第177話 立場と役割の狭間で
街の中央に位置する塔の大きな扉が開き、始めて足を踏み入れた者たちは一瞬立ち止まっていた。
天井まで吹き抜けになっており、塔の先端部分は雲に覆われた空が透けて見える。
吹き抜けを囲むように白い手すりが見え、廊下がぐるりと取り囲んでいる。
複雑な模様が彫り込まれていた塔の外壁とは違い、黒をメインにした壁が並び、等間隔に取り付けられている灯りが塔内を照らす。
ニクシオン以外の者は、目を開きながら辺りを見渡し、歩みを進めるものの、まるで圧倒されたかのように速度が落ちている。
時折、廊下から入り口を見下ろす者たちの姿があり、影になった顔からは表情が見えず、赤く光る目だけが際立つ。
「結構人がいるのに、とても静かなのね……」
レティシアの声が響くと、ニクシオンは足を止めて少しばかり上を見上げた。
「各階層の壁には、空間消音魔法が刻まれていますので、そう感じるだけです。こうでもしなければ、部屋の外で話すこともままらないですからね」
「ということは、ここは王の城という所かしら?」
ニクシオンは隣に立ったレティシアをチラリと見ると、再び視線を戻した。
2階では忙しく動き回る上級魔族の姿が見え、右上の3階に視線を移すと、身振り手振りを交えて話す魔族の姿が見える。
「……人族がどのように判断をするか分かりませんが、ここは私の城でもありますが、上級魔族の中でも特に力が強い者たちも住んでいます」
「集合住宅のようなもの?」
レティシアはそう尋ねると、気付かれないようにニクシオンの横顔を盗み見た。
赤い瞳はわずかに揺れ動き、目で人々の姿を追っているように見え、日頃から良く人の行動を見ているのだと思った。
けれど、同時に少しだけ寂しそうだと思うと、彼が見ている方に視線を移した。
「それも少し違いますね。彼らはこの地下に広がる暗黒湖に異変がないか見守り、その上で与えられた仕事をしています。その中で彼らは家庭を築き、一生の大半をこの塔で過ごします」
「ここが暗黒湖に一番近い場所ということね? 他の上級魔族は?」
ニクシオンは耳に残るレティシアの声に、わずかな好奇心が含まれているのではないかと思った。
そのため、ほんの少しだけ声の主の方に顔を傾けると、視界の隅に少女を写す。
けれど、彼女の表情は真剣に見え、魔族というものを理解したいのだと思った。
話さない理由はないが、話す理由もないのが本音だ。
それでも、上級魔族と考えの違う彼女がどう思うのか気になった。
彼女を視界の隅から外すと、気持ちは思ったよりも軽く、落ち着いて話し出す。
「そうなりますね。――ここに住まない上級魔族も、基本的にここに住む者と変わりません。ただ……彼らは暗黒湖の影響が大陸にないか日々見守り、与えられた仕事をこなしております。そのため、報告のためにここを訪れます」
「なるほどね……それにしても、魔族も社会的な生活を好むのね」
何の含みも感じられないレティシアの言葉を聞き、ニクシオンは驚きのあまり目を見開いた。
この地を訪れ、この話を聞いた彼女の先祖たちは、魔族が役割に生きていると言ったからだ。
彼女は何も理解していないと思えば、腹の底が熱を帯びて感情とは裏腹に笑いが零れる。
「ふふふ、……社会的な生活を好むですか……本当に面白いですね」
「違うのかしら?」
「どうなのでしょう……私は魔族という種を自分の子どものように見ております。そして、この大陸に住む他の人種も同じです。そのため、彼らを守りたいと願って過ごしてまいりました。上級魔族はそう感じている者たちが多く、ここで彼らの生活が脅かされないか、大地や精霊の声を聞き、大陸全土を把握しております……それでも、力が及ばず、手のひらからこぼれ落ちた命も多く存在します」
ニクシオンに視線を移していたレティシアは、彼の話が進むにつれて彼の思想を理解した。
これは、社会的な生活というよりも、彼らにとって役割は生きる核であり、同時に、社会的な生活がその役割を支える基盤になっていると思った。
そのため、生まれた瞬間から上級魔族であるならば、他者から役割を与えられ、他の生き方など誰も認めないのだいうことも理解する。
