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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
6章

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第154話 葛藤と巡る影


 神歴1504年5月31日。

 太陽の光が優しく校舎の窓から差し込み、壁に飾られた肖像画やタペストリーの縁がわずかに煌めく。

 心地よい温かさが満ちた教室には、初夏を祝う新鮮な木々の匂いに紛れ、ほのかに生徒たちの香水の匂いが広がる。

 人々の笑い声や話し声が聞こえる中、鳥のさえずりが窓の外からかすかに耳に届く。

 しかし、甘ったるい声が聞こえ始めると、どこか険悪な雰囲気が教室を包み込み、生徒たちの顔には影が落ち始めた。


「ルシェルでんかぁ、対抗戦の結果はどうにかなりませんかぁ?」


「ララごめんね、僕じゃどうにもできないんだ」


 ライラが甘えたように言うと、ルシェルは困ったように眉を下げて言った。

 彼の目にはライラの姿が映し出されるが、彼の瞳は微かにレティシアを映しているようにも感じられる。

 対抗戦は火属性の生徒たちが勝利し、水属性は最下位という結果になった。

 実際に発表があったのは、5月24日なのだが、それでも納得がいっていない様子のライラは騒ぎ続けている。

 生徒たちの中には、すでに辟易(へきえき)している者も見られ、どこか疲れているようにも見える。


「そんなぁ~これもぜ~んぶ、お姉さまぁのせいですよぉ! どう責任取るんですかぁ?」


 ライラはルシェルの隣に座るレティシアにそう言うと、声を出して泣き始めた。

 確かに、レティシアが棄権したことによって、班の士気が下がった可能性は考えられる。

 しかし、実戦を想定した対抗戦では、それはただの言い訳にしかならない。

 1人欠けても、実戦では求められた結果を出さなければ、敗北に繋がるからだ。


(学院側がどのような判断を下したのか、その採点内容は生徒たちには伝えられていないわ。だけど、もし学院側が刺客の存在に気が付いていたのであれば、生徒たちの対応能力を見ていた可能性も考えられる。まぁ、採点内容を明かさなかったことを考えれば、刺客の存在を黙認していた可能性もあり得ない話ではないわね。卒業生である騎士団の面々にも聞いたら、彼らの時は採点の内容が発表されたと話していたしね)


 レティシアはそう思うと、冷めた視線をライラの方に向けた。


「私の責任じゃないわ。私は棄権しているのよ? 戦場で言えば、戦死したことを意味するわ。それなのに、なぜ残ったあなたたちの成績が私の責任になるのかしら?」


 レティシアはキッパリと言い切ると、椅子から立ち上がり、手招きしているカトリーナの元へと歩き出した。

 背後からはライラの泣く声が響き、ルシェルが宥めている声が耳に届く。

 生徒たちの中には、「また始まったよ」とこの状況に不満を漏らす者もおり、思わずレティシアは小さく鼻で笑った。


「レティシア様、少し早いですが、訓練場に行きませんか?」


 カトリーナはレティシアが近づくと、そう言って立ち上がった。

 薄紫の瞳は、長い髪を耳に掛けながら、「いいわよ」と言って、ほのかに微笑むレティシアの姿を映し出す。

 自信に満ちた彼女の姿は、どこか力強く見えるが、対抗戦の時を思い返すと胸が苦しくなる。

 ルカが消えた後のレティシアは失墜に呑まれたかのように、瞳から光を失くしていたように感じられた。

 そして、その後に見つかったルカがどうなったか、カトリーナたちはレティシアから聞かされていない。

 けれど、時折レティシアが見せる悲しそうな表情が、ルカの状態の良くないのだとカトリーナは推測した。

 そのことで、彼女が話してくれるのを待つしかないと感じつつも、話してほしいと思う気持ちがぶつかり、寂しさともどかしさが募る。

 並んで歩き出すと、周囲に聞こえないようにカトリーナは小声でレティシアに話しかける。


「先程のは、何も面白くありませんよ?」


 レティシアは少しだけ目を伏せて「そうね……」と言い、再び視線を上げると前を向いて口を開く。


「普通なら、何も面白くないわ。だけど、先日まで私のことを悪女と呼んで、ライラをかわいそうと言ってた人たちが、今度はライラに対して不満を漏らしているのよ? 手のひら返しも良いところだと思わない?」


