第39話 街角の予感
街に出て来ていたレティシアたちは、あの後話し合い。
ひと通り街を見て回り、お土産を買ってから、夕食を済ませて帰ることになった。
レティシアは、エディットやいつもお世話になっているリタたちにお土産を選びつつ、薬屋なども立ち寄ってもらう。
『ねぇ、この回復薬は、どれほどの効果があるの?』
「それでしたら、切り傷や内臓を傷つけていない打撲程度なら治ります。さすがに大きめの傷は、効き目が悪いですが、止血程度の応急処置としては使えますよ。ですが、切断された箇所は、それ以上に効果が高い回復薬でなければ、何もできません……」
レティシアの質問に対し、アルノエは丁寧に答えていく。
彼は自分の知識が、彼女の役に立っているのだと思うと嬉しく感じる。
薬学の知識を持つレティシアは、この世界でも薬学に関する本を読んでいる。
その時に製造方法が似ていたことから、この世界でも薬が作れると思った。
けれど、仮に販売する際、何も知らなかったら面倒なことになって困る。
そのため、レティシアはこのように質問をしながら薬屋を回り。
どの程度の効果を持つ薬が、一般的に販売されているのか確認している。
お土産屋に立ち寄った4人は、ロレシオとニルヴィスが外で待ち、レティシアとアルノエが買い物を始めた。
店内には様々なお菓子や、ちょっとした置物が並んでいる。
それは、まるで子どもにとっては宝箱をひっくり返したようで、大人にとっては幼い子を思い出す。
その店でいつもお世話になっている男性陣にお土産を選び、レティシアとアルノエはレジへと向かった。
しかし、レティシアとアルノエが会計していると、外で待っていたロレシオとニルヴィスの動きが止まる。
彼らは眉間にシワを寄せ、動かずに人で賑わう通りを一点に見つめている。
会計を済ませ、レティシアを片腕で抱えてアルノエが店を出ると、2人も通りに目を向ける。
すると、数十メートル行った先で、辺りを見渡しているダニエルの姿を2人は見つけた。
彼らが街に出掛けているのは、一部の人たちしか知らされていない。
もしも、ダニエルが買い物に来ていたのなら、それはただの偶然になる。
しかし、髪の長い子ども連れの肩を引っ張り、子どもの顔を覗き込んでいる。
必死に見えるその姿は、まるで誰かを探しているようにしか見えない。
(へぇー。フリューネ家にも、主人が分かっていない犬がいるのね。必死にキョロキョロしているところを見ると、相当娘の私に用があるんだね。どんな要件か気になるけど、お父様の態度が前と変わっていない……ううん、前よりひどくなっているのは知っている。接触したところで、どうにかして2人きりになろうとするはず。でも、それはまだ早いわね)
レティシアは冷静に通りを見つめ、静かにダニエルを観察していた。
アルノエたちは顔を見合わせて頷き合うと、ダニエルとは反対の方向に向かって歩き出した。
アルノエは玄関ホールで彼女に掴まれたことを思い出し、レティシアの方に視線を移す。
小さな体は震えもせず、彼女の瞳は何かを考えているように見える。
しかし、同時に瞳には不安の色も浮かんでいるようだと彼は思った。
そのため、できるだけレティシアを安心させたいと思い、彼女に落ち着くような優し声で話す。
「レティシア様、少しだけ遠回りをして、街を見て回りながら帰りましょうか」
思いやりに対して、レティシアは罪悪感を覚えた。
その理由は、自分の身は自分で守れたらと言いつつ、結局のところ守られているからだ。
レティシアは悔しさから、唇を嚙みそうになるのをグッと堪えて、平然を装って言う。
『アルノエ、ごめんね。悪いけど、私もその方がいいと思うわ』
ダニエルを避けながら帰ると、普通に帰るよりも倍以上の時間が掛かった。
けれど、レティシアたちはダニエルと会うこともなく、無事に宿舎へ帰り着くことができた。
宿舎にあるレティシアの部屋に着くと、ニルヴィスは頭の後ろで手を組み、不満を吐き出し始める。