けれど、話し終えたニクシオンが強く拳を握りしめ、それを見つめる彼の瞳から強い怒りを感じ、咄嗟に過去に起きたヴァルトアールの事件が脳裏を過ぎった。
思わず口から「……それは」という声が漏れると、金の瞳孔がこちらを向いて彼女は息を呑み込んだ。
「決して油断しないでください。雪の姫の子孫であるレティシアさんと、オプスブル家であるルカ様とレイ様の命は保証できますが、それ以外の者は自由に城や街の中を動き回るようなことがないようにしてください。大陸の外から来た者に対し、積み重なった恨みを持つ者も中にはいますので……では、私の住居に向かいましょうか」
ニクシオンの声はどことなく冷たく、レティシアは彼の背中を静かに見つめた。
しかし、軽く息を吐き出すと、冷静に考えながら歩き出した。
それから数日が経った、神歴神歴1504年7月27日。
リスライべ大陸から遠く離れたヴァルトアール帝国。
完全に日は沈み、辺りは暗闇に包まれている22時頃。
帝都セーラスにあるアルファール大公家で、アルフレッドがフィリップと向き合っていた。
双方ともに強張った表情をしており、どこか緊張しているようにも見える。
そんな2人の間に置かれているテーブルに、パトリックがカチャッとわずかな音を立て紅茶を出すと、室内に優しいミルクの香りが広がる。
大公家に相応しいと感じる客間には、赤い絨毯と白いテーブルとソファーが際立っている。
綺麗に清掃されている暖炉の上に並ぶ煌びやかな装飾品は、大公家の財力を表しており、壁に掛かっている絵画は目を奪われる。
「それで、話しとは何だ?」
アルフレッドは足しを組んで冷静に尋ねると、視線を上げては下ろし、手をモジモジとさせているフィリップを見つめた。
暫く待つと、小さく「えっと……その……」という声が聞こえ、苛立ちを感じて大きくため息をついてしまう。
「君の姉であるレティシアから言われてきたのか? 彼女は今何をしてるんだ?」
「それは……その……」
フィリップはそれだけ言うと、手元を見つめながら、額が薄っすらと汗ばんだのが分かった。
じわりとした汗が不快に感じるが、緊張で拭うこともできない。
正面に座るアルフレッドを盗み見ると、堂々としているように見え、小さな劣等感が胸の中に湧く。
「彼女が国外に出た可能性があるという話が、貴族の間で出回ってる。それは事実なのか?」
「あの……それは……」
暫く待っても、フィリップが続きを話さないことから、アルフレッドは首を傾けると片手で額を軽く押さえた。
苛立ちを吐き出すように息をつくと、無意識にフィリップを見る目が厳しくなっているのが分かる。
それでも、自分の中で感情の整理が着かず、おもむろに組んでいた足を解くと、両膝に肘を着いて両手で額を押さえてしまう。
「君は話があってここに来たんじゃないのか? ボクは君の姉に仕事を任されて忙しんだ。頼むから、手短に頼むよ」
「レティシア様は、その仕事を難なくこなし、苛立った様子は見せていませんでしてけどね」
アルフレッドを見ながら、パトリックはそう言うと内心でため息をこぼした。
少年の目の下にできたクマは、日を増すごとに濃くなっており、それをどうにか隠しているのが見て分かる。
その状況で、現実主義の彼が時間を気にすることも予測通りであり、真面目な性格が彼の仕上げた仕事から滲み出ている。
そのため、少なくともハッキリしないフィリップの言動は、アルフレッドの感情を逆なでる存在に当たるのも理解できる。
けれど、それではダメだと感じると、思っていることが自然に口から溢れる。
「アルフレッド殿下がそんな高圧的だと、話せるものも話せないでしょう。少しは考えてくださいよ」
アルフレッドは開きかけた口を閉じると、歯を食いしばり、こめかみを指で強く押した。
耳に届いた落ち着いた声色からは、呆れが滲みているように聞こえたが、どことなく冷たくも感じられた。
どんなに必死にやっても認められない苛立ちや、他者と比べられるのは相当なストレスだ。
この気持ちを理解してほしいと思うが、それを口に出すのは立場的に憚られる。
皇子でなければ……と一瞬考えるが、小さく息を吐き出しながら考えを呑み込んだ。
「すまない……」
「……そうですね。少なくとも、あなたは感情を抑えることを学ぶべきです」
