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5.鳥籠の幸せ④ 裏切り者

◇ ◇ ◇


 暗闇の中、独りたたずむ。

 とても静かだった。なにもなく、誰もいない。


(私……死んだの?)


 恐怖に押し潰されそうになった時、ふと目の前が明るくなった。

 独りぼっちだったマキの前に、ひとりの少女が立っている。


「リサ!」


 マキは顔を輝かせた。温かみのある茶髪、柔和な微(ほほ)笑(え)み。会えたことが、涙が出るほどうれしかった。

 リサが口を開(ひら)く。マキが伸ばした手を無視する形で。


「ねえマキ。そんな所にいたら、楽園に行けないわよ? どうしてセンセイの所に帰らないの?」


 穏やかな調子で発せられる、容赦のない勧告。マキは困惑し、手を引き戻して後ずさった。


「でも、楽園なんて、本当は……」

「まやかしだ――って?」


 リサが声のトーンを落とし、冷然と聞いてくる。いつの間にかユキヒロやミーコ、ジュンペイ……家族がたくさん集まっていた。皆(みな)、感情のない目でマキを見ている。

 リサは代弁者のように両手を広げた。


「つまりマキは、私たちは救われなかったって言いたいの?」

「違うよ!」


 それは絶対に帰結してはいけない答えで、マキは精いっぱい叫び返した。

 しかしリサは、間髪容(い)れずに追い打ちをかけてくる。マキの胸――絶えることなく鼓動を伝え続ける心臓を指さし、


「じゃあなんで、そんなものにしがみついてるの? なにを迷ってるの? 早くこっちに来ればいいのに」

「それは……」


 マキはうつむいた。答えられるわけがない。自分でも、なにを迷っているのか分からないのだから。


「裏切り者」


 リサが鋭くささやく。


「楽園で会おうって約束したのに」


 リサの『裏切り者』という声に、ユキヒロたちが唱和していく。裏切り者、裏切り者……

「裏切り者!」

「ちが……私、違うよっ……」


 必死の思いで紡いだ言葉を、リサは笑ってたたきつぶした。


「そんなだから、死んじゃうのよ」


◇ ◇ ◇


 はっと目を開(あ)けると、薄汚れた天井が目に入った。見覚えのある、でもまだ見慣れてはいない、診察室の天井だ。


「マキ、大丈夫かっ?」


 焦りを帯びた声に顔を向ければ、マキが寝かせられているベッドのそばに、大地が立っていた。不安げにマキの顔をのぞき込んでいる。


「私……」


 記憶がひどく曖昧で、マキはぼんやりとしたまなざしで大地を見返した。


「ストレスによる、神経性の発作を起こしたようだ」


 もう一方の傍らからは、大熊先生の野太い声が聞こえてきた。


「大地が見つけてくれてよかった」


 そこまで聞いて、一気に記憶がよみがえってくる。

 誰も来てくれない絶望。ひとりでいなくなる恐怖。

 マキはバッと半身を起こすと、すぐそばにいる大地にしがみついた。


「ぅわっ!? マキっ?」


 突然引っ張られて、大地がつんのめかける。


「こわ……かった!」


 気がつけばマキは、ぼろぼろと涙を流していた。


「置いてかれるかと思った! 私だけ取り残されて、みんな行っちゃって……独りぼっちで!」


 手のひらを通して大地の存在が伝わってくる。マキはその感触にすがるように、彼の腕を服の上からぎゅっと握った。


「置いてかないで……私を、置いていかないでっ……!」


 勢いのままに泣き崩れる。嗚(お)咽(えつ)して呼吸が乱れることにおびえつつも、心がかき乱されるのを止(と)められない。


「大丈夫だ、マキ。大丈夫だよ」


 大地が大丈夫と繰り返しながら、優しく頭をなでてくれる。それがある人を思い出させて、余計に感情が込み上げてくる。

 大地も大熊先生も、それ以上はなにも言わない。ただマキが落ち着くのを、辛抱強く待ってくれた。

 そのおかげか散々しゃくり上げて、マキは感情の波が収束していくのを感じた。

 大地の腕から手を離し、下唇を嚙(か)んでうつむく。

 ひとたび落ち着いてみると、取り乱したことが急に恥ずかしくなった。特に、


(私、確か……)


 マキは布団越しに、太(ふと)股(もも)の辺りへと目をやった。

 肌に伝わる感触からすると、下半身は特に濡(ぬ)れてはいない。しかし発見された時は、どうであっただろうか。

 気づかれていなければやぶ蛇だし、気づかれていたなら蒸し返したくない。

 結局そのことについては触(ふ)れることもできず、マキはひとり顔を火照らせた。

 場を支配しつつある沈黙を破ったのは、大熊先生の言葉だった。


「……マキ。会いに行ってみるか? 高(たか)海(み)に」

「タカミ?」


 聞き覚えのない名前に眉根を寄せ、大熊先生を見上げる。


「高海誠(せい)一(いち)」


 大熊先生はそれがまるでなにかの呪文であるかのように、一音一音、丁寧に発音した。


「高海誠一。それがお前たちのセンセイの名だ」

「センセイの……?」


 奇妙な気分だった。マキにとってセンセイは『センセイ』だ。今更名前を聞いてもしっくりこない。


「マキの中でくすぶっている疑問。それには私でも答えることができる。でも、駄目なんだ」


 見上げるマキに、大熊先生は悲しげな目を向けた。センセイがたまに見せていた目と同じだ。


「マキの疑問には、あいつが答えなければならない。そうするべきだし、そうさせてやりたい。あいつはこんな日が来ることも覚悟して、選択したんだから」

「センセイの選択……?」


 マキの世界を作り替えていた、タカミセイイチという男の選択。


「もちろん、聞きたくなければそれでもいい。それもひとつの選択だ」


 大熊先生の言葉をのみ込み、考えて――マキは大熊先生の目を見つめ返した。


「私行きます。センセイの所に」


 大熊先生が、ゆっくりとうなずく。


「分かった。まだ体調に不安が残るから、私がついて行こう」

「俺が行くよ」


 黙って様子を見ていた大地が、ふいに割り込んできた。


「俺がついて行って、マキを見てるよ」

「しかしふたりでは」

「クマ先生は、宅診で忙しいだろ。喜楽園(ここ)も見てなきゃいけないし。それに」


 会話に入り込んだこの機を逃すまいとでもいうふうに、大地はベッド越しに身を乗り出した。


「だって俺も知りたいからっ。なんでソラを……殺そうとしたのか」


 尻すぼみに声を小さくしていく大地。

 そんな大地を大熊先生はじっと見つめ、


「そうか。そうだったな」


 哀切のこもった調子で応じた。


「じゃあふたりで行ってくるといい。行く日を決めたら教えてくれ。なにはなくとも、まずは体調を整えてからだぞ」

「はい」


 マキの返事を確認すると、大熊先生は体を反転させ、診察室の外へと歩きだした。話は終わりということらしい。

 しかしドアノブに手を掛けたところで、大熊先生がマキを振り返る。


「マキ、お前がなにを感じたって自由だ。なにを問いただしても、しなくても……だけど聞くと決めたことは、後回しにせず聞いておいた方がいい。次の機会があるなんて保証は、どこにもないんだからな」


 尾を引くような憂いを残し、今度こそ大熊先生は、扉の外へと姿を消した。


◇ ◇ ◇

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