第14話 未来を託す相手
朝の工房には、いつもとは違う静けさがあった。
入口の扉は閉じられ、その中央には一枚の紙が貼られている。
『本日は都合により休業いたします』
普段なら工房が開く時間になると、修理品を抱えた村人や商品を買いに来た客が姿を見せる。
この日も何人かが工房の前で足を止め、珍しそうに張り紙を眺めていた。
「今日は休みか」
「何かあったのかねえ」
常連客には、レオンが前もって休業を伝えてある。
急ぎの修理も前日までに終わらせており、今日受け取りに来る予定だった者には日を改めてもらっていた。
突然店を閉め、村人を困らせたわけではない。
今日の目的は、工房で共に働ける相手を見極めるため、三人の候補者と話をすることだった。
村長ロダンから声をかけてもらった三人全員が、まずは話を聞いてみたいと答えている。
働くと決めたわけではない。
レオンとカイも、採用を約束したわけではなかった。
仕事内容や互いの考えを確かめ、この工房で共に働いていける相手かどうかを見極めるための場である。
「本当に一日閉める必要があったのか?」
扉の内側で、カイが張り紙を見ながら言った。
「営業しながら三人と話す方が難しいです」
「客が来たら待たせればいい」
「候補者と村人、どちらをですか?」
「……どっちも困るな」
「ですから、今日は休業です」
受付机の前には、候補者用の椅子が置かれている。
作業台や商品棚は、普段と同じ状態にしてあった。
実際に働く場所を見てもらう以上、面接のためだけに取り繕うべきではないとレオンは考えていた。
「聞くことは覚えていますか?」
「工房で働きたい理由」
「はい」
「長く続ける気があるか」
「それから?」
「道具を雑に扱わないか」
「『雑に扱いますか』と聞かれて、はいと答える人はいませんよ」
レオンは机の上の紙を示した。
これまでの仕事。
得意なことと苦手なこと。
分からない仕事を頼まれたときの対応。
失敗したとき、どうするか。
工房で何を覚えたいか。
「面倒だな」
「これから同じ工房で働ける相手かを見極めるんです。慎重すぎるくらいでいいですよ」
「人は見ただけじゃ分からんからか」
「そういうことです」
間もなく、最初の候補者が工房へやってきた。
現れたのは、がっしりした体格の中年の男だった。
腕には細かな傷があり、腰に下げた革袋も長く使い込まれている。
「今日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。村長から話は聞いている」
男は緊張する様子もなく、勧められた椅子へ座った。
以前は領都の工房で働き、農具や荷車、簡単な家具の修理をしていたという。
「車輪の軸が片側だけ減っていたら、どうする?」
カイが尋ねる。
「反対側も見る。片方だけ替えても、歪みが残ればまた壊れる」
「柄の緩んだ鍬は?」
「金具を締めるだけでは駄目だ。柄が痩せていれば交換する」
修理に関する質問へ、男は迷わず答えた。
刃物の欠け。
木材の割れ。
金具の摩耗。
どの答えにも経験がにじんでいる。
「腕はありそうだ」
カイが率直に言った。
「ありがたい」
即戦力として考えるなら、申し分ない。
以前の工房を辞めたのも、親方が工房を畳んだためで、本人に問題があったわけではなかった。
「この工房では、依頼の順番や料金、使った材料を記録しています」
レオンが依頼票を見せる。
「カイさんと相談し、これまでとは違うやり方で仕事をしてもらうこともあります」
「指示されれば従う」
「もっと効率のよい方法に気づいた場合は?」
「言われた仕事を確実にやるのが職人だろう」
男は当然のように答えた。
責任感があり、与えられた仕事を投げ出すこともないだろう。
ただし、自分の担当以外へ進んで関わるタイプではないように感じられた。
「今までと違うやり方を頼まれたら?」
「理由があるなら従う。だが、効率の悪い方法へ変えるつもりはない」
自分の技術と経験への強い自信。