「そうですが……また、勘違いする人が出ますよ?」


 カトリーナがどこか呆れた様子で話すと、レティシアは口に手を軽く添えて静かに笑う。


「ふふふ、そこまでは気にしていないわよ。あれはあれで、平和な部分もあったもの。それに、また私のことを悪女と呼びたいなら、勝手に呼ばせればいいわ」


 前を向いて話すレティシアからは、周りの評価を気にしていないように見えた。

 2人が教室から出ると、制服を着た生徒たちが廊下を行き交い、笑い声や談笑が響き渡る。

 楽しそうな声に交じって、今後に対する不安や貴族特有の悩みも聞こえてくる。

 廊下の窓から見える中庭には、新緑が生い茂り、柔らかな日差しが草木に踊るように差し込んでいる。

 窓から入ってくる風は、中庭が別世界のようだと感じらせるほど、心地が良い。


「対抗戦の影響が、少しは感じられますね」


「そうね。今回のことで、ある程度結果を残せた者は騎士団から声がかかったかもしれないし、婚約者を探しやすくもなったと思うわ」


 レティシアの言葉を聞き、カトリーナは話している人たちに視線を移した。

 仲良さそうに話す男女は、婚約したばかりだと噂に聞いている。

 笑顔で対抗戦の話をする者は、成績が良かった者だろう。


「逆に結果を残せなかった者は、将来に対する不安も大きくなったのじゃないかしら?」


 淡々とレティシアは話したが、ふと視線を下げると小さく息を漏らした。


「そう考えると、リズには申し訳ないことをしたわね。騎士団に入りたいと言っていたし……」


「リズは、何も話してませんが……今回の結果に対して、なんとも思っていないと思いますよ」


 カトリーナは横目で中庭を見ながらそう言うと、レティシアの方から「なぜそう思うの?」という声が聞こえた。

 一度軽く目を閉じたカトリーナは、静かに息を吸い込むとゆっくり話し出す。


「長年の付き合いだからですかね……対抗戦後、リズは新しく進む道を見つけた気がします」


「そうなのね……それなら良かったわ」


 安心したようにレティシアは言うと、自然に笑みが浮かぶ。

 足取りは少しばかり軽くなり、歩みを進めていたが隣からの足音は聞こえない。

 そのことを不審に感じたレティシアは、軽く首をかしげてから振り返る。

 すると、顔を伏せて拳を握るカトリーナの姿が目に映り、彼女はわずかに視線を下げた。


「ワタシもリズも、エミリもそうですが、レティシア様のことも心配しているのですよ……」


(きっと、カトリーナは付き合いが短い分、私から色々と聞きたいのよね……それでも……)


 レティシアはそう思うと、困ったような表情を浮かべた。

 そして、彼女は今提供できるだけの情報を、優しく話し出す。


「ごめんなさい。今は話せないことが多いの……だけど、そうね……話せる日が来たら、結果だけは報告するわ」


(やっぱり、ワタシには何も話したり、相談してくれないのね……)


