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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
2章

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第54話 愛と最後の願い


『お母様、どうしたのですか? どこか悪いのですか?』


 エディットはレティシアの言葉を聞きながら、愛しい娘の髪に手を伸ばす。

 生まれた時のことを思い出して、胸の奥が熱を帯びて言葉に詰まった。

 それでも、娘を護りたい気持ちはあの頃と変わらない。

 彼女は娘の髪をとかすようになでながら、覚悟を決めて微笑むと口を開ける。


「レティシア、よく聞いてね? これからレティシアは、必要だと思う荷物だけ持って、マルシャー領に向かってちょうだい。リタの故郷なのよ? 自然に囲まれていて、良いところだからすぐに気にいるわ」


 レティシアはエディットの声が、とても優しくて逆に不安になった。

 エディットの容体が悪いのは、一見しただけでもレティシアには分かる。

 手のひらから微かに感じる脈は弱く、人形のように顔色もない。

 しかし、咄嗟に魔力の流れを見ても、異変を見つけることができない。

 そんな状況で、エディットから離れるわけにはいかない。

 彼女は離れたくなくて、首を横に振ってエディットに答える。


『いやです! 旅行ですか? それなら、お母様が良くなってからでいいです……だから今は行きません』


「レティシア、いい? 旅行じゃないの……お母さんね、今帝都で問題になっている奇病に、罹っているみたいなの」


 ルカは帝都の奇病と聞いて、なぜあの日エディットが呼び出したのか全て理解した。

 心臓がうるさいくらいに脈を打ち、これからどうするべきか彼は考える。

 そして、悲し気に2人を見ると、拳を握った。

 嘘だと、冗談だと、ルカは期待の間差しをエディットに向けるが、彼女の目が本当だと語る。

 彼は結局、エディットの話を聞き続けるしかない。


「だからね……レティの御祖父様と御祖母様が帰ってくるまで、少しでも長生きできるように、延命治癒装置に入るの……。だから、レティシアはリタの故郷に行ってちょうだい。ここにいたら、教会の人たちが来るから危ないわ……」


 レティシアはエディットの話を聞いて、目には涙が溢れた。


(嘘よ……お母様が帝都の奇病に罹っているなんて……そんなのいや! やっと、家族からの愛を見つけたのに……いやよ!)


 彼女はそう思って小さく首を横に振ると、目に溜めた涙が左右に揺れる。


『いやです……! お母様の傍にいたいです……!』


 エディットはレティシアの悲痛な声を聞いて、悲しみを堪えた。

 そうしなければ、覚悟が揺らいでしまうと思ったからだ。

 そして、いつもレティシアの傍を離れない少年を呼ぶ。


「ルカもいるかしら? 顔を見せてちょうだい……」


 この瞬間、リタはもうエディットの決断は変わらないのだと悟った。

 彼女は少しでもエディットが話しやすいように、エディットの体を起こし、背中に枕を置いて傍に控える。


「エディット様、ここにおります」


 ルカはレティシアの隣に立って言うと、エディットの方に視線を向けた。

 彼はエディットが息を吸い込んで吐き出し、見つめてくる瞳に覚悟が見えた。

 だからこそ、彼も目を逸らさず、覚悟を持ってエディットを見つめ返す。


「ルカ……ルカが今の頭領なのでしょ? ずっと、気が付かなくてごめんなさいね……。勝手にずっとね……モーガンだと思っていたの。よくよく考えれば、あのモーガンじゃ荷が重いのにね……。ルカはまだ子どもよ。私はね……モーガンたちには悪いのだけど……どこかでルカを、私の息子のように思っていたわ」


