第111話 別宅の秘密
帝都オーラスの空には、鮮やかな青が広がり、白い雲がゆっくりと流れている。
街の中心にそびえ立つ白い時計台は、時を刻み、人々の生活に溶け込んでいるようだ。
その周りには、色とりどりの屋根が立ち並び、それぞれが独自の魅力を放つ。
古びた石畳の道は、長い歴史を物語り、生活の営みが絶えず、活気に満ちている。
帝都にある別宅に着いたレティシアは、白い外観の建物を見つめていた。
邸宅よりも建物は小さいが、それでも騎士寮や訓練場があるのを考えれば広い土地だ。
彼女は初めて別宅に足を踏み入れると、執事として働いているパトリックが出迎えた。
「レティシア様、長旅ご苦労様です。お待ちしておりました。早速ですが、屋敷の中を案内いたしましょうか?」
「いえ、今はいいわ。とりあえず、書斎に案内してちょうだい」
「かしこまりました」
パトリックはレティシアに一礼すると、彼女を書斎に案内する。
ダークブラウンのドアを開けて中に入ると、書斎は静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。
壁一面には古い本が並び、広めの書斎机の後ろにある大きな窓からは穏やかな光が差し込む。
部屋の中央には、落ち着きのある2台のソファーの間にテーブルが置かれている。
「こちらが書斎になります、レティシア様。デスクに置いてある書類は、内容別にまとめてあります」
レティシアは部屋を見渡し、書斎机に向かうと書類を手にした。
「ありがとう、パトリック。早速で悪いんだけど、アルノエ、ロレシオ、ニルヴィスを呼んでもらえるかしら? それと、できたらお茶をお願いね」
パトリックは再び一礼し、「かしこまりました」と言い、部屋を静かに出て行く。
レティシアは椅子に座ると、積み上げられた書類を見始めた。
別けられた書類には、領地管理に関してや、騎士団の必要経費、本邸と別邸の管理費について記載されている。
これまでは、彼女が国外にいたため、家令であるジョルジュや執事のパトリックがある程度の業務を代理でやっていた部分がある。
しかし、レティシア自身が領主として最終決定権を持ち、これらの事項を的確に処理しなければならない。
羽根ペンを持つ彼女の手はスラスラと紙の上を走り、静かな部屋には時計の音と、紙がめくれる音が聞こえる。
山積みにされた書類が半分ほど減り、パトリックはレティシアの処理速度と的確さに驚いている様子だ。
けれど、レティシアは書類から目を逸らさず、出された紅茶を飲み始めた。
部屋のドアをノックする音が聞こえると、彼女は書類から目を離し、ドアの方を向いた。
開かれたドアからは、彼女が呼び出した面々が入ってくる。
礼儀正しくロレシオが一礼し「失礼します」と言うと、ニルヴィスとアルノエも頭を下げた。
けれど、ニルヴィスは昔と同じように、無邪気に笑いながら手を振った。
「やっほ~レティシアちゃん久しぶり~」
「ニルヴィス! おまえというやつは!」
大きな声を出したロレシオに対し、ニルヴィスは少しだけ頬を膨らませた。
「いいじゃんか~7年ぶりのレティシアちゃんだよ? 2人だってこの日を楽しみにしてたはずなのに、堅苦しいのは、なしにしようよ~」
レティシアは彼らが話すのを止めることもなく、書類の処理の続きをしている。
時折、微かに笑みを浮かべては、静かになるのを待った。
「レティシア様、帰って来て早々に騒がしくて申し訳ございません」
申し訳なさそうにロレシオは言ったが、レティシアは書類を見たまま答えた。
「気にしていないわ。ただ……少しだけ懐かしいと思ったのよ。一応、帰ってくる前に報告はあったけど、その後で何か変わったことはあった?」
「はい、レティシア様が帰国すると報告を受けた後、ダニエル様が別宅の方を訪ねてきています。裏切り者がいないか調べた方がいいと思いますが、どうしますか?」
ロレシオは仕事を続けるレティシアを見ながら、真面目な表情で尋ねた。
「鼠については任せるわ、他に何かあるかしら?」
「んじゃボクから~ルカ様がレティシアちゃんに会いたいみたいだから、時間を作ってあげてほしんだよね~」
「それは大丈夫ね。この後、ルカがここに来るはずだから」
「それなら大丈夫だね。なぁんだ、心配して損した~」
ニルヴィスは頭の後ろで手を組んで不貞腐れたように言うと、レティシアは小さく笑う。
「ノエからは何かある?」
「オレからは、特にありません。ただ……無事に帰って来てくれて、良かったと思っております」
優しく微笑んでアルノエは言うと、レティシアは書類から目を離して3人の方を見てニッコリと笑った。
「ありがとう、3人とも下がっていいわ。あ、それと後で良いから、スキア隊を紹介してちょうだい」