 カトリーナは、そう思うと寂しさが込み上げた。

 軽く唇の内側を甘く噛んだ彼女は、泣きそうな気持を隠すように軽く息を吐いた。

 そして、微かに微笑むと、「分かりました。レティシア様からの報告待っています」と返した。

 歩き出したカトリーナは、隣を歩くレティシアが消えないように視界の隅に映す。

 足音は聞こえてくる話声に掻き消され、視界の隅にレティシアを映していないと1人だと錯覚してしまいそうになる。

 まるで自分だけ置いて行かれているように感じられ、カトリーナの視線は徐々に下がった。



 訓練場にレティシアとカトリーナが足を踏み入れた瞬間、生暖かい風が一気に吹き抜けて土埃が2人を包んだ。

 土埃が薄れてくると、防御結界デフェンセィオ・オビセに守られている2人が現れる。

 レティシアとカトリーナの表情から、咄嗟にレティシアが防御結界デフェンセィオ・オビセを使ったのだと分かる。

 そんな2人の元に、1人の少年が大剣を片手に歩いて来るのが見える。

 茜色の髪はわずかに水分を含み、真っすぐに向けられる茜色の瞳は何も語らない。

 けれど、その瞳から感じられる視線には、わずかな緊張が含まれている。

 レティシアが防御結界デフェンセィオ・オビセを解いて少年の方を見ると、遅れてカトリーナも同じ方向を向いた。


「悪いな、思ったよりも範囲が広がった」


 ベルンの言葉には謝罪が含まれていたが、彼からは少しも罪悪感は感じられない。

 むしろ、彼からはレティシアなら防いで当然だと思っているようにすら見える。

 そのことに対し、レティシアが気にしている様子はなく、彼女は首を左右に振って口を開く。


「いえ、気にしておりませんわ。ベルン様は自主練していたのですか?」


「ああ、早く来たから、アルフレッド殿下に頼んで相手してもらったんだよ」


 ベルンは一瞬アルフレッドがいる方にクイッと首を動かして言うと、ロイヤルブルーの瞳を静かに見つめた。

 彼女の視線がわずかに動き、ベルンの方に再び向けられると、わずかな緊張が彼を包んだ。

 思わず呑み込んだ唾は、喉にわずかな痛みを与え、心臓は大きく音を立てる。


「そうなのですね。――カトリーナ、悪いのだけど先にアルフレッド殿下のところに行ってもらえるかしら?」


 カトリーナはレティシアの言葉を聞き、(またなのね……)と思うと制服を強く握りしめた。

 友であると思っているからこそ、友から相談も話も聞けないことは寂しい。

 その積み重ねが徐々に彼女の気持ちを重くし、見えない壁として立ち塞がる。

 一瞬感じた疎外感が胸を支配しそうになるが、それでも彼女は「……分かりました」と答えて歩き出した。

 しかし、背後から「悪いわね」とレティシアの声が聞こえると、胸が痛んで「いえ」と短く返した。


 カトリーナが離れていく中、レティシアとベルンの間には静寂が流れていた。

 どちらも一言も発さず、離れていく背中を見つめている。

 しかし、ある程度距離が開くと、淡々とした様子でレティシアが口を開く。


「それで、何か話があるんじゃないの?」


「ああ、対抗戦中に俺がレティシア嬢の元に行かなかった理由は話してただろ?」


「ええ、影から指示があったのでしょう?」


 カトリーナの背中を見ながら話す2人からは、何を考えているのかは分からない。

 あまり動かない口元は、視覚的に2人の会話を曖昧にし、聞こえる声は耳を澄ませても聞こえない。

 そのことから、2人の周りには空間消音魔法(サイレント)が使われているのだと分かる。


「そうだ、他の刺客から攻撃があるかもしれないから、自分の班を優先しろと言われた」


 腕を組んでベルンが答えると、彼の視線はわずかに下がり、続けて話す。


「だけど、あれからどんなに考えても、どうしても腑に落ちない。ルカ様が目覚めてないから、今はその答えは出ないけど、ルカ様を見てきたレティシア嬢はどう考える?」


「――対抗戦前に、ルカから何かあったら駆け付けろと指示があったと考えれば、確かにそれは不自然ね」


 レティシアはそう言うと、考えるようにして顎にそっと触れた。


(そうなのよね……自分で言ってあれだけど、ルカの性格や彼の立場を考えると、私の安全を第一に考えてきた彼が、そんな指示を出すのは不自然で間違いないのよ。間違いないけど、状況だけを見ればそう不自然な話でもないわ……そうなると)


 レティシアが思考にふけっていると、ベルンの方から「そうだろ?」と言う声が聞こえた。

 そのため、彼女は今考えていたことを口にする。


「でも、刺客が複数人だと分かっていて、尚且つ人質がいる状態も考えれば不自然ではないのよ」


「それでも、変じゃないか?」


 納得できない様子でベルンが言うと、再びレティシアは先程の続きを考え始めた。

 そして、彼女は真っすぐ前を見ながら、自分の考えを述べる。


「変よ。――だから、これはまだ私の憶測に過ぎないけど、影に所属している者も一筋縄ではないということかもしれないわ」


 レティシアは言い切ると、ほんのわずかに視線を下げた。


(今のルカは目を覚ますことなく、眠り続けているわ。彼が本当はどのような指示を出したのか、それはルカにしか分からない。私は影にどれくらいの人たちが所属しているのかも分からないし、対抗戦中にどれだけ動いていたのかも分からない。それを知っているのは、影を統率しているルカだけよ。オプスブル家の者に聞けば、粗方分かるかもしれないけど、信頼面で考えれば得策ではない気がする……そうなると、ある程度の危険も考慮し、彼の指示とは別の指示が飛んでいたと考えた方が無難ね)


 レティシアはそう思うと、深く息を吐き出した。

 ルカが起きないことは、彼女に彼との関係性を考える時間を与えている。

 しかし、彼が起きないことで、今までとは違って情報が不足している。

 そのことで、レティシアは彼に対して感じている思いは、依存心なのではないかと考え始めている。

 それでも、そう考えると胸に微かな痛みを感じ、彼女はまた息を吐き出した。


「なるほどな……それなら、俺はルカ様の代理の指示にだけ従うか」


「その方が良いわ」


「あ、それと……今日、アラン様がフリューネ家に行きたいと言ってけど……俺も言っていいか?」


「ええ、構わないわよ。アランにもそう伝えといて」


 淡々とした様子でベルンが言うと、レティシアも感情がこもっていない声で答えた。

 そして、彼女が歩き出すと、ベルンも並んで歩き出した。

 どちらも言葉を交わさず、ただ静かに歩みを進めている姿は、徐々に周りの騒がしさに紛れていった。


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