第114話 門出の夜と人々の思い
神歴1504年3月16日。
ヴァルトアール城の城門前は、人々を出迎えるために魔法によって照らされていた。
馬車が止まるたび、色鮮やかなドレスを着た女性が降り、付き添いの男性がエスコートしている。
黒いズボンを履いた1人の青年が馬車の到着を待っていると、金の装飾がされた光沢のある黒い馬車が止まった。
黒髪を撫で付けた青年は、ホワイトドロップの紋章が描かれた馬車のドアを開け、柔らかい笑みを浮かべながら手を差し出す。
すると、城門前で一部始終見ていた女性たちの頬が赤く染まる。
黒いコートには銀と青の刺しゅうがしてあり、赤い瞳は差し出した手の先に居る人物を見つめていた。
口元を扇子で隠していた女性たちは、青年を見つめる瞳には熱がこもる。
差し出された青年の手を取り、黒と赤の刺しゅうがされた白いドレスを着た少女が馬車から降りた。
白いドレスから出た肌は雪のように白く、まるで雪の精霊が舞い降りてきたようだ。
その場にいた男性たちの足は止まり、釘付けになったように視線が彼女に向けられている。
シルバーの髪は光を受けて輝く豊かな波のように、自然なカールを描きながら流れ落ちて鮮やかに揺れる。
青い色素が交じり合った毛先は、海の深い青を連想させた。
赤い瞳の青年を見つめるロイヤルブルーの瞳は、夜空を照らす月の光のように優雅で、無限の物語が隠されているようだ。
「想像していた以上に綺麗だ」
ルカは目を細めて優しく微笑むと、レティシアの頬は熱を帯びたように赤く染まる。
「ありがとう、ルカも素敵よ」
「それは、どうも」
ルカはレティシアに腕を差し出すと、レティシアはそっと彼の腕に手を乗せた。
2人は城内に向かって静かに歩き出したが、彼らを見ていた人々は時が止まったように動かない。
しかし、2人が城の中に消えると、ハッとしたように人々は動き出し、少女が誰なのか話し始めた。
生まれてから1度もレティシアは、帝国で公式な場に参加したことがない。
けれど、馬車の紋章から彼女がフリューネだと知ると、人々の目には外見の他に興味が湧いたように見えた。
広間に入る大扉の前で、2人は立ち止まって扉が開かれるのを待っていた。
礼儀作法や立ち振る舞い方は、過去の人生でもレティシアは学んでいる。
さらに今世では、ライアンの妻であるフローラ大公妃からも教わっていた。
失敗が許されないという思いが、レティシアの心を縛りつけ、手が微かに震えてしまう。
そんな彼女の不安を感じ取ったのか、ルカは彼女の手にそっと触れた。
「大丈夫だよ。今日のレティシアはとても綺麗だし、俺もついてるから何も恐れることはない」
「そうね……ごめんなさい。せっかくフローラ様に教えてもらったのに、失敗したらどうしようと思うと、不安になってしまったわ」
「フローラ様なら、笑って許してくれるはずだ。ほら、下を向かないで、真っすぐに前を向いて」
ルカに言われたように、前を向いてレティシアは胸を張った。
暫く待っていると、大扉が開かれ伝令官が大きく口を開く。
「ご紹介いたします、レティシア・ルー・フリューネ侯爵様と、ルカ・オプスブル侯爵様のご到着です」
広間に居た人々の視線はレティシアとルカに注がれ、それでも皇帝の元へ向かう2人は堂々としている。
しかし、コソコソと広間に居た人々が話し始めると、その会話は2人の耳に届く。
「あれが、フリューネ家の長女なのね」
「でも、侯爵と紹介されていたから、彼女が今の侯爵なのでしょう?」
「まぁ! 長男のフィリップ様じゃないの!?」
「わたくし、彼女の顔を初めて見ましたわ」
「なんでも、幼い頃からエルガドラ王国で学んでいたらしくて、先月頃に帰国したらしいわよ」
「それでは、エディット様の葬儀の時も帰ってこなかったのですか?」
「皇帝陛下が学びを優先しろっと言って、帰国を許さなかったと聞いたわ」
「まぁ、おかわいそうに……」
彼女たちは、聞こえないように話しているつもりなのだろう。
