第126話 攻防と魔法の授業
神歴1504年3月26日、フィリップがフリューネ家に来て数日が過ぎた。
あれから、学院では瞬く間に、フィリップがフリューネの別宅に住み始めたことが知れ渡った。
それと同時期、ライラは「このまま大好きな弟と離れて暮らすかもしれない」と言い始めた。
その行動にどんな意味が含まれ、どのような思惑があるのかは分からない。
しかし、結果的にレティシアは学院で悪女と言われ、根も葉もない噂が広がっている。
「すっかり、レティシア様が悪女だと言われて、避けられてしまっていますね」
魔法の授業で他属性と組むように言われたが、出回っている噂が原因で近寄ろうとする者がいない。
そんな状況の中、カトリーナは頬に手添えながら困ったようにそう言うと、拳を握りながらリズは怒りを口にする。
「全くだよ、全然違うのに! あぁー! なんか悔しい!!」
リズは怒りに震える拳をさらに強く握ると、鼻筋にシワを寄せた。
周囲の小さな声はいやでも耳が拾い、手のひらの痛みが悔しさを増幅させる。
友を盗み見れば、レティシアは周囲に声を気にしていないように見える。
リズはそのことだけが救いだと思い、握られた拳を緩めた。
突然、銀髪の少年が2人に近付くと、彼は眼鏡を人差し指で軽く押し上げ、カトリーナたちと同じ方を見ながら話し出す。
「仕方ないと思いますよ。編入なんて余程の理由がなければ、認められないこの学院に編入してきた訳アリ令嬢が、あのライラ嬢の姉ともなれば、蹴落としたいと思う貴族も多いのでしょう」
「や、やっぱり、ウ、ウォルフ様もそう思われますか?」
エミリが言葉に詰まりながらも尋ねると、ウォルフは振り返って捕食者のような視線をレティシアに向けた。
それは、まるで見極めようとしていて、眼鏡の下で爪を研いでいるかのようだ。
「ええ、ですので、根も葉もない噂をされているレティシア様のことは、かわいそうだと思っていますよ?」
向けられたスチールグレーの瞳はレティシアを映し、彼はそう言って微かに笑みを浮かべた。
(ウォルフ・ディ・プルエミルーヴ、現在の帝国宰相アルノ・ディ・プルエミルーヴ公爵の次男であり、次期宰相と噂されている人物。クラスメイトだったけど、彼と関わる機会はこれまでなかったのに、なぜこのタイミングで近付いてきたのかしら?)
レティシアはそう思ったが、彼に微笑み返して答える。
「決して悪いことばかりではありませんので、特に気にしておりませんわ」
「……そうですか、ルシェル殿下が気にして居られていましたので、そのように聞けて安心しました」
ルシェルの名前がなぜ出てくるのか分からず、レティシアは思わず眉間にシワを寄せた。
彼女がその理由をウォルフに尋ねようとした時、茜色の空を連想させる髪の少年が、彼の後ろから肩に腕を回した。
「置いて行くとかひどいだろ、ウォルフ」
ウォルフは苛立った様子で、ズレてしまった眼鏡を直しながら口を開く。
「……君が遅いんですよ、ベルン」
「お? 怒ったのか? カリカリし過ぎると体に悪いぜ?」
「誰が怒らせているのか、自覚がないのですか!?」
ベルンはウォルフに手を叩かれて肩に回した手を退けると、一歩後ろに下がって「わ、悪い」と謝った。
すると、険しい表情をしたウォルフは上着を直しながら、誰かを探すかのように辺りを見渡す。
「いえ、それよりルシェル殿下の姿が見当たりませんが、ルシェル殿下はどちらに?」
「ああ、なんか先に行ってくれって言われたから、先に来た」
あっけらかんとベルンが答えると、ウォルフは咄嗟に振り返った。
「ベルン! 君って人は!!」
声を荒らげてウォルフ大きな声を出すと、ベルンは片目を閉じ、うるさそう片方の耳を指で塞ぐような仕草をした。
「まぁまぁ、そう怒るなよ。いつもカリカリしてると、本当に血管が切れるぞ? それにお前と違って、俺はまだ決まってねぇんだから、決まるまでは好きにさせてもらうさ」
