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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
6章

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第160話 光と影の中で……


 ニルヴィスは彼女の瞳を見て、一瞬ゴクリと息を呑んだ。

 執務室に広がる時計の針が時を刻む度、鼓動の音と重なる気さえしてくる。

 しかし、すぐに冷静さを取り戻し、いつも調子で彼女に優しく話しかける。


「ノエなら出掛けてるから、すぐには戻って来ないと思うよ~? 連絡する~?」


 レティシアは窓の外を見つめたまま、視線を逸らさずに外の風景を見ていた。

 いろんな思いが交じり合い、彼女は短く息を吐き出す。

 そして、淡々とした様子で彼女は返事する。


「いえ、その必要はないわ。ただ、アルノエが来る時間を知りたかっただけよ」


「そっか、それなら良かった~」


 ニルヴィスはそう言うと、安心したような表情を浮かべ、カップに手を伸ばした。

 それにつられるように、レティシアもカップに手を伸ばし、一口飲んだ。

 部屋には軽やかな紅茶の香りと、さわやかな茶菓子の香りが広がっている。

 静かにカップを置く音が聞こえると、もうひとつカップが置かれる音が続いた。


「ねぇ、ニヴィ……なぜあなたは15年前、フリューネ家の情報を外部に流したの?」


 ニルヴィスはレティシアの唐突に尋ねられて、思わす目を見開いた。

 先程までとは違う優しい声は彼の心臓を大きく揺らし、急速に時間を減速させているかのようだ。

 鼓動は鼓膜まで届き、急激に乾いた喉は水分を求める。

 視線が上げられず、ダークグリーンの瞳はカップから視線を逸らせない。


「あんなに、私に寄り添ってくれたのに、本当は私に死んでもらいたかったの?」


「違う!! ボクはレティシアちゃんに死んでほしいって思ったことなんてない!」


 ニルヴィスはギュッと目を瞑ると、心の底からそう否定した。

 しかし、暫くして「ならなぜ話したの?」と、今度は淡白で冷たい声が耳に届いた。


「……レティシアちゃんには分からないよ……」


「話せば、家族との関係が修復できると考えたの?」


「……」


「認めてくれないと分かっていても、頼まれたことをすれば、少しは認めてもらえると思った?」


「……う……い」


「失敗作だと言われた自分の力を、家族に証明したかったの?」


「……うる……い」


「自分をいらないと言った家族なのに、それでも自分の居場所がほしかったの?」


「……うるさい」


「あー見下されてたから、見返したかったの?」


「うるさい、うるさい!」


「愛されていないと分かっていても、愛してもらいたかった?」


「うるさい! 君には分からないだろ!! 君は家族の愛情や君が抱く愛情の感情を知らなくても、それでも愛されてた君には分からないだろ!! 土足で、ボクの心を踏みにじるな!!」


