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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
6章

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第142話 対抗戦の開幕


 神歴1504年5月23日、厚みのある灰色の雲が空を支配している。

 風に乗って雨の匂いが運ばれ、湿度の高い風が吹き抜ける。


 あの後、ステラからの願いに対しての答えは、ルカの口から語られることはなかった。

 しかし、今日から始める対抗戦で、彼はフリューネ家の関係者として貴賓席に座っている。

 結局のところ、答えを出せずにいた彼に対し、同じ家に居ながらもレティシアが短い手紙を書いた。

 彼は渡された手紙を読むと、眉間にシワを寄せて考えるように口元を押さえていた。

 そして、ある程度レティシアとの距離を保ちながら、そのままフリューネ家に残ったのである。

 前を向く彼の表情は硬く、どんな思いでこの場に居るのか分からない。

 けれど、少なくとも彼なりにレティシアとの関係性に悩んで出した結果なのだろう。


 魔法で創られたスクリーンに映像が映り、各属性の生徒が入場している様子が映し出されている。

 彼らの胸元には各属性の色をしたブローチが堂々と輝き、進行に合わせて4色のマントが勇ましく風になびく。

 今日から2日に渡って対抗戦は開催されるが、出場する全ての学生の顔には笑顔など浮かんでいない。

 たとえ1年生だろうとも、彼らは貴族としての誇りや、自分の将来や家名を背負っている。

 それに加え、戦場に近い形で行われる対抗戦は、気の緩みが生死を分けることもある。

 そのことを、親や身内から聞いていることに加え、肌に突き刺さる会場の雰囲気が彼らから笑みを奪っている。


 各地に散らばった生徒たちの前にはスクリーンが映し出され、彼らは映像に映る白髪の老人を見てゴクリと息を呑んだ。

 老人は白い顎髭をなで、各地に散らばっている生徒が映るスクリーンを見渡した。

 そして、口元に手を当てながら咳ばらいをすると口を開く。


「今日この日、対抗戦が開催されることを、フィラトゥーテネクス学院の長として誇りに思う。過去の悲劇を繰り返さないためにも、生徒の1人1人がこの対抗戦を戦場だと思い、経験を積んでほしいと思っておる。無論、油断していれば甚大な被害を受けるかもしれないが、それは戦場でも変わらぬことだ。この場で出来なければ、到底戦場では生き残ることも難しいだろう……全生徒の無事と健闘を祈る」


 学院長であるシリウスは挨拶を済ませると、生徒たちの額には汗が滲んだ。

 彼の声は優しいものであったが、彼の姿勢や態度からは威厳が感じられ、無意識に逆らえないと思わせた。


(さすが先代の皇帝ね……完全に生徒たちが彼の存在に吞まれたわ……)


 レティシアは、映像に映る老人の後姿を見て密かにそう思った。

 彼は先代の皇帝でありながら、現皇帝に椅子を譲ると学院長の椅子に座った。

 しかし、彼が今も皇室と交流があると聞かないことから、完全に彼が皇族から退いたのだろう。


(彼がどんな理由で皇族から退いたのか分からないけれど、少なくとも73年前の事件が起きた時、彼は皇帝だったわね……その頃から、学院での対抗戦には力を入れていたのを考えれば、あの事件が彼にこの道を選択させたのかもしれないわね)


 風が運ぶ雨の匂いがより一層強くなり、高い位置で束ねた髪を揺らしながら、レティシアは大きく息を吸い込んだ。

 肺を満たす空気はわずかに温かく、肌に(まと)わりつく風は湿度を帯びている。

 学院から配られた鞄には、数回分の回復薬と1回分の食料が入っている。

 レティシアはそっと鞄に触れると、ふぅーっと息を吐き出して前を向く。


(だだっ広い荒野じゃなくて、森での戦闘を考えると移動だけで体力が著しく消耗するわ……それに、湿度や雨の匂いを考えれば、雨が降り出すのも時間の問題だわ。長時間の緊張状態に加え、戦闘に慣れていない者たちにとって、この対抗戦は厳しいわね……)


