第13話 次の仲間
朝日が村を照らし始めた頃、カイの工房の前には、すでに何人もの村人が集まっていた。
壊れた鍬を持つ農家。
商品棚の釘を買いに来た男。
修理済みの木桶を受け取りに来た主婦。
新しい農具を注文できないか相談したいという老人。
まだ工房の扉は閉まっている。
それでも村人たちは、互いに言葉を交わしながら開店を待っていた。
「今日も多いですね」
宿屋からやってきたレオンが、工房前の様子を見て呟く。
「昨日より多いんじゃないか?」
鍬を担いだ農家が笑った。
「修理を頼みに来たんだが、ついでに釘も欲しくてな」
「私は受け取りだけだよ。昨日できたって聞いたからね」
「新しい鎌も見せてもらえるんだろ?」
それぞれの用件が、一斉にレオンへ向けられる。
工房の中から扉が開き、カイが顔を出した。
開店前から並んでいる村人たちを見回し、短く息を吐く。
「朝から多いな」
「ありがたいことです」
レオンはそう答えると、入口脇の受付机へ向かった。
「修理済みの品を受け取る方から、順番にお名前をお願いします。新しい修理の依頼と商品の相談は、その後に伺います」
声をかけると、村人たちは自然と用件ごとに分かれた。
レオンは依頼記録を開き、完成品を受け取りに来た者の名前を確認する。
「ミラさんの木桶は、奥の完成品置き場です。カイさん、お願いできますか?」
「ああ」
「料金は依頼票に書いてあります」
「分かってる」
カイが木桶を取りに向かう間に、レオンは新しく持ち込まれた鍬を受け取った。
「どこに不具合がありますか?」
「柄がぐらつく。昨日、石に当ててから酷くなった」
「いつまでに必要です?」
「三日後には畑で使いたい」
「カイさんが確認してからになりますが、間に合うように順番を調整します」
名前。
預かった日。
不具合の場所。
必要な日。
一つずつ依頼票へ書き込む。
「レオン、この釘は柵に使えるか?」
商品棚の前から、別の村人が声を上げる。
「板の厚さはどのくらいですか?」
「このくらいだ」
「カイさん、長さは中くらいの物で足りますか?」
「それでいい。長いと裏へ抜ける」
「では、こちらですね。何本必要ですか?」
釘を数え、代金を受け取る。
販売記録へ記入しようとしたところで、今度は農具を見ていた老人が声をかけてきた。
「この鎌は、今の物より丈夫なのか?」
「刃は丈夫ですが、今お使いの鎌が修理できるなら、その方が安く済む可能性があります」
「見てもらえるか?」
「持ってきていただければ、カイさんが確認します」
修理品の受付。
商品の販売。
完成品の受け渡し。
新しい注文の相談。
複数の用件が、開店と同時に重なっていく。
カイは作業台へ戻っても、修理品の状態を確認するために何度も呼ばれる。
レオンも客の間を行き来し、説明と記録を繰り返した。
ようやく最初の人波が途切れた頃には、修理待ちの場所へ新しい依頼品がいくつも並んでいた。
「今日の分だけで、かなり増えましたね」
レオンは依頼票を確認する。
「全部受けたのはお前だろ」
「断る理由がない仕事ばかりでしたから」
「終わるのか?」
「順番を調整すれば、今のところは」
今のところは。
その言葉を、レオンは意識して口にした。
数日前の話し合いで、二人はすでに決めている。
良い人がいれば、雇うことを考える。
二人だけで仕事を抱え続けるのではなく、工房に合う者を探す。
今日の忙しさは、その判断が間違っていなかったことを改めて示していた。
「今日、村長のところへ行ってきます」
レオンが言う。
カイは修理する鍬の柄を確認しながら、顔を上げた。
「人の話か」
「はい。前に話したとおり、村で仕事を探している人がいないか聞いてみます」
「今日の仕事は?」
「夕方までに終わらせます。帳簿は明日に回せる部分を分けます」
「無理するなよ」
「カイさんに言われるようになりましたね」
「お前は放っておくと、全部自分でやる」
「お互い様です」
カイは小さく鼻を鳴らし、作業へ戻った。
二人の間で、人を増やすかどうかを改めて議論する必要はなかった。
すでに必要性は共有している。
今考えるべきなのは、誰を迎えるのか。
どのように探すのか。
それだけだった。
その日も工房には、途切れることなく村人が訪れた。
修理された農具を受け取った男が、新しいロープを買って帰る。
