第136話 移住問題と道標
その後、レティシアは騎士団にある程度指示を出し、ルカと共に邸宅に戻った。
爆発事件ではあるが、こちらの都合で面談を先延ばしにすることはできない。
結局2人は後ろ髪が引かれる思いで、会議室へと戻るしかなかった。
「今日予定されてる面談は後1人だ」
ルカはレティシアが椅子に座ると、彼女に声をかけた。
「そうね……一応戻ってはきたけど、私は最後の面談者がここに来ることはないと思うわ」
彼女が窓の外を見ながら言うと、ルカは少しだけ目を伏せた。
すでに太陽は沈み始め、空はオレンジと赤が交じった色に染まっている。
「それじゃ、別室にいるギィとドニの面談するのか?」
「その方がいいと思うわ。少なくとも、あの2人も無関係だと思えないもの」
ルカは「分かった」と言って、静かに別室のドアへと進んだ。
そして、彼はドアを開けると「もう一度面談を行います、こちらの会議室へどうぞ」と淡々とした様子で告げた。
澄んだ声は冷たく、彼の言葉に従った2人の足音が会議室に響き始める。
「あなたたちで最後だから、もう私の正面に立たなくてもいいわ」
レティシアが告げると、咄嗟にルカは彼女の方を見た。
これまでの面談は、彼女と面談者の間に大きなテーブルを挟んで行ってきている。
それは彼女の安全を確保するとともに、何かあった場合に対処しやすいからだ。
しかし、いま彼女と兄弟の間には、いざという時の遮蔽物が存在しない。
そのため、ルカは彼女の安全を考えると、彼女の発言を素直には聞けない。
けれど、彼女の真剣な眼差しが目に留まり、何を言っても無駄だと理解すると彼は大きくため息をついた。
「お前たちのどちらかでも怪しい動きを見せたら、俺は躊躇ったりしない。そのことは忘れるなよ」
2人に耳打ちするようにルカは言うと、ギィとドニを追い越してレティシアの近くに立った。
赤い瞳とロイヤルブルーの瞳は兄弟を見つめ、静寂の中で2人の足音だけが聞こえる。
けれど、ある程度進んだ彼らは突然立ち止まると、ギィが真っすぐに彼女の方を見た。
「それで? 2人で考えた答えを、私に聞かせてちょうだい」
レティシアが尋ねると、ギィとドニは軽く顔を見合わせて頷き合った。
「2人で話し合いましたが、俺たちが領主様に提供できる能力はありません」
「そう、それがあなたたちの答えなのね。それじゃ……次の質問、ギィ……あなたはそのおなかにある物を使うのかしら?」
ギィは少女の言葉を聞き、無意識に右手をおなかに当てた。
彼の表情には動揺の色が見え、額には冷や汗が滲んでいる。
「それを使えば、確実にあなたとドニはこの世を去るけど、生憎私は自分の身は自分で守れるし、今は優秀な護衛も付いているわ」
名前を呼ばれたドニとギィの視界には、テーブルに頬杖をついたレティシアの姿が映る。
自信に満ち溢れている彼女からは、わずかばかりの恐怖心すら感じられない。
しかし、彼女とは対照的に、彼女の発言を聞いた2人の表情は青ざめている。
ギィは声を出そうと口を開くが、恐怖で喉が張り付き、思うように声が出せない。
「今日、フリューネ領で爆発事件があったわ。あなたたちも本当は犯人と合流して、私の領民を殺すつもりだったの?」
「違う!! 兄ちゃんはおれを逃がそうとしたんだ!! でも……でも……」
間髪を入れずにドニが言うと、彼は悔し気に歯を食いしばった。
握らた拳には血管が浮かび上がり、俯いた先にある足を彼の目が睨んでいる。
「でも、足が不自由なあなたは逃げられず、ギィを人質に取られた……ってところかしら?」
レティシアとルカは、兄弟が会議室に入った時から、ギィから漂う火薬の匂いに気付いていた。
けれど、面談していた時、彼女はそのことに1度も触れなかった。
そこには、できることならば、彼らに思い留まってほしい思いがあったからだ。
そのため、彼女はできるだけ彼らの事情を、彼らの口から聞きたかった。
「違います。俺が彼らに協力したのが、そもそもの始まりなんです……弟は何も悪くありません」
ギィはレティシアの言葉を聞き、おなかを擦りながら答えた。
彼のおなか周りには、爆弾になり得る物が巻かれている。
その理由は、フリューネ領主を巻き込んで自爆しろと脅迫されたからだ。
「どういうことかしら?」
レティシアが尋ねると、ギィは視線をドニの足に向ける。
彼の目は優しく、大切な者を守ろうとしているようにも見える。
「弟の足は生まれつき悪いんです。俺も病弱で、父と母はそんな俺たちを捨てました。父と母が生きるためには、俺たちはお荷物だったんだと思います。だけど、俺たちも生きるためには、お金を稼がなければなりません……」
どの世界でも自給自足じゃない限り、お金が流通していればお金が必要になる。
時折、同情心でお金を恵んでくれる人もいるが、それはいつものことじゃない。