 開始を知らせる合図が鳴り響くと、彼女は勢いよく森の中へと入った。

 走り出した彼女に続き、カトリーナ、リズ、エミリが遅れないように続く。

 仲間とはぐれたことを想定し、スタート地点は指定場所が生徒たちで異なる。

 そのため、あらかじめ各属性で集合地点を決めている。

 この瞬間にも遠くでは魔法が使われた気配がし、ツーっとレティシアの首には汗が伝う。

 しかし、森に入って10分したところで、ふとレティシアが立ち止まった。


「レティシア様、どうかなさったのですか?」


「シッ! 声が大きいわ」


 カトリーナの問いに対し、レティシアは人差し指を口に当てながら答えた。

 そして、木の影ではなく、木に登り始めると手で合図をして他の3人にも登るように促す。

 暫くすると、彼女たちが立ち止まった場所に、緑色のマントを着けた5人が到着すると同じように立ち止まった。

 隠れている少女たちには緊張が走り、息を止めたかのようにピクリとも動かない。

 しかし、緑色のマントを着けた5人は近辺の捜索を始め、少女たちを探しているようだ。


「ちっ……逃げ足だけは早いのかよ」


 1人の少年が苛立った様子で言うと、低木に向かって魔法を放った。

 その瞬間、低木は刃物で切られたかのように、さらに低くなった。


「これからどうするんだ?」


「とりあえず、俺たちも集合地点に向かった方がいいな」


 先頭を走って来た少年が言うと、彼らは再び走り出した。

 足音が遠ざかっていくと、トンッとレティシアが地面に着地する。

 続けて木から飛び降りたリズは、冷静に5人が走り去った方を見ながら口を開く。


「レティシア様、さっきの5人はうちらを追ってたみたいだね」


「そうね……戦力の差で優位に立てると思ったのかもしれないし、私たちの後を追って、水属性の集合地点を探るつもりだったのかもしれないわ」


「た、たしかに、戦力では優位に立てるかもしれませんが、そ、それだと早々に戦ったことで疲弊しませんか?」


 エミリは不思議そうに尋ねると、レティシアが目を見開いた。

 彼女の反応を見て、エミリは気まずそうに肩をすくめると、ため息をつく声が耳に届いた。


「エミリ、あなた出発前に鞄の中身は確認したかしら?」


「い、いえ、確認していません」


 エミリは呆れた様子で話すレティシアに対し、首を左右に振ると視線を下げた。

 初めての対抗戦というスタートラインは同じなのに、レティシアから漂う自信がそもそも違う。

 盗み見るようにリズとカトリーナを見た彼女は、2人からいつもとは違う雰囲気を感じた。

 その瞬間、サッと彼女の顔は赤く染まり、深く俯くと目を固く閉じて服の裾を強く握りしめた。


「そう、それなら次からは出発前に持ち物の状況は確認するのね。私が学院から渡された鞄の中には、低級の回復薬が3本と、中級の回復薬が1本、それから1回分の食料しか入っていなかったわ」


