エピローグ
静謐な風が谷間を走る。
私は旅支度を終えると、見送ってくれるベイルに頭を下げた。むしろ土下座する勢いだ。
山の奥のほうにひっそりと立てられたこの隠し小屋はベイルの用意してくれた拠点である。半年を過ごしたここには、もう戻る事もあるまい。
「本当にベイルさんにはお世話になって、申し訳ありません」
彼は苦笑しながらぽんと私の肩を叩いた。
「正直、ミチカを拾った初日に覚悟は出来ていたから気にするな。その覚悟がなければ犬も猫も拾わない」
「……」
彼の視界に私は恐らく無力きわまりない犬猫の子供のように見えたのだろう。大変ありがたいがどこか複雑な気持ちでもある。
「弟子達にも大分苦労かけたしな、俺はカトールに戻るけど、ミチカは?」
彼の行方不明中、弟子によって残された馬や動物たちが世話されていたのだ。一部の信頼出来る弟子だけにベイルの生存は知らされていた。辿られると私の生存もばれるので一緒に潜んでいてくれたのだ。
「私はこのまま旅に出ようかと……」
これ以上ベイルに迷惑をかけるわけにもいかないし、幸い私は死んだ人間だ。死霊術士の服装を脱いだ今の私は、見た目普通の旅人に見える。
誰も知らない場所でひっそりと生きて行こうと思う。
「そういやあれは? リパー・エンドに何かもらったんだろ?」
「……」
私は笑顔を引きつらせた。あの狂人の置き土産。それは。
私がそっと差し出したその箱に目をやって首を傾げるベイルに、私はぽつりと言った。ただ一つ残ったそれは。
「……リパー・エンドの死体の一部です」
「……」
彼もまた笑みを引きつらせた。
「そりゃまた……熱心なラブコールで。……蘇らせるのか?」
「んな訳ないでしょう!」
人類の危機再びである。誰が復活などさせるものか、と私はベイルを睨み付けた。
「にしてはちゃんと持ってるんだな」
「……この箱、湖に投げ捨てたらいつの間にか戻ってくるんです」
呪われている。私が呪われているのか箱が呪われているのか分からないが、絶対に呪われている。何度か神聖魔法で吹っ飛ばしたが、傷一つついていない。どれだけ全力で防護魔法かけたんだろう。あの殺人鬼め。
途中で神殿に行って呪いを解いてもらい、力一杯遠投して湖の底に沈めてやろうと思っている。そして死霊術は完全封印だ。今呟いたら奴が蘇る。やってられるか!
「そんな訳で私は行きます! 人類のためにも、私自身のためにも!」
「……おう、頑張れ」
ベイルが乾いた声で応援してくれる。私は箱を嫌々荷物に入れると、頭を下げて歩き出した。西に向かおう。学園とは反対の、もっと遠い地に。
「……強く生きろよ」
心のこもった応援に、何故だろう、ちょっと泣けてくる。
そうして私は歩き出した。一年という長い月日を費やした悪夢の日々には綺麗さっぱりお別れして、第二の人生を歩むのだ。
ああ、嫌な予感が止まらないのは、私が不幸体質だからだ。きっとそれだけなのだ。
私は大きなため息を吐くと、逃げていこうとする幸せをどうにか引き留められないかなぁと呟いた。