ましてや、観光地でもない限り、それを頼りにして生きていくことはできない。
「そうね……生きていくためには、お金は必要になるわ」
「幼かった俺と弟は2人でゴミを漁っては……ゴミを食べて食い繋いでいたり……捨てられていた本を読みました。それで、俺たちは本で得た知識を使って、村人たちに知識と交換に金貨を受け取っていました」
「そう、村人たちも、あなたたちを支えていたのね」
「どうでしょう……次第に提供できる知識も底をつき始めると、相手にもされなかったので、あまり分かりません……」
「……それから、2人はどうしたの?」
「病弱な15のガキと、片足が悪い13の弟には仕事がありませんでした。そんな時に、火薬の取り扱いが稼げると聞きました。それで……俺は火薬を扱う仕事を始めました……」
レティシアは過去の転生先で、彼らと同じような状況に陥ったことがある。
そのため、彼らがどんな思いで知識を増やしたのか、それでも絶望が襲った時の心境が分からない訳ではない。
安心して生活ができると思った矢先、次第に突き付けられていく絶望は、何度経験しても耐え難いものである。
そして、そんな時に差し出される手は、大抵は良くない道へと導かれる。
「最初は、こんなことに使われると思ってなかったんです。働き始めた頃は、新しくできる移動空間魔法が通る道を整えるために使われると言われていたので、疑うこともせずに働いていました。だけど、フリューネ領に移住する話が出始めた頃から、俺が作ってた物が何に使われるか知って、怖くなりました。それで……ドニだけでも逃がそうとして、それに失敗したんです」
明らかに彼らは世界の被害者であり、救済の手を差し出さなかった政治に問題がある。
けれど、政治は誰か1人のために行われるものではなく、能力や家庭の状況で貧困の差が生まれるのも、仕方ないと言える面が存在する。
「はっきり言うわ。2人の状況を聞いても、フリューネ領で2人を受け入れることはできないわ。だけど……」
レティシアはそこまで言うと、静かにルカの方を向いた。
すると、赤い瞳は彼女を見つめ、微かに頷くとドニとギィの方に向けられる。
「お前たちが望むなら、オプスブル領で2人を受け入れることができる。お前たちは提供できるものがないと言ったが、少なくともオプスブル領ではお前たちが働く場所を提供できる」
はっきりとした口調でルカは言い切ると、彼は2人に対して「どうする?」と続けて尋ねた。
「爆発事件が起きた以上、俺たちは犯罪者です! 2人で死ぬ覚悟もできてます!」
ルカの目を見て答えたギィの声は震えていたが、彼の瞳には確かな覚悟があった。
けれど、パンッとレティシアが手をたたくと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「そう! それなら良かったわ」
彼女はそう言ったが、ギィとドニに表情には動揺が見られない。
そのことから、本当に2人は覚悟が決まっているんだとレティシアは思った。
「ギィ・モルス、ドニ・モルス、フリューネ領の領主として、2人を反逆者として処します。理由は言わなくても、分かっていますね?」
淡々と放たれた言葉は、氷の刃のようにドニとギィに突き刺さる。
しかし、2人は手を繋ぐと「はい、領主を巻き込んで自爆するために、領主の邸宅に爆弾を持ち込みました」とはっきりした口調で答えた。
「ルカ、お願いできるかしら?」
レティシアが尋ねると、ルカは「ああ」と短く答えた。
彼の足元から黒い影が2人に伸びて、次第に彼らを包み込んでいく。
「ありがとうございました」
柔らい声で言ったギィは、ドニの方を向いて微笑むと、2人は前を向いてゆっくりと目を閉じた。
繋がれた手は固く結ばれており、これまで必死に2人が手を取り合って生きてきたことを物語っている。
会議室に置かれた時計は、確実に時を進めて新たな時を刻んでいく。
彼らの罪は、今後も消えることがない爪痕してフリューネ領に刻まれた。
仕方がなかったとは言え、犯罪に手を貸してしまった彼らは裁かれる。
ルカの影が2人を呑み込むと、彼らがこの世から消え去ったかのように感じる。
「終わったぞ」
冷たいルカの声が会議室に響くと、レティシアは深く息を吐き出した。
「ルカ、ありがとう」
「いや、これも俺の仕事だ」
重い空気が流れ、それでもレティシアとルカは、2人を呑み込んだ陰から目を離さない。
レティシアは背筋を伸ばすと、真っすぐ前を向いて話し出す。
「ギィ、今からあなたはディ・リネンとして生きなさい。そして、今からドニは、ニック・リネンとして生きなさい」
レティシアがそう告げた瞬間、ルカの足元から伸びていた影は弾けるように消え去った。
そして、驚いたように目を見開く2人に、レティシアは微かに微笑んだ。
彼女の判断は、領主として間違っているのかもしれない。