「これを言ったらダメなんだろうけど、ダニエル様ってさ、本当に人の予定とか都合を考えない人だよね~。まぁ、それにしても、ダニエル様はよっぽど、レティシアちゃんに会いたいんだね~。訓練場だけじゃなくて、宿舎にまで来るんだからさ。街まで追い掛けて来たのはビックリしたけど……。でもさ、去年レティシアの宝石を盗んでるんでしょ? それなのに、よく会いに来られるよね。正直に言って、ダニエル様の神経を疑うよ~」
『今回、私の部屋に入れないことも、関係していると思う……。まぁ、ニヴィが言った宝石も、結局のところ失敗に終わっているし、それも原因だと考えられるけど……。それよりも、ニヴィ……ジャンのご飯を持って来られる?』
レティシアはそう言って、おなかを摩り、おなかの虫も泣き始める。
しかし、突然“『あら、また壊れたわ』”と言うエディットの声が、レティシアの耳に着けたピアスから聞こえた。
その瞬間、レティシアは反射的に屋敷の方を振り向く。
(これで、お父様が明日には帰ると言えば……去年と同じ……)
レティシアそう思うと、目を見開き、鼓動は大きく脈を打ち始める。
呼吸もわずかに早くなり、手には汗が滲む。
ニルヴィスは、壁を見つめるレティシアの様子がおかしいと気付く。
そして、彼女を心配して、ニルヴィスは眉を下げて彼女に声をかける。
「レティシアちゃん?」
しかし、レティシアからの反応はない。
ニルヴィスは不審に思い、見極めるように目を細め、再び彼女に声をかける。
「レティシアちゃん、どうしたの? なんかあった?」
レティシアはニルヴィスの方に振り向くと、何事もなかったかのように笑って見せた。
『んー? 何もないよ? それより、ニヴィごはーん!』
「はいはい。ご飯がほしいんですね。行ってきますよ、行ってくるよ……、はぁ……。ね~! ロレシオもちょっとは手伝ってよね」
「ああ……」
『2人ともありがとう! いってらっしゃーい!』
元気に手を振るレティシアを見て、ロレシオとニルヴィスは明らかに様子が違うと感じていた。
しかし、何もないと言われてしまえば、ただの護衛である2人にはどうすることもできない。
そのことを理解しているアルノエは、レティシアの机に積まれていた本を読んでいる。
ロレシオとニルヴィスが部屋から出て行くのを、レティシアは見届ける。
それから、彼女は書庫から持ってきた本を、静かに読んでいるアルノエの方を見た。
彼がいつもと変わらない様子で、レティシアはホッと安心する。
そして、またピアスから声が聞こえ、レティシアはそこから聞こえる声に意識を向けた。
*
「エディット、どうかしたのか? 帰ってすぐに呼ばれたんだけど」
ダニエルがそう言うと、レティシアは彼があの後も、彼女たちを探していたのだと思った。
「ダニエル、また壊れてしまったの。……前のと同じで、販売するのは、やっぱりまだ早いと思うの」
「あぁ……、またか、なかなか研究の成果が出ないなぁ……。また帝都に戻って報告するから、明日には帰るよ」
エディットは無意識に、昨年と似ていると感じた。
そのことを疑わしいと思うが、彼女は心のどこかで彼を信じたいとも思ってしまう。
「……そう……力になれなくてごめんなさいね」
「気にしないでくれ、君はちゃんと着けてくれればいいんだ。――あ、そう言えば、れ、れ……れて……」
エディットは頬を掻きながら悩むダニエルに、冷たい視線を向ける。
そして(スラスラと娘の名前も言えないのね)と思うと、ダニエルに呆れてしまう。
「……レティシアかしら?」
「そうだ! レティシアだ! 実はレティシアと会えていないんだ……。残念だけど、しょうがないよな……」
「……レティシアは、少しだけ人見知りなのよ。だから仕方ないわ」
エディットは咄嗟に嘘をついて、自分がレティシアと彼を合わせないようにしていることを隠した。
その声は、本当のことを言っているかのように、堂々としていた。
「そっか……なら仕方ないか。部屋にも入れなったから、気になってね」