「そ、そんな……この対抗戦は明日の夕方まで続くんですよ? か、完全に食料が足りないじゃないですか」


 レティシアは慌てた様子でエミリが答えると、静かに頷いて落ち着いて再び口を開く。


「そうよ。戦場では、食料の確保も大切になってくるの。もしかしたら、彼らは私たちを倒して、食料を確保するつもりだったのかもしれないわ」


 淡々と告げられた言葉に、3人はゴクリと喉を鳴らした。

 対抗戦ではあるが、同時にサバイバル力も求められているのだと彼女たちは気付く。

 しかし、貴族である者たちが、果たしてサバイバルができるのかとも疑問が湧く。

 けれど、その答えが食料の確保の仕方だと考えれば、3人の背中には冷たい汗が流れる。


「さっ、私たちも早く他の人たちと合流するわよ。少なくとも、仲間とはぐれたことを想定しているのだから、合流できなければ減点よ」


 レティシアはそう言ってチラッと走って来た方向を見ると、再び合流地点に向かって走り出した。

 森の中の行動に慣れていない3人がいることを考えれば、これ以上は速度を上げるのは得策ではない。

 しかし、一定の距離を保ちつつ、4人に付いて来る存在がいることにレティシアは気付いている。

 その対応をどうするべきか考えていると、当初予測していた雨がポツポツと降り始めた。


(学院から配られたブローチで、ある程度は使った魔法の種類が分かるわ。後々、単体で使った他属性の魔法は減点もされる……だから、むやみに振り分けされている属性以外の魔法は単体で使えない……それなら……)


 その瞬間、レティシアの口元はニヤッと笑みを浮かべる。

 彼女が通ったところから霧が広がり始めると、3人は驚いた様子で顔を見合わせた。

 けれど、彼女が無意味なことをしないことを知っている少女たちは、彼女と同じように霧を発生させる。

 その結果、4人が通った後には濃霧が広がり、足音だけが森の中で静かに響く。

 それでも、一定の距離を保つ存在は、彼女たちと変わらず一定の距離を保ち続けている。


(学院の学生じゃないってことね……)


