自ずと出るはずです」
彼女が顔を上げ僕の方に向き直った。水色の瞳が僕を見据え、心の奥底まで照らし出されているような気分がする。
「もし、それでも神がお赦しにならないとお思いになるのなら、私があなたの分も罰を受けましょう。あなたに神の赦しがあるようにお祈りもいたしましょう。それでもあなたにはカルロビス公の許可の方が大事なのでしょうか」
彼女の口調はずっと穏やかなままなのだが、僕は全知の神が行う裁きの場に自分が引き出されているような気がしていた。
「私がお伝えしたいことはそれだけです。あなたに神のお恵みがありますように」
そう言って僕に向かって頭を下げると、アリアは部屋から出て行ってしまった。
翌朝、俺たちが朝食をとっていると、少し遅れてその席に現れたアンヴェルは俺たちに向かって、
「昨日はすまなかった。あれから考えたんだが、アマンが手配してくれた漁船を使ってみようと思う。出発は四日後になるのかな?」
そう憑き物の落ちたような顔で言うと、席について朝食をとりだした。
俺がアリアを見ると彼女は一瞬、俺と目を合わせ、微笑みを浮かべると、そのまま何事もなかったかのように食事を続けている。
俺の頭の中にはアリアの水色の瞳からとめどなく水が溢れだし、アンヴェルがその水色の洪水に溺れさせられてしまうイメージが湧いてきた。
俺たちの中で一番怖いのはやっぱり彼女かも。そんな気がした。




