第118話 噂話と真実の間で
午前の授業が終わり、昼食の時間になるとレティシアは食堂へ向かった。
注文した物を受け取ると、彼女は適当に開いてる席に座る。
別の所でアランが食事しているが、特に約束をした訳ではない。
そのため、わざわざ彼を探さないのも彼女らしいところだ。
食堂は、そこそこ賑わいを見せ、所々に空席がまだ残っている。
美味しそうな肉は香ばしい匂いをさせ、フルーツが盛られた皿からは、甘い香りが漂う。
ゆっくりと食事を楽しんでいると、突然レティシアは声をかけられる。
「レティシア様、ここの席に座ってもよろしいですか?」
「あ、あの! 私たちも良いですか?」
「良いでしょうか?」
予想していなかったことに、レティシアは驚いたように顔を上げた。
そこに立っていたのは、カトリーナと先程ルシェルたちと模擬戦をした2人だ。
なぜカトリーナたちに声をかけられたのか分からず、彼女は戸惑いながらも口を開く。
「え、ええ、空いているので、どうぞ」
「「「ありがとうございます」」」
3人の声が重なり、顔を見わせた3人は小さく声を出して笑う。
その様子を見ていたレティシアは、仲が良いのだと感じた。
レティシアの向かいの席には、茶色の髪を高い位置で結んだ少女が座り、その隣には同じ髪色を2つに結った少女が座る。
最後に、レティシアの隣にはカトリーナが座った。
しかし、次の瞬間、向かいの席に座った少女が、前のめりになって尋ねる。
「あの! レティシア様、先程のうちらの試合は、見ててどうでしたか!?」
突然のことに、レティシアは呆けた顔で正面に座る少女を見つめる。
しかし、耳の下で髪を2つに結った少女は、慌てた様子で話し出す。
「あ、あの! ご、ごめんなさい! 自己紹介がまだでした。こちらがリズ・トルヴィで、自分はエミリ・フロスヴィアです」
エミリがそう言って気まずそうに俯くと、リズと呼ばれた少女はエミリの方を一瞥し、気怠げに頭をかき始める。
「あ~、すっかり忘れてた。あのさ、うちら貴族じゃなくて平民なんだけど、やっぱ話しかけちゃダメだったか?」
「いえ、この学院は家柄とか関係なく、通っている人たちは対等な関係だと聞いたわ。それに、私はダメだと思っていないわ。――ただ少し、勢いに驚いただけよ」
淡々と話していたレティシアだったが、彼女は言い終わると柔らかい笑みを浮かべた。
「ね! ワタシが2人に言った通り、レティシア様は優しいでしょ!?」
嬉しそうにカトリーナが両手を合わせて言うと、レティシアは驚いた様子で彼女の方を向いた。
「カトリーナ、この2人はあなたの知り合いだったの?」
「はい! 2人はワタシの幼馴染です」
「そうだったのね、リズとエミリ。これからは、よろしくね」
「よ、よろしくお願いします!」
「よろしくな! それにしても良かったぁ」
ホッと息をついたリズに対し、レティシアが首をかしげて「何が良かったの?」と尋ねた。
すると、リズは周りをキョロキョロと見渡した後、声の音量を下げてコソコソと話し出す。
「あぁ、実はさ、この学院でも、平民は話しかけるなって言ってくる貴族もいるんだよ。だから、レティシア様が気にしてなくて、安心したんだ」
「そうだったのね、知らなかったわ」
レティシアが驚いた様子で言うと、リズは周りに目を向けて、面倒くさそうに話し始める。
「まぁ、殿下たちがいるから、みんな表向きは気にしてなさそうにしてるからなぁ」
「そういうことなのね」
レティシアはそう言うと、目を伏せた。
最低限、貴族は行動や社会的な階級や身分に基づいて様々な制限が課せられている。
たとえを上げるなら、この学院に通う理由もそうだが、恋愛や将来、仕事にも制限がある。
戦争が起きれば、帝国民より先に戦場に立ち、帝国民の盾になる。
そして、領民の生活を考え、後継ぎを必ず作ったり、婿や嫁を迎えなければならない。
だからといって、それが差別していい理由にはならない。
だが、全ての貴族が差別しているわけではなく、彼らも彼らで学院の中であってもキッチリと線引きがしたいのだろう。
そうしなければ、貴族の中には庶民の方が自由で羨ましいと感じてしまう人も少なからずいるのだろう。
「……な! な! それでどうだった!?」
突如、最初の要件を思い出したかのように、再びリズが前のめりになって聞いた。
その勢いに、若干引いている様子でレティシアは答える。
「そ、そうね。さっきの試合だけど、総合的に見て良かったと思うわ。だけど、距離を詰めた後、殿下を狙うのではなく、足元を凍らせてライラを先に狙うべきだったと思うわ」
リズは話を聞いて、深いため息をついた。
「……やっぱ、殿下よりライラ様を狙うべきだったかぁ、すっごく悩んだよなぁ……でも、狙ったら狙ったで、後でうるさいって考えたら、結局狙えなかったよ。あぁあーくやしいぃ!!」
「後でうるさいって、どういうこと?」