 エディットの口から息子と聞いて、ルカはガラスの破片が刺さったように胸が痛んだ。

 護衛として来ている彼は、本来なら食事の時間は立っていなければならない。

 もちろん、最初のうちは護衛らしく壁際に立って控えていた。

 だが、レティシアと訓練場に行くようになってから、食卓に着くようにエディットから言われていた。

 時折、エディットから「内緒よ」と言われてお菓子をもらえたり、レティシアと過ごしていると、エディットは2人に本を読み聞かせることもあった。

 レティシアの髪をとかした後、ルカの髪を優しくとかしてくれることもあった……。

 なぜそうするのか疑問を抱いたこともあったが、その理由に家族として受け入れてくれていたのだと理解すると、彼は息を詰まらせた。

 胸が締め付けられるようで、呼吸さえ苦しく、今度は焦げるように喉が痛くなる。


「だから余計に……私の中で受け入れるまでに、時間が掛かったんだと思うの……。正直なところ……まだルカにも……、重たい責任だと……思っているわ……」


 エディットの言葉は次第に途切れ、彼女が話すのを邪魔するように、先程まで言葉を発していた唇が小刻みに震えた。

 彼女の瞳には、今にも零れてしまいそうな程の涙が溜まっている。


(レティシアにも、ルカにも、言いたいことも、伝えたいことも、まだまだあるのに伝えられない。全て伝えてしまったら、きっと……行かないで、と言ってしまうわ。……行かないで……行ってほしくない……でも……でも……教会も来たら、確実に私ではレティシアを守れない……だから……行かせなきゃ……)


 エディットはそう思うと、溢れる涙を抑えきれなくなった目から、一筋の雫が零れ落ちる。

 すると、堰を切ったように、次から次へと涙が零れ落ちていく。

 彼女は胸が痛くて、息が苦しくて、喉が焼けるように熱くなるように感じる。

 それでも彼女は、伝えなければならないと思うと、震える唇で口を開けて、息を吸い込んだ。

 そして縋るように、少年に頭を下げる。


「……でも……ッ……でも……ルカ様どうか……レティシアを護ってください……お願いします……レティシアを連れて……マルシャー領に向かってください……話は……すでに通してあります……ルカ様ッ……私からの……最後のお願いです……どうか……どうか……、私の大切な宝物を護ってください」


