第十九話 バール湖畔の公爵屋敷
「せっかくここまで来たんだから、もう少し北に足を延ばしてバール湖を拝んでいかないか?」
エルクサンブルクの町を出て、街道を南に戻ろうとするパーティーの皆に向かって、俺はそう提案した。
「これ以上、北へ向かって大丈夫なのですか?」
アリアがアンヴェルの顔を見て、そう問いかける。
これから先、道を急げばいいという訳ではない。上手に戦力の強化を図っていかないと、どこかで詰んでしまいかねない。
そういう意味でバール湖は格好の行先だった。
決して俺が美しい湖を眺めてのんびりしたい訳ではない。本当だ。
「北の街道を通れば、この道を戻るのとそれほど時間は変わらないだろう。いいんじゃないか。アンデッドとの戦闘はかなり大変だったからな」
アンヴェルもそう言って賛成してくれる。
まあ、親戚の領地のごたごたが片づいて、少しは気持ちに余裕もあるのだろう。
俺たちは街道を北に、一路バール湖を目指し出発した。
エルルム山脈に抱かれたバール湖は王国一の景勝地として名高い。
遠く雪を頂く山並みを背景に、湖畔に様々な花が咲く美しい春は言うに及ばず、高地にあるため緑の美しい夏も比較的過ごしやすく、色づいた木々の葉が水面に輝く秋も風情があり、一面、白銀の世界となる冬も、凍り付いた湖面で様々なレジャーを楽しむことができた。
俺たちが峠を越え、視界の端に青い湖面が木々の間からチラと見えたときだった。
街道の向こうから馬に乗り、身なりの整った男性が俺たちに近づいてきた。
「そこにいらっしゃるのは王命を受けられたシュタウリンゲン卿のご一行ではありませんか?」
馬に乗った男はそう問いかけてきた。
「いかにも。私は騎士のシュタウリンゲンだが」
アンヴェルがそう答えると男はひらりと馬から降り、恭しく礼をしてアンヴェルに語り掛ける。
「シュタウリンゲン卿。お目に掛かれて光栄でございます。私はフォータリフェン公爵の家臣のエルドゥブランと申します」
そう言ってまた軽く礼をする。公爵ともなれば、その家臣でさえ所作も優雅なようだ。
「わが主は重要な王命を受けられたシュタウリンゲン卿に、バール湖畔の当家の別邸へお越しいただき、少しでも旅の疲れを癒していただければと申しております。よろしければ私がご案内いたします」
アンヴェルが「では、お世話を掛けるがよろしく頼む」と言うのを聞きながら、俺は今回は順調だなと思っていた。
毎回、俺がクエストをお膳立てしたりパーティーメンバーの分まで動いたりと、ここまで結構大変だったのだ。
たまには向こうからやってきてくれれば、俺も楽ができるというものだ。
俺たちを屋敷に招待してくれたフォータリフェン公爵は、若いころからその聡明さと誠実な人柄で知られ、王宮にあっては王の信頼も厚い大貴族だ。
「フォータリフェン公爵は客を愛し、高位の貴族でありながら人の言葉にも謙虚に耳を傾ける、貴族にありがちな傲慢さとは無縁な人物です」
「公爵の指導で始まった織物の生産は、彼の領地の名産品としてすでにかなり有名なものになっていて、それもあって彼の領地は豊かで、領民にも慕われているようだよ」
「フォータリフェン公爵は貨殖の道にも秀で、噂では爵位を継いでから二十数年の間に、公爵家の資産を数十倍にも殖やしたらしいわ」
「公爵は豊かな資金を王都の貧民の救済や学問や芸術の振興に惜しげもなく投じたから、庶民からの人気も高いんだよ。庶民だけでなく、多くの貴族たちからも敬仰される存在だね」
ゲームでは王都やアシオンなどいくつかの町で彼の噂を聞くことになるのだが、いずれも彼を称賛するセリフばかりで、いったいどんな立派な人物だろうと思わされた。
だが、彼は自ら興した事業と王都の屋敷を早々に嫡男に譲り、バール湖畔の別邸に居を構えて悠々自適の生活を送っているのだ。