(ベルン・アドガー、伯爵家で帝国近衛騎士団の団長である、ベラトル・アドガーの長男。戦闘において腕がたつから、ルカが彼に声をかけてるって言っていたわね。ウォルフ様の様子から考えると、彼らが話しているのは側近の話ね……そうなると、ルシェルの名前が出てきたことにも納得するわ……でも……)
レティシアがそう思っていると、カトリーナが彼女の近くまで来て話しかける。
「レティシア様、他の人たちも練習を始めていますので、ワタシたちも始めませんか?」
カトリーナに言われ、レティシアは周りを見渡した。
すでに至る所で、他の人たちは攻防に別れ練習を始めている。
「……そうね。その方が良さそうね」
レティシアがそう言うと、口角を上げて笑みを浮かべたベルンは彼女に言う。
「俺とウォルフが一緒に組んでやるよ。他属性と組まなきゃだろ? 俺は火でウォルフは風だから、ちょうどいいと思うけど、地属性が良かったか?」
「好きにすればいいわ。どうせ断っても、付いてくるつもりなのでしょ?」
呆れた様子でレティシアが尋ねると、ベルンは腰に手を当ててクシャっと顔にシワを寄せて笑った。
「正解! 俺はレティシア嬢がどんな人なのか知りたいし、君たちは相手が見つからなくて困ってたようだったし、お互いにとっていい話だろ?」
「どうでもいいわ。やるなら早く練習を始めましょ」
淡々とレティシアは言うと、ふーっと息を吐き出し魔法を使い始めた。
彼女を中心にして風がぶわっと吹き抜け、突如6人がいた場所を大きく囲うように水の壁が姿を現す。
水壁魔法は彼らの背丈を遥かに超え、円を描くように囲い始めるとドーム状へと変わる。
辺りを見渡して、上を見たリズは思わず「凄いわ……」という言葉が口からこぼれた。
(空が綺麗に見える……みんな気付いてないけど、水が濁ってる訳じゃなくて天井の部分を除いて、他の部分は速い速度で水が動いてるんだ……しかも外側と内側で流れが逆なんだ……)
リズはそう思うと、ドームの中央に佇むレティシアの方を見た。
背筋を伸ばし、凛とした姿は自信が溢れており、微かに揺れる髪は彼女をより力強く見せる。
実際、この水壁魔法は通常のとは違い、外側と内側に流れる水の動きは正反対だ。
それを可能にしているのは、密かにレティシアが張った魔力遮断結界のお陰でもある。
そして、水壁の外側からは中の様子が見えなくなっており、不用意に近付く人はこれでいないだろう。
「攻防に別れますが、ウォルフ様とベルン様は属性が異なります。レティシア様、どうしますか?」
カトリーナが少しだけ不安げに尋ねると、レティシアは考えるように顎に触れた。
「そうね……側近になる話が出ているなら、2人の実力は同世代よりも上でしょうから、2対1にしましょ。ウォルフ様の相手はリズとエミリに任せて、ベルン様の相手は私とカトリーナでしましょ。御二人もそれでよろしいでしょうか?」
「言い出したのは俺だし、ウォルフもこのくらいできないようなら、側近は考え直した方がいいと思うから、こっちは構わないよ」
「ありがとうございます」
本来なら水属性であるレティシア、カトリーナ、リズ、エミリなら、風属性であるウォルフの相手は、レティシアがした方がいいのだろう。
しかし、ベルンは火属性だが、直接ルカが彼を誘っているなら、相当な実力者だと考えられる。
そのため、たとえ属性的に有利であっても、リズとエミリでは相手にならないとレティシアが考えた結果だ。
炎で大剣を創り出したベルンは、ニッコリと笑いながら肩に乗せた。
「俺さ、こう見えて声がかかるくらいには、強いんだよね。属性的に有利だと思ってるなら、負けるぞ?」
ベルンはそう言って首をかしげると、レティシアは微かに笑みを浮かべる。
「ベルン様のことは、ルカから伺っております。なので、私もあなたの実力が知りたかったのです。――ですが、ここで負けるようなら、ルカの誘いを断って、ルシェル殿下の側近すればいいと思いますよ?」
ルカがベルンに声をかけたのは、決して強さだけではない。
きっと相手の力量も冷静に見極められる力が、その時の彼にはあったからだろう。
けれど、側近の話とルカから声がかかったことによって、今の彼は自分の力を過信し過ぎていると、レティシアは思った。
