第104話 魔塔の影と疑念の種
宿屋から出たライアン、ルカ、レティシア、アランの4人は、ルカの透明魔法によって姿を隠していた。
そのため、ライアンは追跡を心配することもなく、先頭を歩いて路地裏へと入って行く。
ライアンとルカは、レティシアとライアンよりも付き合いは短い。
それでも、ライアンがルカに向ける信頼は、親子のような存在に近い物でもあった。
そのため、先を歩く彼の背中に不安の色はなく、迷いがない足取りはまるでリグヌムウルブの街を昔から知っているようだ。
薄暗い路地裏はとても静かで、薄気味が悪いとさえ感じてしまう。
けれど、ライアンは古びた建物の前に着くと、なんの迷いも見せずにドアノブを回し、中へと入って行く。
レティシア、アラン、ルカの3人は顔を見合わると、頷いて急いで彼の後を追う。
しかし、建物の中に入ると、3人は目を見開き、ルカは魔法を解くと辺りを見渡した。
建物の中は、外見の風貌からは考えらない書斎が広がっていたのだ。
高い天井にはたくさんの星が描かれており、デスクの後ろから左右に伸びた階段を境に、壁一面に本棚が天井まで伸びる。
デスクの正面にある2枚扉のドアの上には魔塔を象徴するモチーフが描かれ、その上にはまるで部屋を上下に別けるように階段から伸びた通路が通る。
ダークブラウンの床は光沢があり、この部屋にとても馴染み、程よい味わいを醸し出す。
重厚感のある大きなデスクの上には、羽根ペンとインクがセットされたアンティークな文房具が置かれ、綺麗に整頓されていた。
本棚に並べられた様々な本は、歴史すら感じさせるものばかりだ。
「久しぶりに使ったけど、ちゃんと使えたみたいで安心したよ」
そう言ったライアンの口ぶりからして、彼はこの場所を知っているようだ。
それを示すように、彼はデスクの引き出しを開けると、中からベルを取り出した。
そして、おもむろに1度だけベルを左右に揺らし、チリンッと音を鳴らす。
静かな書斎に鳴り響いたベルの音は、まるで流れ星を思わせた。
暫くすると、書斎のドアの向こうから人が走ってくる音が聞こえ、勢いよくドアが開くと男性が大声を出した。
「おかえりなさい!!!」
ライアンはニコニコと笑っていたが、彼に連れられてここに来た者たちは違った。
3人はドアから現れた男性を見て固まっていたが、男性も3人を見て固まっている。
しかし、あまりの出来事に、レティシアからは驚きが言葉として現れる。
「えっ? なんでここにラウルがいるの?」
「いや、逆になんで君たちがここにいるのですか?」
困惑した様子でレティシアとラウルが互いに尋ねていたが、ライアンはニコニコしながら2人の様子を見ている。
しかし、ラウルが何度もレティシアとライアンを交互に見ていると、ライアンはクスッと笑う。
「オレの書斎に、オレが3人を連れてきたんだから、なんも不思議なことじゃないよ? 久しぶりだねラウル」
「あ、はい! お久しぶりです!」
困惑しつつもラウルが返事すると、ライアンは彼に微笑みかけた。
しかし、口元は笑っていたが、細めた目は静かに彼を睨んでいる。
「実はラウルにお願いがあって来たんだよ。ラウルは彼女に婚約の打診を書いた手紙を出しただろ? オレはあれをなかったことにしたいんだ。もちろん、大丈夫だよね?」
ライアンの声は穏やかに聞こえたが、レティシアの背中には冷たい汗が流れた。
ライアンはラウルに尋ねているが、ライアンの雰囲気から断れないと彼女は思ったのだ。
そして、彼女はライアンのように笑い、同じ雰囲気を醸しだす人物をよく知っている。
(顔は笑っているけど、目が笑っていないのよね)
自分に向けられているわけではないのに、レティシアの額には汗が滲む。
さらに彼女の背中には、黒髪の少年の視線も突き刺さり、彼女の鼓動は耳まで届く。
しかし、この場で額に汗が滲んでいたのは、彼女だけではなかった。
ライアンに視線を向けられていたラウルも、額に汗が滲み目が泳いでいる。
「は、はい。大丈夫です……」
力なくラウルが言うと、嬉しそうにライアンが笑う。
「そっか! それなら良かったよ! 話はそれだけなんだけどね、君も彼女のことを考える暇があるなら、彼女から言われたことを急いで調べることだよ? 少なくても、この部屋は定期的に使われている形跡があるからね」
ラウルは目を見開くと、すぐに眉間にシワを寄せた。
この部屋の主がいなくなってから、この部屋は新たな主を迎え入れていない。
そのため、この部屋の主が言ったことなら、それは間違いがないことを意味する。
「分かりました、お任せください」
ラウルはそれだけ告げると、部屋を後にする。
彼の足取りは重く、背中は何かを懸命に考えているようにも見えた。
ライアンはドアが閉まると、深いため息をついた。
「ラウルと知り合いだったのね」
静かになった部屋で、レティシアの透き通る声が静かに響いた。