それでも、1度くらい彼らに対し、誰かが正しく手を差し伸べてもいいとレティシアは考えた。
「ディ、ニック……今後あなたたちは、本当の姿を誰にも晒せないし、あなたたちの過去を誰かに語ることもできない。それでも、また兄弟で助け合って生きていけるかしら?」
ディはレティシアの言葉を聞き、慌てておなかの辺りを触った。
しかし、そこにあった物は無くなっており、目を潤ませながら彼は口を開く。
「良いのですか?」
「本当は良くないわ。だけど、爆発事件の解決のために力を貸してくれるなら、邸宅に爆弾を持ち込んだことは、気が付かなかったことにするわ。これが私にできる、あなたたちへの最初で最後の支援よ」
淡々と告げられた声には、温もりなど感じられない。
それでも、彼女の言葉には確かな温もりが含まれている。
この兄弟が、再び犯罪を犯す危険性がないと言い切れないし、この兄弟の罪が帳消しになったわけでもない。
けれど、子どもだけで生きていくために、犯罪に手を貸したことも事実だ。
少なからず、子どもだけで生きていくということは、綺麗ごとだけでは済まされない。
この世界にも、そのような子どもを受け入れているところは存在する。
それは、フリューネ領にも例外なく存在し、子どもの受け入れを行っている。
しかし、これも問題がない訳ではない。
領民の税で運営しているため、子どもを受け入れるのも限界があるのだ。
そして、問題解決のために、ただ施設を増やせばいいという話でもない。
「だけど、誤解しないでちょうだい。あなたたちの罪が消えることは、今後一生ないわ。だから、光の世界で生きていけると思わないでほしい。先程、ルカの提案にあったように、あなたたち2人にはオプスブル領に行ってもらうわ。いいわね?」
レティシアに厳しい眼差しを向けられた2人は、握っている手を今一度強く握り合った。
2人は死んで罪を償えばいいと考えていた。
だが、彼女の発言を聞いた彼らは「生きて罪を償い続けろ」と、彼女に言われた気がした。
そのため、2人は向き合って頷き合うと、彼女の方を見て「「分かりました」」と声を合わせて答えた。
「オプスブル領に来るとうことは、俺の管轄になる。お前たちが、オプスブル領にどんなイメージを持ってるnかは知らない。だけど、お前たちには、オプス族に属してもらう。早い話、帝国の汚れ仕事をお前たちにもしてもらうということだ。きっと、今この場で死ねばよかったと思う日が来るかもしれない……それでも、2人には国のため……いや、フリューネ領のために働いてもらう」
闇の世界で生きてきたルカの言葉は重く、これからの生活が明るいものではないことが分かる。
ディとニックが覚悟したように、本来はこの場で2人を処刑することが、領主として正しい判断を下したと評価される世界だ。
それは、規律を守る上でも正しく、似たような犯行の再犯率を下げる効果がある。
けれど、レティシアとルカがそうしなかったのは、どんな形であれど2人に手を差し伸べるべきだと感じたからだ。
その後、2人はルカが呼び付けたオプス族の者が来るまで、これまでのことを洗い浚い話した。
そして、オプス族から迎えが来ると、2人は深々とレティシアとルカに頭を下げた。
しかし、2人は面談を始める前よりも、表情が和らいでるようにも見えた。
窓の外を見ると月は雲に隠れており、暗闇が世界を支配している。
「あれで良かったのか?」
ルカは、レティシアと2人になった会議室で尋ねた。
「何が正解かは、私にも分からないわ。だけど、同情心だけで彼らの罪に目を瞑ったわけじゃないわ」
ディとニックの証言を聞き、レティシアは騎士団に爆発事件の指示をした。
この時、すでに彼女が被害の多かった建物を全て消してしまったことから、困難を極めるのではという雰囲気が流れていた。
しかし、証言を元に調査をすると、彼女がいたからこそ被害最小限に収まったことが分かった。
なぜなら、爆発の被害や火災の被害を免れた建物からは、新たな爆発物が見つかったからだ。
そして、爆発に巻き込まれた遺体を調べると、今日予定していた最後の面談者の遺体が発見された。
けれど、事件はそれだけでは収まらず、ディとニックの証言によって、オウエン・ブランとキアラ・ブランの身が保護された。
また、ブラン夫妻のような言動があった他2組も無事に保護される運びとなった。
その結果、フリューネ領は団体移住希望者56名のうち、6名の受け入れのみをすることを決めた。
未だに事件の全貌も、主犯格も明確になっていない。
それでも、今回受け入れた6名と、リネン兄弟の話を繋ぎ合わせることで見えてきた真実が存在する。
それは、誰かがフリューネ領の独立を想定し、それを阻止しようとした動きがあったということだ。
また同時に、レティシアの命も狙っていた者が存在していたと明らかになった。




