第53話 静寂の屋敷
ダニエルが帝都へ帰って、あれから1ヵ月が経った神歴1491年4月8日。
屋敷の雰囲気は、仕える主を失くしてしまったかのように静かだ。
敷地に吹き込む春の風は、雨の匂いを運び。
空は薄暗く、今にも泣き出しそうに太陽を隠す。
小鳥は悲しみの歌を歌い、花々は悲しげに左右に揺れる。
部屋の窓から外を眺めていたレティシアの目に、立ち話をしているジョルジュの姿が留まる。
すると、初めてこの屋敷を訪れた時のように、未だにこの屋敷に滞在しているルカに聞く。
『ジョルジュ、昨日も出掛けてたんでしょ?』
ダニエルが帝都へと帰った後、1週間ほど過ぎてから突然エディットが部屋から出なくなった。
レティシアはそのことが気になり、初めは何度もエディットの部屋を訪ねている。
しかし、彼女がエディットと会えることは、1度もなかった。
だが、エディットとは対照的に、その頃から頻繁にジョルジュが外出するようになった。
そして、レティシアは度々ジョルジュが出掛けるのを、見かけている。
「ああ、何も報告は受けてないけどな」
足を組んでソファーに座っていたルカは、本を読みながら答えた。
彼は思考するように本を閉じると、さらに続ける。
「あれから、騎士団もエディット様に会えてない。それに、エディット様が部屋から出たという、報告もない。今のところ、エディット様の状況がどうなってるのか、そのことを知ってるのは、リタとジョルジュだけだ」
レティシアはルカの話を聞いて、考えるように顎に触れる。
そして、この屋敷を訪れた医者の様子を、思い返しながら話す。
『そうだったのね……そう言えば……お母様が部屋から出なくなってから、1度だけお医者様が来ていたわね……』
ルカは眉間にシワを寄せる。
レティシアと行動を共にしている彼は、この屋敷に医者が来たのを見ていない。
しかし、レティシアの話した人物に、1人だけ思い当たる人がいるが腑に落ちない。
そのため、彼は聞き返す。
「そうなのか? 来客があって記憶にあるけど、そんな感じの人じゃなかったよ?」
レティシアは振り返ると、医者と会った時に感じたことを伝える。
これで彼が納得しなくても、彼女はあれが医者だったという確信があった。
『彼とすれ違った時、違う匂いで誤魔化そうとしていたけど、微かに体に染み付いた、医者特有の匂いがしたのよ……』
「なるほどな……おまえがそう言うなら、そうなんだろうな……。それなら、何かしらエディット様に何かあったんだな……」
ルカはレティシアの話を聞くと納得した。
なぜなら、彼女の鼻が良いことを、彼は知っているからだ。
彼は膝の上で頬杖をつくと、眉を顰めた。
(お母様が部屋から出なくなって、お医者が屋敷に来た。それなのに、その後もお母様が部屋から出てこないのは、ルカも変だと思うんだね。伝染するような病なら、定期的にお医者様が来るはず……なのに、来たのは、あの1度だけ……)
レティシアはルカが考えるようにしたの見て、彼女も考えていた。
ルカは少しだけ体を起こすと、レティシアの方を見た。
考えは整理できていないが、彼は確かめたいことがある。
「なぁ、レティシア。エディット様に会いに行かないか?」
レティシアは、ルカの言葉を聞いて一瞬だけ驚いた。
彼から会いに行こうと、言われると思っていなかったからだ。
けれど、すぐに悩むように言う。
『今回もリタに追い返されないかな? ここ何度かお母様の部屋に行っているけど、会わせてもらえてないじゃん……』
「そうだけど、確認しないことには、どうしようもないだろ? それに……俺の方で、確かめたいことがあるんだ」
ルカは先月、レティシアとダニエルが対面している時に、エディットに呼び出されている。
その時の会話や、エディットの様子を考えれば、部屋から出ないのは不自然だと感じていた。
しかし、医者が来たこと、そしてエディットが部屋から出ない理由。
そのことを考えると、もしもの可能性が頭を過ぎる。
あの時、もしエディットの言葉に違う意味が込められていたら、彼女はこうなることを分かっていたのかもしれない。
彼はそう考えると、エディットに会わなければならないと思った。
