番外編~純血の呪縛~
足元から感じられる床の冷たさと、隙間風がアンドレアに独りだということを実感させた。
トレーにのったパンは柔らかいようには見えず、先程出されたスープからは湯気すら登っていない。
(お粗末な料理ばかり見ていると、久しぶりに香りのいい紅茶や甘い茶菓子が食べたくなるわ)
彼女がそう思ってても、牢屋の中にいる彼女に届ける者はいない。
無論、そんな彼女に会いに来る者もいなければ、牢の前を通り過ぎる者たちは、ただ彼女を見てクスクスと笑うだけだ。
(当然の報いだと笑いたければ、勝手に笑えばいいわ。 けれど、わたくしアンドレア・エルガドラは、何も間違っていないのよ……そう、何も間違っていないわ……だけど……わたくしの生家は、わたくしが捕まってどうなったのかしら)
彼女はそう思ってはいても、プライドが許さず、自分の生家のことさえ聞けずにいる。
(幼い頃から周りには純血者いなかったし、お父様もお母様も純血主義者だったわ。純血者以外と結ばれるのは悪だと教わったし、現に我が家に勤めていた人族と獣人のハーフのメイドは、わたくしを池に落としたわ。だから、人族も人族の血が入ったハーフは、この国にいらないのよ。それがなぜ分からないのかしら)
彼女はそう思うと、膝を抱えて押さえきれない気持ちが、涙となって零れ落ちていく。
それでも、今の彼女に寄り添う者もいなければ、彼女を慰めようと思う者もいない。
それは、彼女が犯した罪がそれほど大きなものだったからだ。
そして、既に彼女は処刑宣告され、今はただその時を待っている。
次第に瞼は重くなり、徐々に彼女は寒さに凍えながら瞼を閉じた。
幼い頃、アンドレアは王家が主催したパーティーで、リビオと出会った。
初めて彼を見た時の気持ちは、今も彼女は忘れてなどいない。
燃えるような赤い髪に目を奪われ、彼の優しさに触れて彼女は初めて恋に落ちた。
彼が純血者ということも、純血主義である家族が後押しをしてくれる理由にもなった。
そこから、彼女はひたすら彼に相応しい女性になれるように、子どもらしい時間を捨ててまで努力に努力を重ねた。
立ち振る舞いから教養や見た目まで、幅広く彼の隣に立つことを目標に頑張っていた。
結婚適齢期になると、そのまま彼女は婚約者候補として名が出るまでになった。
彼女も、このまま順調にいけば、リビオと結婚できると考えていた。
やっと、やっと、これまでの日々が報われ、ずっと慕ってきたリビオに嫁げるんだと思えば、彼女は純粋に嬉しかった。
しかし、ある日を境に、彼女が抱いた夢は音を立てて崩れ去った。
なぜなら、彼女との正式な婚約が交わされる前に、竜人であるリビオが彼の番を見つけてしまったからだ。
まだ純血者なら彼女も、彼女の家族も仕方ないと引けたのだろう。
だが、番として紹介されたのは、純血者などではなく人族だった。
数年後、いろいろと手をつくし、なんとかアンドレアも城の中へと迎え入れられた。
けれど、リビオは彼女と過ごす時間よりも、番と過ごす時間が長かった。
政治が絡んだ側室よりも、番を優先するのも純血者の彼女には理解できた。
しかし、それでも彼女はリビオに振り向いてほしかったのだ。
それでも、番よりも彼女を愛してほしかったのだ。
その純粋な気持ちは、番が子どもを産んでから徐々に変わった。
ある日、彼女はリビオの番に「幸せかしら?」と尋ねた。
「ええ、今はすごく幸せだわ。リビオに愛されて、彼との子どもが授かれて、私は幸せよ。アンドレア、あなたも彼の傍にいれて幸せでしょ?」
純粋な笑顔と、本当に心から思っていそうな声に、アンドレアは胸の辺りが黒く染まった気がした。
