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1. 七人兄弟の長男

「りゅーにいちゃぁぁああああんっ!ゆーこが髪ひっぱったぁあああっ!」


 鼓膜を劈くような絶叫が、玄関のドアを開けた瞬間に俺の耳を容赦なく打った。

 俺は加賀龍哉かがりゅうや、十七歳 。

 七人兄弟の長男という、大家族における最も不遇なポジション(少なくとも俺はそう思っている)に鎮座している男だ 。

 放課後の教室に響く笑い声や、グラウンドから漂う部活の土ぼこりの匂いになんて目もくれず、学校が終われば家路を急ぎ、家事と育児という名の戦線に直行する毎日を送っている 。


 リビングに足を踏み入れると、そこはすでに阿鼻叫喚の坩堝と化していた。

 今朝、何とか時間を捻出して綺麗に畳んだはずの洗濯物の山が無惨にフローリングのあちこちに散乱している 。

 その中央で末っ子の奈菜が滝のように涙を流し、三女の優子が奈菜の細い髪を力任せに引っ張っていた。

 二人の標的は、薄汚れてしまっているが某有名なクマのぬいぐるみだ 。


「優子!髪ひっぱるんじゃない!順番に遊びなさい!」


 俺はクマの腕をむんずと掴んで優子から引き剥がし、奈菜の胸に押し当てる 。

 すると今度は、獲物を奪われた優子が「うわぁぁん!」と俺の太ももを小さな拳でポカポカと叩き始めた 。


「順番だから!奈菜はこのタイマーが鳴ったら、次は優子に貸してあげて。優子もそれまでは別のおもちゃで遊んでなさい」


 ピピッとキッチンタイマーをセットしながら、床に散らばったタオルやシャツを掻き集め、破壊神たる怪獣たちの手が届かないソファの上へ素早く避難させた 。


「兄ちゃん、晩御飯の準備するから、仲良く!お利口に!」


 家族を養うために夜遅くまで馬車馬のように働いている親父や、なんと絶賛八人目を妊娠中で病院のベッドにいるお袋の顔が頭をよぎる 。

 実質的な親代わりである俺の言葉には逆らえないと悟ったのか、優子は頬を膨らませながらも、奈菜に「ピッピなったら交代してね」と念を押し、しぶしぶブロック遊びを始めた 。


 そこへ、ガチャリと玄関が開く音がした。


「りゅう兄ちゃん、洗濯たたんどこか?」


 制服姿の中学二年の次男、春斗が帰ってくるなりそう申し出てくれた 。

 リビングの惨状と、ふてくされて遊んでいる優子を見て察してくれたらしい。


「おー、滅茶苦茶助かる。じゃあ俺は晩御飯の準備するから頼んだ!」


 エプロンを締めながら息をつく。

 俺は長男というより、もはやオカンだ。

 同級生たちが教室で語り合う「将来の夢」や「大学の進路」なんて、俺の耳にはどこか遠い外国語のように響いていた 。

 自分がやりたいことを見つけるとかを考える前に、早く自立して稼がなきゃならない 。

 俺の思考は、常に大家族の長男という前提条件に支配されているのだった。



 *****

 


「えーっと、今日の晩御飯はカレーだから……」


 夕暮の商店街を歩きながら、俺はポケットからくしゃくしゃの買い出しメモを取り出した 。

 目当ては我が家のカレーの絶対的エース、鶏ひき肉だ 。

 胸肉でもいいが、煮込んでも咀嚼に顎の力が必要だからちびっ子たちが食べにくそうにするし、何よりひき肉なら喉に詰まらせる心配もない 。

 そして、圧倒的に安い 。

 コスパ最強の食材を求めてスーパーへの道を急いだ。

 その時、前方にひょろりとした見慣れた背中を見つけた 。


「あ、おーい!雄介!」


 声をかけた瞬間、俺の思考は停止した。

 唐突に、雄介の足元のアスファルトが青白く発光したのだ。

 幾何学模様が複雑に絡み合った、光の円陣が路地裏に拡がっていく 。


「……!?なんだ!?あれ?」


 瞬きする間もなく、雄介の足首が、ふくらはぎが、光の沼へとズブズブと沈んでいく 。

 「うわぁぁぁあっ!」という彼のパニックに満ちた絶叫が、静かな夕暮れの空気を引き裂いた 。

 訳が分からない 。

 脳の処理は完全にフリーズしていたが、体が勝手に動いていた。

 ちびっ子が転びそうになった時と同じ、完全な反射行動だ 。

 俺は買い物カゴのことも忘れ、アスファルトを蹴って飛びついた。


「引っ張り上げ……、ってうわぁああ!」


 必死に伸ばした右手が、雄介の腕をガッチリと掴む 。

 よし、引き上げられる、と思った直後――腕から伝わってきたのは、圧倒的な引力だった。

 足が宙に浮く。抵抗する間もなく、俺の視界は雄介もろとも、眩い光を放つ地面の中へと真っ逆さまに引きずり込まれていった 。


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