それは長所であると同時に、カイや工房のやり方と衝突する可能性もあった。
男が帰ると、カイはすぐに言った。
「腕はある。少し見れば仕事を任せられる」
「そうですね」
「何が気になる?」
「自分のやり方を変えるのは、苦手かもしれません」
「腕のある職人なら、こだわりはある」
「カイさんもですか?」
「俺は必要なら変える」
以前、工房の整理を頑なに拒んでいた男の発言だったが、レオンは黙って記録へ書き込んだ。
技術と経験。
責任感。
自分の仕事への強いこだわり。
次に訪れたのは、若い女性だった。
工房の外で村人へ声をかけられ、明るく答える声が扉越しにも聞こえる。
「ニナです。今日はよろしくお願いします」
工房へ入ったニナは、商品棚や工具を興味深そうに眺めた。
それでも通路の邪魔にならないよう、自然と端へ寄って歩いている。
椅子へ座ると、少し緊張した顔で背筋を伸ばした。
「緊張していますか?」
「しています。こういう話は初めてなので」
「分からないことは、分からないと答えて構いません」
「それなら得意です」
レオンは思わず笑った。
「修理の経験はありますか?」
「ほとんどありません」
「ほとんど?」
「家の椅子がぐらついたので、釘を打ったことがあります」
カイが尋ねた。
「直ったのか?」
「余計に傾きました」
「駄目じゃないか」
「はい。最後はここへ持ってきました」
カイはニナの顔を見つめた。
「脚へ横から釘を打ってた椅子か」
「覚えてたんですか?」
「変な直し方だったからな」
技術は期待できない。
工具の持ち方から教える必要があるだろう。
「なぜ工房で働きたいと思ったんですか?」
「できないから、覚えたいと思いました」
ニナは工房を見回した。
「最近、いつも忙しそうですよね。待っている人も多いし、私にもできることがあるなら手伝いたいと思ったんです」
「人と話す仕事は?」
「好きです。話さないと、何に困っているか分かりませんから」
そのとき、扉の外から老婆が顔を覗かせた。
「あら、ニナ。ここで何をしてるんだい?」
「仕事の話を聞いてるところです」
「あんたなら、話し相手が増えていいねえ」
「お喋りをしに働くんじゃないよ」
ニナは笑いながら答え、すぐに二人へ向き直った。
「すみません」
村人との距離が近く、やり取りにも無理がない。
「分からない修理を頼まれたら?」
カイが尋ねた。
「分かりませんと言って、カイさんに聞きます」
「俺が忙しそうだったら?」
「待ちます。勝手にやって壊すよりいいです」
「教えた仕事ができなかったら?」
「もう一度聞きます。できない理由も考えます」
「失敗したら?」
「隠さずに言います」
「怒られるぞ」
「怒られるのは嫌です。でも、隠してもっと酷くなる方が嫌です」
無理に自分をよく見せようとはしない。
できないことを認めた上で、覚える意思を示している。
「できないまま誤魔化すのは嫌です」
ニナは続けた。
「覚えるまでやります。でも、本当に私に向かない仕事なら、別のことで役に立てるようになりたいです」
経験はない。
教えることも多い。
だが、素直さと学ぶ姿勢があった。
村人との接し方も自然で、接客ではレオンを補えるかもしれない。
ニナが帰ると、カイは腕を組んだ。
「何もできないぞ」
「今は、です」
「教える仕事が増える」
「変な癖が付いていないとも言えます」
「また椅子へ横から釘を打つかもしれない」
「同じ失敗はしないと思いますよ」
三人目の候補者は、予定より早く工房の外へ来ていた。
遅れてはいけないと考え、かなり前から待っていたらしい。
「すみません。早く来すぎました」
「中で待っていただいて構いませんよ」
青年は何度も頭を下げ、固い動きで椅子へ座った。
極度に緊張しており、質問へ答えるたびに声が小さくなる。
家では父親の畑を手伝い、共同倉庫では荷物の記録を任されることがあるという。
「記録が得意なんですか?」
「得意というほどでは……」
「村長から、几帳面だと聞いています」
