表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
6章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

177/224

第164話 再び囚われる魂


 神歴1504年6月16日。

 アルディレッド伯爵邸の地下では、乾いた音が響くと、次の瞬間には鋭い音が続いた。

 薄暗い部屋には、わずかに鉄分を含んだ匂いが広がっており、床には赤い染みが所々伸びている。

 時折、男性の小さなうめき声が聞こえるが、鞭が空を切る音はその痛みを無視するかのように響き渡る。

 彼の体は反射的に震え、痛みが全身に広がっているかのようだ。

 ダークグリーンの髪を伝って汗が床に落ちると、再び痛ましい音が懲罰室に響いた。


「でき損ないのお前に、期待など一つも持っていなかった!」


 低く、冷徹な声が広がった瞬間、遅れて鞭が空を切る音がし、鋭く乾いた音が鳴り響いた。


「弱者として逃げ出した挙句、我が家の恥晒しとなったお前は、いつまでその愚かさを晒すつもりだ!」


 再び振り下ろさた鞭は、白い肌に赤い筋を付け、吊るされている男性はわずかにうめき声を上げた。

 肌には既に無数の赤い筋が付けられており、腫れあがった跡は痛々しい。

 それでも、男性は叫び声を1つも上げず、ひたすら痛みに耐えているようにも見える。


「お前がこの家に戻って来たのなら、最後位は家の役に立ったらどうだ、ニルヴィス」


 セラフィンはニルヴィスを見ながら、大きく手を振り上げ、怒りに任せて腕を振り下ろした。

 苦痛に歪むニルヴィスの顔は、たいして見ていてもつまらないものだ。

 彼は目の前でぐったりしている息子が、死のうと生きようとさほど興味がない。


「お前が何も言わぬなら、お前にいいことを教えてやろうか?」


 視点があっていない様子でニルヴィスが顔を上げると、セラフィンは僅かに笑みを浮かべた。


「お前が持っていた解雇通知書だがな……調べてもらったところ、本物のフリューネ侯爵家の家紋が押されていたぞ? これが意味することは分かるか?」


 セラフィンはニルヴィスの瞳を見つめると、彼の瞳が見開かれ、小刻みに揺れ動いていることに気付く。

 そのことから、ニルヴィスは何かをフリューネ侯爵から頼まれ、アルディレッド家に来たのだと分かる。

 そして、持っていた解雇通知書は、偽物であるとニルヴィスが思っていたのも、彼の動揺から分かる。


「もしや、お前がした何時ぞやの裏切りに、フリューネ侯爵は気付いていたんだな。そして、フリューネ侯爵はそのことを許していないようだ」


 セラフィンがそう言い切った瞬間、ニルヴィスの表情には絶望の影が広がる。

 口をパクパクさせ、目には薄っすらと涙が浮かび始め、明らかに動揺している様子が見て取れる。


「かわいそうにな。フリューネ侯爵の言葉を信じ、逃げ出した家に戻って来たのに、実際はフリューネ侯爵からも捨てられていたとか、傑作じゃないか」


 嘲笑うよにセラフィンが言い切ると、ツーっとニルヴィスの目から涙が流れ落ちた。

 赤くなっていく鼻は彼の悲しみを映し出しているようにも見え、わなわなと震える唇は彼の絶望を物語っているようでもある。


「私も実に残念だよ、ニルヴィス。お前が帰って来てから、何日にも渡ってお前を教育し直したのに、もうお前を雇ってくれる家もなければ、この家にもお前の居場所はないのだからな」


 セラフィンはそこまで言うと、じっくりとニルヴィスの様子を(うかが)った。

 視点が合わないような視線を見れば、はかり知られない絶望が渦巻いているのだと彼は思った。

 最後の最後で、こんなに弱い息子を見るとは思っていなかっただけに、憤りは大きくなる。

 しかし、いろいろと考えると、彼はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。

 そして、セラフィンはニルヴィスに対し、さっきまでとは違う声色で話し出す。


「居場所がないお前にも、最後に家族としてチャンスを上げよう。フリューネ侯爵は旅の支度をしているそうなのだが、どこに行くのか知っていたら話してみろ……そうしたら、この家においてやってもいい」


