第137話 城の茶会と少女の決断
神歴1504年4月14日、連休最終日。
帝都オーラスの空は晴れ渡り、心地よい風が庭園に咲く花々を揺らす。
この日、ヴァルトアール城の庭園では、年頃の貴族令嬢が集まる優雅な茶会が開催されていた。
各テーブルの上空には、淵に花の縫い取られた薄布が魔法で静かに浮かび、陽光を淡く透かす。
甘い茶菓子の香りと、紅茶の程よい香りが広がる庭園では、上品に着飾った年頃の少女たちが会話を楽しんでいる。
彼女たちは、今日のために家で美容マッサージや、肌の手入れをしてきた。
それと同時に、他の参加者とドレスが被らないために、念入りに調査してきている。
それもそのはずだ、今まで噂に過ぎなかったバージル皇子とルシェル皇子。
両皇子の婚約者候補が、この茶会参加者から正式に選ばれる。
そのため、少女たちは会話を楽しみながらも、姿勢や1つの動作でも気を気張っている。
あるテーブルでは、待っている間にと出されたカップに口を付けた少女が目を見開いた。
「この紅茶、美味しいですわ」
口元を隠しながら、縦ロールが特徴的な少女は驚いたように呟いた。
彼女の名は、ヴァネッサ・ソフィー・リュイノール、このヴァルトアール帝国の公爵令嬢だ。
しかし、彼女と同じ公爵令嬢である、シルヴィー・ドゥ・グラグレットはカップをテーブルに置くと、クスッと嘲笑うかのような笑みを零す。
「まぁ、ヴァネッサ様は情報に疎いのですね。そちら、今日のために皇帝陛下が取り寄せた紅茶ですわよ」
紫色瞳がまるで見下すようにヴァネッサを見つめる中、ヴァネッサは栗色の瞳でシルヴィーを睨んでいる。
けれど、彼女たちの取り巻きが、何とかこの場を宥めようと慌てた様子で話を振る。
「ヴァ、ヴァネッサ様、本日のドレスは素敵ですね!」
「そうですよ、私も初めて見て素敵だと思いました」
「シルヴィー様、アクセサリーがとても素敵です」
「そちら、今帝都で流行している宝石店で買われたのですよね?」
本来であれば、ここに招かれた時点で家柄は関係ない。
それでも、庭園から一歩でも外に出た時のことを考えれば、家柄が低いものは胃の痛い思いをしている。
彼女たちから言わせれば、このような機会は有難いと同時に、迷惑な機会でもあるのだ。
そんな中でも、ひときわ注目されているテーブルがあった。
そのテーブルには、ブロンドの綺麗な髪をハーフアップにまとめ、橙色の瞳でカップを見つめる少女の姿ある。
ふわっとウェーブが掛かる髪は彼女をかわいらしく見せ、けれど少しだけ吊り上がった目元がどこか儚げだ。
彼女のテーブルには椅子がもう1つだけ置かれ、彼女は未だに空席を一瞥するとため息をこぼした。
(今日はお会いできると思って、とても楽しみにしていたのに……残念ですわ……)
マデリン・ル・ティヴァル公爵令嬢は、そう思うと再びため息がこぼれた。
空席に座る予定だった令嬢に会えないのだと思うと、途端に茶会が退屈でたまらない。
そのため、彼女のかわいらしい口からは、次々とため息がこぼれる。
暫くすると、伝令官が皇帝と皇后の入場を伝えた。
すると、先まで会話を楽しんでいた少女たちは、次第に口を閉ざし始める。
堂々と歩く皇帝は、燃えるような赤いマントを肩に掛け、それが彼の動きに合わせて微かに風になびく。
皇后であるエミリアは、金の糸で花々が刺しゅうさた落ち着いたドレスを着ており、優雅な動作に少女たちの視線からは憧れの色が見える。
そんな2人を守るように、黒服を着た赤目の青年が、皇帝と皇后の護衛として1人で任務に就いている。
皇帝は参加者を見渡したかと思えば、マデリンのテーブルに空席があることに気が付いた。
彼は護衛として付いている青年の方を向くと、深くため息をつく。
彼の目に映る青年は、目を見開きながら空席を見つめている。
漆黒の髪は風に揺れ、青年の表情から彼も何も聞かされていないのだと、皇帝であるロッシュディには分かった。
だけど、期待と違っても今さら中止になどできないため、ロッシュディは用意された椅子に座る。
それでも、青年に聞かねばならないと思い、頬杖をついた彼は重たい口を開く。
「ルカ君、君は何か聞いていないのか?」
唐突に声をかけられたルカは、我に返ると皇帝の近くに駆け寄った。
普段、護衛の任務に就いている時の彼は、このようなミスなど絶対にしない。
しかし、彼のミスが、彼の動揺を周りに伝える形となってしまう。
「申し訳ございません。本日のことは、本人から何も聞いておりません」
「そうか……この選択が、どのような影響を彼女に与えるのか……勘の良い貴様なら分かるだろ?」
皇帝が冷たくルカに言い放つと、本日の主役である皇子の2人が姿を見せた。