パトリックが言い切ると、テーブルをドンッと叩く音がした。
その瞬間、小さく「ひっ」というフィリップの声と重なるように、ガチャンッと食器がぶつかる音が響いた。
「抑えてるさ! 抑えているからこそ、今もここに滞在してるんだんだろ!」
「なら、最後まで抑えてください。その怒りも、不満も、自分らにぶつけられても、何も解決しませんよ」
パトリックは冷たく言い捨てると、俯いているアルフレッドに向ける視線は厳しくなった。
プラチナブロンドの髪は、わずかに少年の目を隠しているが、それでも彼の苛立ちが見えた気がする。
時計の針が動き続ける音が耳に届く中、室内に重たいため息が聞こえると、パトリックは呆れが勝り、首の裏をかいて首を左右に振る。
「分かってるさ……レティシア嬢が何をしたいのか……大体予測はできてる……だけど、ボクにはどうすることもできない……」
「……フィリップ様、どう思われますか?」
フィリップは話を振られ、「え」と気の抜けた声を出すと、慌てて「あ」という声が口から漏れた。
そして、パトリックとアルフレッドの顔を交互に見ると、「ぼくは……」と言葉を続けるも、喉が詰まったように感じる。
咄嗟に怖いと感じて俯くと、膝の上に置いた手が小刻みに震えているのが自分でも分かる。
心臓が口から出そうだと思うと、うまく口を開けることもできない。
何とか気持ちを落ち着かせようと、震える手をギュッと握りしめるが、余計に震えが大きくなったように見える。
それでも、絞り出した声で「ぼくは……」と言うと、少しばかり視線を上げて完全に言葉を失くした。
2人から向けられた視線は、ここにいないレティシアとルカの存在の大きさを突き付ける。
しかし、握っている拳を広げて手のひらを見つめると、レティシアとルカに差し出された手の温もりを思い出し、再びギュッと拳を握りしめて息を吸い込んだ。
「ぼくは……姉上に引き取られるまで、周りの顔色を窺って生きたきました。そうしなければならないのが、ぼくの日常でもありました。そのため、感情を表に出さないことが自然であり、そのことに不安を覚えたぼくに、姉上は貴族として生きるなら必要なことだとも言っておりました。――姉上は、その人にできないことを強要するような人ではありません。その点において、少なくとも姉上は、フィリップ殿下が感情をコントロールできる人物だと考えていたのかもしれません」
「それは、過大評価だ。それに、それが言いたくて来たのか?」
「いえ、姉上からは、公けにする必要がないとは言われましたが、ぼくの……」
フィリップはそこまで言うと、足を組んでいるアルフレッドから視線を逸らした。
レティシアが家を空ける少し前から、誰かを連れて街に出ることも増えた。
その時、耳に届く声の多くは、レティシアの行動を否定し、ダニエルの行動を肯定する物ばかりだった。
そして現在、連日のように別宅には貴族たちが訪れ、彼女の行方を尋ねつつも、父親と住むべきじゃないのかと進言してくる。
ここまでレティシアが予測していたのかは、聞かされていないから分からない。
それでも、動かなければ状況は悪化すると思い、何かできることを考えてここに来た。
頑張れ、大丈夫、と自分を鼓舞すると、視線を上げてアルフレッドを見つめる。
「ぼくについて話すべきだと思い、自分の意思でここに来ました」
「それを、ボクに話したところで何か変わるのか?」
アルフレッドは呆れて言うと、疲労から大きく口を開け、意識せずに欠伸が漏れてしまう。
固く閉じた目を開けると涙で視界が滲み、指の甲で拭いながら時計に視線を向けて時間を確かめた。
長い針が6という数字に迫りつつあり、時間の流れは速いものだとボーッとする頭で思う。
しかし、暫く待っても、フィリップが話す気配が見られず、瞼が重く感じて後ろに引っ張られる感覚を味わう。
大きく息を吸いこむと、思わず「また、だんまりか……」という言葉が口から漏れた。
沈黙が客間を満たし、小さな音を奏でる秒針の音を重く響かせる。
向き合う2人の少年と、それを見つめる1人の男性は口を堅く閉じ、それぞれが思考を巡らせているように考える動作をしている。
テーブルの上に置かれた2つのカップの内側には、綺麗なミルクティーの輪が時間の経過を伝えた。




