第148話 覚悟と仲間の背中
今も尚、対抗戦の会場では、出場者の体力を奪うかのように、雨が降り続けている。
分厚い灰色の雲に覆われた空からは、時間の経過が感じられない。
しかし、確実に時間は経過していることを、下がっていく気温が知らせる。
甲高い金属音が鳴り響くと、続けて地面をすべる音が続いた。
抜かるんだ足元は思ったよりも滑り、「おっとっと」と少女の声がした。
「リズ! 無理しないでいいわ!」
「分かってるって、心配しなくて、大、丈、夫!!」
リズはレティシアに答えながら、黒服の男性に切り込む。
リズミカルに振り下ろされた剣は可憐で、彼女の勇ましさが感じられた。
剣が彼女の顔に向かって振られると、彼女はスーッと頭を後ろに引く。
しかし、刃は彼女の肌を掠め、薄っすらと頬に赤い筋が走る。
彼女は男性と距離をとって腕で頬を拭くと、じんわりとした痛みを感じた。
剣を持つ手は小さく震え、少しでも気を緩めば足は小鹿のように震えそうになる。
それでも、彼女は男性に蔑むような視線を向けると、微かに息を吐き出して静かに口を開く。
「おたくらさ、こんな子ども相手にムキになって恥ずかしくないわけ? そもそも、おたくらがフリューネ家を狙う理由くらい、そろそろ言ってもいいんじゃない?」
リズの問いかけに対し、返ってくる言葉はなく、代わりに剣が彼女に向かって振り下ろされる。
その瞬間、彼女から舌打ちが聞こえ、彼女の足元から正面の男性に向かって黒い影が伸びる。
影は男性の足を掴むと、男性は躊躇することなく、彼の足に向かってその剣を振りかざした。
「悪い。捉えきれなかった」
「悪い! 注意をうまく引き付けられなかった!」
ルカがリズに対して謝ると同時に、リズがルカに対して謝った。
2人の視線の先には、片足を失くした男性が器用に立っている。
途絶えた足からは赤い雫が滴り、男性から一切の感情が感じられない。
「そっちも同じ結果のようね」
レティシアはルカの背中にトンッと寄り掛かると、状況を整理始めた。
7人いた刺客のうち、ルカがすでに2人を1人で消し、途中で加わったレティシアと共に2人闇に沈めている。
しかし、残った3人からは感情の類は感じらず、まるでネジ巻き人形のように感じられた。
そのことから、フィリップと同じように魔力で生命を維持されているのだろうと考えられた。
けれど、フィリップと違って彼らの心臓は今も尚動き続け、彼らと違ってフィリップは感情もあり痛みも感じられる。
レティシアは周囲の状況を見渡し、ルカもまた、目を細めると敵を見つめていた。
彼女は静かに息を吐き出すと、落ち着いた様子でテレパシーを使う。
『ねぇ、ルカ。似てると思わない?』
『同じことを考えていたところだ』
『あの紫の破片の気配も微かに感じるわ』
『なら、俺の勘違いじゃないということだな』
『ルカが最初に消した2人も?』
『ああ、確かに刺客たちの状況は、7年前にエルガドラ王国で見た魔物たちと同じだ』
『知性を持っていただけに、厄介ね』
『ああ、来るぞ、気を引き締めろ!』
敵に向けられる視線は冷たく、ルカが敵に目掛けて刃を伸ばすと、敵の背後からレティシアが剣を振りかざしている。
しかし、2人の剣がぶつかり合うと、2人はサッと動き出して再び刃を振るう。
瞬時にルカは「リズ、右だ!」と叫ぶと、リズが咄嗟に剣を構えて彼女の右からの攻撃を受け止めた。
ぶつかり合た刃は水分を含んで、不快な音を立てる。
(ほんと、ルカ様とレティシア様、状況をよく見てるな)
感心するようにリズは思うと、額から汗を流しながら目の前の敵を冷静に見つめた。
先程、足を失った男性の表情は、目元しか見えず感情が読めない。
しかし、彼の呼吸や雰囲気から、痛みを感じていないことはリズにも分かった。
「こいつら一体なんなの」
「さぁ、ね! 分かっているのは、息の根を止めない限り、止まらないことだけ、ね!」
レティシアは答えながら剣を振ると、ポケットから短剣を取り出して魔力を流した。
そして、そのまま大きさを変えた短剣を下から振り上げる。
剣先は男性の胸元をえぐるようになぞり、そのまま天を向いても尚勢いが消えず。
勢いに乗って振り上げた足は、男性の胸元を蹴り飛ばし、強制的に一回転したレティシアとの距離が空く。
しかし、倒れた男性はそのまま立ち上がり、胸元を赤く染めながら再び剣を構えた。
(本当に厄介ね。痛みを感じてない分、通常だと終わっているはずの戦闘が長引いてる)
レティシアはそう思うと、カトリーナがいる方向を一瞥した。
この一帯の地面には、カトリーナの魔力が溢れている。
それは、土を混ぜた水の膜が地面の上すれすれにあるからだ。
それによってルカの影を忍ばせやすくさせ、様々な連携を可能にしている。
(どちらにしても、長引くのは得策じゃないわね。一気に凍らせれば、まだチャンスはあるけど……ルカの影にも反応して影を避けてることを考えると、魔力を感知する感覚が鋭いのかもしれないわね)
「ルカ、リズ! 一時的に任せるわ!」
レティシアの言葉にルカは一瞬だけ顔を顰めたが、すぐさま「分かった。気を付けろよ」と答え、リズも深く頷いた。
ルカはテレパシーを使い、『……今さら、無理するなとは言わないが、彼女たちのことは任せろ』とレティシアに伝えた。