そんな彼の唯一の趣味が刀剣の蒐集で、バール湖畔の彼の屋敷には、王家が所有する物に勝るとも劣らぬ古今の名剣が保存されていると言われているのだから、彼の下を訪れることがパーティーによい効果を生むことは明白だ。
俺たちはエルドゥブラン氏の案内でバール湖畔へ向かい、湖の南側、湖面に北のエルルム山脈の山並みが映える一等地の、ひときわ広大な敷地に建つ見事な屋敷に到着した。
そこがフォータリフェン公爵の別邸だった。
俺たちが案内された部屋でくつろいでいると、それほど間を置かず奥の扉が開き、背の高い中年の男性が現れた。
流れるようなストロベリーブロンドの髪とダークグレーの瞳が印象的だ。
「皆さん。ようこそわが家へ。私がこの屋敷の主のマンフレッド・フォータリフェンです」
そう言ってあいさつをしてきた彼がフォータリフェン公爵その人だった。
「これは、閣下自らお越しくださるとは恐縮です」
アンヴェルが慌ててあいさつを返すが、公爵は笑いながら、
「いや。閣下は勘弁してもらいたいな。ここは王都ではないし、皆さんを私の別邸に私的にお招きしたのだから、楽にしてもらえると嬉しいのです」
そう言うと彼は少し真顔になり、
「しかも今回のシュタウリンゲン卿のお役目の重要さは、私も理解しているつもりです。こんな屋敷でよければ時間の許す限り滞在して英気を養ってもらいたいし、他に私にできることがあれば何なりとさせてもらうつもりだよ」
そう言って、彼は俺たちに再び笑顔を見せた。
「では、お言葉に甘えて公爵様にお願いがございます。私どもに公爵様が所有される剣をお貸しいただきたいのですが」
俺が唐突にそう声を上げると、皆がびっくりしたように俺を見た。
だが、フォータリフェン公爵は特に驚いた様子も見せず、俺に話しかけてきた。
「君はもしや噂の大賢者の後継者かな?」
だいぶ話が大きくなっているような気がするが、とりあえず改めてあいさつをする。
「不躾なお願い失礼いたしました。トゥルタークの教えを受けた魔法使いのアスマット・アマンと申します」
「ほう。やはり君がそうか。それで君はこの屋敷にある剣の価値を知っているのかな?」
ゲームでは売買できる品物ではないので金貨何枚分などという値段は分からないが、その威力は俺は良く知っているつもりだ。
「国の宝。いえ、人類の宝ともいうべき剣だということは分かっているつもりです。
ですがシュタウリンゲン卿は王命を受け、魔王を討伐に向かっているところです。卿が魔王を討伐すれば、剣を貸し与えた公爵様の功績は輝けるものとなるでしょう。
一方、卿がもし魔王を倒すことに失敗するようなことがあれば世界は魔族のものとなり、ここにある剣も支配者となった魔族のものとされることでしょう。
ですからなにとぞシュタウリンゲン卿の魔王討伐にご協力いただきたいのです」
俺がそう言うと、公爵は感心したような表情をしていたが、
「なるほどね。だが、私も公爵家の当主。貸与などと未練がましいことはしたくない。それに君たちが魔王討伐に成功すれば、剣は褒美として与えるべきだということになるだろうし、逆に失敗すれば、剣はその場で魔族の手に渡り私に返却するどころではないだろう」
と、さすがに痛いところを突いてくる。
俺もそれは分かっていたが、いきなり「剣をください」はないなと思って、貸してくれと言ったのだ。結局、また俺がひとりで働いているような気がするが。
公爵は少し考えていたが、やがて俺たちに向かってこう言った。
「いきなり現れた君たちに大切な剣をおいそれとは渡せないな。先ほどアマン君が言ったように、ここにある剣は私の宝物でもあるが、同時に世界の宝でもあると思っているのだよ。
そこで君たちが剣を託すに値するかどうか見極めさせてほしい。この湖から西へ向かった先にトゥーズ湖という湖がある。そこに巣くうドラゴンを倒したら、どれでも望みの剣を贈呈しよう。
ドラゴンスレイヤーとあらば、私から剣を受け取っても誰もが納得するだろう。君たちの後、剣が欲しいという冒険者が続々と現れても困るのでね」
