第122話 偽りの陰に
あれから数日が経った、神歴1504年3月22日。
学院ではレティシアとライラの話に尾ひれがついて広まった。
そのため、今ではすっかり悪女として、レティシアは言われるようになっている。
けれど、それは悪い話ばかりではない。
なぜなら、あの日からライラがレティシアに話しかけようとするたび、周りにいる人たちがライラを止めているからだ。
そのため、レティシアはライラに絡まれることが減り、憂鬱だった学園生活から解放されたように見える。
しかし、やはり悪い面も確かに存在する。
そのような悪評が広がれば、様々な場面で新たな問題と直面する。
例えば、今後控えている移住希望者の面談だ。
仮にレティシアが移住者の希望を受け入れなければ、さらに悪評が広がる可能性が出てくる。
そのことを、レティシアは懸念している。
別宅のテラスでお茶を飲みながら、レティシアは向かいに座るアランに視線を向けた。
彼女の目には感情がこもっておらず、アランはバツが悪そうに俯いている。
しかし、先触れも出さず、突然訪ねて来たアランが明らかに悪い。
「その……悪かったな。手紙くらいは出すべきだった」
「ええ、本当よ」
アランは申し訳なそうに言ったが、間髪を入れずにレティシアが答えた。
彼女の声は冷たく、それだけで彼女の機嫌が悪いのだと分かる。
そのため、アランはただただ謝ることしかできず口を開く。
「うっ……予定があったなら、本当にごめん……レティシアの噂を聞いて、ここに来ることしか考えてなかった。悪かった」
アランはそう言って、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「あら、心配してくれたの? 本人が気にしていないのだから、アランも気にしなくてもいいわよ。それに、予定があると言っても、ダニエルが来るだけだから、特に問題もないわ」
「そっか……、でも、レティシアの親が来るのにルカは居ないのか?」
「ええ、お父様たちが来ると先触れを貰ったのは、ルカが出掛けた後よ。突然お父様が訪ねてくるから、帰って来てなんて言えないわよ」
「ふーん。ルカなら帰ってくると思うけどなぁ。後で怒られたりしないのか?」
レティシアはクスッと笑い、目を細めて優しい笑みを浮かべて口を開く。
『レティシア、話の途中でごめん。来たわよ』
アランの質問にレティシアが答える前に、ステラがそう言ってドアの隙間からテラスに出てくる。
白い毛並みがそよ風になびき、金の瞳はアランを捉えて静かに揺れる。
「ステラ、知らせに来てくれてありがとう」
レティシアは安心させるように、ステラに笑顔を見せた。
『久しぶりね、アラン。ちょうどいいから、あなたも同席しなさい』
ステラはアランの顔を見てからそれだけ言うと、彼の答えも待たずに室内に戻って行く。
今日、ステラは初めてダニエルと会うことになっているが、過去にレティシアがダニエルに叩かれたことも知っている。
それは、過去にレティシアの記憶を覗いた時に知ったことでもあるが、メイドたちの話からも事実であったと分かる。
そのため、彼女は何かあった時のために、アランに同席を求めたのだ。
アランは困ったようにレティシアのことを見ると、彼女はドアの方を見つめている。
彼女の瞳は凍り付きそうなほどに冷たく、アランは背筋がゾクッとする感覚を覚えた。
そんな彼女に声もかけられず、彼はゴクッと唾を飲み込んだ。
「行こう、アラン」
そう言って立ち上がったレティシアは、いつも通りの雰囲気を漂わせている。
そのため、アランはさっきのが夢だったのではないのかと、一瞬だけ思った。
しかし、汗ばんだ手のひらは、先程のことが現実だと彼に伝える。
応接室の壁には、落ち着いたテイストの絵が飾られ、温かな雰囲気が漂う。
テーブルや2台のソファーからは、フリューネ家の歴史を感じさせる。
レティシアとアランが応接室に入ると、2人は思わず足を止めた。
壁際にはまだ1人用のソファーが2脚置かれているため、座る場所がない訳ではない。
しかし、2台あるソファーのうちの1台に、少し窮屈そうに座る4人の姿があったのだ。
(あんなに窮屈そうに座るなら、他の椅子を勧めれば良かったのに)
レティシアはそう思うと、控えているリンの方を見てしまう。
しかし、リンは「彼らにはあの席だけでも十分です!」とでも言いたげな目をしている。
