第44話 月明かりの下で
神歴1490年11月3日。
季節が秋から冬に変わるのを、レティシアは肌で感じた。
書庫に向かう白い廊下を、進みながら冷えた空気を吸い込む。
以前と違うのは、彼女の近くにアルノエの姿があることだ。
訓練場で彼女が事実を話して以来、3人の誰かが交代で付き添うようになった。
書庫の扉の前に着くと、アルノエは飾り彫りされた重厚な木製の扉を開けた。
彼は真っ暗な書庫を魔道具のランプで照らし、静かな書斎に足を踏み入れる。
古い紙の匂いと、インクの匂いが広がる書庫は独特な雰囲気を醸し出す。
彼はレティシアのお気に入りの場所に向かうと、彼女のために布を床に敷く。
彼女はその上に座ると、彼の方を向いて優しく微笑む。
『ありがとう、ノエ』
「いえ、オレは近くで本を読んでいますので、異変があったら教えてください」
アルノエは前回彼が読んでいた本を手に取ると、彼女から少し離れた所に座った。
そこはレティシアに異変が起きても、すぐに駆け付けられる場所だ。
しかし、彼女の気が散らないように、配慮もされた位置でもある。
彼は魔道具のランプで手元を照らすと、本を読み始めた。
レティシアは鍛錬するために、いつものように宝石を取り出すと一呼吸した。
ほんのりとランプの明かりが彼女の手元を照らす。
彼女は手元に集中すると、宝石に魔力を溜め始める。
魔力のコントロールの制度が上がったことや、3人の誰かと書庫でやっているため。
結界を張る必要も、帰りの心配をすることもなくなった。
そのため、前よりも魔力のギリギリを見極めれば良くなった。
その結果、効率が上がり、以前に比べて半分の時間でこの時間も済んでいる。
(魔力のコントロールも、魔力量も上がって、効率も上がっている……後は使い魔がいたら、何も言うことはないんだけど……まだ幼い幻獣か聖獣……どっかに転がっていないかなぁ……)
レティシアはそう思ったが、幻獣や聖獣は珍しい。
それゆえ、出会うことができれば、それだけで幸運なことと言われている。
それぐらい珍しく、簡単な話ではないことも、レティシアは理解している。
(精霊と契約するにしても、低級や中級だと、そもそも偵察に向いていないしなぁ……)
「はぁ……」
レティシアは複製魔法でダミーを作り、空間魔法に仕舞うと、ため息をついた。
使う分の魔力を出し切った彼女は、そのまま横になる。
彼女は手を見つめると、心の中にジワリと不安が広がる。
アルノエは本を閉じて、本棚へと戻すとレティシアの方に向かう。
魔力量が見えなくても、彼は魔力の気配で彼女が鍛錬を終えたことが分かる。
彼女の隣まで来ると、彼は片膝をついて彼女に優しく声をかける。
「レティシア様、お疲れさまです。ゆっくりお休みください」
アルノエはレティシアを横向きに抱き上げると、床に敷いた布を器用に拾い上げた。
そして、腕の中にいるレティシアに、ふんわりと微笑む。
その表情は、まるで安心してくださいと言っているようにも見える。
「ねぇ、ノエ……あした……おかあさまに……あえる?」
「そうですね……。近頃のエディット様は、お忙しそうなので、会うのは少々難しいかもしれませんね……。エディット様に前もって予定を合わせないと、正直なところ厳しいかもしれません」
アルノエは弱弱しく寂しげに聞いたレティシアに、エディットの予定を頭の中で考えて答えた。
それが期待の眼差しを向ける彼女に、彼にできる彼なりの優しさだった。
(忙しいなら、仕方がない……わがままは言えないもん……)
レティシアはそう思うと、無意識にアルノエの洋服をギュッと握った。
本音を言えば、今の彼女は不安で押し潰されそうだ。
しかし、そのことを彼女は誰にも、言えずにいる。
「……そっか」
アルノエは一瞬だけ、胸を痛めたような表情をした。
小さな手が洋服を握り、寂しげな瞳を隠そうとする。
その姿を見て、言葉に表せない思いが込み上げる。
「さっ、部屋へと戻りましょう」
近頃のレティシアは、エディットと会えずにいた。
午後のテラスで過ごす時間や、食事の時間という。
前から一緒だった時間が減り、彼女は寂しいと感じていた。
それと同時に、エディットの健康状態が、毎日確認できないことに不安も覚えていた。
そのため、レティシアはジョルジュやリタに会うと、エディットの様子を聞いていた。
しかし、彼らから見たレティシアの行動は、子どもが親を恋しがっているようにしか映らない。
その結果、レティシアがほしいと思った情報が、入ってくることはなかった。
そのことで、レティシアは焦る気持ちが大きくなり。
ニルヴィスとの戦闘訓練では、どこまでできるのか全力を出して戦おうとした。
レティシアの行動で、ニルヴィスを困らせることも増えていた。
それでも、戦闘訓練ではロレシオやアルノエが止めたりもする。
彼女は全力が出せないこともあって、余計に幻獣や聖獣との契約を考えるようにもなった。
アルノエは部屋へと帰る途中、突然足を止めた。
彼は窓の外を見ながら、そっと呟く。
その声はどこか、消えてしまいそうなくらいに優しい。
「だいぶ冷えてきましたね」
レティシアはアルノエが見てる方向に目を向けた。
真っ暗な空に月が輝き、暗闇を優しく照らしている。
「そうだね、もうすぐ、ふゆのきせつ……」
アルノエはレティシアの言葉を聞くと、外を眺めたまま話す。
彼は少しでも、腕の中で落ち込むレティシアに元気になってほしかった。
そのため、彼は彼女が知らなそうなことを選んだ。
「レティシア様、このフリューネ領と帝都セーラス、そしてオプスブル領には、同じ冬の時期に、同じお祭りがあることはご存じでしたか?」
「ん-。くわしくしらない」
「そうですか。このお祭りは、精霊に感謝を伝えるお祭りです。当日お菓子や小さな玩具を窓辺に置いたり、玄関に掛けていると、精霊たちが持って帰ると言われています。そして、精霊が訪れた家には、ささやかな幸せが訪れると言われております。――今年は、レティシア様もやってみましょう。きっと……レティシア様にとって、小さな幸せが訪れますよ。――そろそろ戻らないと、寝る時間がなくなりますね、すみません」
アルノエはレティシアの方を向くと、彼は優しく笑いかけた。
そして再び月明かりが差し込む廊下を、彼は歩き始める。
その歩みは静かで、静かな夜を邪魔しないものだ。
(精霊たちのお祭り……始まりは何だったんだろう……精霊たちに聞いても、お菓子がもらえることしか言ってなかったんだよね……そもそも、庭に精霊もいるし……今度、お菓子をあげたら……お母様の様子……見て来てくれるかな……)
レティシアはそう思いながら、静かに目を瞑って少しずつ、深い眠りへと落ちて行った。




