第五話-2
その時、奇妙に生暖かい風が吹いた。
ん?季節的に生暖かいって妙だな。それに後ろ、いやに大人しいな。
本気は後ろを振り返ると、アリアは目の焦点が合わずに棒立ちになっている。
幻覚でも見ているのか。どうしよう。
アリアが正気を保っていても役に立つとは限らないが、今の本気ではそのアリアより役に立たない恐れがある。
「しっかりしろ」
本気はアリアの両肩を掴むと、かなり強く揺さぶる。
それに合わせてアリアの金色の頭が面白い様に揺れるが、アリアの意識は戻らない。
「放っておけば?」
鳥肌が立つような艶かしい声が、本気に向かって投げかけられる。
「本当に抗魔力がかなり高いみたいね。私の仕込んだ幻覚が効かないなんてね」
本気は屋上へ行くと、意外な光景が待っていた。
屋上にある給水タンクに持たれる様に座っているのは、確かに淫子だった。
ピンクの髪と背中が大きく避けた制服姿。右手に銀の腕輪も付けられている。今は硬く目を閉じ、まったく動く気配が無い。
その前に立ち、本気に話しかけてきたのは、淫子と同じピンクの髪を持つ女だった。
見た目には淫子によく似ているが、蠱惑的な表情からは悪意が見て取れる。また淫子と違い、黒い角と翼、さらに同色の尻尾まで生えている。服装も露出度の高い黒い何かを身にまとっている。
服でも鎧でもない、蠢く闇というべき何かは、彼女の動きに合わせて形状を変えている。
淫子と同じ様なムッチリボディなので、たまらなくエロいのだがソレをじっくり見てる余裕は無い。
「サキュバス、か。初めて見たよ」
「ええ、そうでしょうね。私自身も、こんな形で召喚されるとは思わなかったわ」
召喚された?どう言う事だ?
「あの入れ物には、随分と思い入れがあるみたいね。それともフォックスとか言う奴がまた何かやってるのか」
サキュバスは本気から目をそらすと、校門の方を見る。
その時、本気の携帯に着信が入った。
『明日唐君、矢追だけど、今大丈夫かい?』
「目の前にサキュバスがいますけど」
『と、いう事は何とか成功したみたいだね。あとはソレを祓えば淫子ちゃんば無事のはずだから、アリアさんと協力して祓ってくれると解決だよ』
「それは難しいですね。アリアは幻覚を見せられているみたいです。異界門っていう奴はダメなんですか?」
『異界門だと淫子ちゃんとかにも影響を及ぼすらしいから、異界門は使えないんだ。というより僕が使わない様にお願いしたんだ。じゃあ、僕とメッサーさんもそっちに向かうから、それまで場を持たせてくれないか?』
「できるだけ早くお願いします」
本気はそう言うと、サキュバスの方を見る。
サキュバスはニヤリといやらしい笑顔を浮かべると、本気の方を見る。
「どうやら、私には美味しくない話みたいね。でも、ここで貴方達や悪魔祓い、フォックスとやらを蹴散らしたら、私も行動の自由を得られるというわけね」
と言う事は、今は行動の自由が無いという事か。そうだよな、行動の自由があれば、翼を持っているのだから学校にこだわる必要は無いんだ。それでもここにいるという事は、それが出来ないと言う事だな。
本気はそう分析するが、それは今の本気の立場を良くする情報では無い。
疲労感があまりに強く、万全には程遠いがそれでもドレイン効果を受けた直後と比べるとかなりマシになった。
ただ、場を持たせるといってもどうすれば良いか。
「最初の障害は貴方みたいね。見たところ残りカスみたいだけど、それでも無いよりマシね。入れ物の方に力が流れる様になっているみたいだし、下でも苦戦してるみたいだし、力は有るに越したことはないわね」
下で苦戦?ああ、先輩達か。デメキン、役に立ってるのかな?
本気は杖替わりにしていた長柄の箒を構える。
「あら、やる気なのかしら?どうせならそんな野蛮な事で勝負じゃなくて、もっと『イイコト』で勝負しない?」
サキュバスはそう言いながらも、何故か本気を警戒して不用意には近付いてこない。
「それだと勝ち目が無さそうだからね」
「ヤッてみないとわからないわよ?」
サキュバスの体をにまとわりついている蠢く闇の一部が、サキュバスの右手に集まっていく。そのせいでさらに露出度は高まるのだが、それに見とれるにはあまりにも不吉な雰囲気が強過ぎる。
「一つ聞きたい」
「何かしら?貴方は私好みだから、大体の事には答えてあげるわよ」
先輩みたいな事言ってるな。
「そちらはインコちゃんとは別の存在なんだな?」
「ええ、一緒にされるのも不愉快よ。あんなデタラメな何かと違って、私は本物の淫魔よ。何なら、貴方が私を使役してみる?私を使役出来れば、どんな事にでも従ってあげるわよ」
「俺の手には余るから、止めとくよ」
「それは残念」
サキュバスはそう言って笑うと、本気に襲いかかってくる。
強烈なプレッシャーの塊であるサキュバスは、本気に右手を向けてきた時、本気は転がる様にして屋上を移動する。
サキュバスの右手に集まっていた蠢く闇が槍の様に伸びるが、本気はそれをかわすと体勢を立て直す。
入口近辺は狭く、こちらが長柄の箒が武器であることや棒立ちのアリアもいるので、戦闘行為には向いていない。
屋上の転落防止のフェンスの近くは広いのだが、追い詰められている雰囲気はいただけない。
