第62話 不吉な予感と変転
ルカは食事を終えると、宿屋の外に出た。
外の空気は肌寒く感じ、彼は星が浮かぶ空を見ながら息を吸い込む。
胸に刺さった棘は、なかなか取れず彼はこれからのことに悩んだ。
それでも、彼は前を向くと、テオドールを探しに歩き出す。
一方レティシアはルカが外に出て行くと、汗を流しに向かった。
(ルカのことだから、ちゃんとテオを見つけてくると思うけど……悩んでたみたいだったから、大丈夫かしら……それに……テオがちゃんと反省してたら、私もちゃんと許さないとだよね……)
レティシアはシャワーを浴びながら思うと、ゆっくりと汗を流した。
肌が水を弾き、シャワー室は湯気で真っ白に曇る。
テオドールと会っても感情的にならないように、彼女はできるだけ気持ちを落ち着かせようとした。
それでも、ルカとロレシオのやり取りを思い出しては、大きく感情が揺れる。
しかし、さすがに共同シャワー室に長時間いるわけにもいかず、ギリギリまで時間を掛けた彼女はシャワー室から出た。
ラフな服装に着替えた彼女は、重たい足取りで宿泊している部屋へと向かう。
レティシアは部屋の前に着くと、そのまま部屋に入らずにドアを見つめた。
そして、1度深呼吸してから、彼女はドアを開けて中へと入って行く。
部屋に入ったレティシアはドアを閉めると、突然後ろから抱き付かれて彼女の心臓は大きく飛び跳ねた。
その次の瞬間、レティシアの耳によく知っている人の声が届く。
「ララ!」
嬉しそうなテオドールの声を聞いた時、レティシアは無意識に歯を食いしばった。
彼との楽しかった思い出は走馬灯のように流れ、徐々にルカと出会った頃の幼い黒髪の少年にすり替わる。
その姿はやがて大きくなり、苦しみや悲しみを隠し、激しい怒りでロレシオを問い詰めている。
喉は焼けるように熱くなり、苛立ちと悲しみが同時に押し寄せた。
そっと瞼を閉じると、悲しそうに宿屋を出て行くルカの背中が浮かんだ。
その瞬間、彼女はマルシャー領を出る時に感じた、テオドールへの寂しい気持ちが、砂のように消えていく気がした。
「ねぇ、テオ」
レティシアは表情が抜け落ちた顔でテオドールに話しかけた。
火照った体とは対照的に、その声はひどく冷たい。
彼女はテオドールが離れ、優しく笑いかける姿を冷ややかに見ていた。
再びルカとロレシオの姿が浮かび、血流が変わって頭に血が上る感覚がした。
テオドールはレティシアの表情を気にすることもなく、彼女に会えたことが嬉しかった。
また彼女の近くにいられるんだと思うと、彼は好きだと思う気持ちを込めて彼女の髪に手を伸ばす。
まだ濡れている彼女の髪を耳に掛けながら、彼は不思議そうに彼女に尋ねる。
「ララ、なぁーに?」
「あなたの行動が、私たちに迷惑を掛けたと思わないわけ?」
「少しは思ってるよ? さっきルカにぃにも、それで怒られたから」
テオドールは首をかしげて言うと、レティシアの目が細くなるのを見た。
彼女の瞳からは、怒りの感情が見えて、彼はこの時彼女が怒っているんだと分かった。
「それなら、なぜ私にこうやって飛びつけるのかしら?」
「迷惑を掛けたと思うけど、でも」
「でもじゃない!! あなた1人の行動で、あなたのことを心配した人もいるし、あなたのせいで疑われた人もいるの!! あなたが黙って1人で動けば、周りにどんな影響があるのか、もう少し考えてもいいんじゃないの!?」
「……」
「私は、この村にあなたがいると知った時、安心とか嬉しい気持ちは少しも抱かなかったわ!!」
「ララ、そこまでにしとけ」
レティシアはルカの落ち着いた声が耳に届いた。
瞬時に彼女は声がした方を見ると、窓の近くで腕を組んで壁に寄り掛かるルカと目が合う。
