表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/49

5.鳥籠の幸せ③ 土台がそもそも違うなら

◇ ◇ ◇


 夜空にちりばめられた星は、季節によって見えるものが変わるらしい。そんな当然のこと、マキは全然知らなかった。


(宿舎にいた頃は就寝時間が早くて、夜空なんてほとんど見なかったもん)


 誰にともなく言い訳し、階段を上りきったところで足を()める。

 2階建てのプレハブ倉庫は、星の観賞にはもってこいの場所だ。

 やや()びついた外部階段のポーチから星を眺めるのが、喜楽園に来てからのマキの日課となっていた。

 星座のことなどよく分からないけれど、毎日少しずつ変わっていくのなら、なんとなく、目に収めておきたいと思ったのだ。

 肌に()れる空気からは、もうすっかり寒さを感じなくなった。喜楽園に来たばかりの頃はまだ寒さが残っていて、震えながら空を見上げていたのに。


(もう、夏が来たんだね)


 しみじみと感じ入る。

 マキは階段の手すりを両手で握り、しょっぱい記憶に思いをはせた。

 夜空で一番強く思い出すのは、リサを送ったあの日の夜だ。

 下から見上げたセンセイの横顔は、今思い出してもやっぱりつらそうで。


(センセイ。センセイはどうして(うそ)をついたの? どうして私たちを閉じ込めたの? どうして……家族を殺したの?)


 大熊先生の言葉によって、マキが知っていた『真実』の根底は上塗りされた。

 人間は鳥や虫と同じく、あっけなく死ぬと知った。

 大地は相変わらず、楽園なんてまやかしだと言っている。

 喜楽園の図書室で、表紙や奥付が剝ぎ取られていない本をたくさん読み込んだ。そして、危険な場所と信じていた『外の世界』は、マキたちの生きる世界そのものだと知った。世界から見れば待ち人の家など、砂粒ほどの存在ですらなかった。

 不思議なのは、宿舎にあった本を読んでいた時は、あそこでの『真実』は、まごうことなき真実だったことだ。本がそれを証明してくれていた。

 しかし喜楽園の図書室にある本を読めば、かつての『真実』は綻びだらけだった。

 こんなにも簡単に、自分の世界は変わってしまう。物事を判断するための土台がそもそも違うなら、白だって黒になる。優しい人も殺人鬼になる。


(知りたくなかった……センセイが私たちを殺そうとしてたなんて、知りたくなかった……)


 手すりを握る手に力を込め、空を見上げる。どんなに目を凝らしても、星がどう変わっているかなんて分からない。分かるはずがない。

 むなしい気持ちだけが募り、マキは本棟に戻ろうかと視線を落とした。

 ――その時だった。


(え?)


 突然止まった。空気の流れが。

 息が。


(息が……できない!)


 数歩下がったところで、体は恐怖で動かなくなった。

 なにかを詰まらせたわけでは決してない。なのに気管がふさがってしまったかのように、空気が入ってこない。吐き出すこともできない。

 時が止まったかのように体内の空気が停滞し、苦しいという感覚だけはどんどん突き進んでいく。喉になにも詰まっていないのに息ができないという事実が、余計にパニックを誘った。


「っ……!」


 大量の空気を一気に吸おうとして、ひゅぅぅぅっと、笛のような音が漏れる。

 けれど、吸っても吸っても入ってこない。呼吸なんていつも、なにも考えなくてもできているのに。体の中の、空気を入れ替える機能がおかしくなってしまったかのようだ。


(怖い……助けてっ!)


 喉に手を当て空気を求めても、なにも得られない。指先までガチガチに固まり、(また)の間になにか温かいものが流れた。

 失禁に対する羞恥心など、感じている余裕もなかった。


(なにか……なにか、衝撃があれば……!)


 マキは背後の壁に、背中を思い切り打ちつけた。激しく、何度も、何度も。

 しかし治らない。息ができない。体が(けい)(れん)する。


(苦し、い……助けてっ……)


 夜空が暗く、遠く感じられた。

 どこかから大きな音が耳に届く。きっとこれが、『太鼓をたたくような音』――花火だ。

 初めて聞いた花火の音は、絶望的なまでに遠かった。


(やだ……やだよっ……)


 自分は終わる。自分は止まる。

 なのに世界は続いていく。自分を置いて、世界は先に進んでしまう。


(もっと……もっと強い衝撃っ……)


 マキは自分を進めてくれるものを求め、必死に首を伸ばした。

 そして迷うことなく、階段へと身を投げ出した。

 背中に強い衝撃が走る。

 感じた次の瞬間には、()(とう)の勢いで衝撃が体を襲ってきた。落ち続ける恐怖のおかげで、呼吸困難による恐慌が強引に抑えつけられた。

 痛みを認識した時には、マキはすでに階段を落ちきっていた。


「……かはっ」


 詰め物が取れたかのように、空気が口からこぼれ出た。

 それをきっかけに、止まっていた分を取り戻そうと、勝手に息が荒くなる。

 心臓が早鐘のように鳴り、指は小刻みに震えていた。


(私……どうしちゃったの……?)


 いつの間にか、目からは大量の涙があふれていた。

 胎児のように身を縮こませながら、マキは必死に呼吸を整えた。

 背中が痛い。無理に息を吸おうとしたからか、胸元の辺りも、突き刺さるように痛い。


(怖い……怖いよ)

「誰か、助けて……」


 こんなか細い叫びでは、誰も助けに来てくれない。助けに来る必要もない。

 だって世界にとって自分は、取るに足らないちっぽけな存在だから。自分がいなくても世界は動き続けられるから。


「やだ……助けて……」


 自分は世界に必要ないから。


「死にたくないよぉ……センセイ……リサ……」


 空にはじける花の音を聞きながら、マキの意識は遠のいていった。


◇ ◇ ◇

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