13話 夜に隠したい真実
カーテンを閉め切っている窓の隙間からじんわり夜の匂いが忍び込むと、輝は越野の後ろ髪を軽く結んだ。えんじ色の浴衣は焦げ茶色の越野の髪と相まって馴染んで見える。
「何で結うんだよ、短けぇのに」
「結った方が可愛いだろ、それに」
輝は後ろからそっと越野の首に触れる。
「うなじも見えるし」
首筋をなぞる指に、反応し、浴衣の襟元を両手で立てる。
「ばっ、何触ってんだよ」
「一留ってさ、元々色白だけど、うなじは特別白いよな」
「ったりめーだろ。そんな日に焼けるほど外に出ねーんだから」
「デスクワークが中心なんだ。だから太ったの?」
そう言って越野の腰回りについた贅肉を摘まむ。
「……おい、何かさっきからやたら手が早くねぇか」
越野は振り返り、贅肉を揉む手を止めない輝の額を軽く叩くと、その手を握られ、慌て、体勢を崩し、床に逆の手をつく。輝の手は越野の体を融かすほど熱かった。
「早くしないと、今彼さんに奪われちゃうでしょ」
間近でまっすぐ見つめられると気圧され、体をのけぞらせる。
圧に負けないように視線を逸らすと、唾を吐くように唇を開いた。
「……今彼じゃねぇし、浮気じゃねーよ」
「こないだ彼氏って言ってたじゃん」
「はぁ……じゃあなんでお前は彼氏持ちの男に迫ってんだよ……」
「なんか、一留の表情が楽しくなさそうだったから、入る隙間ありそうだなって」
「入る隙間、って……」
越野は掴まれた手を下ろし、体を起こした。
こいつにはそう見えていたのか、と思うと途端に悲しくなる。
「入る隙間なんかねーから……離せよ」
「でも家に入れてくれたじゃん」
「それは!……普通に、友達だし……」
「俺のこと友達だと思ってんの?」
「ったりめーだろ。……一応な」
不貞腐れた表情をしていると、眉間にデコピンされ、目を閉じる。
「皺寄ってんぞ」
「っ、別にいいだろ」
そう言って眉間をこする。すると輝は越野のもみあげを耳にかけ、ヘアピンで止めた。
「俺は友達だなんて、思ってないけど」
お前……と言いかけたところで「さぁてそろそろ出ようぜ」と輝は立ち上がり、越野に手を伸ばす。
越野はその手を取ろうと伸ばして、すぐさまベッドに手をついて腰を上げた。
「素直じゃないんだから」と苦笑いする輝の眉間にデコピンすると「子ども扱いしやがって」と浴衣に制限された足で輝の太ももを蹴った。
アパートを出ると、外はもうすでに夜が立ち込めていた。夕日は残り香だけを残し、体にまとわりつく湿度が生ぬるかった。
「結構人いるじゃん」
「……田舎は娯楽が少ないからな」
「そんなことないだろ、山もあるし、川もあるし」
「はぁ……都会帰りはいいよな、そんなんで楽しめて」
越野が何気なく言った言葉に、輝はむっとしたのか、越野の首の後ろを掴んで見せる。
「おま、なにすんだよ」
「ほら、やるだろ、子猫を掴むやつ」
「俺は子猫じゃねぇし」
輝に掴まれた首をさすると、早くなっている鼓動に気付き、唇を尖らせる。
まだ夜が浅くてよかった。目が夜に慣れていないから。
立ち並ぶ屋台を見ながら、輝は目を輝かせる。
「俺イカ焼き食べたい!一留は!?」
「ちょっと待って……ああ、花火上がるまで1時間あるし、広場でゆっくり食うか」
腕時計で時間を確認すると、輝が覗き込んでくる。
「な、何だよ」
「腕時計ってなんか、社会人って感じする」
「別に普通だろ」
「いや、周りはスマートウォッチつけてるから、普通の腕時計ってあんま見ないし」
「……あー、はいはい。どうせ俺は古臭い人間ですよ、っと」
