第173話 光と闇の狭間に揺らぐ理(1)
ステラは長い年月を生きてきたからこそ、魔族の存在をよく理解しているつもりだ。
けれど、それは表面的なものであり、内面的までは理解できているとは言えない。
だからこそ、彼女は魔族である少年の行動が理解できず、彼が言った人族の願いを守るようには思えない。
小さな足で不満を込めて小石を軽く弾くと、前足に頭を乗せて深く息を吐き出した。
(所詮、私自身も彼を見た目や種族で判断しているのかもしれない……それに比べ、青臭いと感じていたルカたちの方が、熟していたということか……フェンリルだと言うのに、何とも情けないことか……)
ステラは冷静にそう思うと、思わずため息がまたこぼれた。
しかし、暫くすると宿の外に出てきたレティシアの姿をじっと目で追い、彼女から離れて歩いていく少年の背を静かに見つめた。
一方、レティシアは少しばかり空に目を向け、昼間にいた場所まで向かっていた。
昼間と夜の違いを感じさせない空は、数日もいれば曖昧にさせるものだと感じている。
それでも、今が夜だと彼女が感覚的に理解しているのは、彼女の直感にほかならない。
大きく息を吸い込んでも、湿度も気温の変化も感じられないことから、港町でのことも彼女は考える。
小さな変化がなかったか考える途中で、彼女は過去の世界でも同じことがなかったのか記憶を辿る。
それでも、彼女がこれまで生きてきた世界には、この大陸と同じような場所はないと結論が出てしまう。
一軒の建物の前で立ち止まると、彼女は建物に手を伸ばし、張り付いているツタに触れた。
(ちゃんと湿気を帯びているわ……それでも、建物自体は乾いている……時間帯で変わった訳じゃないのね。そうなると、この大陸……多分どこに行っても変化しないのかもね……すると、ここには季節や時間という概念がそもそも存在しないことになるけど……なぜか植物はちゃんと成長しているのよね……ということは、この大陸にある植物は自然の法則を外れて、空気中に満ちた魔力を吸収し、それを糧にして成長しているということになるわ……でも、それだと……)
「やはり、気になりますか?」
レティシアは唐突に声を掛けられ、思わず軽く目を閉じると口元が緩んだ。
「ええ、不自然だもの。このツタも、この大陸に広がる森も、草花自体も、自然の法則から外れているわ」
「そうですか……説明が要りますか? それとも、ご自身で、解明しますか?」
少年はレティシアに尋ねると、彼女の視線や息遣いまで観察した。
しかし、軽く微笑んでいる彼女の表情は変わることはなく、少年はつまらないと感じた。
「そうね……それじゃ、私の推測を聞いてくれるかしら?」
少年は彼女の答えを聞き、予想していなかった返答に少しだけ驚いた。
しかし、それは同時に彼に面白いと思わせ、一瞬だけ頬が緩んだのを感じた。
それすらも面白いと感じて、彼は落ち着いて口を開け「構いませんよ」と告げた。
「私はこの大地には、自然のマナがないと思っているわ。だからこそ、植物たちは魔力を吸収し、体内でマナに変換して大地に与えている。そして、この大陸に住む人々がそのマナを体内に取り組んでいると考えたわ」
少年は、ほんのわずかに首を傾けると、冷静に「なぜですか?」と尋ねた。
これは、単なる好奇心かも知れないと、自分で理解している。
それでも、彼女の考えを聞きたいと思ったのも事実だ。
「まず、地図や上空から見た時、大陸の割合が変だと感じたのよ。何らかの文化だとも考えられたけど、港町であるポルエラやウィアミスティカを見たら、そうではないと感じたのよ。明らかに文化的な概念には縛られていないわ。確かに、この街は神秘的な部分が存在するけど、そうせざるを得なかったようにも思うわ」
「なぜ、そう思ったのですか?」
レティシアは少年が尋ねると、完全に彼が楽しんでいるのだと思った。
自分が話していることが正解なのか、それとも不正解のかも分からない。
けれど、まるで彼の問いは、誘導されているようだと彼女は感じた。