青年は少し迷った後、うなずいた。
「物の数が合わないと気になります。合うまで確認します」
「道具が決められた場所へ戻っていなかったら?」
「元へ戻します。ずれていると落ち着かないので」
「それは助かるな」
カイが壁の工具を見た。
帳簿や在庫、工具の管理では、大きな力になりそうだった。
「分からない仕事を頼まれたら、どうしますか?」
「調べます」
「調べても分からなかったら?」
「自分で何とかします」
「誰かに聞かないんですか?」
「忙しいところを邪魔したくないので」
真面目であるがゆえに、自分だけで抱え込む性格らしい。
「分からないまま進める方が困る場合もあります」
「はい。気をつけます」
「この工房で何をしたいですか?」
青年は長く考え込んだ。
「……役に立ちたいです」
「どのように?」
「それが、まだ分かりません」
青年は俯いた。
「すみません」
「謝らなくて大丈夫です。正直に話していただき、ありがとうございます」
面接が終わると、青年は椅子を元の位置へ戻し、机の上で僅かにずれていた紙まで揃えてから帰っていった。
三人との面接が終わり、工房は静まり返った。
「全員、悪くないな」
カイが呟く。
「はい」
経験のある男は、技術と責任感がある。
ニナには、明るさと素直さがある。
青年は、誠実で几帳面だった。
誰を選んでも長所があり、同時に課題もあった。
「腕なら、最初の男だ」
「管理なら、最後の青年ですね」
「ニナは?」
「人柄と、村人との接し方でしょうか」
「修理は一番できない」
「その代わり、一から教えられます」
即戦力を優先するか。
レオンの管理業務を補うか。
工房全体の空気と将来を考えるか。
二人だけでは、すぐに結論を出せなかった。
「村長へ聞きに行きましょう」
「誰を選べばいいか聞くのか?」
「普段の様子を聞きます。面接だけでは分からない部分がありますから」
二人がロダンの家を訪ねると、ロダンは理由を察したように笑った。
「決められなかったか」
「三人とも悪い方ではありませんでした」
「だから、三人に声をかけたのじゃ」
ロダンはそれぞれの普段の様子を話した。
一人目の男は、腕が良く責任感もある。
しかし、自分の仕事へのこだわりが強く、以前の工房でもほかの職人と意見がぶつかることがあった。
ニナは明るく面倒見がよい。
困っている者を放っておけず、考える前に動いて失敗することもある。
ただし、失敗を隠さず、同じ間違いは繰り返さない。
三人目の青年は、真面目で嘘をつかない。
任された仕事を途中で投げ出さず、黙々と努力できる。
一方で、自信がなく、人へ迷惑をかけることを恐れすぎるところがある。
「村長なら、誰を選びますか?」
レオンが尋ねると、ロダンは首を横へ振った。
「それをわしに決めさせてはいかん」
「ですが、三人をよく知っています」
「だからこそ、誰が一番とは言えん」
ロダンは二人を交互に見た。
「誰を選ぶかではない」
静かな声だった。
「お前たちが、どんな工房を作りたいかじゃ」
今すぐ最も戦力になれる者を選べばよいわけではない。
求める工房の形によって、必要な人材は変わる。
腕のよい職人を増やしたいのか。
正確な管理を任せたいのか。
村人が立ち寄りやすい場所にしたいのか。
「お前たちと一緒に、目指す場所へ進める者を選べばよい」
二人は礼を言い、工房へ戻った。
夕暮れの光が、窓から作業台や商品棚へ差し込んでいる。
「どんな工房にしたい?」
カイが尋ねた。
「カイさんは?」
「先に聞いたのは俺だ」
レオンは修理待ちの品と商品棚を眺めた。
「困った人が、最初に相談できる工房にしたいです」
修理できるか。
買い替えるべきか。
必要な品を仕入れられるか。
分からなければ、気軽に聞ける。
「それから、誰か一人が無理をしなくても続けられる場所です」
「俺は、良い仕事をする工房がいい」
カイは短く答えた。
「適当な修理をせず、壊れた物をきちんと使えるようにする」
「そのために、誰が必要ですか?」