 レティシアは叫んだニルヴィスを見つめ、静かに目を閉じた。

 無数の黒蝶を飛ばした時、彼女はニルヴィスの家にも黒蝶を飛ばしている。

 そこから聞こえた家族の会話は、彼女の心情を抉った。

 実力主義の家族からは、家族に対する思いやりが感じらず、一度の失敗で長年仕えていたメイドは叱責され、翌日には追い出されていた。

 実力がない者を軽視し、見下す対象にしていた家族に、彼女は吐き気を覚えたくらいだ。

 ニルヴィスの話が出ても、「産んだのは間違いだった」「あれは失敗作だ、期待するだけ無駄」と切り捨てる。

 それはニルヴィスを1人の人族だと認めず、道具だと思っているからこそ出る言葉だとレティシアは思った。

 彼の心情を考えれば、過去の人生で同じような経験があったからこそ、彼女はそのまま過去の出来事として忘れようとした。


「分かるわよ」


 しかし、彼女はルカが記憶を失った今だからこそ、ニルヴィスの本心が知りたかったのだ。


「分かるからこそ、ルカも私もこれまであなたを放置していたのよ……あなたと言う人が信頼に値するか見極めるために」


「それで? 信頼に値しないと判断したから、ボクのところに来たの?」


 ニルヴィスはレティシアが真っすぐな瞳で見つめてくるのを見て、自嘲気味に言うと歯を食いしばって無理に微笑んだ。

 どんなに悔やんでも過去は変えられないし、どんなに償おうとも罪が消えないのも理解している。

 それでも、自分の行動で脅かした命を、それでも守りたいと思ったのは間違いない。

 その彼女が自分を罰するなら、喜んで受け入れようと彼は思うと柔らかい笑みが自然に顔に出た。


「ルカは分からないわ。だから私の判断でニヴィと話しに来たのよ」


「まだボクのことを、ニヴィって呼んでくれるんだね。レティシア様は本当に優し過ぎる」


 悲しそうなニルヴィスの声が静かに響くと、小さなため息がレティシアの方から聞こえた。

 曖昧に笑うニルヴィスとは対照的に、レティシアはどこか落ち着いているようにも見える。

 2人から漂う雰囲気は違い、2人の立場の違いを表しているようだ。


「そうね、私も自分で甘いと思ってるわ。ねぇ、ニヴィ……本当は何があったの?」


「話したら本当に嫌いになるよ……それでもいいの?」


「ええ、それなら、私に嫌われてちょうだい」


 レティシアがハッキリと答えたのを聞き、ニルヴィスは息を吐き出した。

 そして……彼は、ゆっくりと話し出す。


「ボクさ……ある日、耐えられなくなって家から死ぬ気で逃げたんだよ。捕まって連れ戻されたら、今まで以上に人として見られないと思ってね。そこから、ゴミを漁ってさ空腹をしのいでたんだよ。家でも出されてたのは似たようなものだったから、それを口にするのも抵抗なかったし、家を出たことは今も後悔してない。だけど……」


 伯爵家に生まれたニルヴィスが、抵抗なくゴミを漁るのは普通だったらありえないことだ。

 しかし、レティシアが黒蝶から聞こえた情報を繋ぎ合わせれば、納得できる。

 なぜなら、アルディレッド伯爵家では、実力や能力が低いメイドは残飯を与えられ、実力や能力が高いメイドは、まかないが与えられていたのだ。


「そんな時にさ、数日食べる物がなくて、ボクは人としてやっちゃいけないことをしたんだよ」


「……人から物を取ったのね?」


「うん、奪って逃げた。その人の生活も考えずに……今でも鮮明に覚えてる。目があったんだ彼と……そしたら、袋からパンを出してさ……ボクに近寄ってきたんだよ……そのタイミングで……ボクは……彼が手にしてたパンを盗んだ」


 レティシアはニルヴィスの話を聞いて、パンを持った男性の行動を考え、ある可能性が頭を過ぎった。

 けれど、それはあくまで可能性であり、事実とは異なる可能性もある。

 そして……仮にその可能性が事実だとすれば、今以上に彼の心は罪の意識に苛まれる。

 お金を持たない子どもが1人で生きるは、世界は厳しく、誰もが善意で手を差し伸べてくれるものではない。

 差し伸べるべきだと善人ぶる者ものいるが、果たして彼らは子どものことをどれだけ考えているのだろうか……

 レティシアは、ふとそう考え「……そう」と、静かに答えた。


「……それをね……見られてたんだよ」


 考えるように腕を組んで顎に触れていたレティシアは、首をかしげて「誰に?」と、淡々と尋ねた。

 しかし、彼女の眉間にはわずかばかりのシワが寄り、ロイヤルブルーの瞳はニルヴィスを見つめている。


「ブルエミルーヴ公爵だよ、正直終わったと思った。だけど、別に彼は何も言わなかったんだ」


「ブルエミルーヴ公爵って、アルノ・ディ・ブルエミルーヴ公爵? 彼って現宰相よね?」


 今度こそハッキリと眉間にシワをせてレティシアが尋ねると、ニルヴィスは「そうだよ」と言って小さく頷いた。

 そして、彼はカップを見つめながら、当時のことを思い返すかのように話す。


「その後にボクはジョルジュ様に拾われて、オプスブル家に住み着いた。そこからだよ……ブルエミルーヴ公爵がボクに情報を求めたのは」


「もしかして……オプスブル家から追い出される、もしくはオプスブル家の立場危うくなると言われたの?」


「どっちも正解。あと……アルディレッド家のことも色々と言われたよ……」


「……なんて言われたの?」


「レティシア様が言ったようなことだよ……彼は、まるでボクの家のこと知ってるみたいに話してた。盗みを働いたことを知ったら、懲罰室にぶち込まれるとか、認めてもらえる最後の機会とかね……」


 ニルヴィスの話を聞きながら、レティシアは何かを考えている様子で何度か顎に触れた。

 けれど、彼女の瞳は多くを語らず、ほんの少し眉間にシワが寄っている表情も何を考えているのか分からない。

 綺麗な唇が動いたと思えば「……そうなのね」と小さく答えた。


「そっからは、エディット様が妊娠した時も報告したし、ダニエルの情報も報告してた。レティシア様が生まれた時も報告したし、襲撃を受けた時も報告した」


「だけど、ダニエルが早く動いたことで、あなたは情報が洩れているか、ブルエミルーヴ公爵が怪しいと考えた。そして、彼に一切情報を提供しなくなった」


「それも正解、だけど不正解」


「どういうこと?」


「ブルエミルーヴ公爵は、それから一切ボクに情報を求めなかったんだよ。その代わり、皇帝が情報を求めてきた。その時ね、ボクは考えたんだよ……ボクの情報は」


「「皇家で情報が共有されていた」」


 レティシアとニルヴィスの声が重なると、ニルヴィスは目を見開いて「え?」と声が零れた。

 一方、レティシアはそのことに動じる様子はなく、息を吸い込むと短く吐き出した。


「やっぱりね。不自然だったのよ……15年前のことを聞いた後、私はモグラの存在に気付いたわ。その時に考えられる範囲で様々な仮説を立てたの。そして、エルガドラ王国から帰った時に、ある程度の仮説はあり得ないと判断したわ」