「足りないからよ。ポルエラには、下級魔族はいても、それ以上の魔族はいなかった。これは、町の人たちにも確認したから間違いないわ。だけど、この街には下級魔族がいない代わりに、中級魔族が暮らしているわ。つまり、生命に必要なマナの量が違うということになる。それを裏付けるのが、港町とこの街に住む人口と人種の違いよ」
「本当に聡明ですね。それだけの情報で、そこまで導き出したんですね。素晴らしいと思います」
「それで? 答えは?」
「この大地には、マナは存在しますよ」
レティシアは少年の言葉を聞き、驚きのあまり目を見開いた。
この大地にもマナがあるとすれば、推測は間違いだったとすぐに答えを出す。
そうなれば、考えを改めなければと思い、思想を始めた彼女は無意識に顎に触れた。
「ですが、今一瞬あなたが考えたようなものではありません。しかし、そのマナを体内に取り込めるのは、私のような上級魔族だけです。それより下は、本来であれば淘汰される生き物でした。けれど、我々はそれを望まなかった……この大陸に森が広がったのがその結果です」
顎を何度かなでていたレティシアの手が止まり、「どういうこと?」と静かに声が響いた。
眉間にシワを寄せている彼女とは対照的に、はぁっと少年が深い息を吐き出すと、こめかみを掻き始めた。
「あなたはマナと魔力の違いをご存知でしょうか?」
「ええ、マナは自然に関連するエネルギーで、魔力は大地から一度マナを取り込んだ物だと認識しているわ」
レティシアの言葉に少年が頷くと、彼は右手を広げて手のひらを見せた。
すると、空中に黒い玉が浮かび上がり、それは人の形に姿を変えていく。
「現在では、その認識は正解です。ですが、元は違います。この世界には当初、精霊のマナという自然に関するエネルギーと魔物のマギが存在し、人々は精霊から力を借り、マナを魔力に変えていました。そして、全てを支えていたのは原初の力です」
少年の手のひらにある黒い人型は、説明に応じるかのように姿を変えていく。
時折、それは数を増やし、減らしたりしていた。
「原初の力……闇の精霊と光の精霊のことね?」
「そうです。しかし、今から1512年前、この世界の理が崩れました。世界を作っていた2人の精霊が、突如力を失ったのです。魔族は、それに伴い……それ以上世界の理が崩れないように、エルフと共に翻弄しました。当時、幼い精霊たちの数も減り、彼らは自然に溶け込むようになりました」
少年の手のひらを見ていたレティシアは、人型が潰れるのを見た瞬間、思わず視線を少年に向けた。
そして、彼女は少年の言葉を何度も頭の中で繰り返し、疑問で膨らんだ想いは口から「なぜ?」という言葉をこぼれさせた。
「理解できませんよね……しかし、我々から見れば、理由は明確でした。精霊たちは人々に力を貸すのを辞めたのですよ。争いにしか力を使わないのであれば、力を貸すのに値しないと判断されたのです……しかし、それは同時に光の精霊と闇の精霊にとっては、好機だったんです。彼らはそのまま力で、全てをねじ伏せて帝国を造り上げたんですからね」
「その時、また世界の理が変わったのね……」
「そうです。人々が自ら大地のマナを体内に取り込み、魔力に変え始めたのです。しかし、これは仕方ないことでもありました。そうしなければ、彼らが守りたかった者が死ぬ可能性があったのですから……」
少年はあらかた説明を終えると、彼女がどんな答えを出すのか興味が湧き、彼女の表情の変化を観察し始めた。
眉間にシワを寄せ、時折小さくため息をついているの見ると、彼の口元は緩んでしまう。
彼女の姿は、深く考察しているようだと、彼に思わせる。
そのため、少年はじっくりと、彼女の言葉を静かに待つことした。
暫くすると、「どういうこと?」と尋ねる声が聞こえ、彼は小さく息を吐き出す。
「ここからは、私の憶測になりますが、それでも聞きますか?」
「ええ、聞かせてほしいわ」
少年は彼女の真剣な顔を見て、思わず小さな笑いが零れた。
その瞬間、彼女が眉を顰めたのが分かり、さらに少年は軽く笑ってしまう。
