第174話 光と闇の狭間に揺らぐ理(2)
「ということは、過去にもいたの?」
「いいえ、しかし……理は絶対ではありますが、絶対ではないと私は考えております。そのため、あなたの一族は、私からすれば皆、雪の姫なのです」
レティシアは雪の姫と聞き、もううんざりだと思って苛立ちを覚えた。
しかし、彼が言うことも納得でき、喉が熱くなるのを感じると、気持ちを落ち着かせるために、息をゆっくり吸い込んだ。
意識的に短く息を吐き出すと、彼女は真っすぐに少年は見つめる。
「それじゃ、約束は何? なぜ私を試したの?」
「エレニア様が、原初の力を持って生まれた子どもです。そして、彼女の願いは……ここを訪れた子孫が、命の巡りに返れるのか心配しておりました」
レティシアの眉間にシワが寄り、「どういうこと?」と彼女が尋ねると、少年は彼女から視線を逸らした。
そして、彼は顔を上げると、軽く息を吐き出し、落ち着きのある声で話し出す。
「誰しもが、生を全うすれば命の巡りに戻ります。しかし、あなた方が目指している場所は、原初の力に近い場所でもあります。そのため、あなた……いえ、フリューネ家の者は、命の巡りに返れない者が存在しているのです。その者たちは、時間が経てば世界の理の一部となります……それは、負の感情を深く背負った者は特にです。闇の精霊が言っていました……人が迷い込めば、出口が分からなくなるそうです……真っ暗な闇がただ……そこに広がっているのだと……」
「闇の精霊が創り出した場所だから、自分は光だと強く自覚していなければ、迷うということね」
レティシアは冷静に言い切ると、彼の言っている場所がどんなところか考えた。
その結果、大体の予測ができ、逆に彼女は難しい話ではないと感じた。
「そうです……しかし」
「私には迷いが見られた、そして……私は雪の姫であることを否定した」
少年の言葉を遮りレティシアが告げると、少年が一瞬目を見開いた。
重い沈黙が2人の間に漂い、その静けさが風の音を際立たせた。
それでも、吹き抜けていく風は沈黙を破ろうと、木々を揺らしている。
「はい……そのため、私はあなたには無理だと判断せざるを得なかったのです」
「それなら、大丈夫だと思うわ。私が不安だったのは、記憶を失う前のルカが、私を雪の姫であると認識したくなさそうだったからよ。それなのに、あなたが雪の姫に固執したから……ただ、それだけのこと……そして、私は雪の姫ではないけど、出口は知っているわ」
少年はレティシアが言い切ると、聞き間違いかと自分の耳を疑った。
しかし、彼女が嘘を言っているようにも思えず、彼は慌てて「どういうことですか?」と聞き返した。
「これは心の在り方の問題ね……その空間、闇の精霊はこうも言っていなかった? 自分の存在が曖昧になるって」
「ええ、確かに言っていました」
「闇の精霊が迷わなかったのは、彼が自分の存在に迷いがなかったからよ。生きる意味は考えたかもしれないけど、自分が何者であるかは疑問を抱かなかったはずよ」
少年は彼女が言い終わると、口元に軽く手を当てると面白くて小さく笑った。
正直にバカバカしいと感じ、そのまま「面白いことを言いますね」と皮肉を込めて告げた。
けれど、彼女の表情が徐々に変わるのを見ていると、彼は彼女から目が逸らせない。
一方、レティシアは少年の言葉を聞き、彼が何も理解していないと感じ、深くため息をついた。
その気持ちは呆れに変わり、彼女は首を左右に振ると話し出す。
「何も面白くないわよ。実際、闇というのは何もないのよ……全てをただ無に変えていくだけ……それが、闇の力よ。……魔族は、そこから外れているだけ、だから存在があって、感情を持って生きているのよ……寿命という時間の制限を受けてね。早い話、私が私であると認識していれば、出口はずっとあるのよ。私は私でしかなく、他の者にはなれないから」