しかし、ライアンは困ったように笑い、彼女と目を合わそうとしない。
「うん、オレがガルゼファ王国で働いてた頃、彼の母親と仲が良かったんだよ。幼かったラウルは、オレとの約束を守って、レティシア様たちにそのことを話さなかったんだね」
(何か隠していると思ったけど、ライアンのことを隠していたのね……)
「そうみたいね……それより、ライアンはここが使われていたってなんで分かるの?」
「んー。少しの違和感と魔法の痕跡、それと机の引き出しに掛けていた魔法を、破ろうとした痕跡があったからかな?」
「私も確認してもいいかしら?」
「もちろんだよ」
レティシアはデスクに向かうと、魔法の痕跡を見ていた。
そして、1番下の引き出しに手を伸ばすと、静電気のような痛みが指に走った。
「この中身は?」
「オレが魔族に関して調べた資料と、ラウルの母親から聞いた全てです。レティシア様がほしいのでしたら、差し上げますよ?」
「ライアンは内容を覚えているの?」
「もちろん覚えていますよ」
「ルカ、あなたはこの書類が必要?」
「いや? 覚えてるなら、直接聞けるから必要ないよ。それにおまえにも考えがあるんだろ?」
「ええ、そうよ。それなら、これはこのままでいいわね」
レティシアは薄っすら笑うと、両手を合わせて息を吹きかけ、ゆっくり広げて魔法で黒蝶を創り出した。
小さな黒蝶はヒラヒラと舞い上がると、天井の隅に止まる。
「さすがですね、ほとんど魔力を感じません」
「ありがとう、これからライアンはどうするの?」
「そうですね、昨晩も話しましたが、妻に1度連絡を取ろうと思います。それからは、彼女と話し合って決めると思いますが、彼女ならオレの意見に同意してくれると思うので、これからも変わらず、レティシア様のそばにいると思います」
「そう……でも、ヴァルトアール帝国に戻ったら、子どもたちにも会いなさいよね」
「はい、分かっていますよ」
ライアンは優しく告げると、レティシアに微笑みかけた。
正直なところ、レティシアはライアンの子どもに対し、罪悪感を抱いている。
彼女の意思じゃないにしろ、幼かった彼らから父親を奪った。
そして、知らなかったとは言え、ライアンが父親だったらと考えていた過去もある。
そのことを考えると、話を聞いた日、彼女は寝れなかった。
だからこそ、彼女は子どもたちに会ってほしいと思ったのだ。
静かに思考を巡らせていたアランは、2人の雰囲気を見て躊躇っていた。
しかし、彼はこの光景を見るために付いて来たわけじゃないと自分に言い聞かせ、重たい口を開いた。
「なぁ、ここが使われていたならさ、今回の事件に魔塔も絡んでるって考えて良いのか?」
真剣な顔で尋ねたアランに対し、ライアンは静かに頷いた。
「そう考えて間違いないと思います。レティシア様も、ルカ様も、そう考えていたからこそ、魔塔を警戒していたのだと思いますよ?」
「そっか……」
「アラン様、あなたが何を考えているのか、だいたい分かります。ですが」
「大丈夫だよ、どこも一筋縄でいかないことは、おれも良く知ってるよ」
アランがライアンの言葉を遮り告げると、アランは困ったように笑った。
彼の言葉は大人のように感じられ、ライアンは静かに微笑んだ。
「そうですね。――さっ! では、宿屋に戻りましょうか」
ライアンはそう言うと、レティシアたちを1ヵ所に集めた。
彼は空間魔法から杖を取り出し、魔法を使い始める。
彼らの周りの空気は微かに変わり、煌びやかに光を帯びる。
(この魔法……そう、この世界にも、使える人がいたのね)
レティシアはそう思うと、ライアンの魔法に合わせるように魔法を使い始めた。
彼が使っている魔法は、魔導書に書かれている古の魔法。
レティシアにとっては、別の世界を思い出す懐かしい魔法。
辺りが一瞬だけ光に包まれると、レティシアたちは宿屋の部屋に戻っていた。
ライアンが使ったのは、瞬間移動の魔法。
しっかりとした座標や明確なイメージがなければ、使えない高度な魔法だ。
「レティシア様、ありがとうございます。この部屋に結界があったことを忘れていました」
「いいわよ、それよりも敬語と愛称をどうにかしなさい。今のままだと、私が気を使ってしまうわ」
「人目がないところは気を付けるよ。でも、外では今までどおり接するけど、いいよね?」
「構わないわ、ライアンがそれていいのならね」
「大丈夫だよ。レティシアのことは娘のように思っているから」
レティシアはライアンの言葉が嬉しかった。
けれど、チクッとした痛みがして胸を押さえた。
その様子を見ていたライアンは、レティシアの頭を2回軽くたたくと、彼女に微笑みかける。
「ヴァルトアール帝国に戻ったら、レティシアもオレの家族に会いに行こうね」
レティシアはライアンが優しく告げると、彼女は静かに何度も頷いた。