『……そうだね……もしかしたら、状況がわずかでも変わっているかもしれないし……リタがいなければ、少しだけ部屋に入ってみるのもいいかもね……うん、行こう』
ルカはレティシアが駆け寄ると、ソファーから立ち上がった。
そして、彼女を抱き上げようかと考えたが、考え直して手を差し出す。
もしも、彼が考えていることが当たっていれば、その方がいいと思ったのだ。
それでも、違っていてほしいと願うように、彼は口を開く。
「会えなかったら、そのまま少しだけ騎士団に顔を出そう」
『うん、そうしよう』
レティシアはルカの手を取ると、彼とエディットの部屋へと向かう。
屋敷の雰囲気はどことなく暗く、廊下の白い壁が冷たく感じる。
風が吹くたびに、窓がガタガタと音を鳴らす。
彼らとすれ違う使用人の表情も、どこか曇っている。
レティシアは使用人の顔を見て思う。
(お母様が部屋から出てこないから、屋敷で働いている人たちも心配しているんだろうなぁ……)
『ねぇ、そういえば、モーガンは?』
「父さんなら、オプスブル領に帰ったよ」
『ふ~ん』
(モーガン、先に帰ったのね……知らなかったわ)
レティシアとルカが辺りを見ながら、エディットの部屋に近付いていた。
ドアが閉まる音が聞こえると、2人はエディットの部屋の方を見る。
すると、ちょうどリタがエディットの部屋から、出て来たところのようだ。
レティシアはルカの手を離し、急いでるように駆け出した。
その後ろを、ルカがゆっくり付いて行く。
『リタ! 今日はお母様と会える?』
リタはレティシアが、走って来たことに気が付いた。
そして、レティシアの後ろを見ると、ルカが観察するように見ていることにも気付く。
彼の赤い瞳が、真実を話せと訴えているようにリタは感じて、威圧感から思わず後退りしそうなる。
けれど、リタは足元にいる小さな女の子を見ると、いろんな思いが込み上げた。
彼女はしゃがむと、女の子と目線を合わせて話す。
「今から、レティシアお嬢様を、お迎えに行こうとしていたところでございます。……レティシアお嬢様、私は……あなたのことも大好きですよ」
リタはそう言って、レティシアを抱きしめた。
その瞬間、腕の中の小さな温もりが体を硬直させ、明らかに動揺しているのが分かった。
けれど、それでも彼女は抱きしめることを止めることはできなかった。
彼女は小さなこの子に、たくさん伝えたい想いがあった。
何気ない毎日が、この先も当たり前のように続き、いつでも想い伝えることができると思っていた。
だからこそ、レティシアにはゆっくりと大人になってほしかった。
でも、それは当たり前じゃなかったんだと彼女は知ってしまった。
彼女は女の子の耳元で、心を込めて「大好きよ」と囁く。
そして、全ての気持ちを閉じ込めて、無表情になった彼女は、そっと女の子から離れる。
レティシアはリタの様子が、いつもと違うと思った。
そのことを不思議に思って、リタの顔を見たが無表情だった。
彼女はそこから、何も読み取ることができず、不安で鼓動が早くなる。
それでも、時は止まらないと語るように、リタがエディットの部屋のドアを開けた。
レティシアはルカと一緒に、エディットの部屋に通される。
しかし、いつも笑顔で出迎えてくれるエディットの姿はどこにもない。
静かな部屋には、時計の秒針が時を刻む音が響く。
いつも紅茶の香りが広がっていた部屋は、今はアロマの香りが広がっている。
そして、静かな部屋で、エディットはベッドの上で横になっていた。
リタは2人が部屋に入ると、静かにドアを閉めた。
そして、戸惑うように立ち止まるレティシアの横を通り過ぎる。
その瞬間、彼女は泣きそうになった。
だけど、エディットを見ると、泣くのは違うと感じる。
彼女は「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせながら歩みを進めた。
リタはエディットの近くに控えると、レティシアが慌てた様子で駆け寄ってくる。
その姿がより一層、彼女の胸を締め付けた。
そしてこの不公平な世界を、彼女は嫌いになりそうだった。




