第127話 言い知れぬ不安
魔法の授業も終わり、そのままレティシアたちは6人で教室に戻っていた。
先頭はレティシアとベルンが並んで歩き、2人の後ろで4人が攻防戦の話を続けている。
しかし、突然ベルンが思い出したかのように口を開けた。
「なぁ、そう言えばさ、フリューネ邸にも訓練場があるんだろ?」
「ええ、フリューネには騎士団がございますので……それがどうかしましたか?」
レティシアがわずかに眉を寄せて尋ねると、ベルンはうなじを触りながら話す。
「いや、ただ……今度の連休中に、水属性がフリューネ邸で集まって練習するって話を耳にしたんだよ。それで、レティシア嬢はそのことを知ってるのかなって疑問に思ってさ」
水属性で集まって練習することも、その練習場所がフリューネ邸なことも。
初めて知ったレティシアは、今度こそクッキリと眉間にシワを寄せた。
「……私は連休中に、水属性で集まるといった話は、伺っておりませんよ?」
「あぁ……それじゃ、ライラ嬢たちが勝手に話を進めてるだけか」
レティシアは、ベルンの話を聞きながら片方の手だけ組み、もう片方の手で考えるように顎に触れた。
(フィリップがフリューネ邸にいるから、無理を言えばどうにかできると、ライラは考えたのかしら?)
「……そうだと思いますわ。仮にその話が本当でしたら、突然来られても困りますわね」
レティシアは連休の初日と、お茶会が開かれる最終日以外は全て予定が入っている。
しかし、遊びや旅行ではなく、移住希望者と会う予定になっている。
そのため、彼女は帝都を離れることになっているうえに、急に予定を変えるのは無理だ。
「俺はそう聞いただけで、詳しくは知らないけどな。休みに入る前に、集まって練習するのかも含めて、1度話した方がいいと思うぜ?」
「ええ、そうですわね……ところでベルン様、火属性も連休の間に集まる予定があるのですか?」
「ああ、一応な。そもそも、5月と8月にある対抗戦の結果次第でクラスが変わることもあるし、将来帝国騎士団に所属したいと考えてる人たちは、できるだけ見せ場を作って騎士団に自分を売り込んでおきたいからな。それに、俺も定期的に実力を見せておかないとならない」
「そうなのですね。――実はリズが将来は帝国騎士団に入りたいと仰っていたので、そうなると考えなければなりませんわね」
レティシアは噂など気にせず、彼女のために行動してくれるリズの力になりたいと思っている。
しかし、連休の予定を考えると、予定の変更ができるのは連休の初日だけ。
その日だって、カトリーナやリズたちと出掛けつもりで予定を空けておいた日だ。
それでも問題は別にもある。
まず、初日に全員が集まれるかも分からないし、そもそも学院の訓練場が借りられるのかが問題だ。
他属性も練習することを考えれば、今から学院の訓練場を借りられるとは考えにくい。
もし、学院の訓練場が借りられなければ、残るは帝国騎士団の訓練場かフリューネ邸の訓練場で練習するしかない。
だが、帝国を守る騎士団の訓練場を、そう簡単に借りられると思えない。
そのため、初めからフリューネ邸の訓練場になるように、仕組まれているような気がして、レティシアは言い知れぬ不安を感じた。
「――ところで話は変わるんだけど、その……ルカ様もフリューネ邸の訓練場で練習するのか?」
唐突にルカのことを聞かれ、レティシアは戸惑った。
「……え、ええ」
しかし、首をなでながら耳まで真っ赤に染めたベルンを見て、目を細めて微笑んでしまう。
なぜなら、彼の表情からルカに対する憧れが感じられ、彼女は嬉しくなったのだ。
そのため、彼女は柔らかい口調で続けて話す。
「――たまにですが、ルカは時間が合えば騎士団の方に顔を出して、彼らと一緒に練習しておりますよ。もちろん、私もルカに相手してもらうこともあります」
「へぇ、羨ましいなぁ。ルカ様って本当にすげぇんだよ。魔法は派手じゃないけど、狙いが的確で剣術でも勝てる気がしない」
ベルンが目を輝かせて話すと、レティシアは口元に軽く手を当ててクスッと笑った。
「そうですね、確かにルカの剣術は凄いですわ。悔しいですが、私もまだ1度もルカに剣術で勝ったことがありませんの」
ベルンはレティシアの話を聞き、彼の持つ彼女の情報の違いに気付き疑問を持った。
そのため、思わず彼女の方を見て尋ねてしまう。
「ん? レティシア嬢は短剣だけじゃなくて、普通の剣も持つのか?」
「そうですが、何か変でしょうか?」
「いや、短剣を使って戦うと聞いてたからさ……」
ベルンが軽く首をかしげながら言うと、レティシアは少しの違和感を覚えた。
「それは幼い頃の話ですわ。昔、剣術を学ぼうと考えた時、なかなか体格に合う剣がなくて困っていたのですが、そんな私にルカが短剣を贈ってくれたんです。それで当時は短剣を使っていたんです」