腕時計を浴衣の袖に隠すと「いや、そういう意味じゃなくて」と取り繕うも、越野は先に屋台の人ごみに入っていき、たこ焼きの屋台で注文を始めた。
「別に……そんなんじゃないのに」
輝の小さな呟きが雑踏に消えた。
越野はたこ焼き、輝はイカ焼きを買い、広場に設置されたビールの空き箱で作られたテーブルに置く。
「ビール飲むか?」
「いや、俺飲めない」
「はぁ?居酒屋でバイトしてんのに飲めねーとかマジかよ!」
「仕方ないだろ。体質なんだから」
「飲まされたらどうすんだよ、客とかにさ!」
先ほどから聞こえる、輝の容姿に浮き立つ女子の声を潰すようにわざと大きく声を上げる。
にしてももう少し可愛い内容にできない者か、と自分の不器用さに辟易とする。
「飲みたきゃ買って来ればいいじゃん」
「は?お前一人にしたら逆ナンに……」
越野は慌てて口を塞ぐ。
輝は目を丸くして、暗闇でもわかる越野の赤面した頬をじっと見ていた。
「へー、なるほど、なんかさっきからやけにムキになってると思ったら」
頬杖をつき、越野をなめるように見る輝に、越野は熱々のたこ焼きを唇に突き出す、
「あっつ!」
「食えよ!」
越野がそういうと、輝は口を開き、たこ焼きを口に入れる。
口を空に向かって開き、冷ましている様子は傑作で、湯気が見えないのが残念だった。
食べ終わり、殻をごみ箱に捨てると、空に輝く月を見上げた。
「今日暑かったもんな」
「すっげー綺麗」
「月がきれいなのも田舎の特権かもな」
「うーん、月はそんなに変わらないかな、星はこっちのがきれいだけど」
「……なんだよそれ、損する情報だな」
越野は脱力すると、体を少しふらつかせる。すると輝は越野の肩を抱き、自分の身へ寄せた。
辺りは人ごみに溢れており、視線は天を向いている。
越野は状況に甘えて、輝の肩に頭を寄せる。輝も頭を寄せ、二人の髪が重なり合った。
「どこで見る?」
「土手でいいよ、あ、ごめん、浴衣汚しちゃう、か」
「別にいいよ、どこにしよっか」
「やっぱあのVIP席みたいな特ステージの近くが一番綺麗だし音響もいいんじゃね?」
土手の下にある、簡易的に作られた特設ステージの上には家族が目立つ。そういえば自分も小さい頃、あのステージで見たことがあったっけな、と思った、その時だった。
「あっ……」
越野の足が止まる。
「どうした?」
視線が特設ステージに固定される。狭いステージの中、数組の家族が和気あいあいとオードブルなどを囲み、楽し気に空を見上げ、花火を今か今かと待ち望んでいる。
その中に、見知った人の見慣れぬ笑顔を見つけてしまった。
「あれ……もしかして、あの人……」
輝も気づいた瞬間、越野は輝の腕を振り切り、土手道を逆走する。
「一留!?どうしたんだよいきなり」
わかっていた、蓬田が既婚者であることなど。家族仲が悪いなんてお得意の嘘だと。
「一留!」
輝に手を掴まれ、反動で後ろに倒れる越野の体を、輝の胸が支える。
越野が反発するよりも先に、太い腕で腰を押さえられた。
「……お前も見たんだろ」
「うん……一留、もしかして知ってたの」
何も言えなかった。知らなかったといえば、被害者面出来たのだろうが、そんな器用な真似、越野には出来ない。
しかし、知っていたとは言えない。自分が不倫していたことを、輝に知られたくなかった。
花火が点火し、空に昇っていくか細い音が聞こえる。
「一留!」
音に見とれ、河原から空へ視線を移す越野の顔を、輝は両手でつかみ、強引に正面を向かせる。
体の芯まで響く大輪の花火が空に舞うと、唇の先に熱が灯った。
輝の瞳に映る光に、心が奪われた。