そして、彼女は気持ちが溢れ出し、視界が滲むと苦しい胸の内を話す。
「ルカは良いの!? この子のせいでルカはロレシオを疑う羽目になったんだよ!! ルカの努力が無駄になるとこだったんだよ!! 私は許せないわ!!」
「ララ、もういいから……。もういいから……おいで」
ルカは目に涙を浮かべたレティシアを見て、優しく言いながら手を広げた。
彼女がテオドールを押しのけ、走ってくる姿に彼は胸が痛くなる。
だけど、彼女が腕の中に飛び込んでくると、その温もりに安心してしまう。
ルカは彼女が変わらず、彼のために泣くんだと思うと、嬉しさや安堵と共に胸が苦しいと感じる。
彼女の頭を、ルカは大丈夫だからと想いを込めて、そっと何度も触れて優しくなでる。
しかし、彼はテオドールが彼女に押された胸に手を当てて、悲しげな表情で振り返るのも見て複雑な気持ちにもなった。
(テオのことは、大切だけど、それ以上にロレシオもルカも私には大切だわ! ルカだってロレシオを疑いたくなかったはずよ……それなのに……それなのに……)
レティシアはテオドールがこんなことをしなければ、ルカがロレシオを疑うこともなかったと考えて悲しくて悔しかった。
彼女はルカの腕の中で、両手で彼のシャツを掴むと、必死に泣くのを堪えた。
「ララ……ごめん……。父上から、ララが旅に」
「テオドール、今はやめておけ。お前を迎えに行く前に、こっちでもいろいろとあったんだ。ララにだって気持ちを整理する時間が必要だ」
ルカはテオドールの言葉に被せて、最後まで言わせなかった。
そのことで、テオドールが悲しそうに下を向いたが、ルカは彼のことよりもレティシアが大切だ。
それは、この先も変わることがないのだとルカは思う。
「うん、ルカにぃ、ごめん……」
「ララ、俺とロレシオのことは、気にしなくていいんだよ。本当に、大丈夫だから……。後、ごめんね。気持ちが落ち着かないと思うけど、少しだけ先のことを話したいんだ。良いかな?」
ルカはできるだけ優しく言うと、レティシアが黙って頷いた。
彼は少しだけレティシアの体を自分から離すと、彼女をベッドまで誘導して座らせる。
そして、彼女の隣に座ると、彼は彼女の頭を自分の胸の方へ引き寄せる。
「空間消音魔法」
ルカは魔法を唱えると、話し始める。
その声は、レティシアに話しかける時とは違い、どこか冷たく淡々としている。
「とりあえずテオドールは、どこでもいいから座れ。明日の朝には予定通り、乗合馬車でこの村を出発する。だから、その前に仕事の説明をしようと思う」
「分かったよ、ルカにぃ」「分かりました」
テオドールは返事すると、ルカの向かい側に座った。
だけど、彼はルカの顔をチラッと見ると、ルカが彼を見つめる瞳に、いつもの優しさを感じなかった。
そのことで、彼は瞬時にルカとは、今までのような関係でいられなくなったのだと悟った。
「テオドール、先に言っとくが、俺たちはお前を皇子扱いをするつもりもなければ、お前が危険な状況になっても、命を懸けて護るつもりは一切ない。正直な話、この先お前が、死のうが生きようが俺たちはどうでもいい。これはお前の父親からも、すでに了承を得てるが、それに対して何か質問があるか?」
「ううん、大丈夫だよ……。父上がルカにぃにそれでいいって言ったんなら、そういうことだと思うし」
「それならいい。それと、俺のことは呼び捨てでも構わないから “兄” と呼ぶのはやめてくれ。俺たちの関係性を知らない人から、兄弟だと思われた場合、お前を守らなければならなくなる」
「分かったよ、ルカ」