金具を探しに来た主婦が、壊れた鍋の取っ手について相談する。
商品の注文を頼みに来た農家が、そのまま鎌の研ぎを依頼する。
「困ったら、ここへ来れば何とかなるからな」
荷車の部品を受け取った村人が、満足そうに言った。
「何でもできるわけではありませんよ」
レオンが答える。
「それでも、相談できるだけで助かる」
村人は笑い、修理された部品を抱えて帰っていった。
レオンはその後ろ姿を見送る。
困ったら、まず工房へ来る。
村人たちの中に根付き始めた、その信頼。
人を迎える目的は、さらに多くの仕事を詰め込むためではない。
この状態を崩さないためだ。
客を待たせすぎない。
依頼内容を間違えない。
約束した品質と期日を守る。
積み上げてきた信用を、忙しさによって失わない。
そのための次の一歩だった。
夕方。
最後の客を見送り、レオンはその日の依頼票をまとめた。
「村長のところへ行ってきます」
「俺も行くか?」
「工房を閉めた後の片付けがありますから、今日は僕一人で大丈夫です」
「勝手に雇うなよ」
「面談の約束を頼むだけです」
カイは少し考えた後、うなずいた。
「話すなら、工房の仕事が楽じゃないことも言っておけ」
「もちろんです」
「修理をすぐ任せるつもりもない」
「それも伝えます」
「長く続ける気がある奴がいい」
カイが付け加える。
レオンは少しだけ笑った。
「ちゃんと希望がありますね」
「悪いか」
「いいえ。村長に伝えてきます」
レオンは工房を出た。
村長ロダンの家は、村の中央に近い場所にある。
畑仕事を終えた村人たちと挨拶を交わしながら歩く。
途中、何人かから工房のことを尋ねられた。
「今日はずいぶん客が多かったな」
「また領都へ仕入れに行くのか?」
「今度は細い釘も入れてくれ」
村人の暮らしの中へ、工房が入り込んでいる。
そのことを改めて感じながら、レオンはロダンの家の扉を叩いた。
「どうぞ」
中から、落ち着いた声が返る。
レオンが入ると、ロダンは机の上へ広げた書類を読んでいた。
村の畑や共同倉庫に関する記録らしい。
「珍しい時間に来たのう」
「少し相談したいことがあります」
「工房のことか?」
「どうして分かったんですか?」
ロダンは穏やかに笑った。
「今のフィルネ村で、おぬしが相談することといえば工房じゃろう。それに、朝から大勢が並んでいたと聞いておる」
「村長の耳は早いですね」
「小さな村じゃからな」
ロダンは書類を脇へ寄せ、向かいの椅子を勧めた。
レオンは礼を言い、腰を下ろす。
「工房へ来る人が、かなり増えています」
「良いことではないのか?」
「良いことです。ただ、二人で対応するには厳しくなってきました」
レオンは現在の工房の様子を説明した。
開店前から村人が並ぶ日がある。
修理の受付、販売、完成品の受け渡し、注文の相談が同時に重なる。
カイが接客へ出れば、修理作業が止まる。
レオン一人で対応すれば、客を待たせてしまう。
閉店後にも帳簿や在庫の確認が残る。
「以前、カイとも話をしました」
「人を増やす話かの?」
「はい。良い人がいれば、雇うことを考えようと決めています」
「カイが、そこまで言ったか」
ロダンは感心したように目を細めた。
「以前のあやつなら、自分一人で何とかすると言っておったじゃろうな」
「今も不安はあると思います。でも、工房を守るために必要だと考えてくれています」
レオンは姿勢を正した。
「村長に、仕事を探している人の心当たりがないか伺いたくて来ました」
ロダンはすぐには答えなかった。
椅子へ背を預け、顎へ手を添える。
「どのような者を求めておる?」
「最初から技術を持っている必要はありません」
「職人を探しているのではないのか?」
「工房の仕事を覚える意思がある人を探しています」
レオンは、カイと話した内容を思い出しながら答えた。
道具や依頼品を丁寧に扱える。
分からないことを、そのままにせず聞ける。
教えられたことを守れる。
仕事へ真面目に向き合える。
長く働く意思がある。
「最初は掃除や商品の整理、依頼品の移動などから始めてもらうつもりです」
「受付も任せるのか?」
「向いている人なら、いずれは。ただ、最初から何でも任せることはしません」
「技術はカイが教える?」
「はい。僕は受付や商品管理、記録の仕方を教えます」