けれど、ルシェルの動きが一瞬だけ止まると、彼は苦虫を嚙み潰したような表情で空席を見つめている。
すると、彼はルカの方を向くと、距離を詰め始めた。
甘い香りに包まれた庭園とは違い、足早に歩く彼の顔には怒りに満ちている。
ルシェルはルカの近くまで来ると、彼の胸ぐらを掴んだ。
「彼女はどこだ」
普段の声とは違い、ルカに尋ねたルシェルの声は低いものだった。
金色の瞳は怒りに満ちており、胸ぐらを掴む手には血管が浮き出ている。
「申し訳ございません。本日のことは、本人から何も聞いておりません」
先程とは違い、淡々とした様子でルカが告げた。
だけど、ルカの冷静さが、ルシェルの怒りに燃料を注ぎ込んだ。
歯をギリっと鳴らした彼の額には、青筋がくっきりと浮き出る。
ルシェルはルカの胸ぐらを掴んだ手で、感情のままにグッと押し付けた。
「嘘を吐くな。ルカが今どこに住んでるのか、僕が知らないとでも思ってるのか?」
「告げたことに、偽りは御座いません」
落ち着いて答えたルカは、正面にいるルシェルを冷静に見つめる。
しかし、本当にルカは今日のことを何も聞かされていない。
彼がフリューネ家の別宅を出た時間も早く、茶会が始まる4時間前には城に来ている。
ルシェルは小さく「クソッ」と吐き捨てると、ルカの黒服から雑に手を離した。
そして、ルカを睨んだかと思えば、彼の口が再び開く。
「彼女がどこにいるか、ルカなら分かるだろ? 彼女をこの場に連れて来い」
けれど、彼の言葉を聞いたルカは、目を細めると赤い瞳でルシェルを見据える。
それは先程までとは打って変わり、明らかに敵か味方を見極めようとしているようだ。
「それは、皇子としての命令ですか?」
「そうだ。今日の茶会で、彼女は僕の婚約者候補として選ばれる。だから、いますぐに彼女を連れて来い」
ルシェルの小さく冷たい声はルカの耳に届き、彼の心臓はドクンと大きな音を立てた。
しかし、どこから紛れたのか分からない白い子犬がルカの足にすり寄ると、一瞬にして彼は落ち着きを取り戻す。
そして、彼はそっと右耳に付けた赤いピアスに触れると、少しだけ間を置いて微かに微笑んで答える。
「誠に申し訳ございません。たとえルシェル殿下の命令であろうとも、その命令には従うことはできません」
淡々と告げたルカは、足元にいるステラを抱き抱えると彼女をなでた。
そして、彼は怒りに震えるルシェルから目を逸らすと、皇帝の前に移動して深々と頭を下げる。
「皇帝陛下、皇后陛下、まだこちらの中から令嬢の発表がされておりませんが、本日は皇子殿下のご婚約、誠におめでとうございます。オプスブル家の諸事情により、私はこの場を先に失礼させていただきます」
ルカはそれだけ告げると、スーッと音も立てずに出口の方へと向かい始めた。
無表情で歩く彼の目の端には、警備兵に阻まれて中に入れないでいるライラの姿が映る。
『ステラに感謝しなさいよ。ルカってば、レティシアから貰ったピアスのこと、一瞬だけ忘れてたでしょ?』
ルカに抱き抱えられているステラが呆れたように言うと、ルカは少しだけ目を伏せた。
赤いピアスは、レティシアが7年前にルカに渡したものだ。
彼はピアスを貰って以来、どんな仕事を任されても外したことも、ピアスの存在を忘れたこともこれまでなかった。
『……悪い。レティシアが婚約者候補として指名されると予想してたけど、はっきりルシェルから言われて頭が真っ白になった』
ルカの言葉を聞いたステラは、ふんっと鼻を鳴らすとそっぽを向いた。
そして、静かに目を瞑ると、優しい声色で告げる。
『……気持ちの整理をつけるなら、早くしなさいよ。うかうかしていると、本当にあの子は遠くに行くわよ』
ルカは一瞬だけ驚いたように目を見開くと、『ああ、分かってる』とわずかに微笑んだ。
彼自身、レティシアが茶会に来なかったからと言って、ルシェルが彼女を諦めると考えていない。
それと同時に、昔とは違って、今の彼女は気持ち的に自由なんだと知る。
だからこそ、彼は自分の気持ちで彼女を縛るわけにはいかないと思うと、寂し気な表情を浮かべた。
皇帝は立ち去るルカの背中をジッと見つめると、近くにいるルシェルに一瞬だけ視線を向け、掟を思い出していた。
帝国には、伯爵以上の貴族だけが知る暗黙の掟が存在するが、同時にオプスブル家とヴァルトアール家の間には、闇の掟が存在する。
そして、どちらの掟にも記載されていることがある。
それは、オプスブル侯爵家が皇帝よりも、フリューネ侯爵家を優先するということだ。
このことは、帝国の汚れ仕事をオプスブル家に引き受けてもらうことを条件に、貴族たちがオプスブル家の行動に口を閉ざさせるため、帝国創立時に定めた掟でもある。