「はっ! アルフレッド殿下が言ってた通り、本当にいやなやつだなぁ」
ベルンは片手で大剣を持ち、レティシアとカトリーナに向かってくる。
「カトリーナ、防御壁よ!」
「はい!」
咄嗟の判断でレティシアがカトリーナに指示を出し、カトリーナは一瞬で水壁魔法を創り出した。
しかし、ベルンの大剣は意図も簡単に水壁魔法を破ると、レティシアは舌打ちをした。
そして、彼女は光の速さで水壁魔法を創り出し、ベルンから攻撃を防いだ。
そもそも、レティシアとカトリーナでは魔力量も違えば、魔力の精度や練り上げるスピードも違う。
その結果が、水壁魔法の強度の違いとして現れる。
水壁魔法に弾かれ、反撃を警戒してベルンは下がった。
けれど、反撃がないと分かると、彼は驚いたように弾かれた大剣を見つめる。
「へぇ、これを防げるのか。――それなら、これはどうだ!!」
炎球魔法を出したベルンは、水壁魔法に攻撃を仕掛ける。
だが、彼の攻撃はわずかに水を蒸発させるだけで、あっという間に炎は水壁魔法によって消し止められた。
決して炎球魔法の威力が弱かった訳ではない。
もし、カトリーナの水壁魔法なら、水壁魔法は消されて直接攻撃を受けていた威力だ。
悔しそうにベルンが舌打ちをすると、彼の茜色の瞳が淡く光りを帯びる。
次の瞬間、レティシアたちは炎に包まれ、高熱の柱が彼女たちを呑み込む。
凄まじい熱風が渦を描くように上昇し、天井からは蒸気が広がる。
「今まで、同年代の中にあなたの大剣を防げる者がいなかったのに、私が防いで悔しいのかしら? 自分の力を過信し過ぎだわ」
突如、燃え盛る火柱の中からリンと透き通るレティシアの声が聞こえ、シューという音共に炎柱魔法が瞬く間に凍り付く。
そして次の瞬間、まるで弾けるように氷付いた炎柱魔法は砕け散り、太陽に照らされてキラキラと降り注ぐ。
その中からは、水壁魔法に守られた、レティシアとカトリーナが堂々と立っている。
炎柱魔法の威力は同年代に比べ、かなりの威力を誇っていた。
きっと、リズとエミリでは、明らかに力不足であっただろう。
そして、もしレティシアが魔力遮断結界を張っていなければ、今頃大きな騒動になっていたはずだ。
「カトリーナ、私が守るからあなたは攻撃してちょうだい」
「はい!」
レティシアが冷静に指示すると、すかさずカトリーナは答えた。
彼女は水球魔法と氷矢魔法を使って、ベルンの意識を分散させる。
左右からくる攻撃は、きっと先日行われた模擬戦でのリズとエミリを参考にしたのであろう。
だけど、少しずつ冷静さを取り戻したベルンは、カトリーナの攻撃を防ぎながら距離を詰め始めた。
「レティシア嬢は攻撃しないのか」
カトリーナの攻撃を華麗に防ぎながらベルンが尋ねると、レティシアは首をかしげる。
「しないわよ?」
元々、レティシアの水壁魔法にベルンの攻撃が通らなかった時点で、彼女はベルンを攻撃すつもりはない。
せめてカトリーナの練習になればいいと考えていたのだ。
ベルンはレティシアの意図を汲み取ったのか、大きなため息をついた。
そして、彼はカトリーナを見ると、大きく口を開く。
「カトリーナ嬢、君の攻撃は単純に一撃一撃の威力が弱い。しっかりとした防壁に守られているなら、慌てずに魔法をよく練って威力を高めろ」
「は、はい!」
威力より攻撃の手数を優先していたカトリーナは、ベルンに言われて攻撃の威力を上げるように集中した。
けれど、手数で勝負していた時より魔力の消費量が上がり、次第にカトリーナの攻撃は単調になっていく。
単調な攻撃はたとえ威力が上がろうと、攻撃をしっかりと見て動きを覚えれば避けるのはさほど難しくない。
「単調な動きだけではなく、動きの変化も入れろ!!」
「カトリーナ、もっと集中しなさい!」
「はぃぃい!」
ベルンとレティシアから言われたカトリーナは、涙目になって返事した。
(ベルンは周りをよく見ているわ。確かに実力も判断力もあると思う……後は、ルカの元でどれだけ育つかってところかしら?)
