表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
6章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

170/224

第157話 記憶の空白と揺れる馬車


 神歴1504年6月8日。

 レティシアは2通の封筒を持ちながら、白い廊下を歩いていた。

 シンプルなドレスは、柔らかな印象を醸しだすが、彼女の表情はどこか硬い。

 足音は鳴りを潜め、感じられる人の気配は以前と比べて少ない。

 漂う雰囲気は張り詰め、バランスを崩せばはじけ飛びそうだ。


 あれから、連日のようにイリナが訪れ、ルカの状況を尋ねている。

 しかし、「今はお答えすることはできかねます」と告げれば、手紙を渡すように頼まれる。

 この状況に、危機感を覚えない訳ではない。

 けれど、ルカに宛てた手紙を勝手に開封するわけにもいかない。


 レティシアはため息をつくと、もう1通の手紙の宛て名に目を向けた。

 彼女宛の手紙には、皇家の紋章が使われており、自然に彼女の足が止まる。

 封を開けると、印璽(いんじ)が使われた手紙が現れる。

 無表情で彼女は手紙を広げ、サラッと目を通し、クシャッと丸めて歩き出した。

 丸まった手紙は手の中で燃え尽き、何事もなかったかのように彼女は前を向いた。


 ルカの部屋の前に着くと、レティシアは静かに息を吐き出した。

 そして、ニコッと微笑むと、ドアを開けて部屋の中に入って行く。


「ロレシオ、ルカ、今日の調子はどうかしら?」


 ルカはレティシアの顔を見ると、興味がないとでも言うように、本に視線を戻した。

 すると、慌てたようにロレシオが話し出す。


「レティシア様、本日はルカ様の体調が幾分か良いように感じられます」


 普段のロレシオなら、レティシアにここまでかしこまったりしない。

 ルカに記憶がない以上、彼が勝手に部屋から出ないとは言い切れない。

 そのため、彼女は上下関係を明確に示すべきだと考え、ロレシオたちに礼儀をもって接するように、指示を出している。

 結果として、ロレシオが騎士団のトップとして、このように振る舞うのも間違いではない。

 しかし、堅苦しいのを嫌う彼女にとって、これは些か息が詰まる状況だ。

 レティシアは内心でため息をつくと、ルカに手紙を差し出した。


「これ、ルカ宛の手紙よ。返事は出せないけど、今日も渡しとくわね」


 レティシアは優しく言うと、ルカがレティシアに視線を移し、立ち上がって手紙を受け取った。

 そして、再びベッドに腰を下ろした彼は、微笑を浮かべながら手紙を読み始めた。

 その姿を見てレティシアは胸を押さえると、短く息を吐き、笑顔を浮かべて話し出す。


「今日はこの後、私は出掛けるわ。ロレシオ、ニルヴィスとアルノエにもよろしく言っておいて」


「かしこまりました。レティシア様、いってらっしゃいませ」


 ルカはレティシアが部屋から出ようとした瞬間、「おい」と彼女を呼び止めた。

 そして、続けて「いつまで俺をここに閉じ込める気だ?」と冷たく尋ねた。

 しかし、彼女は振り返らず「それは、私だけが決めることじゃないわ」と感情がこもっていない声で告げた。

 そのまま彼女が部屋を出ると、ドアは静かに音を立てた。

 ルカはそっと胸に手を当てたかと思うと、静かに手元の手紙を見つめる。


(手紙……? 違う、俺が渡されたのは違うものだ……でも……なんで違うと思うんだ?)


 ルカはそう思うと、胸元を強く握りしめた。

 痛む胸は息を吸い込むほどに痛みが増し、突き放すような彼女の冷たい声がこだまする。

 理由も分からない感情が押し寄せ、彼の視界は涙が滲む。


(なんだよ……これ、なんだよ……)