レティシアは言い切ると、少年が呆然として立っていると感じた。
額を掻いた彼女は一度息を吐き出すと、眉間を軽く押さえて話す。
「箱は箱だと言っていたあなたには難しいわね。運命はどこを起点にするのかと考えた時、私は体ではなく魂だと考えているわ。だから、自分の肉体を探せる。でも、体を起点として考えていた場合、何も考えられないのに魂はどうやって探すの?」
少年の眉間に一瞬シワが寄ったものの、すぐにそれは困惑したような表情へと変わったのを、レティシアは見逃さなかった。
彼女は目を瞑ると、思わずはぁっと深く息を吐き出してしまう。
「あなた、見た目は少年だけど、上級魔族なら私より長く生きているでしょ? それなのにまだ分からないの? 闇の世界で問われるのは自分の存在よ。自分が曖昧になれば、闇と同化するだけよ。それじゃ、あなたを形成しているのは体? それとも魂?」
少年の目が泳ぐのを見て、レティシアは額を押さえると、小さな声で「なんで分かんないかなぁ」と呟いた。
そして、彼女は真っすぐに少年を見ると、できるだけ冷静になろうと一度深呼吸すると、再び口を開く。
「王なら、一度あなたの概念を捨てることを進めるわ。これに正解はないわよ。両方とも私を形成しているから……これが揺るがない限り、魂は体に返るし、体は魂に魅かれるのよ。命の巡りに返れなかった者は、これが曖昧だったのか、箱は箱であると思っていたからよ……だから同化した」
「では、あなたは連れて返って来られますか?」
レティシアは少年の言葉を聞き、瞬時にこれまでのことを考え、一瞬息を止めてしまう。
可能性がなかった訳じゃないからこそ、すぐに結びつけられたのかもしれない。
冷静にそう思えば、戸惑いよりも、納得してしまい、疑問だったことが消える。
「無理ね……魂が何らかの形で結び付いているなら可能性はあるけど、何もないなら起点を探すしかないわ……でも、それを始めると自分の存在が曖昧になるわ……連れて返って来てほしいのは、御爺様と御婆様ね」
「そうです……御二人は返って来ておりません……」
少年は唇を噛み締めると、己の無力さに圧し潰されそうになった。
長い月日を生きても、限界はいつも現実を突き付ける。
魔族だからこそ、できることは多いが、それでも制限がない訳じゃない。
そして、魔族だからこそ、箱は箱だという考えを変えられない。
彼女の理論からすれば、自分は迷うのだと理解できるからこそ、もう手遅れなんだと思った。
「その事実を、私が受け入れられるのかも、あなたは心配していたのね」
「あなたが来ることは、大地が教えてくれました。そして、私はこのまま何も知らずにあなたが帰れば、少しでも傷付かないと考えました……エディット様のことも私は聞いておりましたので……」
「……御爺様と御婆様と私の間に、起点がないか私も考えてみるわ」
レティシアは冷静にそう言うと、少年の目が大きく開くのを見ていた。
彼の口が何回か開閉し、「危険なのでは!?」という声が聞こえると、彼女はそっと視線を逸らした。
危険がないと言えば嘘になるが、彼女は迷わないと思った。
ただし、そこに必ず連れて返ってこられるという保証は含まれていない。
だからこそ、彼女は曖昧に答えるしかないと思うと、落ち着いて話す。
「心配しなくてもいいわ。私の考えが変わることはないわよ……ただ、協力は必要だわ」
「私は何をすれば?」
少年はレティシアの腕を掴んでそう言うと、彼女の瞳を見つめた。
ロイヤルブルーの瞳は、いつの日か見た星空を思い出させ、隣に居た少年と少女の存在が恋しくなる。
徐々に視界はぼやけ始め、彼は思わず緯線を下げ「すみません」と呟くと、彼女の腕から手を離した。
「私は2人のことを知らないわ。だから知る必要があるの……後で構わないから、御爺様と御婆様の情報をまとめて置いてちょうだい。事細かにね」
「それだけでいいのですか?」