が、ここはそんな事を言っていられない。転がる動きは見た目には悪いが、その動きを正確に狙うのは難しいものだ。今の本気には見た目を気にしている余裕は無いので、見た目には悪いといっても攻撃を避け続ける。
「時間稼ぎかしら?カッコ悪いわね」
「なんとでも言ってくれ。俺にはそれくらいしか出来ないんだから」
箒を杖替わりにしないと動く事も厳しいが、今は命の危険を正確に理解できている。
「でも、こんな程度に手こずって人数が増えるのも面倒そうね。さっさと終わらせるとしましょうか。命乞いでもしてみる?」
「そうだな、効果があればやってみてもいいけど」
「やめときましょうか。時間も無さそうだし」
サキュバスは右手を屋上の床に付けると、蠢く闇がサキュバスの右手を離れ、足元を闇色に染めていく。
あからさまに怪しいな、どうしよう。
「先輩、こっちに」
弱々しい声ではあるが、淫子が本気を呼ぶ。
「インコちゃん、無事か?」
「先輩、急いで」
淫子は立ち上がる事も出来ないようだが、本気を呼ぶ。
「そこの、給水タンクに足をかけて下さい。アレは私には効きませんし、上には無力なはずです」
「チッ、入れ物の分際で!」
サキュバスが対策されたと知ると立ち上がり、淫子を狙ってくる。
蠢く闇が足元に来ないのならと、本気も降りて淫子の前に立ってサキュバスを迎え撃つ。
「先輩」
「心配しないでいい。もうすぐ先生達も来てくれる」
「マスターが?」
「ああ、もう少しの辛抱だ」
「私がそれを待つとでも思っているの?」
サキュバスが右手を伸ばしてくるが、本気は長柄の箒で払いのける。
さらに胸や肩、腹などを狙って箒を突いて距離を離していく。
「先輩、大丈夫ですか?」
「今のところは」
弱々しい淫子の姿は、本気の記憶を刺激する。
そうだ。俺の知っている人は、先輩とか竹取さんみたいに元気な人じゃなかった。白い服と白い肌、体の弱い人で、でも笑顔だった。
「カスどもが、意地でも見せているつもりか?」
「カスにはカスの意地があるからな。しっかり見てもらおうか」
本気は強がっているが、すでに息が上がり、箒を相手に向けるためその高さまで持ち上げる事すらも難しくなっていた。
悪魔祓いは何をやってるんだ?
本気はそう思って屋上の入口を見るが、アリアはまだ棒立ちになっている。
ダメだ。本格的に何しに来たんだ、アイツは。
サキュバスも用心しているのか動こうとしない中、本気はふと妙な事に気付いた。
なんでサキュバスは動こうとしないんだ?それに、入口にトラップを仕掛けていたのなら、俺もアリアと同じように棒立ちになっていたはずじゃないのか?サキュバスは俺がトラップにかからなかったとも言っていたが、なんでそんな回りくどいトラップを?屋上への入口は一ヶ所しかない事を考えても、もっと直接的なモノの方が良かったんじゃないか?それとも時間を稼ぐ事が最優先事項だったのか?でも何のために?
そう思うが、サキュバスは本気に対して攻撃の意思ははっきりと見せている。
実際に蠢く闇を使った攻撃を本気に対しては仕掛けてきていたし、今も淫子に対して攻撃しようとしていた。
が、ここへ来て攻撃に積極性が無くなっている。
様子を見ているので、攻撃の意思が無くなったわけではないのはわかる。だが、攻撃の為のポジションが悪いのか、間合いを詰めようとはしない。
可能性で言えば、インコちゃんか。
本気はサキュバスの方を見ながら、そう考えた。
今の立ち位置で蠢く闇を槍状にして攻撃してくると、本気が避けた場合には淫子に当たる可能性が低くない。蠢く闇での攻撃ではなく自らの手足を武器とする場合には、いかに消耗しているとはいえ長柄の箒を持つ本気の方がリーチが長く、よほど頑強でない限りダメージは無視できないものになる。
と、いう事であってるのかな?メッサーさんがいれば心強かったのに。
本気の質問に答えられそうな人物も近くにいないわけではないのだが、アリアはまだ幻覚に捕らわれたままである。
さっきは箒で追い払えたから、きっと大丈夫だろう。
「気に入らない目ね。まるで見下されている気分だわ」
その言葉は決意の言葉だったのか、サキュバスが動く。
動きは目を見張るほど早い、というわけではない。運動神経が良さそうだった淫子と比べると、どちらかといえば遅い方だったが、本気も万全ではないので慌てた様に箒の柄をサキュバスに突き出す。
狙うのは肩。上手く突く事が出来ればダメージはそう大きくなくても、体勢は大きく崩す事になる。また、相手がこの世ならざるものとわかっていても、露出度が高く表情は挑発的とはいえ、見た目には淫子と大差無い。
それに攻撃する事に対する引け目もあった。
これがアリアやかすみであったら、ここまで苦悩する事も無かったかもしれない。
「甘いわね、やっぱりカスだわ」
サキュバスは本気の狙いがわかったのか、伏せるように本気の攻撃を避けると、右手の蠢く闇を伸ばして本気の右足に絡める。
まずい、と思った時には蠢く闇が本気の右足を引っぱる。
そのままもぎ取られたり、握りつぶされたりしないだけマシだったが、それでも本気は大きく体勢を崩していた。
本気は思わず箒を杖代わりにして体を支えるが、サキュバスはその間に側面へ回りこむ。
側面からの攻撃であれば本気に対する攻撃も淫子には当たらない。
サキュバスは本気に攻撃する事よりも、自身が攻撃に対して有利な位置に移動する事を最優先に考えていた。