「二人で育てるということか」
「そのつもりです」
ロダンはしばらく考えた後、静かにうなずいた。
「何人か、心当たりはある」
「本当ですか?」
「ああ」
村には、働く意思がありながら、十分な働き口を得られていない者がいる。
家の事情で、領都やほかの町まで働きに出られない者。
農作業だけでは生活が安定しない者。
仕事を探しているが、自分に合う働き口が見つからない者。
事情はそれぞれ違う。
「工房の仕事ができるかどうかは、わしにも分からん」
ロダンは言った。
「じゃが、人柄についてなら知っておる」
「真面目な方たちですか?」
「少なくとも、働く意思のない者を紹介するつもりはない」
「何人くらいいますか?」
「今すぐ思い浮かぶのは、三人ほどじゃな」
一人ではない。
そのことに、レオンは少し驚いた。
「全員、工房で働くことを希望しているんですか?」
「まだ工房の話はしておらん。働き口を探している、あるいは条件が合えば働きたいと考えている者じゃ」
「では、本人が断る可能性もありますね」
「もちろんじゃ」
ロダンははっきりとうなずく。
「人を雇う側が選ぶように、働く側にも選ぶ権利がある」
「僕も、そう思います」
「工房の仕事は楽ではないじゃろう?」
「はい。忙しいですし、立っている時間も長い。道具や商品を運ぶこともあります」
「給金は?」
「まだ決めていません。仕事の内容と、工房の利益を確認してカイと相談します」
「そこを曖昧にしたまま話を進めてはいかんぞ」
「分かっています」
給料。
働く時間。
休み。
最初に任せる仕事。
試しに働いてもらう期間を設けるのか。
面談を行う前に、二人で最低限の条件をまとめなければならない。
「村長から紹介されたからといって、その場で採用を決めるつもりはありません」
レオンは続けた。
「まず本人と話をします。工房を見てもらって、仕事の内容を説明します。その上で、お互いに続けられそうかを考えたいです」
「それがよい」
「紹介していただいた方を断る可能性もあります」
「構わん」
ロダンは穏やかな声で答えた。
「人柄は保証する。じゃが、最後に決めるのはお前たちじゃ」
工房で一緒に働くのは、レオンとカイだ。
実際の仕事を教え、責任を負うのも二人である。
「本人たちにも、同じように話す」
ロダンは言った。
「わしが勧めたからといって、無理に受ける必要はないとな」
「ありがとうございます」
レオンは頭を下げた。
「まずは、一度お話しする機会を作っていただけませんか?」
「分かった。明日から順番に声をかけよう」
「全員と一度に会うのではなく、一人ずつでも大丈夫です」
「工房へ連れていけばよいか?」
「先に本人の意思を確認してください。興味を持っていただけたら、工房を見てもらいたいです」
ロダンは満足そうに頷いた。
「慎重じゃな」
「焦って決めて、後でお互いに困りたくありませんから」
「忙しいのではなかったか?」
「忙しいからこそです」
すぐ働ける者なら誰でもよい。
そんな選び方をすれば、工房が大切にしてきたものを壊す可能性がある。
依頼人への対応。
道具の扱い。
修理の品質。
帳簿や商品の管理。
どれも、信用へつながっている。
工房へ迎える人にも、その考えを理解してもらわなければならない。
「人を増やす目的は、さらに仕事を詰め込むことではありません」
レオンは言った。
「今ある仕事を、今までどおり丁寧に続けるためです」
「信用を守るためか」
「はい」
「おぬしらしい考えじゃな」
「商人としては、普通だと思います」
「普通の商人は、客が増えればさらに儲けようとするものじゃ」
「それで仕事が雑になったら、長くは続きません」
ロダンは楽しそうに笑った。
「カイが、おぬしを信じるようになった理由が少し分かった気がするのう」
「信じられていますかね?」
「以前のカイが、人を雇う話を受け入れた。それだけで十分じゃろう」
レオンは少しだけ笑った。
相談を終え、ロダンの家を後にする。
外はすでに暗くなり始めていた。
家々の窓から明かりが漏れ、夕食の匂いが村の道へ流れている。
候補となる人物がいる。
三人ほど。
まだ、誰の名前も聞いていない。
工房の仕事に興味を示すかも分からない。
それでも、候補者探しは確かに始まった。