彼女との意見の対立があったからこそ、彼女が聞きたがるとは考えていなかった。
そのため、彼は純粋に彼女の探求心が深いのだと理解し、本当に面白いと感じさせた。
「分かりました。私の考えでは、2人の精霊が守りたかった2人の人族は、生まれながら原初の力を持っていたのだと考えています。そのため、精霊たちは彼らに力を貸せなかった。そして、2人も魔法が使えなかった……けれど……」
レティシアは少年の視線が少しばかり揺らぐのを見て、瞬時に彼が言いたいことが理解できた。
(魔法が使えないと思った人に起きる現象だと考えれば、些か疑問が湧くことだけど……この世界の法則を考えれば、そもそも魔法が使えないという概念そのものが間違いだわ。マナを一切取り込めない存在であれば、これに矛盾は存在しないけど、それは同時に生命を維持できないとも言っていることになるもの。彼らが誰からもエネルギーを補充されていないなら、彼らの体内は魔力に適応していたことになる。だとすると、マナを体内に取り込み、生命を維持していたと考えられる。その結果、体内にはマナが溜まっていることになると考えて間違えないわ)
彼女はそう思うと冷静に少年を見つめ、軽く息を吐くと冷たく「魔力暴走ね」と言った。
その瞬間、少年の表情には驚きが現れ、彼女は咄嗟にサッと彼から視線を逸らしてしまう。
「……そうです。片方の死を切っ掛けに、もう片方が魔力暴走を起こしてベルグガルズ大陸の大半を死の大陸に変えました。この後のことは……分かりますね?」
少年は落ち着いて尋ねると、目を細めて彼女の視線を追った。
彼女が吐き出した息はどこか重く感じられ、向けられた目からはわずかな怒りが見えた。
それでも、彼は視線を逸らさず、彼女が何を考えているのか冷静な頭で考えた。
「ええ、今もベルグガルズ大陸が生きているのを考えると、光の精霊と闇の精霊が蘇らせたのね……そして、その時に光の精霊は人になり、闇の精霊は人族と契約を結んだ……そして、帝国ができたのね」
「そうです……ただ問題っだのは……人族の2人が子どもを1人残していたことです」
レティシアは、瞬時に少年が何を伝えたいのか理解した。
しかし、マナを魔力に変換できない個体であれば、体が弱かった可能性もある。
そう考えれば、子どもがいるだけでも本来なら奇跡に近く、少年の言葉を否定したいと気持ちは騒ぐ。
だが、別の小さな可能性が頭の中で否定を許さない。
「まさか……」
「そのまさかです。残された子どもも、原初の力を持っていたのですよ。それに気付いた精霊たちが、世界の理を変えたのです。その結果、人々が自ら大地のマナを体内に取り込み、魔力に変えられる生物に進化したのです。……その時、下級魔族と中級魔族もその理に触れました。結果的に、私は彼らを守るために、リスライべ大陸に住んでいた者たちの住処を別け、森を作るしかなったんです」
少年の話を聞いたレティシアは、思わず頭を片手で押さえた。
(精霊たちは、きっと子どもが持っていた原初の力を媒介に、世界の理を書き換えたのね……人が使うには大きすぎる力なら、そうしないといつ爆発してもおかしくない。そして、光と闇の精霊が本来の力を使えないのであれば、彼らはこの星を守るためにもやらなければならなかった……。だから、精霊たちは今もフリューネ家に固執するのね……初めの2人を守れなかったから……そして、自分たちが力を奪ったから……だけど、それは精霊たちの理で譲れなくて……精霊たちが私に向ける純粋な気持ちに嘘はないと思う……でも、この少年とは違う……)
レティシアはそう思うと、様々な感情が込み上げ唇を噛み締めた。
「だから、あなたはあんなにも私が雪の姫だと固執したのね」
「そうです……あなたが原初の力を持っていないとは、私は言い切れませんからね……」
少年はレティシアが目を固く閉じるのを見て、彼女が今どんな心境なのか考えた。
しかし、再び見えたロイヤルブルーの瞳は力強く、聞いていた情報よりも人として彼女が熟していると感じた。