 溢れ落ちる涙を止められず、エディットがやっとの思いで伝えた言葉を、ルカはただただ静かに聞いていた。

 それから彼は1度床に視線を落とすと、小さく息を吐き出し、ゆっくりとエディットに視線を戻した。


「もう決めたんだな?」


 ルカの声は、いつもレティシアを護衛している時の声とは違い、幼いながらも頭領としての重みが含まれている。

 彼女の覚悟が変わってくれればいいのに、と最後の希望を抱いて彼は問いかけていた。

 しかし、その希望は虚しく、エディットが「はい」と言うのを聞いて、彼は息が詰まるほど苦しくなった。

 彼は天井を見ると、目を瞑って気持ちを落ち着かせるように息を吐き出す。

 喉は今にも焼き付き叫び出しそうになり、瞼の裏に浮かんだ涙は目から溢れそうになる。

 けれど、どちらも今の彼には許されないことだ。

 彼は静かに深呼吸を繰り返すと、再びエディットの方に視線を戻した。


「……分かった。リタ、お前は最後までエディッ様の傍にいろ」


「ルカ様、かしこまりました……ありがとうございます」


 リタは返事すると、深々と頭を下げた。

 本来なら、もう彼女はレティシアに付いて行くべきだ。

 なぜなら、エディットが事実上、当主をレティシアに譲ったからだ。

 それでも、エディットの傍に残してくれる。

 そのことに、彼女は安堵し、ルカの優しさが嬉しかった。

 しかし、彼女はレティシアのことを考えると、複雑な気持ちが絡み合う。

 少しでも悟られないように、彼女は気持ちを隠すしかなった。


「レティシア、行くよ」


『いやだ! 行かない!』


 ルカはレティシアの手を取ると、優しく言う。

 彼女の気持ちが、彼には痛いほど分かる気がしたからだ。


「レティシア……頼むよ」


『いや!!』


「レティシア!!」


 レティシアはルカが大きな声を出すと、泣きながら彼の手を振り解いた。

 治療法が分かっていない奇病なら、いつエディットが亡くなるか分からない。

 それを考えると、彼女はここを離れたくないと強く思った。

 それと同時に、髪をなでる優しい手も、抱きしめてくれる手も、ここを離れれば自分で手放すのだとも思った。


『いやだ!! 絶対に行かない!!』


 ルカは泣いて拒否し続けるレティシアに対し、気持ちを堪えるよに歯を食いしばった。

 本音を言えば彼もここを離れたくない。

 彼はレティシアの幸せを思えば、ここを離れるべきじゃないことも分かっている。

 彼女の望みを叶えてあげたいが、それは彼の立場が許さない。

 ふと彼女に言われた『……ルカは、私のお願いを聞いてくれるの?』という、言葉を思い出す。

 それは些細な言葉だ、それでも今の彼には重く圧し掛かる。

 こうなると分かっていれば、伝えたい気持ちも、伝えたい言葉も、ちゃんと伝えれば良かったと後悔が押し寄せる。

 彼女ともこんな関係性を、望んだわけじゃない。

 それでも彼は彼女が動くならば、たとえ自分が望んでいた対等な関係とは違っても、オプスブル家として告げる覚悟を決める。

 そして、彼は静かに胸に手を当てながら、彼女に跪いて口を開く。


「レティシア様、この時を持ちまして、私どもオプスブル家は、レティシア様の望まれますように動きます。我々、オプスブル家はレティシア様が自在に扱える手足となりました……ですが、どうか、今だけはエディット様の最後の願いを成就させてくださいませ、お願いいたします」


 レティシアはルカの言葉を聞いて、目を瞑って下唇を噛んだ。

 溢れてくる涙を堪えて、彼女は喉の奥が痛くなるのを感じた。


(……わがままは……もう許してもらえないのね……帝都で問題になっている奇病は、未だに原因も治療法も発見されていない……進行も人によって違う……分かっているわ……。オプスブル家は、私を次に仕えるフリューネの主だと認めた……まだ諦めたらダメだ、まだ、まだやれることは、あるかもしれない……お母様のためにも)


 レティシアはそう思うと、ドレスの袖で涙を拭った。

 それから、エディットの手を取ると、伝えたい言葉を伝える。

 それは、彼女が少しでも、後悔しないためなのかもしれない。


『お母様、例え傍にいなくても、離れていても、私はお母様と一緒です。……お母様……私はお母様の娘として、生まれてこられて……幸せです……』


「私もよ。レティが私の元に生まれて来てくれて、幸せだったわ……愛しているわ……」


 エディットの言葉を聞いたレティシアは、ベッドに上がるとエディットの首に腕を回して抱き付いた。

 そして、泣きそうになる気持ちを堪えて、覚悟を見せるように言う。


『お母様……行ってまいります』


エディットもレティシアの体に腕を回し、小さな温もりを忘れないように彼女を抱きしめた。

頭の中を駆け巡るのは、これまでの些細な日常。

本を読んでいたレティシアが振り返り、彼女に向かって笑顔を浮かべる。

ルカとレティシアを挟んで、3人で本を読んだこともあった。

そのまま寝てしまい、3人してリタに叱られた日もあった。

レティシアの花壇で、泥だらけになって草むしりもした。

そんな些細な出来事を、これからはできないのだと思うと胸が痛む。


「行ってらっしゃい……レティ……」


 レティシアは、エディットが一瞬だけ力を込めたのが分かった。

 それでも腕が緩むと、彼女はエディットから離れてベッドから下りる。

 そして、ドアの方に向かって歩き出す。

 後ろから、ルカが付いてくるのが彼女には分かった。


『リタ、お母様のことは任せたわ。最後まで護って』


 レティシアはドアまで行くと、そう言って振り返ることもなく、部屋を後にした。


「レティシア様、かしこましました」


 レティシアが去った部屋から、そう言うリタの声が、微かに浮遊魔法トリスティクを使って進むレティシアの耳に届いた。


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