 レティシアは冷静にそう言うと、テーブルの上にあるカップに手を伸ばした。

 ロイヤルブルーの瞳はカップの中を見つめ、当時のことを考えながらカップを軽く揺らす。

 ニルヴィスの「なんで?」という声が耳に届くと、彼女は微かに微笑んだ。

 そして、紅茶を一口飲むと、静かにニルヴィスを見つめて口を開く。


「国外で私を殺した方が、足がつかないからよ。それで残った仮説を考えていたわ。その時に辿り着いた仮説が、モグラの流した情報が流出していた可能性よ。その時にニルヴィスがモグラだと気付いたのよ」


「そっか……昔から思ってたけど……レティシア様はやっぱボクとは違うな……でも、ボクがまたモグラするとは思わなかったわけ?」


「そうね……警戒しなかったわけじゃないわ。でも、学院のみんなが来た時も情報は流れなかったし、鼠も動かなった。そうなると、15年前を最後にニルヴィスは情報を流さなかったと答えが出せたの。まぁそれと同時に、鼠はフリューネ家に住んでいないことも確証を得られたわ。そして、今回ルカの情報も出回っていないことを考えたら、必然的にニルヴィスはもうモグラとして動く気がないと思ったわ」


「そうだね……だけど、ボクは間違いを犯した。だから……許されちゃダメなんだよ」


 レティシアはニルヴィスが思いを吐き出すように言うと、深くため息をついた。

 罪は裁かれるだけが結果を持たらすとは、彼女は考えていない。

 だが同時に、罪を裁くことでしか結果が持たらされないとも考えている。

 罪を自ら罪だと自覚し動く者と、罪を自ら自覚しない者は、彼女にとっては同じではないのだ。

 そのため、彼女は淡々と「でも、私は許すわよ?」と言い切った。


「それじゃオプスブル家は許さない。よく考えてレティシア様」


「ニヴィ、その呼び方はいやよ。それに、このことはレイも了承済みよ? 文句があるなら、私とレイに抗議文を書きなさい」


「だけど……アンナは厳しく罰せられた……ボクも彼女に厳しく接した……」


「そうね……アンナはあなたと同じく情報漏洩をした。そして、彼女は厳しく罰せられたわ。でも、彼女にも更生のチャンスは与えられていたのよ。それが事実で、それがあなたと違う結果になった理由よ。少なくとも、あなたが私の護衛になって、離れて暮らすようになるまでの10年間、あなたは私のことを第一に考えて私を護ってきたし、帰ってきた今も私のことを考えて護ってくれている。もう、十分罪は償ったと私は判断したわ」


「甘いんだよ……甘いよ……レティシア様」


「ニルヴィス・アルディレッド。ううん、ニヴィ、いつものように呼んでちょうだい」


 ニルヴィスは、レティシアの言葉を聞いて胸が締め付けられた。

 罪をどんなに償っても、どんなに彼女が許そうとも、これからも彼の中で罪の意識は消えずにあり続ける。

 けれど、レティシアから親しみと信頼が感じられ、それがより一層後悔として重く圧し掛かる。

 それでも、彼女のことを護っていけることが嬉しく感じた。

 あの小さかった手は、もう彼の手を必要としないかもしれない。

 だけど、幼い彼女が小さな手を振りながら、「ニヴィ」と呼んだ時、彼女を護りたいと彼は思った。

 それが罪の意識から、償いのためだけに動いているのではないかと考えた時もある。

 しかし、あの時感じた想いは、罪の意識だけじゃなかったのだと彼は改めて思った。


「ごめんね……レティシアちゃん……ごめん。幼かった君を、危険に晒して……本当にごめんなさい……怖い思いをさせて、ごめんなさい……」


「良いのよ。それにね、私は甘くないのよ? ニヴィにしかできなくて、ニヴィにとってつらい仕事を頼むのだから」


 優しくも淡々とレティシアが話すと、ニルヴィスは涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。


「……ボクは……何したらいい?」


「あなたの実家に行って、あなたの親が誰と繋がっているのか確かめて。必要な物があれば、私も協力するわ。例えば、付与術とかね」


「分かった……」


「そうなると……行く時には手土産も必要ね……それは後で準備するわ。だから、それまでに必要なものを考えておいてちょうだい」


 淡々と告げたレティシアは、茶菓子を1つ取ってソファーから立ち上がった。

 そして、口に含むと歩きながら「これ美味しいわね」と言って嬉しそうに微笑んだ。

 その瞬間、「それは良かったよ」と言いながら、ニルヴィスも笑顔を浮かべた。

 だが、ニルヴィスに背中を向け、歩き出したレティシアの表情は、ストンと感情が抜け落ちたように無表情だ。

 それでも、ロイヤルブルーの瞳だけは、沸々と怒りの炎が燃えているようでもあった。


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