 彼の言葉は甘い果実のように優しく、ニルヴィスの心境を揺さぶっているようにも見える。


「安心しろ、お前の話が事実だった場合、もうお前にこんな仕打ちもしないと誓うし、お前をちゃんと家族と認めよう」


 セラフィンは声色を変えて言うと、再びニルヴィスの様子を静かに見ていた。

 長い沈黙が流れると、セラフィンは思い出したように話し出す。


「お前が家出したことも、お前が人から盗みを働いたことも、お前がフリューネ侯爵家を裏切り、皇家に情報を流していたことも、フリューネ侯爵や周りが許さなくても私が全て許そう。これが最後のチャンスだ、ニルヴィス……フリューネ侯爵の行き先を話してくれ」


 優しく諭すように言っても、ニルヴィスの表情は変わらなかった。

 セラフィンはその様子を観察し、内心で溜め息をついてしまう。

 彼はできるだけ優しさを込め、「少し考える時間も必要だろう」と言いながら、自分の上着をそっとニルヴィスにかけた。

 そして、ニルヴィスを支えながら懲罰室の扉を開け、そのまま長い廊下を歩いた。

 階段をゆっくりと上がると、メイドに「ニルヴィスのために、体に優しいものを頼む」と告げた。

 周りが目を見開いて驚いている様子だったが、セラフィンはどうでもいいと思ってしまう。

 なぜなら、今は息子が話すことが重要であり、そのための努力を惜しむ気はさらさらないからだ。。

 彼は、2階に上がるための階段ですら気を使いながら、ニルヴィスを自室へと連れて行った。


「今晩は、ここでゆっくりと休んで考えるがいい」


 セラフィンは優しく言うと、ニルヴィスをベッドに座らせた。


(ニルヴィスは、2階に上がったことも、私の部屋にすら入ったことなどない。本当はいやだが、今はそんなことも言っていられないからな……)


 セラフィンはそう思うと、ニルヴィスに柔らかい笑みを浮かべた。



 一方、アランは旅の支度に追われていた。

 彼はエルガドラ王国の国王である父親に助言を頼み、竜人として海を渡ったことがある父親の知識を借りた。

 そして、そこからある程度の航路を考え出し、船を出してくれる者を探している。

 陸路を進むことも考慮しつつ、そのための移動手段も考えなければならず、彼は頭を抱えている状態だ。


(あー。こういう時、ルカだったらサクッと考えるんだろうなぁ……先に進む安全を考えつつ、退路も確保しなきゃいけないとか、どんだけいつも考えてくれてたんだよ……)