ドラゴンと聞いてエディルナは驚いていたが、リューリットは当然、目を輝かせていた。
どちらがより厄介かは敢えて言うまい。
少し早いが、夕日に照らされる山の頂を眺めながら夕食を始めようと誘われ、俺たちは開放的な回廊に設けられたダイニングテーブルで、そろって夕食をとることになった。
敷地が広いこともあるが、おそらく熟練の庭師が木々を絶妙な位置に植えているのだろう。
屋敷からは他の建物がほとんど目に入らず、美しい湖と山々の自然な姿を満喫することができる。
「本当に素晴らしい景色だな。それに食事も素晴らしいし。アマンの依頼を受けて良かったよ」
エディルナはとりあえずドラゴンのことは忘れることにしたのか、しきりにこの屋敷を褒め称えていた。
「わがシュタウリンゲン家も、私の七代前の当主まで、この地に別邸を持っていたはずなんだ。こんなに素晴らしい湖の別邸を人の手に渡すことになってしまったのは、返すがえすも残念だ」
あまりにエディルナが褒めるのが気に障ったのか、半ば負け惜しみのようなアンヴェルの言葉をニコニコと笑ってスルーしてくれるのが、フォータリフェン公爵の器の大きさかもしれない。
そう言えばエルフであるアグナユディテのことも何も言わず、俺たちと同様に扱ってくれている。
「さすがは王国でも指折りの大資産家という噂の公爵のお屋敷ですね」
そういった話題からはもっとも縁遠いように思われるアリアがそう言うくらいだから、フォータリフェン公爵の噂は大したものなのだろう。
「せっかくの機会なので、どうやったらそんな富を得ることができるのか、是非お聞きしたいな」
エディルナの言葉にアンヴェルが失礼ではないかと思ったのか、少し眉をひそめるが、公爵は特に気にするでもなく答えてくれる。
「人の噂など尾ひれがつくものだから、わが家の資産など何ほどのものでもないよ。私などが富を得る方法を語るなどおこがましいが……。
そうだな。人生の先輩として若い君たちにアドバイスできることがあるとすれば、まずは嘘をつかないことかな。人の信頼ほど貴いものは少ないからね」
アグナユディテが「嘘」という単語に反応し、俺の顔を見て小さく頷いている。
俺はそれより「人生の先輩」という言葉に突っ込みを入れたくなったが、まあ、この世界では確かにそうだ。
「だが、人の信頼だけで富を得ることが難しいのも事実だ。だから嘘はいけないが、真実をすべて公にする必要もない。
人が知らないことを知っているということはとても重要なことだ。私は貴族だったから、その点ではかなり有利だった。私がいくつかの事業を起こせたのもそのおかげかな」
「ですがそうすると相手が結果的に騙されたと思って、恨みややっかみを買うことになりませんか?」
真面目なアンヴェルが少し不服そうにそう聞くが、フォータリフェン公爵は、
「だからそうやって生まれた果実を独占しないことも大切かもしれないね。相手にも充分に報い、一部は世の中に還元する。まあ、私を恨んでいる者も少なくないかもしれないがね」
苦笑しながら言葉を返す。
こうやって自信を持って持論を展開できるかどうかが、貴種に生まれた彼と、俺の一番の違いかもしれないなと俺は思った。
同じ内容のことを俺が言っても、きっと卑怯未練な感じが漂うだけになりそうな気がする。
「いえ、そんな。フォータリフェン公爵を恨んでいる人なんて聞いたことがありませんし、王都でそんなことを言えば袋叩きですよ」
アンヴェルも答えに納得したのか、それとも公爵の話術に煙に巻かれたのか定かではないが、そう言って矛を収めていた。
「ありがとう。まあ、私が王都を訪れることはもう滅多にないがね。今はここでこうして、昼は湖と雪を頂く山々を眺め、夜は剣の輝きを愛でながらゆっくりと過ごすのが一番だ」
公爵の言葉を聞きながら、これこそ夢のアーリー・リタイアメントだよなと、俺は思っていた。