「へぇ、それで直接指導してもらえるのか、本当に羨ましい。そう言えば、戦闘スタイルは違うけど、魔法もルカ様に教わってるのか?」
「いえ、昔からルカに教わっているのは、剣術だけですわ。ベルン様の言う通り、私とルカとでは魔法の使い方が根本的に違います。なので、魔法に関してはどちらかが教えるということはしておりませんの」
「マジかよ……てっきり、魔法も教わってるんだと思った」
「ルカの実力を知っているのでしたら、そう思うのも不思議ではありませんし、普通はそう考えると思いますわ。――ところでベルン様、誰から私が短剣を使っていたとお聞きになったのですか?」
「ああ、それはライラ嬢だよ」
思ってもいなかった人の名前を聞き、驚きのあまりレティシアは目を見開いた。
レティシアが帝国で短剣を使っていたのは、幼い頃に住んでいたフリューネ領の邸宅だけだ。
しかし、訓練場という限られた場所で、なおかつ騎士団以外はそのことを知らない。
他に彼女が短剣を使った場面は、エルガドラ王国で魔物討伐に参加した時と、剣が使えるまでアランと訓練をしていたエルガドラ城内のみ。
(ルシェル殿下がライラに言ったのかしら? だけどそうなると、ライラはルシェル殿下と私が幼い頃に会っていることを、知っていることになるわ。――あら? 何か変ね……)
ルシェルはつい最近まで、ライラを幼い頃に会ったレティシアだと勘違いしていた。
城で開かれたパーティーでのことも考えれば、ライラがルシェルの話を聞いても否定せず、勘違いさせたままにしていたとも考えられる。
そして、それは現在も続いているのだと考えるのが妥当だろう。
しかし、ライラがルシェルからレティシアが短剣を使っていたと聞いているのであれば、勘違いさせておきたいはずのライラが、わざわざお茶会が控えているこの時期に言うのはおかしな話だ。
けれども、仮にライラがルシェル以外の人から、レティシアが短剣を使っていたことを聞いていたとすれば、短剣のことを話したことも辻褄が合う。
だけど、そうなると問題になるのは、ライラが一体誰からその話を聞いたかということだ。
(ライラに直接話を聞いた方が早いけれど、あの子が正直に言うのかしら?)
「ベルン様、ライラは誰からそのことを聞いたのか、話していませんでしたか?」
「話してなかったぞ? ――そう言えば、ライラ嬢がレティシア嬢は短剣を使うって話をした時、ルシェル殿下もレティシア嬢と同じことを、ライラ嬢に聞いてたな……」
(ルシェル殿下が? 殿下は私が短剣を使っていたのを、ライラに話していないのね。――だとすれば、一体誰がライラに話したの?)
「……そうなのですね。ベルン様、ありがとうございます」
(帰国してからは、短剣を使った訓練はしていないわ。となると……幼い頃の私を知っている人物か、エルガドラ王国で討伐に参加していた人、もしくは密偵になるわね。だけど、あんなにお金に困っている様子だったダニエルが、討伐隊に参加できるだけの実力を持った密偵を雇えるだけのお金があるのかしら? お金を借りたか、援助してもらったことも考えられるけど……援助なら何が目的? もしかして、冒険者から情報を買った方が安いから買えた? いやいや……それだって私が髪の色や瞳の色を変えていることを知らなければ、聞くこともできないはずだわ……)
帝都にいるフリューネ騎士団は、レティシアが短剣を使っていたことを知っている人は少ない。
そのことも考えれば、情報が流せる人物は邸宅に残っている人か、帝都まで付いて来た人。
もしくは……レティシアがルカから短剣を貰ったことを知っている、元メイドだったアンナだけだ。
そして、帰国してロレシオから鼠がいると報告があったため、レティシアの予定を知っている人は限られる。
それは、フリューネ騎士団の中でも限られ、レティシアの身の回りの世話をしている数名だけだ。
その中に裏切り者がいるのかもしれないと考えると、無意識にレティシアからはため息がこぼれた。
「レティシア嬢? ため息なんかついてどうした?」
「いえ、少しだけ今後のことを考えていただけですわ」
「そっか、ルシェル殿下と話したいなら、俺が呼んでこようか?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ」
レティシアはそう言うと、歩く速度を少しだけ上げて先を急いだ。
レティシアとベルンが教室に着くと、先に戻っていたルシェルとライラがレティシアの視界に映る。
彼女は颯爽と歩みを進め、ルシェルの席の前に立つと、落ち着いた面持ちで話し始める。
「ルシェル殿下、水属性が連休中に集まって練習すると耳にしましたが、本当のことでしょうか?」
「うん、本当のことだよ? ララから聞いてない?」