「あっ! アラン殿下! お姉さまぁに会いに来たんですかぁ?」
「友達だからね。それと、おれも同席させてもらうけど、おれがいることは気にしなくていいからね」
アランは作り笑いを浮かべてそう言うと、入り口に近いソファーに座ったレティシアの隣に腰掛けた。
ライラが立ち上がり、アランの方に向かうと、それをダニエルは止め彼女を再び座らせる。
その様子を見ていたレティシアは、顔には出さずに呆れて見つめる。
しかし、突然ステラが彼女の膝に乗って丸くなると、彼女はステラの背中をなでながら微笑んだ。
そして、彼女は落ち着いた雰囲気で、父親と13年ぶりに向き合って話し出す。
「お父様、お久しぶりです。本日はどのような要件があって来たのですか?」
「なんだ、父親が娘に会いに来るのに理由が必要なのか?」
ダニエルの口調からは、わずかばかりの苛立ちが感じられ、レティシアとは対照的に映る。
「いえ、ですが突然訪ねて来られても、私にも予定がありますので、急用の場合以外は前もって先触れの手紙を出してほしいのです」
「親なんだから、娘に会いたいと思った時に、会いに来て何が悪い。それに、ここは俺の家でもあるんだ! それなのに、主が家の中に入るのに許可がいるとか、騎士団のヤツらも、この家で働くヤツらも、俺のことをバカにしてるとしか思えない! 全員クビにしてやる!!」
おっとりとした口調でレティシアが話した。
しかし、ダニエルは間髪を入れず話し始めると、途中から声を荒らげた。
そして、彼は言い切ると、ドアの近くに控えているリンを睨み付けた。
「誰もバカになどしておりませんし、全員をクビにする権限はお父様にはありませんよ?」
ダニエルは大きな声で「なんだと!!」と怒鳴ると、勢いよくテーブルを両手で叩いた。
その瞬間、テーブルに乗っていた食器は、ガチャンと高い音を立てる。
ダニエルは立ち上がろうとすると、隣に座っていた女性が彼をなだめるように話し出す。
「あなた、少しは落ち着いてちょうだい。今日はそんな話をしに来たわけじゃないでしょ?」
「ああ、そうだったな……すまないセブリーヌ」
ダニエルがまだ怒りで震えている様子を見つつ、セブリーヌは彼の背中を優しくなでた。
そして、彼の怒りが収まるのを待つ代わりに、彼女の視線は自然にレティシアの方へと移る。
「――レティシア、初めまして。わたしがあなたの母よ」
突然セブリーヌに母だと言われたレティシアは、カップを持っていた手に力が入った。
「私の母は、エディット・マリー・フリューネだけです。申し訳ありませんが、あなたを母と呼ぶことはできません」
レティシアが冷静な口調でセブリーヌを突き放すと、セブリーヌは顔を真っ赤にして眉間にシワを寄せた。
しかし、それでも彼女はなんとか作り笑いを浮かべたが、普段から感情を抑えることがないのか、笑顔が引きつっている。
「そ、そう。それならセブリーヌと呼んでちょうだい。ライラとは学院で会ってるから、知ってるわね。それじゃ、この子がレティシア、あなたの弟よ」
セブリーヌは彼女の隣に座る少年の膝に手を置くと、「さぁ、あいさつしなさい」と少年に促した。
「姉上、アラン殿下、初めまして、フィリップ・フリューネです」
フィリップが丁寧にあいさつすると、アランは彼の方を見て軽く手を上げた。
「アラン・ソル・エルガドラだ、おれのことは気にしなくていい」
「そう、あなたがフィリップ……」
(初めて会ったけど、確かにお母様と同じ髪色と瞳の色をしているわ……だけど、何か違和感があるわ)
『レティシア、違和感に気が付いた?』
ステラはフィリップから違和感を覚え、レティシアに尋ねた。
彼女は金の瞳でフィリップを見つめ、彼のことを観察している。
『ええ、気が付いたわ』
レティシアはテレパシーで答えると、フィリップの中に流れる魔力を覗く。
その結果、彼女は違和感の正体に気が付く。
しかし、フィリップもレティシアに見られているとのに気が付いたのか、彼は首をかしげながら尋ねる。
「姉上?」
「何かしら?」
「いえ、ぼくの気のせいでした。気にしないでください」
レティシアは魔力の流れを見るのを辞め、フィリップに柔らかい笑みを見せた。
すると、彼も何事もなかったように、無邪気な笑顔を見せる。
(この子……魔力を視られていたことに気が付いた?)