ルカに突き放されたテオドールは肩を落としたが、そんな彼にアルノエは冷ややかな視線を向けていた。
この部屋の中にテオドールの味方は誰もいないのだ。
アルノエも口には出さないが、テオドールのことがなければ、ロレシオが疑われるようなことがなかったと思っている。
「それじゃ、仕事の話をする。俺たちが向かう目的地は、リグヌムウルブという街だ。そこで魔物の討伐を行うことになってる。討伐と同時進行で、なぜ魔物の活動が活発になってるのか、そのことも調べることになる。だが、問題はここからだ。実は、その討伐に魔塔の魔導師と教会の聖騎士と聖女も参加する」
レティシアは教会と聞いて、体がビクッと反応した。
確かに彼女にとっては、どちらも警戒する相手でもある。
だが同時に、彼女がほしいと思う情報を持っている可能性がある相手だ。
どうやって接触し、どの程度まで踏み込むべきか、彼女は考えながらルカの話に耳を傾けた。
「そして、その討伐にエルガドラ王国の王子も参加するが、俺はそのエルガドラ王国の王子を護衛する。前の時もそうだったが、今回もヴァルトアール帝国にエルガドラ王国から密書で依頼があった」
「ルカ様、その王子の護衛というのが5年前の続きでしょうか?」
アルノエはルカに聞きながら、レティシアの向かい側に座った。
彼は彼女に水が入ったコップを渡すと、不安げに彼女を見つめる。
彼女がルカから離れ、水を飲むとアルノエはやっと安心した。
「そうだ、当時は犯人が見つからず、向こうも落ち着いたから帰国した。だが最近になって、またその王子の周りが、どうもきな臭いらしい」
「ルカ様が護衛している間、ララ様はどういたしますか?」
「ララはできたら俺と行動してほしいが……、調べたいこともるだろうから、アルノエと行動するといい」
ルカはレティシアの方を向いて言うと、彼女はすぐに首を横に振った。
そのことに彼は少しだけ驚き、彼女の意思を知りたくて、彼女の言葉を待った。
「私はルカと一緒に行動する。きっと、その方がいいわ。確かに調べたいこともあるけど、それで目立ったらダメだと思うの。それなら王子の近くはいい隠れ場所だと思うのよ」
「それなら、アルノエも俺と行動を共にした方がいいな……」
「そうですね。最も安全な隠れ蓑ですが、逆を言えば最も危険な場所ですから」
「なら、引き続きこのメンバーで、王子の護衛に当たる。いいな?」
「問題ないわ」「異論ございません」
「テオドールは、自分の身は自分で守れ。それと、テオドールも分かってると思うが、この話は他言無用だ。もし誰かに言えば、お前の命はないと思え」
「うん……分かったよ」
「それなら話は以上だ。ララ、この後少しだけ付与してほしいものがあるんだけど、頼めるか?」
「いいわよ」
レティシアが返事すると、ルカとレティシアの2人は立ち上がった。
剣を取り出したアルノエは、剣の手入れを始めた。
テオドールは静かに、レティシアとルカのやり取りを、ぼんやりと眺めていた。
彼はレティシアが彼を見ていないことから、悪いことをしたのだと思った。
そして、楽しかった頃にはもう戻れないのだと感じ、ここには居場所がないのだと思う。
ルカが以前は優しかったのに、こうも変わってしまうのかと思うと彼は悲しくなる。
レティシアがルカに頼まれたのは、彼がテオドールを迎えに行く途中で買ったブレスレットに、身体強化を付与することだった。
彼女はそれを苦労することもなく、4つのブレスレットに身体強化の付与を施した。
ルカはそれを1つ身に着けると、レティシアとアルノエにも渡した。
そして、最後にテオドールへ「ララが戻る前に話した通り、無詠唱で魔法は使えないからな」と釘を刺して手渡した。