ロレシオが「かしこまりました」と言うと、3人は一礼して書斎を出て行く。
そして、彼らと入れ替わるように、右耳に赤いピアスを着けた1人の青年が書斎に入ってくる。
スラッと伸びた手足は魅力的に映り、姿勢の良さは彼の自信と力強さを際立たせていた。
子どもらしさを失った顔は、より男性的で洗練された美しさを放つ。
彼の漆黒の髪は、7年前よりも光沢と柔らかさはさらに増し、ミディアムに切りそろえられている。
前髪は少しだけ目の上にかかり、柘榴のように赤い瞳を宝石のように見せる。
22歳に成長した彼の存在感は一瞬で空間を満たし、彼の周りの空気までが彼の色に染まった。
「久しぶりだな」
「ええ、久しぶりね」
ルカは真っすぐにレティシアの方に向かい、書斎机に寄り掛かる。
「相変わらずかと思ったけど、帰って来て早々に仕事か」
「そうね。ジョルジュとパットリックが逃がしてくれなかったのよ」
困ったようにレティシアが笑うと、ルカは横目でパトリックを見た。
その瞬間、パトリックは否定するかのように小さく手を左右に素早く動かした。
「そっか、それは災難だったな。これ、頼まれてたやつ」
ルカはレティシアの方に手を差し出すと、手のひらには青と緑の宝石が付いたピアスがあった。
ピアスを受け取った彼女は、胸の辺りで大切そうにギュッとピアスを握りしめた。
「ルカ……ありがとう」
「いや、遅くなって悪かった」
ルカがレティシアに渡したのは、元々2個のピアスだったものを1個に加工したものだ。
青色の宝石は、かつてレティシアが付与術を施し、エディットに渡している。
先にヴァルトアール帝国に戻ったルカは、レティシアに頼まれてエディットが着けていたピアスを探した。
家庭環境が良くなかったルカにとって、エディットは彼を家族のように受け入れていた人物。
そのため、なかなか見つからない状況でも、ルカは諦められずに探し続けた。
そして、ピアスを見つけると、レティシアの緑色の宝石が付いたピアスと一緒に加工した。
「ううん、もう見つからないと思っていたわ……見つけてくれてありがとう……そうだわ、これを着けたいんだけど、ルカにお願いできるかしら?」
ルカは「ああ、いいよ」と言うと、移動してレティシアの左耳に優しく触れた。
「今付けてるピアスを外すのか?」
「いいえ、新しく穴を開けてもらえる?」
「分かった、それなら少しだけ傷むぞ」
ルカは空間魔法から消毒用のアルコールを取り出すと、レティシアの耳を軽く拭いた。
7年ぶりに彼女に触れる指先は熱を持ち、手が震えないように彼は心を落ち着かせる。
できることならば、幼い頃のように彼女を抱きしめたい衝動に駆られたが、嬉しそうにピアスを握りしめた彼女の気持ちを考えた。
正式な場に参加するとなれば、左右揃ったピアスが好ましい。
しかし、1度付けたら外したくないという彼女の思いが、新しく穴を開けるという選択をさせたのだろう。
そのことを考えれば、ルカは彼女を抱きしめることができず、赤くなった耳を見つめた。
「これでいいな。定期的に消毒するか、回復魔法をかけておけよ」
ルカは鏡を渡して言うと、鏡を見ながら満足そうにレティシアが笑った。
「ええ、ありがとう。これでいつでもお母様と一緒だわ」
「そうだな。――ところで、学院はここから通うんだろ? レティシアが学院を卒業するまでは、俺もオプスブル家の別宅に居るから、何かあったらすぐに呼んでくれ」
「そうなの? 私はルカもここに住むのだと思って、ルカの部屋も用意させてしまったわ」
驚いた様子で口を押えてレティシアが言うと、ルカは少しだけ困ったように笑った。
「婚約もしてないのに、一緒に住んだら婚約者だと思われるだろ? レティシアは、それでもいいのか?」
「そうよね……、それだとルカが困るわよね……ライアンも一緒にここに来たから、そこまで考えてなかったわ」
眉間にシワを寄せてレティシアが言うと、ルカは深くため息をついた。
「あのさ、俺は別に困らないんだけど? それに、レティシアがいいなら、俺はここに住みたい。その方がいろいろと安心できるし、護衛として護れる」
「そう? それなら、ルカの部屋を用意したから、そこを使ってもらえるかしら。私は帝都のことはよく分からないし、ライアンもルカがいた方がいいって言っていたの」
「分かった。それなら1度家に戻って、荷物をまとめてからこっちに来るよ」
ルカは明るく言うと、ドアの方に向かって歩き出した。
しかし、ドアノブを握った彼は振り返ってレティシアに笑いかける。
「レティシア、お帰り」
レティシアは「ルカ、ただいま」と返すと、嬉しそうに微笑んだ。
ルカが書斎から出て行くと、レティシアはデスクの上に残っていた書類の処理の続きを始めた。