 アランはそう思うと、疲れを感じて軽く息を吐き出した。

 レティシアが設けた期限まで、残り2週間もないと考えれば、わずかばかり焦る気持ちが膨らむ。

 彼は再び地図に向きなおすと、考えを巡らせながら、自分で書いた航路と陸路を指でなぞった。


「アラン、これ届いてた」


「悪い。あ、そうだ。食料とかの調達はどうなってる?」


 アランはクライヴから手紙を2通受け取ると、淡々とした様子で尋ねた。

 少しばかり間が開くと、クライヴは重たいため息を吐き出した。


「ああ、アルノエさんが手伝ってくれたから、粗方終わったよ」


「そうか、それなら良かった」


 アランはそう答えると、手紙の封を開けていく。

 1通目の差出人はレティシアからであり、彼は綺麗な文字をひたすら追い駆けた。

 次第に彼の眉間にはシワが寄り、「はぁ?」という声が漏れた。

 それでも気を取り直し、2通目を開けると、それはライアンからであった。

 同じように文字を辿っていくと、アランは苛立って「マジかよ!? 先に言えよな!!」と言った。


「完全に面倒くさい流れだ……」


 クライヴは小さい声でそう呟くと、足音を立てないように歩き出す。

 幼い頃からアランを知る彼は、アランがどんな人が理解しているつもりだ。

 そのため、こういう時はそっと離れた方が良いのも知っている。

 しかし、後少しで部屋から出れると安堵した瞬間、「クライヴ、諦めろって」と言う声が聞こえた。

 彼は大きく息を吸い込み、「はぁー……」と言いながら吐き出すと、「なんでしょうか?」と冷たく尋ねた。


「今さら逃げられないのは理解してるだろ? いい加減諦めろよ」


「理解はしてるけど、それを受け入れるのかは、また別の話だろ」


 呆れた様子でクライヴが言うと、アランは額に手を当てて、手紙を差し出した。


「まぁ、いい。少しだけ予定が変更になったから、この手紙を持ってアルノエとアルファール大公のところに行って、話を聞いて来てほしい」


「やっぱり、面倒くさい流れだった……」


「御託はいいから、行って来いよ。それとも、おまえが代わりにフリューネ侯爵家に1人で行くか?」


 クライヴはアランの話を聞き、眉間にシワを寄せると思わず舌打ちをした。

 そして、深く息を吐き出し、心底うんざりとした気分で口を開く。


「そっちは、完璧にパス。絶対に行きたくない」


「なんで、そんなにいやがるんだ?」


 クライヴはアランが首をかしげると、彼に冷たい眼差しを向けた。

 それから、息を吐き出した彼は、昔のことを思い出しながら話す。


「なぁ、アラン……僕が何も知らないとでも? 昔、アランの婚約者だと騒がれたララって、レティシア嬢だろ? 始めて彼女を見た時に、興味がないフリをしたけど、すぐに気付いたよ……彼女がララだってね。狼の獣人の僕がそれをどう思うのか、アランは考えたことはあるのか?」


「いや、深く考えたことはない……悪い。だけど、前にも噂されてた婚約者の説明したけど、彼女は世間を欺くために」

「それでもだ! アランには悪いけど、彼女に対して普通に接することは、難しいと考えてくれ。アランがどう思っていても、僕はすでに彼女を1度アランの番だと認めたんだ。だから、彼女に君の番になってもらいたいと考えてる。それがいやなら、極力彼女と僕を関わらせないことだ」


 アランの話を遮ってクライヴはハッキリと言うと、続けて「クソッ」と言って唇を噛み締めた。

 クライヴは、すでにアランの番がこの世にいないのを知っている。

 そのため、アランの心に空いた穴を埋めてくれる相手が必要だということも、獣人として分かっている。

 アランの幸福を願っているからこそ、アランの望まない結末にはしたくない。

 それでも、獣人としての本能が、アランの番にレティシアを求めてしまう。


 アランは短く「悪かった……」と言うと、申し訳なくて視線を下げた。

 獣人としての本能は、抗えない部分も多く、番に関しては特にだ。

 そのことを知っているからこそ、それ以上彼は何も言えなかった。



 それから1週間後の神歴1504年6月23日。

 夕飯時のアルディレッド伯爵邸で、ニルヴィスは家族に囲まれていた。

 おどおどと戸惑っている様子も見受けられるが、彼の表情はどこか幸せそうにも見える。

 家族が囲む食には、暖かい料理が並び、さまざまな匂いが広がる。


「それにしても、フリューネ侯爵はどこに行く気なんだろうなぁ」


「そうよね……オプスブル侯爵様も隠して、フリューネ侯爵は何がしたいのかしら……」


 フレデリック何気ない様子で尋ねると、続いてアリストリドが淡々として様子で答えた。

 途端に、ニルヴィスは下を向き、セラフィンは彼の背中をなでながら話し出す。


「ニルヴィス、気にするな……話したくなったら話せばいいんだ」


「父さん……」


 セラフィンは不安そうな表情を浮かべるニルヴィスに対し、落ち着かせるように何度も背中を擦った。


「大丈夫だ、今は話さなくてもいいんだ。ニルヴィスの気持ちが落ち着いたら、話せばいいさ」


「フリューネ侯爵は……エルガドラ王国を経由して」


 ニルヴィスはそこまで言うと言い淀んだ。

 しかし、「無理しなくていい」とセラフィンに言われ、暫しの沈黙が流れると彼は「フリューネ家が海に出る」と話した。

 その瞬間、セラフィンは満足気にほくそ笑むと、悪意に満ちた笑みを次第に浮かべた。


 その晩……

 アルディレッド伯爵邸の広間では、家族だけの小さな宴が催されていた。

 けれど、どんなに会場を見渡したところで、そこにはニルヴィスの姿はない。

 だが、ニルヴィスが幼い頃に使っていた地下の部屋からは、どす黒い染みと共に鉄分を含んだ悪臭が漂い始め、扉は固く閉じられていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