眉間にシワを寄せてレティシアが聞くと、リズが慌てて「あっ……。悪い」と言って、口元を押さえてバツの悪そうな顔をした。
「どういうことか、教えてくれるかしら?」
レティシアが少しだけ高圧的にリズに尋ねた。
すると、彼女の雰囲気が変わったことに気付いたリズは、困ったような顔をしながら話し出す。
「いや、その、不愉快に思ったら悪いんだけど……その、ライラ様は結構、言うんだよ……平民の癖に生意気だとか、調子に乗ってるって……それで、こっちが言い返すと、フリューネ家が黙ってないって言うんだ。――だから、さっきカトリーナがレティシア様に話しかけようとした時、止めたんだ。――レティシア様は、ライラ様の姉だから、同じだと思って……」
(……フリューネ家が黙っていないねぇ)
「――そうだったのね。リズ、教えてくれてありがとう」
レティシアが微笑むと、先程までの威圧的な雰囲気が消えている。
その場にいた3人は、彼女の雰囲気が和らぐと、ホッと胸をなで下ろした。
たとえ、この学院内で家柄は関係なく平等だと言っても、学院の外に一歩でも出れば決して平等な関係ではないことを3人は知っている。
だからこそ、学院内でいざこざを起こしたくないのが、彼女たちの本音なのだろう。
その後、食事を終えた4人は、食器を返却しに向かった。
その途中で、先程話題にも上がったルシェルとライラの姿を4人は見つける。
「レティシア様、あの2人が婚約してるって本当なの?」
2人の姿を見ていたリズは、不意にそうレティシアに尋ねた。
しかし、レティシアはそういった話は、一切知らない。
そして、もしその話が事実であるならば、パーティーでのルシェルの行動は、到底許されるものではない。
そのため、レティシアの表情は驚きを隠せずに、目を見開いている。
けれど、そのことに付いて、カトリーナが横から口を挟む。
「あら! ワタシはライラ様が、バージル殿下と婚約していると聞きました。それに、バージル殿下が現れると、ライラ様はルシェル殿下といても、バージル殿下の方に行かれるので、てっきりそうだと……」
「じ、実際のところ、どうなのですか? ライラ様はどちらと婚約するのですか?」
エミリが尋ねると、3人の視線はレティシアに集中した。
実際のところ、どうなのかと聞かれてもレティシアは全く知らない。
彼女の指示で現在、スキア隊がダニエルたちを見張ってはいる。
しかし、スキア隊からは、そのような報告は上がっていないのだ。
(報告がないことを考えれば、2人の皇子と婚約関係ではないと思って、間違いないと思うわ。――だけど、そこまで噂されているとなると、学院の外でも彼らは会っていて、学院の中と同じ距離感で過ごしているってことね)
「ごめんなさい、そのことは知らないのよ。リズとカトリーナから聞いて、初めて知ったくらいよ……」
眉を下げて困ったようにレティシアが言うと、それぞれが食器の乗ったトレーを返却口に置いた。
そしてリズは、頭の後ろで手を組んで歩き出す。
「なぁ~んだ。レティシア様が知らないなら、どちらもただの噂で事実じゃないってことか」
「ごめんなさい、それも分からないわ。それにしても、噂話とかに疎いのね、私って……」
レティシアはそう言うと、落ち込んだように下を向いた。
すると、途端にリズは少しだけ慌てた様子で、明るく振る舞う。
「えっ、あっ、レティシア様が謝ることじゃないから! それにさ! 噂話とかなら、うちらが聞いたやつとかなら、いくらでも話すよ! だから気にしないで!」
リズが言い終わると、エミリとカトリーナが何度も上下に首を動かした。
レティシアはリズが彼女の肩に触れると、軽く目尻に指を当て、ダメな自分を装う。
「――3人とも、ありがとう」
貴族や庶民に関わらず、どこでも噂話は存在する。
だが、貴族の場合は、様々な方面に支障が出るため、あまり放って置くことはない。
婚約に関しては特に、思惑があったり、事実でなければ放置などしない。
もし、今回の噂話が、婚約者候補なら、後でなんとでも言い訳ができるからまだ良い。
だけど、噂話が婚約となれば、少なからず今後は皇子たちの婚約話に、影響してくるだろう。
(学院に通う子を持つ貴族の親が、この噂話を耳にすれば何かしら皇家に報告がいったり、どういうことなのか問いただすと思うのに、それがないのかしら? ライラもフリューネって名乗っているから、侯爵が相手だと思って、何も言わない? それとも。もしかしたら、どこからか圧力が掛かっているのかもしれないわね。後……あまり考えたくないけど、頭の隅で皇家に見切りを付けた貴族がいると考えても、良いのかもしれないわ)
教室に向かう途中で、レティシアはそう考えていた。
しかし、3人から見たレティシアの表情は暗く、家族から何も知らされていない姉のように映る。
そのため、よく噂話を耳にする3人は、顔を見合わせると静かに頷きあった。
この時、彼女たちは、聞いた噂話をレティシアにも共有しようと思ったのだ。




