6.夏の夜の鼓動④ 初めての買い物
「俺たちも行くか?」
「う、うん」
大地に問われ、マキは反射的にうなずいた。
といっても具体的にどう動くかなど考えてもいなかったので、口先だけで足はろくに動かなかった。優菜が引っ張っていってくれると、完全に期待していたのだ。
「取りあえず、順に見ていこう」
幸い大地が主導権を握り、方針を決めてくれた。もしかしたらそんな大層らしく決めることでもないのかもしれないが、なにも分かっていないマキには助けとなった。
道路に出て再び人の流れに乗ると、大地は遅れがちになるマキを何度も振り返っては、はぐれていないことを確認してきた。ありがたい反面小さな子どものような気分を味わわされ、さすがにしつこいんじゃないかとマキが思い始めた頃。
肉を焼いている類いの、実に食欲をそそるおいしそうな匂いが、前方から漂ってきた。
「そろそろ屋台だ」
大地に導かれて続くと、道路の両脇になにかが見えた。
フランクフルト、たこ焼き、やきとり、からあげ……
ちらりと見ただけでも、たくさんの文字を見つけることができた。布やビニールでできた屋根の上で、黄色や赤色など、目立つ色で主張し合う文字たちが踊っていた。そのまま飛び出て行進でもしそうなほどに弾んだ字体だ。
そしてその屋根の下には、いろいろな物を並べた台がある。きっとこれら屋根付きの台が、屋台というものなのだろう。先ほど見たカラフルな板がひしめく区域よりも、さらに密集して並んでいる。
しかしこちらは目がちかちかするだけでなく、不思議と楽しい気分を誘われた。道行く人もおのおの好きな所で足を止め、屋台で売られているフランクフルトやたこ焼きを購入し、楽しそうに食べ歩いている。
人が多い分、さまざまな会話が飛び交って頭が痛くなりそうだが、それでもマキは道の向こうまでずっと続く彩り豊かな道を、じっくり歩いてみたいと思った。
「ねえ大――わっ!?」
隣を行く大地に話しかけようと振り向き、驚いて目を見開く。大地の後ろにある屋台に、顔がたくさん並んでいた。動物やアニメのキャラクターらしきものなど、種類はさまざまだ。顔がまるっとあるのではなく、どうやら表面をかたどったもののようで、目に当たる部分には穴が開いていた。それらがきちんと、列をなして並べられている。
「だ、大地。なにこれっ」
マキはわたわたと、顔の群れを指さした。大地はマキの反応を面白がるように見てから、笑って答えた。
「お面だよ。欲しいのか?」
ぶんぶんと首を横に振る。真っ先に目が合った顔は――といっても向こうには『目』がないが――真っ赤な色で、ものすごく怖い形相をしていた。
気を取り直して、他の屋台へと目を移す。順々に見ていくうち、屋台には大きく分けて『遊ぶもの』と『食べるもの』があるのだと分かった。『遊ぶもの』も面白そうだったが、マキは特にふたつの『食べるもの』に惹かれた。
「で、マキ。どっちにするんだ?」
「待って、今考えてるのっ」
あきれ声を上げる大地に、マキは真剣に返した。
確かにもう長いこと迷っているが、これは決断するのにかなりの検討を要するものだ。つまりは。
綿菓子か、リンゴ飴か。
「どっちを食べよう……」
マキは口に手を当て、向かい合う綿菓子とリンゴ飴の屋台を、くるくると目で行ったり来たりした。
「だって綿菓子はふわふわしてて、食べたらどんなだろうって興味が湧くし、見た目ふわふわしててかわいいし。リンゴ飴はリンゴに飴がついてるなんて気になるし、やっぱり見た目がかわいいし。食べ歩いてる人見ると、なんだか私も食べたくなるし」
「だったら両方買えばいいだろ」
「全部食べきれるか分からないじゃん。クマ先生には、無駄遣いするなって言われてるし」
簡単に言ってくる大地に、マキはむすっと返した。
大熊先生は子どもたちそれぞれに、祭りのためのお小遣いをくれた。だけどなにかを買う時は、『本当に欲しいものなのか、何度も自分に問いかけること。たくさん欲しい時は、なにかを潔く諦めること』と言い渡しもした。
だからマキは真剣なのだ。どちらを諦めるべきか。しかし、
「決められないよー……」
判断が下せず、げんなりと肩を落とす。
と、大地が助け船を出してくれた。
「じゃあ俺が決めてやる。リンゴ飴にしろよ」
「なんで?」
「そっちのが腹にたまる」
身も蓋もなく言う大地。
「別に腹持ちは気にしてないけど……」
まあいいかと、マキはリンゴ飴を買うことに決めた。決まらないよりはずっといい。
となれば後は購入するだけだ。初めての買い物ということになる。
まず店主に話しかけることに、勇気がいった。知らない人と話すのは特に抵抗がないのに、お金を介したやり取りだと考えると、緊張感がうなぎ登りだ。
「あ、あのっ」
意を決して口にしたのに、緊張のためか声がうわずってしまった。おまけに屋台の主――クマ先生を痩せさせたようなおじさんで、ひょろっとしているのにいかつさが漂う――は、マキの呼びかけに気づいてもいない。
「あの!」
気を取り直して言い直すと、今度は不自然に大きな声が飛び出た。
店主が驚いた顔でマキの方を向く。マキの顔は、リンゴ飴に負けないくらい真っ赤になった。
「あの、えと、ひとつください。リンゴ飴」
カタコトに告げ、目の前に並ぶリンゴ飴のひとつを指さす。
「はいよ、500円ね」
店主は驚いた事実などなかったかのように、さっと切り替えマキに笑いかけた。その気さくな笑みに助けられ、マキはほっと、左手の巾着袋に手を伸ばした。
が、紐が手に絡まっていて、なかなか口が開かない。
「あ、あれっ?」
落とすのが怖くてしっかりと手首に巻きつけていたのが災いした。マキはうろたえ紐を引っ張ったが、こういう時は焦るほどにうまくいかないものだ。
「い、今出しますからっ」
笑みに気まずさが混ざり始めた店主に、聞かれてもいないのに返答する。
「なにやってんだよマキ。そんなぎちぎちにしてたら、絡まって当然だろ」
「大地はいいよ、ポケットあるから財布しまえるし」
背後からかかる説教くさい声に、マキは言い訳するように振り向いて、
「え、あれ? 買ったの?」
青色の綿菓子を手に持つ大地を見て、ぽかんと口を開けた。
「持ってろ」
大地は綿菓子をマキに手渡すと、マキの巾着袋を救いにかかった。
マキがひどく不器用なのか、元々複雑に絡まっていなかったのか。存外あっさりと、巾着袋はマキの手から外された。
「ほら」
大地は巾着袋を渡してくると、再び綿菓子を手に取った。
「早く払わないと」
言われ、マキは慌てて財布を取り出し、店主へとお金を支払った。
「お、お願いします」
「はい、確かに」
500円と引き換えにリンゴ飴を受け取る。初めての買い物は、ひとりでスムーズにとはいかなかったものの、なんとか無事に終わった。