「そうなのね、後でレティシアにその辺のこと、聞いてみるわ」
「悪いな、それじゃ、帰る準備するよ。エディット、愛してるよ」
「……ええ、……おやすみ、ダニエル」
エディットは部屋から出て行くダニエルを、悲し気に見つめる。
子どものことを考えれば、彼は危険だとも思う。
しかし、それでもまだ淡い希望を、彼女は捨て切れないでいる。
*
(やっぱり、部屋に入ろうとしたのね。対策しといてよかったわ。それにしても……去年と同じ……やっぱり、指輪に何かしらの秘密がある? 精霊もいやがる秘密……)
レティシアはそう思いながら、床の木目をジッと見つめる。
アルノエはどうしてもレティシアの様子が気になり、ゆっくりと読んでいた本から視線を上げる。
その場から動かず、けれど顎に触れている手が時折動き、何かを考えているレティシアを彼は見つめる。
そして、アルノエはおもむろに口を開く。
「レティシア様、何か気になることでもありますか?」
そう聞かれてたレティシアは、アルノエの方を見る。
その眼差しは、まるで彼を見極めているようだ。
レティシアは彼に言うか言わないかで悩んだ後、最善策を取ることにした。
『ノエ、ルカと連絡が取れたら “去年と同じだった” って伝えてくれるかな? 私の方でも、ルカに連絡を取ってみるけど、ノエたちの方が連絡は取りやすそうだから』
「かしこまりました」
『ありがとう、お願いね』
レティシアはそれだけ言うと、街で買ってきたお土産が入った紙袋を並べ始めた。
彼女は渡した時、相手が嬉しそうに受け取る顔を想像して並べる。
けれど、1つの紙袋を置いた瞬間、彼女の手がふと止まる。
紙袋を見つめる目には微かに悲しみが宿っていたが、その奥には冷たい怒りが感じられた。
しかし、軽く目を閉じて息を吸い込むと、再び目を開けてそれぞれの紙袋に名前を書き始める。
しばらくして、大きめのバスケットを持ってニルヴィスが部屋に入ってくる。
その後ろでは、ロレシオが飲み物をトレーに乗せて運んでいる。
「ただいまぁ~部屋に持って行くって言ったら、ジャンがサンドイッチにしてくれたよ~」
『ジャンのサンドイッチ、美味しいよね! 中身は何!?』
ニルヴィスは持ってきたバスケットを、机の上に置いて中を確かめる。
蓋を開けると、どれも美味しそうなサンドイッチが並ぶ。
「ん~。お肉とサラダとハムチーズがあるよ~レティシアちゃんはどれがいい~?」
『私はお肉!!』
アルノエは嬉しそうに言うレティシアを見ると、微笑ましいと思った。
しかし、彼女の体調や栄養面を考えると、それではダメだと思う。
彼はスーッと立ち上がると、バスケットの中からサラダのサンドイッチを手に取り、レティシアに差し出す。
「レティシア様、今日はお肉や甘いものしか食べていないので、少しは野菜も食べましょう」
『はーい』
(サラダでもジャンが作った料理は美味しいから、実際はなんでもいいけどね)
レティシアはそう思いながら、サンドイッチを受け取ると幸せそうに食べ始める。
そんなレティシアの様子に、自然にアルノエやロレシオとニルヴィスの表情は柔らくなった。
しかし、レティシアは雰囲気を壊す才能がある。
『そう言えば、この屋敷に主人が分かっていない犬がいるの。だから、調べてもらえるかな? 一応、犬が誰なのか、見当は付いているんだけど、それを裏付ける証拠がないの』
穏やかな雰囲気が流れる中、レティシアはサンドイッチを食べながら、テレパシーを使った。
時が止まったように、手と口を止め、3人は固まったように動かない。
「「「……」」」
『あれ……? 聞こえなかった?』
ロレシオは、首をかしげながら聞いたレティシアの顔を、まじまじと見つめる。
けれど、1度だけ咳ばらいをすると、彼は答える。
「いえ、かしこまりました。こちらで、そのことに付いて調べておきます」
『お願いね』
レティシアが笑顔で言うと、3人は穏やかで幸せな空間が壊れたことに肩を落とした。