子どもを作れば、彼も変わってくれるのではないかと、彼女は恥を覚悟して頼んだこともあった。
しかし、彼が彼女の部屋を訪れるのは、最初の頃と変わることはなく、月に二度のみ……
それ以外の時間は番といるのだと思えば、さらに胸の辺りが黒く染まっていく。
日に日に彼からの愛を独占したい気持ちが強まり、どうすれば手に入るか考え続けた。
次第に彼女は子どもさえいなくなればと、考えるようになり、同じ思想を持つ者に協力を願い、それを実行した。
それでも、彼女が子どもの訃報を聞いても、彼が彼女の元へ来ることはなかった。
そして、番が2人目を妊娠したと知った時、彼女の胸は1つの光も宿さないほどに染まり切った。
2人目を出産して間もなく、番はこの世を去ってアンドレアはほほえんだ。
その後、正式な手続きを経て、彼の正式な妻となった。
後は残った子どもだけだと……彼女は1人の部屋で高らかに笑った。
そこから、彼女は人族をエルガドラ王国から排除するために動き出した。
公にできないからこそ、何かしら理由を付け、彼女は人族を奴隷として売りに出した。
(人族を買う商人がいるのだもの、世界も人族が不要だと思っているのよ。だから、人族は生まれてきた時点で罪なのよ)
彼女の周りには似た人が多かったのも、彼女の思想を止められなかった原因かもしれない。
しかし、その一方でリビオとの関係は徐々に緩和し、重ねた愛が実を結んだ。
それでも、彼女の独占欲はそこで満たされず、アランのことも大切にするリビオまで邪魔に思えた。
もうこの時点で、彼女は止まれなかった、いや……もう引き返せないところまで進んだのだ。
そして、運命の日はやってきた。
裸足で歩く通りは足の裏が痛み、少し振り返ると、彼女が通った後には赤い染みができている。
しかし、誰も彼女に優しい言葉はかけず、言葉の刃と石が飛んでくる。
悲しみ満ちた叫びも、怒りに満ちた罵倒も、何一つ響かずに彼女は笑みを浮かべる。
けれど、石がぶつけられた部分は痛み、彼らの怒りや悲しみが憎しみで溢れていると感じた。
引っ張られながら進むと、リビオが処刑台の近くにある椅子に座り、その傍らにはアランの姿あった。
(いま、アランに噛み付いたら、彼くらいは道連れにできるのかしら)
彼女はそう思うと、薄っすら笑みさえ零れてしまう。
しかし、小さな足音が聞こえると、アランの婚約者と噂されていた少女が近寄ってきた。
少女の目には怒りなど感じられず、アンドレアは目を見開いて驚いた。
アンドレアは、ララが小さな紙を広げると、そこに書かれている文字を読んだ。
文字はまだ幼く拙さが残るが、書かれている言葉は愛情に満ちていた。
その瞬間、彼女はこの文字を描いたのが誰なのか分かり、堪えきれず涙が溢れた。
しかし、それでも時は止まってくれず、引き摺られ始めると彼女は少女に向かって叫ぶ。
「ごめんなさい!! あの子に伝えて! 生まれちゃダメな子は誰もいなかったんだって伝えてちょうだい!!」
断頭台に上がった彼女はそこから見える人々の顔を、目に焼き付けていた。
人々の目は怒りと憎しみに燃え、大切そうに洋服を抱え泣いている者もいる。
全ては彼女の歪んだ愛の結果だと……今なら分かる。
彼らから浴びせられる言葉は、当然だとすら思えた。
だけど、もう謝罪を述べても、無駄だと分かり切っている。
それなら、残したい言葉を残そう。
「ララ、あの子……オスカーに伝えて……愛してるって」
声にもならない声で言った彼女の言葉は、ララに届いたのかは彼女には分からない。
それでも、子どもにこれ以上火の粉がかからないようにするには、それしかないと彼女は思った。
そして……それが、彼女の最後の言葉となった。