 ルカはそう思うと、息を止めて痛む胸を強く押さえた。



 廊下を歩くレティシアからは、彼女が何を考え、何を思っているのかは分からない。

 ロイヤルブルーの瞳は前だけを見つめ、背筋を伸ばした姿には力強さが感じられる。

 しかし、階段を下り始めた足音には、わずかばかり寂しさが滲んでいるようにも聞こえる。

 レティシアは玄関へと向かうと、そこで待っていたレイに曖昧な笑みを浮かべた。

 すると、彼は静かにドアを開け、彼女の前を歩き出す。


 玄関前には馬車が止まっており、レイは馬車まで駆け足で向かうとドアを開ける。

 そして、彼はレティシアの方を向き『どうした?』とテレパシーを使って尋ねた。

 けれど、また曖昧な笑みを浮かべ『いえ、なんでもないわ』と彼女が答えると、彼は思わず心の中で息とつく。

 無理に笑っているのだと分かっても、その理由が彼には分からない。

 彼女に差し出し手は、彼女が触れるとわずかに冷たく感じる。

 彼は『ルカ、今日も元気だった?』と尋ねがら、彼女の表情を薄紅色の瞳に映す。


『ええ、嬉しそうに手紙を読んでいたわ』


 彼女がそう言うと、レイは再び内心でため息をついた。

 彼女の曖昧な微笑も、手の冷たさも、考えれば何かあったとしか思えない。

 それでも、彼は『そっか……』と答えて馬車に乗り込んだ。


 馬車は走り出すと、家の門を抜けて徐々に景色を置き去りにしていく。

 流れる風景は帝都の街並みを映し、そこに住まう人々の状況を見せる。

 大きな門は貴族の家を象徴し、質素な家は庶民の家だと分かる。

 それでも、窓辺に飾られた花は鮮やかに咲き誇り、煌びやかに見せて落ち着いている。

 わずかに街の声が馬車の中まで聞こえ、その雰囲気を伝える。

 馬車の窓に映るロイヤルブルーの瞳は、遠くを見つめており、時折淡く揺れる。


 ルカの婚約者と名乗る女性が現れて以来、レティシアは屋敷の中で働く者を制限した。

 それに伴い、屋敷に出入りする人も制限が掛かり、今は限られた人しか入って来られない状態だ。

 その代わり、屋敷を取り囲む騎士団の警備は厳重にした。

 それによって内情を知る者は減り、様々な憶測が飛び交い、人々はルカの状態をエディットと重ねた。


(お母様の時も、こんな感じだったのね……ジョルジュやリタは何を思って動いてたのかしら……)


 レティシアはそう思うと、静かに目を閉じた。

 当時のことを考えれば、きっとルカとエディットでは状況も周りの反応も違う。

 けれど、エディットを思えば彼女の胸は締め付けられ、今の状況が合わさりため息として漏れでる。

 ルカが彼女のことを覚えていないということは、様々な思いでも彼の中で消えた可能性もあり得る。

 通り過ぎた日々が戻らないと分かっていても、今の気持ちは過ぎ去った日々に戻りたいと願ってしまう。

 それでも、止まれないと言うかのように、石畳の道を馬車が進む。

 石畳の道は馬車を小さく揺らしているが、そこから感じられる振動は少ない。

 街の声は段々と変わり始め、漂う空気を変えて人々の生活を匂わせる。


(フィリップを引き取って、2ヵ月半……約束の期限が過ぎても、ダニエルたちが何も言ってこないのを考えると、こちら側が気付いたことをダニエルたちも察したと仮定して考えた方が良いわね……その方が、必要以上にライラが一緒に住みたいと言わなくなったことと辻褄が合うわ。まぁ、彼女が噂のせいで私に近付けなかったのも、理由にあるんだろうけど……でも、そうなると……なぜ彼女は連休中に集まった時、家に入りたいと粘ったのかしら? あの時は、まだフィリップが来てそんなに日も経っていなかったわ……フィリップの回収……フィリップから何か回収したかった? 魔力の補給……? それとも別の思惑が……?)