その瞬間、レティシアの表情が雲の隙間から顔を出したように和らいだのを見て、微かに胸が痛んだ。
(どんなにおまえを思っても、おまえは自ら危険に挑むのを辞めない。どんなに俺がおまえを護っても、おまえはただ護られる存在にはなってくれない。だけど、今はそんなことを考えてる場合じゃないか……)
ルカはそう思うと、レティシアを追い駆け始めた刺客の前に立ち塞がる。
「悪いけど、これ以上は行かせない」
レティシアはルカと距離を取ると、目を閉じてスーッと深く息を吸い込んだ。
肺を満たす雨の匂いも、肌に感じる雨の冷たさも、今はただただ心地よい。
足元からはカトリーナの魔力と、大地の気配が伝わり、彼女に自信を与える。
この場の雰囲気が髪の先まで支配し、程よい緊張感をくれる。
彼女が息を吐き始めると、ほのかに空く風が彼女の魔力を運び始め。
カトリーナとルカの魔力の下に、隠すように彼女が魔力を巡らせると、喜ぶかのように大地が彼女の魔力を歓迎する。
次第に周囲に彼女の魔力が充満すると、雨がパラパラと雪へと変わる。
「リズ、カトリーナ、何が起きても動揺せず、俺を信じろ」
敵と刃を交えていたルカは、どこか冷静な声で告げると、突如周辺の地面が黒く染まる。
その瞬間、足元から彼の魔力が肌に突き刺さり、悍ましい気配から恐怖でリズの足は震える。
全てを呑み込んでしまいそうな暗闇が口を開け、そこから溢れる膨大な魔力は体を縛り、彼以外の魔力が感じられない。
しかし、そのことを気にする様子は敵から感じられず、ルカはリズを庇いながら迎え撃った。
『いつでも、いいぞ』
短くもルカはレティシアに伝えると、彼女の魔力に集中した。
すると瞬く間にレティシアの魔力が最高潮に達し、冷気が一気に広がった。
それと同時に、リズ、カトリーナ、ルカの体はルカの魔力によって包み込まれ、一帯が瞬時に凍り付いた。
周囲の木々は凍り付き、地面には分厚い氷が張られ、時を止めたかのように刺客は動かない。
重厚なブルーの層を成した氷は刺客を包み、透き通る部分からはその厚さがうかがえる。
上空の雲は白く変わり、ルカの魔力が解かれ、姿を見せた3人の上には氷晶が優しく降り注ぐ。
レティシアに駆け寄ったルカは、「大丈夫か?」と声をかけた。
彼女の顔色は微かに白く、まるで降り注ぐ雪のようだ。
彼は彼女に手を伸ばすと、優しく彼女の頬に触れた。
「あったかい……ルカ、2人を守ってくれてありがとう」
「いや、一度見てるから、対応できただけだ」
「それでも、ルカがいるからできたことよ?」
レティシアがそう言って微笑むと、ルカは胸が締め付けられた。
彼女の冷えた頬はほのかにピンクに染まり始め、雪解けを知らせるようでもある。
けれど、それとは逆にルカの心境はどこか暗い。
それでも、彼は彼女に微笑みかけると、もう片手も彼女の頬に手を伸ばした。
一方カトリーナはリズに駆け寄ると、彼女の頬にハンカチを当ていた。
「怪我しているじゃない、大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。ただ、2人を見てた」
リズのことを心配していたカトリーナは、リズの言葉を聞いて困ったように息を吐き出した。
そして、彼女はリズの視線を追って、レティシアとルカに視線を向ける。
そこには穏やかな表情のレティシアとルカがおり、つられたようにカトリーナは微笑むと、ゆっくりと口を開く。
「レティシア様とルカ様、素敵な御二人ね」
リズは頬のハンカチを押さえながら、レティシアとルカを見つめた。
次第に目元は柔らかく目尻が下がり、口角あ少しだけ上がる。
「そうだね、うちもそう思う。戦ってる時も、2人は何も言わなくても、お互いのこと分かってるみたいに動てたし、分かり合ってた」
カトリーナはリズの言葉にうなずき、再びレティシアとルカに視線を向ける。
その姿勢からは深い尊敬と敬意が感じられる。
「そうなのね。御二人の立場を考えると難しいかもしれないけど、これからも2人が共に歩めたらと思う……」
リズはカトリーナの言葉に共感し、心からの思いを込めて軽く頷いた。
次第に胸のところは暖かくなり、彼女はそっと胸に手を当てると軽く下を向いて思い返すように話す。
「うちも、そう思ってる。……あったかいんだよ。それに2人がいるだけで、すっごい自信にもつながる」
「そう、ワタシもそうよ」
2人の目には、黒髪の青年が優しくシルバーの髪を撫でているのが映る。
時折、青年は青い色素が交じる毛先をクルクルと指に巻き付け、少女が口元を押さえて笑う。
空は冷気が徐々に薄れていき、白く輝いていた雲も次第に元の色に戻り始める。
それでも、どこか名残惜しそうに、今も青年と少女を照らしている。
「あと、レティシア様の指示だったけど、カトリーナも残ってくれてありがとう」
「ううん、ワタシも感謝しているよ。リズがいたから、任されたことに集中できた」
カトリーナは首を左右に振ってそう言うと、そっとリズの肩に頭を乗せた。
そして、(独りじゃないことは、誰かの力になるんだよ)と思った。
次第に雨が降り始め、リズも彼女の頭を乗せると、カトリーナは微かに微笑んだ。