そんなオプスブル家の当主であるルカが、今日の茶会で皇帝の依頼を受け、護衛任務に就いているのにもかかわらず、オプスブル家の諸事情と告げた。
それは、優先すべき主であるフリューネ家のレティシアから、何らかの形で呼び出しがあったという事を意味する
そして、先程のルシェルの発言は、フリューネ家に仕えているオプスブル家にとって、到底従えるような命令ではない。
そのことを理解している皇帝は、静かに拳を握ると、ルカの背中を見つめて深くため息をついた。
一方その頃、帝都オーラスの街では4人の少女が、街を楽しそうに歩いていた。
街は賑わいを見せ、子どもたちが人々の間をすり抜け駆けまわる。
客を呼び込む店主の声に紛れ、楽しげな話声が聞こえてくる。
少女たちの手には、出店で買った食べ物が握られており、一見すれば庶民にしか見えない装いをしている。
「レ、レティシア様、や、やっぱり座って食べた方が……」
慌てたようにエミリが言うと、レティシアは満面の笑みを浮かべる。
「エミリ良いのよ、たまにはこうして食べるのも悪くないわ」
「レティシア様って、普段の姿勢とか食べる仕草が綺麗だから、庶民的な物は食べなれてないと思ってた」
リズは器用に食べ歩きをするレティシアを見て、感心したように話した。
すると、子爵令嬢でもあるカトリーナが、心配そうに口を開く。
「ワタシもそう思っていました。ですが、よろしかったのですか? 本日、お城でお茶会が開かれていますが、レティシア様にも招待状が届いたのでは?」
「届いていたわよ? でも、皇帝陛下が考えてほしいと言っただけで、参加しろとは言ってないわよ?」
リズはレティシアの話を聞くと、悩むように眉間にシワを寄せる。
「ん-うちとエミリは貴族じゃないから分かんないけどさ、それって大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない?」
あっけらかんとレティシアが答えると、カトリーナはレティシアの前に出た。
「大丈夫じゃありません! レティシア様、今からでもお茶会に参加した方がいいです!!」
「あ、やっぱり、大丈夫じゃないんだ……」
カトリーナの必死な形相に、リズは頬をかきながら呟いた。
しかし、カトリーナは興味なさそうに聞くレティシアに対し、大きな声を出してしまう。
「このままじゃ、レティシア様の立場が余計に悪くなります! 今すぐ向かうべきです!!」
一瞬だけ、カトリーナの態度に驚いたレティシアだったが、彼女は落ち着いた様子で答える。
「カトリーナ、落ち着いてちょうだい。声が大きいわ」
「ですが!」
「本当に大丈夫だって……皇帝は考えてほしいって言ったことは、間違いなく事実なの。だから私は考えてお茶会に参加しないことにしたの」
レティシアはそこまで言うと、少しだけ空を見上げた。
騒がしいくらいの声が耳に届き、肺いっぱいに彼女は息を吸い込む。
彼女はある程度、すでに皇子たちの行動や、皇帝の態度で皇家を見限っているのかもしれない。
けれど、完全に見限っていないのは、彼女が及ぼす影響力を理解しているからだ。
しかし、それも皇家が変わらなければ、彼女は彼女の気持ちに従うことになる。
そのため、彼女は本心を告げるように前を向く。
「元々、私は婚約者候補に入りたいとも思っていないし、フリューネ家は社会的地位もそこまで気にしなくていい家だわ。それに、私の行動で皇家との関係が崩れると言うなら、それは違うわ。皇子たちや皇家が自分たちの行動を改めなければ、ゆくゆくは皇家が一定層の貴族に見限られるだけよ。そんな泥船に、私は乗りたいと思わないわ……だって、振り回される未来しか見えないもの」
エディットが亡くなる前のレティシアなら、周りを気にして穏便に済ませる方法を選んでいたのかもしれない。
しかし、7年前の出来事から、彼女は繰り返してきた転生の中で、初めて自分の気持ちを大切にすることを始めた。
それが正しい決断なのか、それは彼女自身にも分からない。
本音を言えば、今まで周りの顔色を窺って期待に応えてきた彼女にとって、自分の気持ちを優先するのは怖いことだろう。
けれど、今の彼女には頼りになる使い魔の存在があり、彼女の気持ちを大切にしてくれる存在がいる。
そのことが、彼女の殻を少しずつ破る手助けをしている。
レティシアは突如「ステラ! ルカ! 遅いわよ!!」と大きな声出すと、満面の笑みで駆け出した。
彼女の明るい笑顔を見て、3人の少女はしょうがないと諦めたように笑う。
そして、彼女たちは「レティシア様、待ってくださいよ~」と言うと、楽しそうに笑いながら走り出した。