「どうだ? レティシアも実の弟と住みたいだろ? 部屋をすぐに用意してくれれば、俺たちもすぐここに引っ越してくるよ」
ダニエルはレティシアがフィリップに笑いかけるのを見て、ニヤニヤしながら彼女に言った。
「……いえ、それでしたら、彼をこちらで引き取ります。もちろん、これまでに掛かった費用もお支払いします」
少しだけ考えたレティシアは、ダニエルの要求を一蹴し、彼女の意見を述べた。
しかし、そのことに腹を立てたのか、ダニエルの顔がみるみるうちに真っ赤に染まると、彼は大きく口を開ける。
「子どもは親と住むべきだ!! 子どもの癖に生意気なことをあまり言うな!!」
怒りでプルプルと震えているダニエルとは対照的に、レティシアはとても落ち着いていた。
この場に、アランとリン、そしてステラがいることが、彼女には心強かったのだ。
そのため、まるで闘牛のように鼻息が荒いダニエルを、どこかで冷めた気持でレティシアは見つめている。
暫くすると、レティシアはテーブルの上に置かれたカップに手を伸ばした。
彼女は中に入っている紅茶を静かに見つめ、一口だけ飲んでゆっくりとダニエルに視線を向ける。
「……子どもは親と住むべきねぇ。――では、お聞きしますが、お父様は私が生まれてから、1年もの間どこにいたのですか?」
レティシアは冷たい笑みを浮かべてダニエルに聞くと、彼はレティシアを睨みながら口を開く。
「それは、仕事でこの帝都に来ていたんだ」
「愛人と子どもを作って?」
「だけど、会いに行っていただろ!!」
「ええ、年に1回……それも1週間だけですけどね?」
ステラをなでながら、まるで嘲笑うようにレティシアが言うと、ダニエルは警戒すように眉を顰めた。
「何が言いたいんだ?」
「いえ、ただあまりにも、私の時と違うなぁっと思ったので」
「お前にも話しただろ。エディットが許さなかったから、仕方がなかったんだ」
「それなら、お母様が許していたら、もっと会いに来たと? その間、ライラはどうするつもりだったんですか? まさかお母様に、愛人とその間にできた子どもも、連れて行っていいか聞くつもりだったんですか? それとも、一緒に住まわせるつもりだったのですか?」
薄ら笑い浮かべながらレティシアが聞くと、ダニエルは歯を食いしばって拳を握って怒りで震えている。
レティシアは視線を感じ、横目でライラの方を見ると、彼女は怒りに満ちた目でレティシアのことを睨んでいた。
しかし、ライラと同じようにセブリーヌも目を吊り上げ、レティシアのことを睨んでいる。
(だいたい学院で愛人の子どもだと、何度も自分で言っていたくせに、人から言われたら怒るのね。それなら、自分でも言わなければいいのに……)
レティシアはそう思うと、ライラの態度に呆れた。




