5.鳥籠の幸せ⑦ だってあんまりじゃないか。
センセイが倒れた丸椅子を起こそうと、ベッドから出ようとする。大地が慌ててそれを止め、自分で丸椅子を起こした。
マキはその椅子に、ふらりと倒れ込むように座り直す。
「私はね、昔研究者だったんだ。大熊の協力を得ながら、主に人工臓器の開発に携わっていた。中でも一番力を入れていたのは、完全置換型の人工心臓だった。充電さえ怠らなければ、健康体と変わらぬ生活ができる、理想の心臓だよ。研究は失敗を重ね、しかし遅々としてではあるが、少しずつ実用化の段階へと近づいていった。ヒトへの臨床実験も、行われるようになった」
センセイは窓の外に顔を向けていたが、その目は景色を捉えていなかった。ここではない過去の風景を思い出しているかのように、遠くを見ている。
「スポンサーは結果を急いていた。100パーセントの確証がないまま、実用化へと踏み切ろうとした。私と大熊は逆らえなかった。資金の提供が必要だったから……いや、その言い方は卑怯か。たぶん、自信もあったのだろう。最終的には私が大熊を説得し、実用化へと踏み切った。そしてその傲慢さが……悲劇を生み出したんだ」
歯を嚙みしめ、センセイが唇を震わせる。
「長くは生きられない悲運をもって生まれた子を救うため、親はこぞって私たちの心臓を求めた。たくさんの手術が行われた……だが人工心臓は未完成だった。一度の埋め込みで60年は生きられるはずの心臓は、わずかな確率で不具合が生じることが分かった。そしてそうなってしまえば急速に劣化し、やがて停止する……手術をしなければ10年は生きられるはずだった子らが、不具合により数年で死に始めた。私たちは、名声欲にまみれた非道者とそしりを受けた。当然だ。そして多くの親は嘆きながらも、最後まで子どもを愛した。しかし……死が確定した子を諦め、捨てる親も出てきたんだ」
センセイは悲嘆に暮れた様子で言葉を切り、
「……そんなの、残酷すぎるだろう!?」
必死の形相で叫んだ。
センセイのたぎる目は、今目の前にないなにかをにらみつけているようで、顔はひどくゆがんでいた。そのゆがみで顔が崩れ落ちるのではないかと思うほどに。
その後ふっと顔を緩め、今度は切なげに眉根を寄せる。
「……でも一番許されないのは、元凶となった私だ。だから私は、研究成果で得られた資金を全てつぎ込み、待ち人の家をつくった。大熊は賛同はしなかったが、そばに孤児院を建て、見守ってくれた。彼も彼なりのやり方で、償いをしたかったんだろう」
センセイの話を最後まで聞いて。頭の中に落とし込んで。
「なにそれ」
マキはたった一言、それだけを絞り出した。
「……マキ」
遠くを見ていたセンセイの瞳が、マキを捉える。
マキはその瞳に向けて、どうしようもない怒りをぶつけた。
「それじゃあ私は、いたはずのお母さんには勝手に諦められて、とっくに捨てられてて、まがいものの心臓で……すぐに死んじゃうだけの、意味のない存在だったの!?」
「違う! 君たちは幸せになるべき存在だ!」
激昂するように否定するセンセイ。
「幸せをあげたかった! 私の身勝手で、未来を閉ざされてしまった子どもたちに……だってあんまりじゃないか。誰かのためにと命を操作できる物を作り、それは結局自分の欲のためで。愛していると言いながら、手術に失敗したら放り捨てて……嘘の愛に傷つけられるのは子どもたちだ。どうせ嘘にまみれた世界なら、その中にもうひとつ、嘘で塗り固めた世界を作る。自分だけが刹那に死にゆくのではなく、誰も死なずに全員が楽園に行ける世界……鳥籠の真実に気づかなければ、鳥たちは幸せだ。裏切られない愛の世界を、見せてあげたかったんだ」
そこまで吐露し終えると、センセイは糸が切れたように肩を落とした。感情が枯渇した乾いた声で、続ける。
「でも結局バレてしまったね。嘘の世界は消えてしまった……すまない」
「だからソラも殺そうとしたのか?」
静かに尋ねる大地に、センセイは淡々と答えた。
「どうしようもなかった。やって来たその時点で、ソラはすでに死につつあったんだ。だから私は、せめて安らかにと……すまなかった」
「ソラを殺そうとしたことは、許せない。命を諦めるかどうか決めるのは、あんたじゃないんだから」
固持するように告げてから、大地はぽつりと付け加えた。
「でも……それがあんたなりの優しさだったてことは、覚えとく。それにたぶん、もう俺には……あんたを責める資格すらないから」
「すまない……」
繰り返し、センセイは再び外へと目を向けた。
「私は結局、なにもできなかったんだな」
センセイのうつろな目は、外の景色も過去の情景さえも、もはやなにも映していないように見えた。
◇ ◇ ◇
 