工房へ戻ると、カイは作業台の前で工具の手入れをしていた。
「まだ残っていたんですか?」
「待ってたわけじゃない」
「まだ何も言っていませんよ」
「顔を見れば分かる」
以前はレオンが言っていた言葉を、今度はカイが使った。
レオンは笑いながら工房へ入る。
「村長に相談してきました」
「どうだった」
「候補になりそうな人が、三人ほどいるそうです」
カイの手が止まる。
「三人も?」
「まだ本人たちへは話していません。村長が順番に意思を確認してくれます」
「どんな奴だ」
「名前も詳しい事情も、まだ聞いていません」
「聞かなかったのか?」
「先に本人が興味を持つか確認してもらいます。話を聞く気がない人の事情を詳しく聞く必要はありませんから」
カイは少し考え、うなずいた。
「いつ会う」
「早ければ数日中です」
「三人全員か?」
「全員が興味を持てば」
「一人だけ雇うのか?」
「それもまだ決めません」
工房の仕事には、修理を覚える者だけでなく、受付や販売を手伝う者も必要になる可能性がある。
しかし、今の工房が何人分の給料を安定して払えるかは、慎重に確認しなければならない。
「面談の前に、条件を決めましょう」
レオンは受付机へ紙を置いた。
「働く時間。最初に任せる仕事。給金。試しに働いてもらう期間を作るかどうか」
「今からか?」
「今日は項目だけ出します。決めるのは明日でも構いません」
カイは面倒そうな顔をしたが、席を立とうとはしなかった。
「工房の仕事が楽じゃないことは伝えたのか」
「村長には伝えました。本人にも隠さず説明します」
「すぐに修理をさせないことも?」
「はい」
「道具を雑に扱う奴は駄目だ」
「それも条件に入れます」
「分からないまま勝手に進める奴も困る」
「きちんと質問できることですね」
「すぐ辞める奴も困る」
「長く働く意思があるか確認しましょう」
レオンは紙へ書き込んでいく。
カイは、人を雇うことへの不安を抱えている。
それでも、誰でもよいとは考えていない。
どのような人物なら工房で一緒に働けるのか、すでに考え始めていた。
「ずいぶん具体的ですね」
「何がだ」
「カイさんの希望です」
「仕事で困ることを言っただけだ」
「それが大事なんです」
何を任せるのか。
どんな人を求めるのか。
曖昧なままでは、面談で相手を見極められない。
「明日、仕事の合間にまとめましょう」
「また仕事が増えたな」
「人を迎えるための準備です」
「本当に楽になるのか?」
「すぐには楽になりません」
「やっぱりか」
「でも、続ければ工房を支えてくれる人になるかもしれません」
カイは小さく息を吐き、手入れを終えた工具を壁へ戻した。
「会うだけ会ってみる」
「はい」
「合わなければ断る」
「もちろんです」
「相手が断ることもある」
「あります」
「面倒だな」
「でも、必要なことです」
「分かってる」
短い返事だった。
それで十分だった。
翌朝。
工房の前には、前日と変わらず何人もの村人が集まっていた。
修理を頼みに来た者。
商品を買いに来た者。
新しい注文について相談したい者。
「順番に伺います」
レオンが受付へ立つ。
カイは工房を開け、作業台へ向かう。
忙しさは昨日までと変わらない。
まだ働いているのは二人だけだ。
それでも、この先も二人だけで耐え続けるわけではない。
工房へ迎えるべき人を、自分たちで探す。
そのための動きが、すでに始まっている。
同じ頃。
ロダンは自宅の机へ、村人の名を記した紙を広げていた。
その中から一つの名前を選び、指先で軽く押さえる。
働く意思はある。
人柄も真面目だ。
だが、工房の仕事を引き受けるかは分からない。
「まずは話だけでも、じゃな」
ロダンは立ち上がり、上着を羽織った。
向かう先にいる人物は、自分のもとへ村長が何の話を持ってくるのか、まだ知らない。
レオンもカイも、その人物の名を聞いていない。
採用が決まったわけでもない。
ただ、二人だけで営んできた工房が、新しい誰かを迎えるための最初の扉を開こうとしていた。
仕事をさらに増やすためではない。
村人たちから預かった品を、これまでどおり丁寧に扱うため。
約束した品質と期日を守るため。
少しずつ積み重ねてきた信用を、これからも守り続けるために。
次の仲間を探す一歩が、静かに踏み出された。