「俺はどうしても、腕を見てしまう」
「職人ですからね」
「経験がある奴なら、すぐに任せられる。ニナなら、何もできないところから教えることになる」
「そうですね」
「でも、腕だけで決めていいのかは分からん」
レオンはうなずいた。
「技術は教えられます」
「簡単に言うな」
「簡単だとは思っていません。時間もかかるし、何度も失敗するでしょう」
その間、カイの負担はむしろ増える。
それでも、教えることはできる。
「でも、人柄は簡単には変えられません」
失敗を隠す。
分からないまま作業を進める。
客や仲間を軽く扱う。
自分のやり方だけを押し通す。
そうした姿勢を後から直す方が難しい。
「お前も、最初は修理なんて何もできなかったな」
「何も、は言いすぎです」
「できなかっただろ」
「そこは認めます」
レオンは職人ではなかった。
それでも、今ではカイと工房を支えている。
「なぜ、僕を信用したんですか?」
カイはしばらく考えた。
「仕事を途中で投げなかった」
やがて、小さく答える。
「客の話を聞いた。分からないことは聞いた。失敗しても誤魔化さなかった」
「それは技術ではありませんね」
「ああ」
カイ自身がレオンを受け入れた理由も、技術力ではなかった。
一緒に働けるか。
信用できるか。
同じ方向へ進めるか。
「ニナは失敗すると思います」
「間違いなくするな」
「でも、隠さないと思います」
「ああ」
「分からなければ聞ける。村人とも自然に話せます」
「お前よりもな」
「そこは認めません」
カイの口元が僅かに緩んだ。
そして、もう一度商品棚と作業台を見渡す。
「……ニナにしよう」
静かな声だった。
技術を一から教える責任を受け入れた声でもあった。
レオンも微笑み、うなずく。
「はい」
「最初の男より、しばらく仕事は増えるぞ」
「分かっています」
「一人前になるとは限らない」
「それでも、共に育っていけると思います」
三人の中で、今すぐ最も戦力になれる人物を選んだわけではない。
今の工房に必要な空気と、二人が大切にしたい考え方に、最も合う人物を選んだ。
「残りの二人には、俺たちから話すのか?」
「はい。曖昧なまま待たせる方が失礼ですから」
不採用だからといって、二人の価値が低いわけではない。
今の工房が最初の仲間として求める人物と、少し違っただけだ。
「ニナが働くと決まったわけでもありません」
「俺たちが選んだんだろ」
「採用を申し出る相手を決めただけです」
働く時間。
給金。
最初に任せる仕事。
教える内容。
それらを説明した上で、最後に決めるのはニナ自身だった。
「条件を聞いて、断るかもしれません」
「断ると思うか?」
「分かりません。働く側にも選ぶ権利がありますから」
「なら、明日聞きに行くのか」
「はい」
「俺も行くのか?」
「結果を伝えるのは僕が行きます。工房へ来てもらうことになったら、カイさんから仕事について話してください」
「分かった」
翌朝。
レオンはいつもより早く宿を出た。
向かう先は工房ではない。
ロダンから教えられたニナの家だった。
昨日、二人は採用を申し出る相手を決めた。
だが、ニナ本人はまだそのことを知らない。
条件を聞いて、受け入れてくれるかも分からない。
それでも、工房は次の段階へ進もうとしていた。
修理屋と商人だけの仕事場から、新しい仲間と共に支える場所へ。
カイは技術を教える立場になり。
レオンは仕事の流れと接客を伝える立場になる。
そしてニナは、二人が積み上げてきた工房の未来を共に担うかもしれない。
技術は、これから学べばいい。
何もできないところから始めればいい。
大切なのは、失敗を隠さず、分からないことを聞き、誰かのために動けること。
二人が採用を申し出る相手として選んだのは、今すぐ工房の戦力になれる人物ではなかった。
これから仕事を学び、同じ工房で共に成長していけると信じられる人物だった。
朝の光が差す村の道を、レオンはニナの家へ向かって歩いていった。