しかし、いくら彼女の処理速度が速くても、すぐに終わるわけがない。
紙がめくれる音が部屋の中で聞こえ続け、ペン先が紙に触れる音が静かに響き続ける。
結局、食堂まで行かずに書斎で食事を済ませ、ひたすら手を動かした。
最後の1枚を書き終えたレティシアは、背もたれに寄り掛かりながら窓の外を見た。
すでに辺りは暗くなっており、月が帝都の街を照らしている。
彼女は立ち上がると、書斎で書類を整理しているパトリックに別宅の案内を頼んだ。
建物の作りは邸宅と似ているが、部屋数や部屋の大きさが違う。
さらに書庫があることを聞くと、レティシアは書庫までパトリックに案内させた。
邸宅の書庫は、元々安全な場所だっところを、レティシアが少しばかり手を加えている。
そして、フリューネ家は大切な物はど、金庫ではなく書庫の魔方陣の中へしまう傾向がある。
そのため、別宅の書庫にも何かしらあると考えられる。
書庫に着くと、レティシアはパトリックを下がらせ、書庫の中に足を踏み入れた。
邸宅の書庫と同等の広さがる書庫は、邸宅にも置かれている本が並ぶ。
天井まで伸びた本棚は、綺麗に整理され、大切にしてきたことが分かる。
そして、レティシアが想像していたとおり、隠された場所に魔方陣を見つけた。
彼女は少しだけ手を加えて魔力を流すと、魔方陣から1つの箱が現れる。
箱を開けて覗き込むと、封筒と巻かれた紙が入っていた。
彼女は封筒を手に取り、中身を確かめる。
綺麗な文字で綴られた手紙の最後には署名があり、これを書いた人物がレティシアの祖父母だということが分かる。
手紙の内容を読み進めていくうち、皇帝であるロッシュディがかつて彼女に言った言葉の意味を知る。
そして、彼女は巻かれた紙を広げると、「そういうことだったのね」と囁くように言葉がこぼれた。
(これは、まだ仕舞っておいた方がいいわね)
レティシアは封筒と巻かれた紙を箱の中に戻すと、箱はまた魔方陣の中へと消えていく。
おもむろに立ち上がった彼女は、新たな魔方陣を描くと、書庫を後にする。
(お爺様と皇帝陛下は、きっとお父様の本性を分かっていたのかもしれないわね)
レティシアはそう思うと、少しだけ憂鬱な気持ちで自室へと向かった。
これから彼女が通う学院には、ダニエルが育てた異母姉妹がいる。
そして、異母姉妹とは同学年であり、憂鬱な気分はさらに憂鬱になった。
(何事もなければいいんだけど……)
自室に戻ったレティシアは、ベッドの側にある小さなベッドの中を覗き込んだ。
天蓋カーテンがある小さなベッドの中では、ステラが丸くなって眠っている。
彼女はステラをなでていると、1人の女性が部屋に入ってきて彼女に声をかける。
「レティシア様、お疲れ様です。湯の方は準備できておりますので、ごゆっくりされてはいかがでしょうか?」
クリっとした目が特徴的な女性は、ミルキーブランの髪は奇麗にお団子にまとめている。
彼女はエルガドラ王国にレティシアが残って1年が経った頃、ルカが寄越した侍女の1人だ。
「そうね、今日は疲れたから、お願いしてもいいかしら」
「かしこまりました」
「リン、悪いわね。いつもありがとう」
レティシアが浴室に向かうと、浴槽には白い乳液と薔薇の花弁が散りばめられていた。
浴室には薔薇の香りと、ミルクの優しい匂いが漂っており、レティシアは洋服を脱ぎ始めると、リンが洋服を受け取って綺麗に畳んだ。
浴槽にゆっくりレティシアが足を滑らせると、リンは丁寧に彼女の髪をとかし始める。
「そういえば、メイはどうしたの?」
レティシアの声が浴室に響くと、リンは優しい笑みを浮かべた。
「メイはスキア隊の方に合流しました。メイに用がありましたか?」
「ううん、部屋に居なかったから、気になっただけよ」
「そうですか。後でメイに顔を見せるように言っておきますね」
「ええ、たまには顔を見せてって言っておいて」
「双子のワタシとメイを見分けられるのは、レティシア様とルカ様だけですので、きっとレティシア様がそう言っていたと聞いたら妹も喜びます。ですが、専用侍女は姉のワタシで良かったのですか?」
リンが不安げに尋ねると、レティシアは目を瞑って答える。
「メイだと私を甘やかし過ぎるから、これからのことを考えたら、冷静な判断ができるリンの方がいいと思ったの」
「ありがとうございます。ですが、ワタシもメイもレティシア様のことを溺愛しているのは同じなので、できるだけ冷静な判断ができるように心掛けます」
「ええ、お願いね」
(この双子……私のことになると、冷静さを忘れるのよね……リンは普段から冷静な判断ができるから、たまに周りがそのことを忘れそうになるけど……何事もなければいいけど……)
レティシアはそう思うと、深いため息をついた。