けれど、聞き取れたレティシアは、グッと手に力が入った。
そんな彼女の手にルカは触れると、彼女に優しく微笑みかける。
些細な行動が、彼女に落ち着きを取り戻させ、前を向くための糧になる。
(気にしてはダメよ……しっかりしなくちゃ)
レティシアは、息を吐き出すとそう思った。
レティシアとルカは皇帝の前まで来ると、ルカは胸に手を当てお辞儀し、レティシアは完璧なカーテシーを披露した。
過去や現在のことを考えれば、そこに皇族に対する敬意が含まれていたのか2人にしか分からない。
それでも、感心するよう声が上がり、皇帝であるロッシュディも「ほぉ」と声を出した。
皇帝の隣には、皇后であるエミリアが座り、少しだけ離れた場所に第二妃のソーニャと第三妃のクレアが並んで座っている。
「久しぶりだなルカ君、それと初めまして……フリューネの姫、レティシアよ」
「ロッシュディ皇帝陛下、お久しぶりでございます」
「皇帝陛下にお目にかかれて光栄に存じます」
「そうか、2人で来たのか……それは、予想してなかったな。――まぁ、なんだ……今宵は予の息子も16歳になった祝いの席だ。ゆっくりしていくといい」
「「ありがとうございます」」
レティシアは再び見事なカーテシーをして、皇帝の隣に座るエミリアを一瞥した。
エミリアの視線はバルコニーへ向けられており、レティシアとルカは人々の中に紛れると、バルコニーへと向かった。
2人がバルコニーへと出ると、1人の女性の後姿がそこにはあった。
シルバーブロンドの髪はシニョンにまとめられており、2人には彼女の後姿に見覚えがあった。
そのため、レティシアは「リタ?」と声をかけると、女性の肩が小さく上がる。
振り返ったバイオレットパープルの瞳は、今にも零れそうなほどの涙を溜めている。
リタが涙を流す姿を、レティシアは一度しか見たことがなかった。
衝撃的な光景にレティシアは戸惑い、それでも彼女に優しい微笑を向ける。
すると、リタは震える唇で、ゆっくりと話し出す。
「レティシア様……」
「久しぶりねリタ」
「……レティシア様……あの日……もうレティシア様とは、この先……会えないと思っておりました。エディット様が、あの後……どうなるのか知っていたのに、私は……私はレティシア様に何も言わず……マルシャー領へと送り出しました……憎まれても、仕方がないと……考えていました……」
「……そうだったのね。それでも、感謝はしても、憎むことも恨むこともないわ。――リタ、お母様を最後まで守ってくれて、本当にありがとう。フローラ様から聞いたわ、リタがお母様のために、素晴らしい葬儀にしてくれたと……」
「ですが! エディット様が亡くなってから、邸宅はダニエル様たちに荒らされました! エディット様の遺品を、全てレティシアにお渡しすることができなくなってしまい、本当に」
「いいのよリタ、いいの。リタたちの責任じゃないわ」
レティシアはリタの言葉を遮ると、優しく彼女のことを抱きしめた。
それは、最後にあった時よりも、彼女の姿が弱々しく見えたからだ。
肩を震わせ、嗚咽する姿はあまりにも儚く、今にも消えてしまいそうなほどに脆い。
かつて幼いレティシアを包み込んだ腕は、今はただ小さく感じる。
「リタ……今リタは皇后様の侍女をしているのよね?」
「はい……お姉様からお願いされて、侍女をしております」
「それなら、こんな場所で泣いてる場合では、ないわね」
「……そうですね」
「リタは私との約束を守ってくれたわ。それで充分よ……もう自分を責めないでちょうだい。お母様も、きっとリタを責めたりしないわ」
リタの涙をレティシアが優しく拭うと、リタの背中をそっとなでた。
リタにはその姿が、エディットと重なって見え、胸が熱くなった。
溢れ出した涙は止まらず、リタは懐かしい日々を思い、喉が焼けるように痛んだ。
今もなお、広間からは貴族が到着したことを知らせる伝令官の声が、高らかに響き渡る。
遠くで聞こえる噴水の音は、泣いているリタの嗚咽をかき消し。