レティシアは少年の言葉を聞き、驚きのあまり声が出なかった。
しかし、箱は箱だと信じる彼の姿を思い返すと、理解していないのだと悟り、胸の奥で落胆の色を濃くした。
「それだけって……あなたを構成しているのは、年齢、生まれた年、名前、外見、声質、性格……その他全てよ。事細かにと私は言ったわ。あなたが知る全ての情報ってことよ?」
「あ、あの……それって、好みも含まれますか?」
少年は戸惑いを隠せずに尋ねると、彼女が深く息を吐くのを見て、視線を下げた。
情報として考えるなら、考え方までは理解できるが、好みは違うと言い切れない。
そうなると、どこからどこまでが個人を形成する情報なのか、分からないのが本音だ。
「……当然でしょ……好き嫌いや小さな癖も含まれるわよ」
「……それだけと言っていいことではありませんでしたね……」
レティシアは少年が頬を掻くのを見て、彼で本当に大丈夫なのか不安になった。
それでも、彼以外に知る人物がいるのか分からず、彼に委ねるしかないのだと諦めた。
「そうね……私なら間違いなく言わないわよ」
「ところで、他に聞いておきたいことは御座いますか?」
少年は自信を取り戻そうと冷静に尋ねると、背中を向けた少女がこちらを向いた。
その表情はどこか疲れを感じさせ、彼は申し訳ない思った。
「特にないわ。でも、あなたの名前は、そろそろ知りたいわね。その外見も偽物でしょ」
「いつからお気付きになったのか伺っても?」
「初めて会った瞬間よ。違和感しかなくて、逆に不気味だったわよ」
少年はレティシアの言葉に驚いたが、悟られないように笑みを作った。
けれど、瞬時に彼女が魔力が視える人だと分かり、これまでのフリューネ家とは違うと感じた。
その違和感は言葉にできず、それでも本能は知るべきではないと告げている。
「――それは失礼しました。以後、自然に感じられますように、気を付けてみます」
「あら、姿を変えないのね?」
「はい、ここでは少々問題になりますので……私はニクシオン・セル・カリギニスと御申します。気軽にニクスとでもお呼びください」
「すでにあなたは知っているかもしれないけど、レティシア・ルー・フリューネよ。様付けも堅苦しいのも嫌いよ」
レティシアが再び建物に絡みついているツタに触れると、ニクシオンの顔には笑みが浮かんだ。
背中で手を組んだ彼はレティシアの横に立ち、彼女はそれを気にも留めていないように見える。
風が吹く度、建物に絡みついたツタは左右に小さく揺れ、直接壁に絡みついていないのだと目視できる。
「伺っております。しかし、堅苦しと感じるのは、我慢して下さい。これが私の通常です」
「そう、それなら別に構わないわ……そういうものだと受け入れるだけだから」
「ありがとうございます。しかし、あなたも本当は相当な年齢なのではないのですか?」
レティシアは一瞬手が止まりそうになったが、手を止めずに呆れたように装い息を吐き出した。
そして、ニクシオンの方を向くと、片方の眉を意図的に上げ、疲れたような雰囲気を出して話す。
「……残念ね……まだ私は16歳よ」
ニクシオンは彼女が呆れているのを見て、一瞬だけ自分の感覚を疑った。
けれど、彼女の声は嘘を言っているように感じられず、彼はさらに驚いてしまう。
「冗談……ですよね?」
驚いた様子のニクシオンに対し、レティシアは呆れたように首を左右に振った。
「この世界に生まれて、16年よ。何が言いたいの?」
「……いえ、少しばかり驚いております」
「あっそ……。それとね、女性に対して年齢を尋ねるのは、失礼だと覚えときなさい」
レティシアは冷たく言い切ると、宿に戻るために歩き出した。
真っ直ぐ背筋を伸ばし、迷いを見せないように歩く。
しかし、少しだけニクシオンから離れると、彼女は背後に意識を向けた。
そして、彼がこちらを見ているのだと分かると、勘が鋭いのだと改めて感じた。