ルシェルに尋ねられたレティシアは、キッとライラのことを睨むと、彼女はルシェルの腕に抱き付いた。
その様子を見ていたウォルフとベルンは、冷ややかな視線をライラに向け。
カトリーナたちは「まぁ」とこぼしてしまった口元を手で隠した。
「はい、何も聞いておりません」
レティシアがきっぱり言い切ると、ルシェルは困ったような表情でライラの方を向いて話す。
「ララ、僕が話すと行った時、君がレティシアに話すと言ったから僕は任せたんだよ?」
ライラはこぼれそうなくらいの涙を目に溜めると、彼女は悲しげに答える。
「だってぇ、話そうと思った日にぃ、フィリップと離れ離れになったんですよぉ! 悲しくてぇ、それどころじゃなかったんですぅ」
(よくそんなことが、平然と言えるわね)
レティシアは、フィリップがこれまでどんな扱いを受けたのか本人から聞いている。
そのため、涙を溜めて話すライラに苛立ちを覚えた。
「それは分かるけど、訓練場も確保しないといけないんだから、話してくれないと困るよ……」
「でんかぁぁ、ララが悪いのですかぁ? ひどいですぅ」
「……ごめんね。僕が悪かったよ……ララ、泣かないで……ね?」
涙を流し始めたライラをなんとか宥めようと、ルシェルが彼女の背中を空いている手で何度もなでる。
そのやり取りだけでも時間の無駄だと、レティシアは感じてしまう。
たとえ、フィリップと離れた日に、ライラが言うように悲しくて言えなかったとしても、あれから数日が過ぎている。
そのため、悪いのは明らかにライラだ。
それなのに、自分が悪いと言ったルシェルにも、レティシアは腹が立ち覚悟を決める。
「それで、練習は、いつ、どこで行われるのですか?」
「お姉さまぁは、いつが空いてるんですかぁ? ララ、それも聞いてなかったのでぇ、決まってないんですぅ」
レティシアはライラの言葉に呆れながらも、ため息をついて事実だけを伝える。
「連休の初日と最終日以外は、どうしても変更できない予定があるので、連休の初日と最終日しか参加できません」
ルシェルは、レティシアの言葉を聞き、咄嗟に目を見開いて彼女の方を見た。
信じられないという瞳が彼女に向けられ、彼の額には薄っすらと汗が浮かぶ。
しかし、ルシェルの様子に気付かなかったライラは、彼から離れてパンッと手をたたいた。
「それなら、連休の初日にしましょぉ! 場所はフリューネ邸で良いですよねぇ!」
「フリューネ邸は騎士団の方たちの訓練もあるので、無理ですわ。それに、殿下たちが来るのであれば、殿下たちの安全のためにも警備体制を見直さなければなりません」
「でもぉ、学院の訓練場は今からじゃ空いてないしぃ、お城の訓練場は無理ですよぉ? それならぁ、フリューネ邸しかないと思うんですよぉ」
予想していたとおりになり、レティシアは苛立ちから声を荒らげる。
「!! ですから、突然そのようなことを言われても困りますわ!!」
ルシェルは、気持ちを落ち着かせるため、ふぅっと軽く息を吐き出すとレティシアのことを見た。
「ねぇ、レティシア。一応、僕も父上に相談してみるけど、レティシアも考えてくれないかな?」
「殿下の言い方ですと、初めからフリューネ邸でやろうと考えていたように聞こえますわ」
「城よりフリューネ邸の方が、いろいろと融通が利くだろ? 城の訓練場は、どうしても場所が確保できなかった時のためだと思ってたからね」
奥歯をギリッと鳴らしたレティシアは、気持ちを落ち着かせるために大きく息を吸い込んだ。
「……分かりました。ただし、こちらも今後の安全対策のために、訓練場だけを開放することが条件です。もし仮に、室内に入りたいとおっしゃったり、室内に入ろうとした場合は、その場で即刻お帰りいただくことになりますが、それでもよろしいでしょうか?」
ルシェルは、いつもより畏まった言葉が並び、これが彼女の提示する最低条件なので理解した。
そのため、彼はそのことに対して異議を申し立てることが難しくなって呑み込むしかなかった。
「ああ、構わないよ。ララもそれでいいよね?」
「えぇー! それじゃぁ、フィリップに会えないじゃないですかぁ!」
「こちらは条件を守って貰えないのでしたら、訓練場を開放することはできませんし、私も練習に参加しなくても良いと考えてます」
レティシアが冷たく言い放つと、ライラは頬を膨らませた。
「……もぉう、お姉さまぁってばぁ、いじわるぅ!」
これ以上話しても終わらないと感じたレティシアは、条件付きで別宅の訓練場を開放することにした。
正直に言えば、彼らを招き入れたくないのが本音だ。
それでも将来、帝国騎士団に入りたいリズのことを考えると、どうにかしてあげたいと思った。
その結果、レティシアがとった苦渋の決断だった。
(帰ったら、いろいろと準備しなければならないわね)