冷たい風はリタの頬を優しくなで、彼女の気持ちを落ち着かせる。
幾千もの星が夜空で輝き、月明かりが静かな庭を照らす。
一頻り泣いたリタは、落ち着きを取り戻すと無表情に戻った。
レティシアも良く知る顔だったが、目元は泣いたことによって赤くなっている。
しかし、今のリタは皇后の侍女であり、長く離れることは許されない。
そのため、リタはレティシアとルカに頭を下げると、足早に広間へと戻って行った。
リタが広間に戻ってから暫くして、広間は次第に静かになった。
レティシアとルカは頷き合うと、広間に入って行き壁際で大扉の方に目を向ける。
静寂の中で大扉が開かれると、伝令管の大きな声が広間の隅々まで届く。
「ご紹介いたします、ルシェル・テオ・ド・ヴァルトアール皇子殿下のご入場です」
撫で付けたプラチナブロンドの髪は、皇子としての彼を勇ましく見せる。
自信に満ちた金の瞳は前を見据え、金の刺しゅうがされた深い青色の服は、高貴さと威厳を強調させた。
颯爽と歩くルシェルを見ながら、ルカとレティシアは視線を感じ、盗み見るように視線を感じた方向を見た。
視線を感じて振り向くと、ダニエルと彼の再婚相手セブリーヌが立っている。
そして、彼らに隠れるように、ブロンドの髪がチラッと見えると、2人はライラの姿を見つけた。
(こんな所まで来たの!? 今回ライラは招待されてないはずよね?)
レティシアはそう思うと、そっと口元を隠した。
今宵の誕生日パーティーの招待状は、今の時点で16歳になっている者へ送られている。
まだ16歳になっていないライラには、招待状が届いていないはずだ。
それにもかかわらず、ここに居ることを考えると様々なことが予測できる。
例えば、彼らが皇族と親しい関係であり、例外として招待された可能性。
他にも衛兵に賄賂を渡し、この場に参加したとも考えられる。
ルカとレティシアは眉間にシワを寄せ、考えられる可能性を考えているようだ。
『ねぇ、ルカ……あまり考えたくないけど、今夜婚約発表があるなんてことはないわよね?』
『それは聞いてない。この後、陛下にレティシアを連れて来てほしいと頼まれてるんだ。もし婚約発表があるなら、陛下は別の日を指定したはずだ』
『……そう、それじゃ、なぜここにライラがいるのかしら?』
『それは分からないな。ルシェルが招待状を渡したか、それとも他の皇族が招待状を送った可能性もある』
レティシアとルカがテレパシーで会話していると、2人は肩を軽くたたかれ、視線がたたかれた方へと向かう。
ほんのり波を打つ赤い髪は1つに結われ、銀白のフープピアスは彼の動きに合わせて2本のスティックチャームが揺れる。
袖口にエルガドラ王国の紋章が入った金のボタンは、ネイビーの服装を洗礼させて落ち着いた印象を与える。
「よっ! 2人とも難しい顔をして、なんかあったのか?」
「あら、遅かったわねアラン」
「いや、城には結構早めに着いてたんだけど、ライアン皇弟殿下と話してたら、広間に来るのが遅くなっただけだよ」
「そうだったのね」
「ルシェル殿下が最後だし、この後レティシアも踊るんだろ?」
「ええ、一応フローラ様から教わったから踊るけど、それがどうかしたの?」
「それじゃ、2曲目はおれと踊ってくれませんか?」
胸に手を当て、礼儀正しくアランが頭を下げると、レティシアはクスッと笑う。
「ええ、構わないわ」
「ありがとう。おれも一応王子だから、こういう場だと1曲は踊らないといけないからさ、本当に助かるよ」
アランがそう言うと、皇子としてルシェルが初めてのあいさつを始めた。
ルシェルの大きな声が広間全体に響き渡り、人々は神妙な面持ちで彼を見つめる。
継承権第一位である彼の言葉に、耳を傾けるのは至極当然なのだろう。
しかし、祝いの場であるにもかかわらず、ひとえに彼を祝うことができない人たちがいた。
そのため、大人として一歩を踏み出した彼には、厳しい眼差しが向けられる。
それは、新しい門出に影が落ち、帝国の未来を人々が案じているようだった。