 レティシアが思考にふけっていると、徐々に馬車の速度が下がり、暫くすると馬車は停車した。

 静かにレイが立ち上がり、開かれたドアから降りていき、彼女に手を差し出した。

 彼の顔は何かを考えているようで、レティシアはそれを見て柔らかく微笑んだ。


「それで? 街に来たけど、どこか行きたいところはあるの?」


 レイはレティシアの方を向いて、落ち着いた声で尋ねた。

 すると、彼女が「そうね……」と言って寂しそうに通りを見つめている。

 周囲の賑わう声は彼の耳から消え去り、レイは彼女がここをルカと訪れたのだと感じた。

 それでも、ゆっくりと彼女の唇が動き「少し歩かない?」と言って微笑むと、彼も眉を下げて微笑んだ。


「分かったよ。まぁ、今日はちゃんと付き合うよ。特に今は1人になりたくないでしょ?」


「どうかしら……分からないわ。だけど、今はやるべきことが多いと思わない? これもその1つよ」


 レティシアはそう言うと、一歩前へと足を出し振り返って満面の笑みを浮かべた。

 落ち着きのあるドレスは風に揺れ、毛先がロイヤルブルーに染まったシルバーの髪は風になびく。

 レイはドレスと髪を少し抑える彼女を見て、幻想的でありながらも消えてしまいそうで思わず手を伸ばした。

 触れた手はほのかに冷たく、それでも確かな温もりが感じられる。

 そのことにホッと胸をなで下ろすと、彼は「おすすめの店に案内するよ」と言って彼女の手を引き歩き出した。

 彼の後ろから微かに笑う声が聞こえ、彼も自然に頬が緩みひと時の安らぎが訪れる。

 暫く歩くと、レイは彼女の様子を気付かれないように、視界の隅に映して観察していた。

 楽しそうに笑っているが、時折彼女の視線はレイを違う人物に重ねているようにも感じられる。


(レティシアとルカが、2人で出掛けたことがあるとは思えないけど、きっとルカの立ち位置はこんな感じだったんだろうな……レティシアにとって、ルカの隣にいて当たり前だったんだね……髪の色も、目の色も、闇の力も恐れない……いや……違うな……初めてルカとレティシアが過ごしていたるのを見た時から、分かってる。だから、レティシアならルカの状況を変えてくれるって思って、ボクが住んでた家を見せた……レティシアは恐れないんじゃない……ルカが抱える闇の部分も含めて、レティシアにとって最初からルカはルカだったんだ)


 レイはそう思うと、複雑な気持ちが込み上げて泣きそうになった。

 けれど、触れた温もりに力が入ったと思うと、彼は彼女に視線を向けた。

 一点を見つめる彼女の視線を追うと、そこにはアッシュブロンドの髪を、一部編み込んで後ろに束ねている女性がいる。

 誰なのか分からなくとも、レティシアの瞳がわずかに揺れるのを見れば、レイも彼女が誰なの想像できた。


『あれが、ルカの婚約者って言ってた人?』


 レイは優しく尋ねると、レティシアは静かに頷いた。

 2人の視線の先では、イリナが花を選んでいる。

 耳元に揺れる大きな宝石は、動くたびにキラッと輝き、胸元の宝石は存在感を漂わせている。

 黒を基準にしたドレスは、赤い宝石たちを際立てさせている。


『服装がまるで、すでにルカが自分のもんだって言ってるようだね。ルカの気持ちも考えず、良くやるよ。行こ、レティシア』


 苛立ちを含んだ声でレイは言うと、歩き出してレティシアの手を引いた。

 少し遅れて彼女が歩き出すと、彼は苛立ちから歯を食いしばった。


『頼むから、ルカのことを信じて。ルカは不誠実な人じゃない。君なら分かってるだろ?』


『ええ、分かっているわ。でも』

『でもじゃない! ルカの幸せはルカが決める! レティシアがルカを大切に思って幸せを願って、何も覚えてないルカから離れてみろ! 記憶を取り戻した時、ルカはどんな気持ちになると思うの!? 逃げるなよ! 頼むから今は自分の気持ちと向き合ってよ……婚約者とか考えないでよ……もしルカとある程度の距離を取るなら、ルカが記憶を取り戻してからでもいいだろ……』


 レイは一気にまくし立てると、唇を噛み締めた。

 結果的にルカと距離を取ったレイには、彼女の気持ちが分からない訳ではない。

 だけど、レイは生まれる前からずっと、周りの影響でルカとは距離があった。

 それを考えれば、ルカの世界にはレイという弟は存在しないかもしれない。

 だからこそ、ルカの世界にいるレティシアが、ルカの気持ちを無視して距離をとるのは許せない。


『そうよね……たとえ、ルカが幸せそうに手紙を読んでいても、それは私から見たルカで、ルカは幸せじゃないかもしれない……私が勝手にルカは幸せだと決めつけるのは、おこがましいわね』


『分かってんじゃん。なら、なんで動揺するんだよ……』


『ごめんなさい。答えがまだ出ていなくて、苦しいのは確かよ。だけど、そうね……逃げたところで、私とルカの関係は……もうあの頃とは変わったのよね』


 呆れたようにレイが言うと、レティシアはそっと胸を押さえて答えた。

 幼い頃は、隣にいなくても、振り返ればルカの赤い瞳があった。

 どんなにレティシアが絶望に呑まれても、ルカはレティシアを探し出した。

 離れていようとも、彼女の隣にはルカがいて、彼の隣には彼女がいると考えていた。

 たとえオプスブル家が彼女に従おうとも、ルカとの関係は対等だとレティシアは思っていた。

 初めは同情して寄り添った関係も、時を刻むうちに友情と信頼に変わった。

 信頼は依存心となって、彼がいなければ不安になることもあった。

 けれど、たとえ彼が彼女から離れても、それで彼が幸せならそれでもいいと思っている。

 だからこそ、依存心と恋心の狭間で揺れているのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