語られるカコ
過去――平将門が藤原秀郷によって討たれるより、十年ほど前。
雪華がちらりと舞い落ちし、花城。
寒空の下、馬の準備も万端。……今まさに京から東国へと出立しようとする平将門。
「ふむ、準備も終わったのだな、小次郎よ」
ふらりと現れ、将門に声をかける男。――藤原忠平その人であった。
「これは! 藤原忠平様、もしや見送りに来て下さったのですか?」
将門は驚きながら、馬の鐙にかけていた片方の足を下ろし、深々と忠平に礼をする。
「坂東へと戻るのか……寂しくなるのう」
忠平は髭を触りながら、慈愛の深い目を将門へと向ける。
「ええ、十数年間、御指導いただき有難き幸せでした。……親父殿が亡くなったと知らせが来ましたので。……勝手をしますが、一度は戻っておかねばと」
又もや、恭しく頭を下げる将門。
「うむ、よく勤め、励んでいたのは知っておる。官位の一つでもやれれば良かったのだがの……鎮守府将軍に任官して国に帰るか?」
二人……平将門と藤原忠平には、血の繋がりは無い。
子と孫ほどに歳が離れている。
が……しかし、二人は歓談し、冗談を飛ばしながら笑いあう。
「小次郎、国に戻っちゃ嫌だ!」
今の今まで、忠平の後ろに隠れていた童が将門に向かって駆け寄り、腰ほどに抱きつく。
将門を下から覗くように顔をあげると、泣き腫らした顔をしていた。
「これはこれは……寛明親王様、泣いておられては、愛らしい御尊顔が台無しですぞ」
将門は節くれだった武骨な手で、頭をさわりさわりと撫でる。
「余は……小次郎が国に戻ると……余の周りで悪い事が起きる気がするのだ! だから行かないで欲しいのだ」
将門は、寛明親王言葉に、少し困り顔をする。
ふと、何かを思いついたのか。――将門は手早く腰に差した刀を外し、その刀と一本の扇を差し出す。
「寛明親王様、それはただの気のせいでしょう……が、それでも心配だと仰られるのであれば。これを――将門自身であると思い、お持ちになられませい」
将門から先に手渡される一振りの刀――鞘には三つ足の鴉があしらわれていた。
寛明親王は、大事そうに両手で、手渡された刀を抱え込むように持つ。
「その刀は親父殿に京へ向かう前に手渡されたもの……鞘には八咫烏。寛明親王様が迷った時や困った時には、必ずや導いてくれるでしょう」
次に手渡されるのは一本の扇。
「こちらは骨が香木。――白檀で作られた扇です。困っていた職人を助けた折にお礼としていただいた物ですが……この武辺者よりも、寛明親王様の方が似合います故」
快活に笑う将門に釣られて、寛明親王も笑う。
「ありがとう、小次郎! この刀と扇を、小次郎だと思って大切にする!」
大事に……刀と扇を胸に抱く姿を見ながら、将門は笑みを浮かべる。
「では、寛明親王様、忠平様……これから京は大変でしょうが、息災で」
忠平は寛明親王の肩に手を置く。
「うむ、そちらも少々、荒れるかもしれんのう……息災でな、将門」
深々と寛明親王と忠平に礼をし、将門は東へと馬で駆けて行く。
京を発ち。
少しの時日が流れ。
将門は上野国まで戻っていた。
畑仕事に精を出す村人たちを馬上から横目に見ながら川沿いをひたすらに駆ける。
そんな折に将門が駆る馬へと、何処からか飛来する矢が刺さり、馬が前のめりになり転ける。
「――っつ! ぬぐ」
将門はあわやという所で機敏に馬から飛び降り、難を逃れていた。
「この将門を害そうとするものは何者だ!」
将門は砂を払いながら立ち上がり、大声を出す――すると周りの背が高い草むらより隠れていた数人の男達が姿を現わす。
「うむ、物盗りか? それともこの命を狙ってか?」
しかし……男達は返答もせずに刀を抜き放ち、構えながら将門へと、じりじりと囲い込むように迫る。
「語る口を持たず、刀をちらつかせるとは……ならば致し方無し!」
既に絶命した、馬の腹を蹴り上げ、宙に浮かすと馬の脚を両手で持ち、男の一人へと馬を投げつける。
将門は馬を投げつけたと同時に、迫る一人の男に対して、正しく迅雷の如く駆け寄る。
将門は足で男の右大腿の付け根辺りを押し蹴り態勢を崩す。――将門は男の、刀を持っていた右腕をその拳で、ぺきりとへし折り、刀を奪い、首を搔き切る。
「殺気と狙いが駄々漏れとは刺客としては三流よな」
将門の背後から刀で突こうと、突進するように走ってきた男をひらりと躱す。――勢い余って通り過ぎた男、その背中を先程、奪った刀で縦に斬る。
「我は高望王の三男である、平良将の子! 平将門である! お前らなんぞでは、この首は取れんぞ!」
大気が揺れるほどの怒声を放つ、男達は知らずのうちに一歩後ずさる。
将門は男達が一歩後ずさったのを見て、口元を歪め笑い、男達に駆けよろうと足に力を入れる。
「――将門様……御迎えに参りましたぞ」
俄かに、将門の背後より嗄れた声がかかる。
殺気は無く、気配もしなかった。……正面にいる男達よりも、危険だと瞬時に判断した将門。――振り向くと同時に刀を振るう。
しかし、黒い蓑を被ったような、奇妙なものは素早く距離を取り、刀を避ける。
「お前は何者だ?」
刀を構え、警戒しながら問う将門。
「我らは将門様の叔父である、平良文様より遣わされた、飯母呂の者で御座います」
先程まで向き合っていた男達のほうから、どさりと何かが、倒れる音がする。
「飯母呂に、我ら……か、随分と腕が立つようだな」
ちらりと背後を見やると、同じような黒衣を着込んだ、腕長や鞠のような巨体、足太の者。
将門と対峙していた男達を、早業で殺したのか、川へと捨てる算段をしていた。
「お褒めに預かり光栄で御座います。今、東国は荒れております……ですが、仔細を語るのは平良文様の元で」
将門は手に持った刀を地に突き刺し、腕組みをして少しの間、思考を巡らせる……考えがまとまったのか口を開く。
「あい、分かった……叔父上にも顔を見せなければとは思っていた故な、参ろうか」
返事と共に踵を返すと、目の前に馬の手綱を引く黒衣の者が目の前に居た。
心底驚いたであろうが、将門は平常を装った。
「そちらの馬をお使いください」
嗄れた声の黒蓑に促されながら、将門は馬に近づく。
「うむ、喜んで使わせてもらおう。しかし……お前達はどうするのだ?」
手綱を黒衣の者から、手渡され馬に乗り掛けながら話しかける。
「我らは走って、ついて参ります、ご心配ご無用」
「そうか、頼もしいものよ……叔父にではなく、この将門に仕えぬか? 返事はまた後ほどで良いわ」
大きく笑いながら駆けはじめる、平良文の本拠のある相模国へと向けて。