レティシアとベルンが、カトリーナに指示を出し始めて30分が経った頃。
カトリーナの限界が見え始めると、レティシアは口を開く。
「これ以上は危険だから、ここまでにしましょう」
「そうだな、カトリーナ嬢はもっと意識して魔法を使うといい」
「ありがとうございます!」
目に涙を浮かべてカトリーナがお礼を言うと、レティシアはベルンとカトリーナの顔を交互に見た。
(なるほど……。カトリーナはベルンに指導されて嬉しかったのね)
ウォルフの方も終わらせたのか、リズとエミリがこちらにやってくる。
すると、カトリーナは走り出し、リズとエミリに飛びついた。
そして、彼女はわんわんと泣きながら、先程までの出来事を話し出す。
話の内容から、カトリーナはベルンに指導されて嬉しかったのではなく、レティシアとベルンの指導が怖かったのだと分かる。
だけど、カトリーナが喜んでいたと思っているレティシアは、声に出して泣くくらい嬉しくて2人に話しているのだと思った。
そのため、3人の会話に聞き耳を立てたりせず、家でどんな練習をベルンがしているのか詳しく聞いている。
水壁魔法が解かれると、1人だけ会話に混ざれなかったウォルフは静かに5人を見ていた。
そんな彼の元に、ルシェルが静かに近寄り彼に話しかける。
「どうだった?」
「ルシェル殿下、どちらにいらしたんですか?」
ウォルフは驚いて声がした方に振り向いて聞くと、面倒くさそうにルシェルが話し始める。
「ああ、ララがなかなか離してくれなくてね。――それより、レティシアがお茶会にどんなドレスを着てくるのか聞いてくれた? できれば、色くらいは合わせたかったんだけど」
ウォルフは、はぁっとため息をつくと呆れたように話す。
「この距離感ですよ? 殿下は聞けると思いますか? そもそも、レティシア嬢が気になるのでしたら、なぜライラ嬢と一緒にいるのですか?」
ルシェルはふふっと笑うと、目を細めて優しい眼差しをレティシアに向けた。
「レティシアに君が幼い頃にあったララなのか聞いたら、人違いだって言われたんだよ。それは、彼女が僕に本当のことを、言うつもりがないってことだろ? それなら、本人が言いたくなるまでは、僕も彼女のために動こうと思ってね。それに、ララといれば、彼女が勝手にいろいろと話してくれるから、悪い話じゃないと思うんだよね」
「ルシェル殿下……。だからと言って、ライラ嬢と婚約の噂が出るくらい触れ合ったり、ライラ嬢を庇うようなことはしなくてもいいと思います。このままだと、本当にレティシア嬢から嫌われますよ?」
「うん、僕もそんな気がする」
「それなら!」
「ふふふ、いいんだよ。もしそうなったら、振り向いてくれるまで、頑張るだけだから」
「全くあなたって人は……」
ウォルフが諦めたように首を左右に振って言うと、ルシェルはレティシアがいる方を真剣な眼差しで見つめた。
「まぁ、お茶会の後からは、婚約者候補として仲を深めるさ。心配しなくても大丈夫だよ」
「……それならいいんですけどね」
ルシェルは「また後で」と言ってその場を離れると、ウォルフは少しでもレティシアとの距離を詰めようとベルンの元へと向かう。
しかし、魔法大好き少女と筋肉少年の話に混ざれるわけもなく、彼は肩を落とした。
けれど、そんな彼にカトリーナたちが声をかけ、先程までしていた攻防戦の話を始めた。