 後ろを気にしながらレティシアはそう思うと、徐々に速度を下げて3人に先に行くように合図を送った。

 3人が彼女を追い越して振り返ると、彼女は「少しだけ先に行ってて、すぐに追いつくわ」と告げる。

 しかし、3人が立ち止まりそうになると、彼女は続けて「これは、私に対してのお客さんよ? あなたたちには関係ないわ」と冷たく言い放つ。

 頷き合った少女たちは、「では、先に行って待ってます」と告げると再び走り出した。

 少女たちの足音が遠ざかっていくと、濃霧も少しずつ晴れて視界が鮮明になっていく。


「誰に雇われたか知らないけど、あなたたちじゃ私の相手はだいぶ分が悪いと思うわよ?」


 レティシアが嘲笑うかのように言うと、木の影からゆっくりと2人の男性が姿を現す。

 けれど、男性たちは不敵な笑みを浮かべ、彼女に対して見下した視線を向ける。


「大人しくお兄さんたちに付いて来てくれば、お嬢ちゃんが痛い目に合わないで済むぞ?」


 茶髪の男性がニヤニヤしながら言うと、ガタイの良い男性がククッと笑う。

 しかし、先程まで笑みを浮かべていたレティシアの表情は、まるでストンと表情が抜け落ちたように無表情だった。


「そう、連れて来いって言われているのね」


 レティシアの冷たい声がしたかと思えば、彼女の方を見た男性たちの表情が一瞬で変わる。

 彼女の瞳には光がなく、いつでも彼らの時を止められるとまるで語っているようだ。

 しかし、男性たちの目は、獲物を逃さないと言わんばかりにギラついている。


「お前、俺たちが怖くねぇのかよ?」


「何を怖がる必要があるのかしら? あなたたちの風貌? それとも、あなたたちの依頼者かしら?」


 首をかしげながら尋ねたレティシアは、彼らとの距離を詰め始める。

 一歩一歩彼女が前へと進むと、男性たちは同じように一歩前へと歩き出す。

 茶髪の男性がニヤリと笑った次の瞬間、もう1人の男性が一気に距離を詰めて彼女へと手を伸ばす。

 男性が彼女の手を掴むと、ハッとした様子で男性は振り返って大きく口を開ける。


「気を付けろ! それは偽物だ!!」


 男性の声に反応した茶髪の男性は、咄嗟に振り返った。

 だが、耳の近くで「もう遅いわよ」とレティシアの冷静な声が聞こえた。

 次の瞬間、茶髪の男性は何が起きたのか理解する前に、レティシアが創りあげた氷に閉じ込められた。

 一瞬の静寂が流れ、ガタイの良い男性のこめかみを汗が伝う。


「おー怖い怖い。まさかこんな小娘が躊躇(ちゅうちょ)せずに人を氷漬けにするとは思わなかったぜ」


 おちょくるようにガタイの良い男性は言ったが、レティシアが表情を変えることはなかった。

 それでも、彼女が氷の方に目を向けると、男性は不敵な笑みを浮かべる。

 しかし、彼女の口元はわずかに口角が上がり、綺麗な唇は空気を小さく震わせる。


「もしかして、中にいるこの男性が、この氷を溶かせるとでも思っているのかしら?」


 見透かしたようにレティシアが告げると、男性は目を細めて彼女のことを見た。

 向けられた視線には、わずかな敵意が含まれていたが、それと同時に真意を探るようでもある。

 そのことから、彼女は氷の方に視線を向けると、そっと氷に触れて再び話し出す。


「この氷は、私の魔力がたんまりと含まれているわ。もし、彼が簡単にこの氷を溶かせるなら、もっと稼げる仕事をしていたと思うわよ?」


 淡々とした様子でレティシアが告げると、男性は鼻筋にシワを寄せた。

 彼の目には先程までと違い、隠しきれない敵意が込められている。


「私に敵意を向ける暇があるなら、氷の中にいるこの人を助けることを考えた方が良いと思うけどね?」


 挑発するようにレティシアが言うと、男性はキッと彼女を睨んだ。

 そして、一気に距離を詰めると、叫びながら彼女に向かって剣を抜く。

 だが剣先は彼女には届かず、彼の足は途中で止まっている。


「クソッ!! なめるなよ!!」


 地面から伸びた氷によって足止めされた男性は、叫びながら彼女に向かって魔法を放つ。

 しかし、どれも彼女に当たることはなく、無情にも水壁魔法(ムルス・アクア)によって防がれている。


「無駄よ、あなたの攻撃が私に当たることはないわ。もし、あなたが私の質問に答えたら、あなたのことだけは見逃してあげるわよ」


「バカか? 俺がお前に命乞いでもすると思ったのか?」


「あなたがどう思おうが、それはあなたの勝手よ。だけど、私は依頼者が誰なのか知りたいだけよ。だから、依頼者の名前を言いなさい」


「残念だな。俺じゃなくて、氷漬けにされたその男なら話したかもしれないが、俺は死んでも依頼者のことは言わないって決めてんだ」


「そう、それなら仕方ないわね」


「残念だったなぁ、この対抗戦中、お前は他の学生の攻撃も気にしつつ、俺のようにお前を狙奴らも気にしなきゃならねぇ。それだけじゃないぜ? 最悪、学院に通う他の貴族たちも、守らなきゃいけねぇかもしれねぇ。今ここで俺たちについて行かなかったことを、お前は後悔することになるぜ?」


 男はそう言うと、奥歯に忍ばせていた毒薬を服毒した。

 藻搔き苦しむ男性を見ても、レティシアが表情を変えることはない。

 彼の息が完全に止まったことを確かめると、彼女は深く息を吐き出した。


(オプスブル家を呼んで警戒した方が良いと聞いていたけど、もう対抗戦が行われている会場に敵が忍び込んでいるなら……仕方ないわね…………)


 彼女は諦めたように再びため息をつくと、集合地点に向かい始めた。

 そっと左耳に触れて歩く彼女の手には、青と緑の宝石が付いたピアスが煌めく。

 まだルカに抱く思いの本質も、彼との接し方の答えも見つけられていない。

 しかし、傍にいてほしいと手紙に書いたレティシアの気持ちは、少なくても彼女の本音なのだろう。

 走る彼女は空に向かって雪の華を咲かせると、「信じているわよ」と小声で呟いた。


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