ライアンは目を細めて笑うと、今度はルカの元まで向かい、彼の頭をクシャッとなでて「ルカもね」と言って微笑んだ。
それぞれが自由に過ごし始めた室内では、ルカが静かにライアンを見つめていた。
彼は面倒くさそうに頭をかくと、空間魔法から通信魔道具を取り出し、通信をつなげ始める。
そして、通信がつながると、通信魔道具を無言でライアンに突き付けた。
通信魔道具から聞こえる声から、どうやらルカがロッシュディ皇帝に連絡を取ったようだ。
その様子を見ていたレティシアとアランは、会話を聞くのを悪いと思ったのか、2人はリビングルームから出て行く。
アランとは別室に入ったレティシアは、ベッドに腰を下ろすと、城にいるステラと情報の交換を始めた。
ステラからの情報を聞き、レティシアはライアンのことを話した。
『ふーん、それじゃジャンは皇弟だったのね』
『そうなのよ、今はルカの通信魔道具を使って、皇帝陛下と話しているわ』
『それで、レティシアはこれからどうするの?』
『そうね……本当はもう少しだけ犯人たちを泳がせて、裏にいる人物を炙り出そうと思っていたけど、ステラの話を聞く限り、のんびりしている時間はないと思ったわ』
『リビオ王も、まさか自分の国で反乱の準備が進んでいると、夢にも思わなかったのでしょうね』
『それは、そうでしょう』
『まぁ、ステラには関係ないけどね。ステラはレティシアのために動くだけだし、それじゃ、ステラはこのまま城でレティシアの指示通りに動くわ』
『ええ、そっちのことは頼んだわ』
レティシアはふぅっと息を吐き出すと、ドアをノックする音が聞こえ、ルカが部屋に入ってくる。
「終わったか?」
「ええ、ステラとの話は終わったわ。ルカの方は?」
「俺の方は、皇帝陛下がライアンの家族を呼びに行かせたから、もう少しだけかかりそうだと思って、そのままライアンに通信魔道具を貸したよ」
「そっか……陛下は泣いていたでしょ?」
「泣きながら謝ってたよ。ライアンが事件に巻き込まれずに、今も帝国にいたなら、きっとこんなことにならなかったって……」
「そう……別に陛下が悪いわけじゃないのにね」
「……そうだな」
レティシアとルカはそれだけ話すと、2人の間には長い沈黙が流れた。
レティシアが本を読み始めると、床に座ったルカも同じように本を読み始める。
しかし、ルカは時折レティシアを見ては、言葉に詰まったように話しかけることを躊躇っていた。
途中から、レティシアはそのことに気付いたが、彼女からルカに話しかけることはなかった。
けれど、2人の時間は、アランが部屋に入ってきたことによって終わりを告げる。
「あ、いた、いた。ルカ、いま少しだけ良いか? 3日後に出発する討伐のことで話があるんだけど」
「ああ、大丈夫だ」
本を閉じてルカがそう言うと、アランは話を続ける。
「悪いな。それで、レティシアは留守番でいいんだろ? それなら、オレとルカは向こうで話すけどいいか?」
「ええ、私は今回の魔物討伐に参加しないわ。それに、その日は王妃と会う約束しているもの」
立ち上がろうとしていたルカと、歩き始めたアランの2人は、レティシアの言葉を聞き、ピッタっと動きを止めた。
「悪い、なんて言った?」
困惑気味にアランが聞き返すと、レティシアは聞き返されると思わなかったのか、少しだけ驚いたように答える。
「え? だから、アランたちが討伐に向かう当日、私はエルガドラ王国の王妃と会う約束しているのよ」
「それ、予定をずらせないか?」
考えるようにアランは言ったが、ルカは眉間にシワを寄せている。
それでも、レティシアは2人のことを、少しも気にしていない様子で答える。
「もう返事もしたから、無理だと思うわよ?」
「オレたちの方が予定をずらすか?」
アランはレティシアの言葉を聞き、ブツブツと言いながら考え始めた。
その様子から、アランがレティシアと王妃を会わせたくないのだと察しが付く。
だが、ルカは彼女が予定を告げたことを考え、彼女には思惑があるんだと考えた。
「いや、ただのお茶会のお誘いだろ? それなら俺たちは普通に討伐に向かおう」
「だけど!!」
「大丈夫よアラン。当日はライアンに付いて来てもらうつもりよ」
アランを安心させるようにレティシアは言うと、アランは肩を落としながら口を開く。
「それならいいけどさ……オレ、あの人のことは苦手なんだよ」
(でしょうね……)
レティシアは何日も王妃の部屋の様子を聞いている。
そのため、純粋な獣人族以外を見下しているところがある王妃を、アランが苦手意識をもっても仕方がないと思った。
「何かあったら、すぐに連絡するわ」
「ああ、頼む」
ルカは短く返答すると、まだ何か言いたそうなアランを連れて部屋を後にする。
レティシアが何を企んでいるのか、ルカは詳しく知らない。
けれど、彼も彼で様々な情報を集めている。
そのため、これから何かが動き出すことは、彼には予測できた。




